絶対天使と死神の話

死神編 09.魔力残量


ヤバイ、ヤバすぎる。
子供を町まで連れて帰るぐらい、簡単だと思っていたのに。
両手に荷物を抱え、空は森を疾走していた。
荷物とは勿論、ジョゼとピコの二人である。
右手でジョゼを抱えあげ、左手でピコを担いだ格好で走っているのだ。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?自分で走れるわ!」と騒ぐジョゼを短く叱咤する。
「オレが全力で走ったら、あんた達は追いつけないだろ?いいから荷物は黙って担がれてろ」
「なっ……!」と言葉を失うジョゼにはピコも言い添えた。
「振り返りたくもない音が追いかけてきているし、彼の言い分は正論だよ!」
バキバキ、メキメキ、と樹木を踏み倒して何か巨大なものが追いかけてきている。
恐怖で気絶しそうな状況だってのに、空ときたら二人抱えた上で息切れせずに追いつかれないスピードを保っているってんだから、ピコがジョゼを説得するのは当然だ。
このまま森を抜けてしまえば怪物を撒けるはず。
そう思いたいのに、後ろでバキバキ樹木を倒す音は一向に消えてくれない。
一方の空も、振り切れない相手に内心苛ついていた。
どれだけ強い怪物がいようと、死神の分身たる自分と互角に戦えるやつなどいないと思っていた。
だが今、追いかけてきているやつは、とんでもなく魔力が高い。
魔力の塊と言い換えてもいい。
任務に怪物退治が含まれていない以上、無駄な戦闘は極力避けたい。
魔力を使い切ったり致命傷を負ってしまうと空は風の中に戻ってしまい、ジョゼとピコを危険に晒してしまう。
本体である風が、この二人を助けに行けばよかったんだ。
小島一人だったら、分身のオレでも護衛できたのに。
――と、憤っても今更だ。今はとにかく、森の外まで逃げ切るしかない。
木々の隙間を縫って走り抜ける。
こちらは二つの荷物がぶつからないよう細心の注意を払って走っているというのに、後ろの奴はお構いなしに障害物を蹴り倒してついてくるのが二重に腹立たしい。
不意に強大な気配が、空と怪物の間に現れて大鎌を構える。
「大五郎!」
まさかの援軍到着に顔を綻ばせる空へ、大五郎も笑みで応える。
「おう、空!ご苦労さん、あとは俺に任せェッ」
猛突進してくるのは、黒い毛に覆われた巨大な猪だ。
無論、ただの獣ではあるまい。禍々しい魔力を放っている。
こんなのが森に棲んでいるんじゃ、パーティを組んだ自由騎士といえど苦戦するに違いない。
森は使える魔法が限られるし、敵は巨大で獣らしからぬ攻撃を仕掛けてくるとあっては。
ぼうっと口から吐き出された光の弾を、大五郎は大鎌一閃で掻き消した。
同時に走り出し、間合いを詰めた懐で鎌を振るうも、毛が飛び散るばかりで皮膚には傷一つつかない。
「なるほど、魔力で強化したんじゃなく魔力そのものってわけかい。面白れぇ副産物が生まれたもんだ!」
ニヤリと笑う大五郎の姿が、どんどん遠ざかってゆく。
援軍を置き去りに、空が走るスピードをあげたせいだ。
「ねぇ!あの人、一人で戦わせちゃって大丈夫なの!?私達も加勢しないと」
空の背でジョゼは騒いだが、ピコと空の両方に諭された。
「僕たちが加勢して、どうにかなる相手じゃないよ!?」
「大五郎一人で充分だ!オレと違って本物だからな」
「本物!?」と、これはピコとジョゼのハモリへ頷き、空は口角を上げた。
「そうだ、本物だ。オレは所詮、風の分身でしかない……」
最後のほうの呟きは小さくて二人には聞き取れず、ピコとジョゼは顔を見合わせる。
「本物って何かしら」
「本物の自由騎士……ってことかな?」
「じゃあ、この人が偽物の自由騎士だとでもいうつもり?酷いわね、ピコくん。命の恩人に対して!」
「そうは言ってないじゃないか!じゃあ強さが本物ってのは、どうだい?」
人の背で和気藹々話しあっているのは、助かる確率が上がって余裕が出たおかげか。
最初に空が駆けつけた時、ピコは腰を抜かして動けなかったし、ジョゼは小枝を集めて火を灯そうとしていたから全力で止めた。
二人とも、この景色は初めて見たと言い、ここは森林地帯だと告げた途端ピコが気を失ってしまって、どうしようかと悩んでいたら、魔力の塊な怪物が接近してきたので逃げ出したのだ。
再び失神するかと予想したピコは意外や冷静さを取り戻し、けして後ろを見るまいと気張っている。
ジョゼは血気盛んで身の程知らずだが、ピコがうまい具合に彼女の熱気を余所へ逃がしてくれている。
飛び降りて戦うなんてされたら迷惑だ。こいつらは自分以上の雑魚なんだから。
雑談に加わらず、空は黙々と木々の合間を走り抜ける。
こちらへ急接近してくる二つの気配、これは同胞のものだ。
気配は、みるみるうちに姿を伴い、三つの黒い影は藪の中で合流した。
やはり風と神坐だ。
神坐は原田を背負った上で水木を小脇に抱えていたし、風は小島をダッコしていたが、二人とも子供たちを地へ降ろす。
「おう、空!どうした」との神坐へ「でかい魔物が現れた!」と空が答え、風が「大五郎が来たのか」と短く問うのにも頷く。
たったそれだけで全部が伝わったのか、神坐が「ちょいと助太刀してくる!」と言い残して森の奥へ行こうとするもんだから、驚いたのは原田だ。
「あ、あぶないです、神坐さん!」
しかし止めて止まるものではなく、神坐は笑顔で振り返ると、ひらひら手を振って軽く言う。
「ヘーキ、ヘーキ!怪物にゃ魔力をぶっこんでオシマイ、だ」
「魔力って、魔法で倒せる相手なの?だったら私が」とジョゼが一歩出ようとするのはピコが「だ、駄目だってば!僕らじゃ足手まといにしかならないよ」と慌てて止めに入り、その隙に神坐は奥へと走っていった。
「何よ、もうっ。確かに私たちはヒヨッコかもしれないけど」
憤慨するジョゼに「かもしれないんじゃなくて、ヒヨッコだよ」と混ぜ返したのは水木で、ペタンと草の上に座り込む。
ここに飛ばされてきた直後は原田と二人っきりで森を抜け出そうとしていたのだが、それが、どれだけ無謀な作戦だったのかを神坐が教えてくれた。
突如目の前を塞ぐ怪物が凄まじい咆哮をあげた途端、魂がビリビリに引き裂かれるんじゃないかってぐらい恐怖に震えて動けなくなった。
たった一匹相手に、このザマじゃ先が思いやられる。
神坐がいなかったら、パクリと食べられて人生が終わっていた処だ。
辺りは一面藪で囲まれていて、少し動くだけでもガサガサ大きな音が立ってしまう。
そもそも、現在位置が判らない。
どの方角へ歩けば森を抜けられるのかも不明だ。
神坐は方向が判っているようで、迷いなくズンズン進んでいた。
彼を先頭に歩いているうちに原田と水木にも余裕が生まれて、つい食べられそうなものを探してしまった。
いつか自力で森林地帯を歩ける日が来るとしたら、今のうちに森林に慣れておくのも悪くないとまで考えられたのも、全ては神坐が一緒にいてこそだ。
二人きりで彷徨っていたら、きっと緊張の糸が切れて原田に迷惑をかけていた。
その原田は心細そうな目で、神坐の消えた藪を見つめている。
隣では、ジョゼとピコに冷やかされる小島の姿があった。
「小島くんってば、そこの人に抱きついたりして、そういう仲なの?」
ジト目で、そこのと風を指さすジョゼに、小島が顔を真っ赤に泡を食う。
「ち、違ぇーよ!有無を言わさず抱きあげられたら、捕まるっきゃねーだろうが」
「というか、抱きかかえ構成から考えて小島くんだけ一人だったんだね。心細くなかったかい?」
ピコに慰められ、小島は頬をポリポリかいた。
「あー、目覚めた直後に風が現れたんで、怖がる暇もなかったな」
「目覚めたら知らない人が側にいるって、かなり怖い状況じゃない。もう、小島くんったら鈍感ねぇ。私達の場合は、彼が後から来たから良かったけれど」と、空を指さしジョゼは風を一瞥する。
風は黙して立っており、雑談へ混ざる素振りも見せない。
自分が話題にあげられても無視の一点張りだ。
無口なのか恥ずかしがり屋なのか、それとも気難しい奴なのかのどれかだ。
「わはは、褒めても何も出ないぞ」と喜ぶ小島に呆れて「褒めてないわよ、誰も」と溜息をつくジョゼを一通り見てから、水木は原田に視線を戻す。
藪を見つめても進展がないと見切りをつけ、悩ましい下がり眉で草の上に座り込んだ彼の横に水木も座り直し、話しかけた。
「大丈夫だよ。神坐先生、強いし神様なんだから」
全く納得いかない顔で切り返される。
「……戦うのは消耗戦だから極力しないとも言っていたじゃないか。神様でも助太刀が必要な怪物と戦うんだぞ?大丈夫だと、どうして言い切れるんだ」
「先生、怪物の攻略法が判ってたみたいだった。だから、大丈夫なんじゃないかな」
森林地帯へ来たのは神坐たちとて初めてのはずなのに、何故怪物の攻略法が判るのかは水木にも理解できない。
人間を超越した存在、神様だから……だろうか。
人間を超越した存在というと、真っ先にアーステイラが思い出される。
彼女は何でも魔力で解決していたから、神坐だって魔力で解決しちゃうのかも。
もっとも、水木たちと同行していた時の神坐の武器は背丈を越えるほどの大きな鎌だった。
虚空からパッと現れたようにしか見えなかったので、大鎌を取り出すのが魔法だったのかもしれない。
大鎌は戦いの後もパッと消えて、便利な魔法だなぁと感心したのは内緒だ。
ほとんどの敵を大鎌で薙ぎ払い、さりとてトドメは刺さずに逃げてきた。
神坐曰く、任務以外で命を取るのは戦いが長引くので嫌なんだそうだ。
優しい人なんだと思う。
怪物に情けをかけるなんて、水木には全然思いつきもしなかった。
怪物は人間の生活を脅かす悪い生き物だと、ずっと教え込まれてきた。
町を作るまで、生き残った人々は怪物に襲われて命を落としたりもしたと聞いている。
たとえ神様は見逃したとしても、人間には忌むべき存在であり、けして生存を許してはいけないのだ。
空が原田と水木の側に近寄ってきて、励ましてくる。
「ん〜な心配しなくても大丈夫だって。神坐の強さは間近で見たんだろ?大五郎も一緒なんだぜ。あの二人なら、ちゃっちゃと終わらせて――」
励ましを言い終わらないうちに、がさっと藪を掻き分けて当の二人が戻ってくる。
「おう、なんでここで井戸端ってんだ?さっさと移動しなきゃ駄目だろうが」
ジョゼが「あなた達が戻ってくるのを待っていたんじゃない!それなのに待ってちゃ悪いみたいなこと」と文句で返すのを遮って、風が答えた。
「そうしたいところだが囲まれている。魔力の類似から考えて先ほどの魔獣の仲間だ」
「んっだよ、めんどくせーな。こいつぁアーステイラの差し金か?」と神坐が口にした名前に驚き、原田たちは口々に叫んだ。
「怪物が集まってきているのは意図的なものだったんですか!?」
「てか怪物が集まってきてるって、どうやって判るんだ!」
「すごーい!それも全部魔法!?」
「魔法便利すぎるよね!ジョゼさんも頑張って覚えてくれ」
「なんでも魔法で大雑把にまとめないで!?怪物を見つけ出す魔法なんて聞いた事ないわ!」
ピコとジョゼの押し問答が始まる中、原田の疑問に答えたのは着流しのヒゲヅラ、大五郎だ。
「今、集まってきてんのは不自然極まりねぇから人為的なもんが絡んでいると見て間違いねぇ。さっそく怪物の王が真価を発揮してきやがったか」
「怪物の王!?」とハモる子供たちを横目に、死神も仲間内で策を練る。
「魔力の消耗戦に乗ってやるのは得策ではない」
渋い顔で断固戦闘を拒否する風に、神坐が軽口を叩く。
「じゃあ、いちかばちかで原田たちを抱えて空間移動してみるか?やめたほうがいいと思うけど」
「俺も同感だ。輝ける魂を失っちゃあ、俺達が来た意味もねぇ。人海戦術には同じ手でやり過ごそう」
大五郎を見上げ、空は怪訝に眉を顰める。
力押しで戦うのが得意な脳筋のくせして、一体どんな手を思いついたのだ。
風には判ったのか「ダミーか」とボソリ呟くのを見て、神坐が「それも魔力の消耗じゃねーか?」とぼやく。
一人だけ判らなかった空は降参して、本人に直接尋ねた。
「同じ手ってなんだ?」
「簡単なことよ。分身をばら撒いて、怪物どもの気を逸らす。風は既に定員だから、俺と神坐でやろう」
魔力を使いたくないから戦闘を極力避けてきたというのに、ここで魔力を減らすのか。
驚く空を見、風が低く囁く。
「ここで総力戦をするよりはマシだ」
「あぁ。これが終わったら俺は一旦冥界で充電してくっけど、大五郎と風が残ってりゃ原田への弾避けは何とかなんだろ」との神坐の楽観的発言に眉をひそめ、空は思案する。
「お前が抜けるの、ヤバくね?輝ける魂は、お前に一番懐いてんだろ」
「あーうん、まぁな。けど、俺以外にも心の支えがいるから」
彼の指さす方向を何となく全員で見て、全員が納得する。
子供たちは怪物と死神そっちのけ、すっかり魔法談議で盛り上がっていた。
「そういや水木、お前も魔力は高いんだったっけ。だったら、お前が覚えりゃいいんじゃないか?探索用魔法」と小島に話を振られ、水木は腕を組む。
「うーん。でも、そんな魔法があるって聞いたことないよ」
「そりゃあそうよ」と、どこか得意げにジョゼが語りだす。
「現在判明している魔法は五大元素の攻撃呪文と回復呪文、呪術の三種類だもの」
「それって書物が見つかったやつだけだよね……なら、見つかってない魔法があるかもしれない」とピコが推測を持ち出し、ジョゼに一蹴される。
「馬鹿ね、見つかっていないなら誰にも使えないってことじゃない」
原田には仲間がいる。
けして頼もしいとは言い難いが、心の支えにはなっていよう。
神坐が抜けても、しっかり精神面をカバーしてくれるはずだ。
「では、始めるとするか……ふぅうんっ!」
神坐と大五郎は一斉に魔力を高め、次々影を生み出してゆく。
ただ、気合の声がデカすぎたかして、子供たちが一斉に振り返った。
「え、何!?」と怯えるのへは空が「なんでもねー、囮を作り出してるだけだ」と答え、真っ黒な人型を十体作り出した二人が大きく息を吐く。
「五体ってのは、ちとキャパオーバーだったわ。大五郎、お前はまだ動けるか?」
「ウム。さっきのやつをお前が倒してくれたおかげで、多少の余裕があるのぅ」
神坐が汗だくなのに気づいて、原田は真っ先に駆け寄った。
「大丈夫ですか、神坐さん!」
「あー大丈夫、大丈夫。いきなりばったり倒れたりしねーから、そこんとこは安心しろ」
安心させようと原田の頭をツルツル撫でてやりながら、神坐は無理に微笑んだ。
本音を言うと、今すぐ魔力のプールに飛び込んで泥のように眠りたい。
先ほどの魔獣との戦闘で魔力を放出しすぎてしまって、すっかりクタクタだ。
「ま、ちっと冥界に戻って休んでくっから、その間の困りごとは風か大五郎に相談してくれや」
「メイカイって、お前の故郷の名前か。けど、どうやって」と小島が尋ね終わる前に、神坐の姿は掻き消える。
「消えた!?」と驚くジョゼには水木が満面の笑みで「魔法なんだって!すごいよね」と教えており、ひとまず何でも魔法で片付けておけば原住民は納得するようだ。
「ねぇ、その魔法あなた達も使えるの?」
ジョゼに尋ねられ、大五郎も神坐に倣って笑顔で答えた。
「使えるが、お前らに教えても無理だと思うぞ。何しろ神専用の魔法だからなァ」
真っ黒な人型が、ぱぁっと散り散りに藪の中へ飛び込んでいき、風が号令をかける。
「囮が敵を引きつけているうちに森を抜ける。ついてこい」
子供たちを引き連れてゾロゾロ歩く中、空が大五郎に小声で愚痴垂れる。
「オレは気を遣って遠くに出てから近づいたってのに、風や神坐は直接あいつらの目の前に現れたのかよ。死神カミングアウトといい、不用心すぎねーか?」
分身に突っ込まれているようじゃ本物の死神も形無しだ。
だがカミングアウトはともかく、今は緊急事態だったのだ。多少は寛大に見て欲しい。
「まぁな。原住民が素直で助かったのぅ」
「素直なのはガキだからだろ?原住民でも大人が相手じゃ、こうはいかねーぞ」
声の高くなる空へ「え?ガキがなんだって」と子供たちまで反応し始めたので、風は今一度「怪物に見つかりたくなければ静かに移動しろ」と全員の気持ちを引き締めさせて、無言の進軍を強制したのであった。
21/06/18 UP

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