絶対天使と死神の話

死神編 10.生還


「神坐さんは大丈夫なんですか」
浮かない顔の原田に小声で尋ねられ、風は短く顎を引く。
「本来は一ヶ月で補充完了になるのだが、今回は急ピッチで切り上げて一週間で帰ってくる」
「一ヶ月!?」と驚いたのは原田のみならず、子供たち全員が叫んだ。
「やっぱ重傷だったんじゃないか!」と声がでかくなる小島の口元を大五郎が抑え、ニッと笑いかける。
「怪我じゃねぇ、単に魔力を放出しすぎたってんで補充しに戻っただけだ」
風も頷き、足を速める。
「これ以上、あいつが心配せぬよう一刻も早く町へ戻るぞ」
「で……でも、森を抜けても草原地帯が」と口籠るピコを見据え、空は励ました。
「オレたちにしてみりゃ森を走るよりは草原のほうが楽なんだ。障害物が一つもないしな。あぁ、お前らが走る必要はないぞ。森を出たら即座に担ぎ上げてやっから、しっかり掴まってくれ」
樹木が生え並ぶ中、空は木々の間を抜けて軽快にスイスイ走っていたようにジョゼは記憶している。
しかしまぁ、他ならぬ本人が言っているのだ。
樹木にぶつからないよう細心の注意を払っていたが為に、気疲れしてしまったのかもしれない。
「もう少し移動スピードをあげるぞ。ダミーに気づいた怪物がいる」
風の指示に「だったら」と水木をひょいっと抱きかかえあげて、大五郎が言った。
「ここからは全員抱えて走ったほうが早ェぜ」
ビックリしたのは突然ダッコされた水木で、「ひゃあぁぁ!?」と騒ぐのへは原田が横で声をかける。
「この人も神坐さんの仲間だし、きっと神様だ……だったら神坐さんと一緒で安心できる。そうですよね?」とは後半大五郎への問いかけで、大五郎はニッカと歯を見せて笑った。
「おうよ、神坐の仲間は全員神じゃ。こっから先は逃げるだけ、何の心配もいらん」
大五郎は前に水木を抱え、背中にピコをオンブする。
風も前に原田を抱えて、後ろに小島を担ぎ上げた。
ジョゼは空がオンブして、三人は一斉に走り出す。
「うわ、うわわわわっ、揺れるぅ」と焦った小島は身を乗り出した勢いで、危うく原田と顔面衝突しそうになり、「わ、悪い」と必死に背を逸らせた。
原田は「いや……落ちないよう掴まっていろよ」と答えるのが精一杯、ドキドキする胸を抑えて風の腕の中で縮こまる。
今のはキスしてしまいそうなほど近い距離だった。
もしうっかりキスしていたら、小島はどんな態度を取ったのだろう。
そして自分も、どんな態度で今後つきあっていけばいいのやら。
小島とキス。
これまで考えたこともなかったが、嫌ではない自分がいる。
キスの瞬間まで脳裏に浮かんでしまい、緊急事態だというのにエッチな妄想でモヤモヤしている自分に原田は嫌気が差す。
「ちょっとぉ!小島くん、どさくさに紛れて何やってんの!」と叫ぶジョゼは、空に「うるさい黙ってろ、見つかりたいのか!」と怒られている。
小島もボソボソと「今の、ちょっとヤバかったよな。ちょんっと唇がくっつきそうな距離で……つ、次から気をつけるよ」と謝ってきて、アクシデントでエッチな思考に辿り着いたのは何も原田だけじゃなかったようだ。
「次があると思うのか」と風に短く突っ込まれ、慌てる小島を反対側に感じた。
「あ、あったら大変だろ!?自由騎士は万が一を考えて行動しろって教本にも書いてあったし!」
小島がちゃんと教本に目を通していた事実に驚愕だ。
とにもかくにも、今はおしゃべりに興じている場合ではない。
無事に町へ戻れるまで雑談は禁止だと仲間に告げ、原田は黙り込んだ。


鬱蒼と生い茂った森林に光の差す場所こそが、草原地帯へと繋がる森の出入口であった。
走るスピードを全く緩めず「このまま突っ走るぞ!」との大五郎の音頭に、空と風も草原を突っ走っていく。
「こ、こんなスピードで走ったら、み、みつかっぢゃっがっ!ひた、かんらぁ〜」
背中で騒ぐピコは当然のように無視され、振動で振り落とされまいと水木は大五郎の腕にしがみつく。
どこまで続くのかと思われた草原も、やがて地平線の彼方に高い壁が見えて、ぐんぐん近づいてくる。
「ちょ、ちょっと止まって、ぶつかっちゃ――あぁぁ〜〜う!
壁にぶつかろうかという寸前、視界が突然急上昇してジョゼは絶叫した。
続けて風を切って落ちる感覚に、あちこちから悲鳴が上がる。
アーシスを囲う高い壁を大五郎たちが飛び越えたんだというのは、地面に着地した後で判った。
壁にぶつかると思った瞬間、原田は思わず目を瞑ってしまった。
よくよく考えれば風が、神坐の仲間である彼が原田を危険な目に遭わせるわけがないのに。
「ほいっと、到着だ。ちびっこ、よく我慢したのぅ」と大地に降ろされて、水木は涙目で抗議する。
「チビッコじゃないもん!あと飛び越えるんだったら先に言ってよ、怖かったじゃない」
「ほ……本当よ。心臓が破裂するかと思ったわ」
同じく地面に降ろされたジョゼも、腰が抜けてしまったようだ。
反面、平気な顔をしているのは小島で、「なんだ、皆びびっちまったのか?気持ちよかったじゃねーか、空飛んでるみたいでよ!」と喜んでいる。
「みたいじゃなくて飛んだの!」と女子二人に怒鳴られる小島を横目に原田がピコの様子を伺ってみると、彼はバッチリ気を失っていた。
「お前ら、任務以外じゃ外に出らんねーんだろ?門を通って面倒になるのを避けたかったんだ」
気まずそうに空が言い訳してきたので、原田はコクリと頷いて納得の意思を見せる。
彼らが着地地点に選んだのは、人通り皆無な町外れだ。
急場でも冷静に目撃者のいない場所を探す余裕があったのだ。さすが神様というべきか。
「お前ら、森林地帯に入ったことは誰にも言うんじゃねーぞ」と空に忠告されて、小島は首を傾げる。
「なんでだ?こんな大冒険、皆に教えてやらなきゃ」
言葉途中で原田が遮る。
「依頼を受けていないのに外に出ていた理由を説明できるか?外に出た点だけを責められて退学になるか、嘘つきだと思われるだけだ」
きっと何をどう説明しても、皆はガセだと思うだろう。
森林地帯は相当ベテランの自由騎士じゃないと生きて戻れない場所なのだから。
アーステイラの変貌だって、信じてもらえるかどうか判らない。
あれは自分の目で見ても信じられない出来事だった。
言わないほうが賢明か。
だが、彼女の担任には行方不明になったのを伝えておきたい。
その際、どうやって理由づけるかが問題だ。生半可な嘘ではバレる恐れがある。
悩む原田へ風が話しかけてきた。
「お前に話しておきたい事がある。輝ける魂の件だ」
途端にハッとなって空が止めに入る。
「それ、本人に教えちまっていいのかよ!?」
おかげで輝ける魂が何なのかが本人にも伝わり、原田は二度ポカンと呆ける。
輝ける魂。
変貌を遂げたアーステイラが口にした謎の存在だ。
今のやりとりを聞く限り、どうやら原田を指した言葉らしい。
「お前も案外、不用心よな」
あてつけがましい舌打ちを大五郎が漏らし、空はバツが悪そうに黙り込む。
大人しくなった分身を一瞥したのも一瞬で、風が話を再開した。
「――そうだ。輝ける魂とは原田正晃、お前自身を指す。俺達は、お前が絶対天使に狙われていると知り、お前を守る為にやってきた。絶対天使があのような変貌を遂げたのは想定外だが、俺達の任務は、まだ解かれていない」
「その続きは、俺に話させてくれや」と大五郎が割り込み、一同の顔を見渡す。
冥界で神の遣いに聞いてきた事柄を伝えた。
変貌したアーステイラを元に戻すには、原田が彼女と戦えばいい。
物理でも魔法でも何でもいいから、とにかく原田がアーステイラをブチのめせばいいのだ。
そうすれば彼女は正気に返って、絶対天使に戻れる仕組みだ。
また、魔物化した彼女を始末しようと二人目の絶対天使がやってきたので、こいつと出会って仲間に引き入れる必要がある。
こいつは、いずれファーストエンドの未来において重要な役割を果たす。
その時に言うことを聞かせるためにも、原田が説得しなければいけない。
「二人目って!迷惑な奴らね、絶対天使って。なんでココで戦おうとするのかしら」
話を聞いたジョゼは憤慨し、小島もブー垂れる。
「全部原田任せにするのかよ。絶対天使は、あんたら神様が倒してくれるんじゃなかったのか?」
「そのつもりだった」と風は薄目になり、原田を見据える。
「我々がアーステイラを倒すのは死、魂の消滅を意味する。だが原田、お前は本当にあの絶対天使に死んでほしいと望んでいたのか?」
面と向かって死を持ち出され、原田は改めて考える。
自分が本当にアーステイラの死を願っていたか、だって?
迷惑だと思っていた。
自分の側から去って欲しい、とも。
しかし死ねとまで憎んでいたかというと、答えはノーだ。
「……原田くん」
いつの間にか意識を取り戻していたピコが遠慮がちに声をかけてきたので、そちらを見やる。
「僕は、彼女を助けて欲しいと思っている。でも彼女を助けられるのが原田くんだけなら、どうするかは原田くん自身が決めなきゃいけないんだろうね」
今にも泣き出しそうな顔だ。
ピコはあいつと恋仲になったんだった。
これは原田一人が決めていい問題じゃない。
「第二の絶対天使が倒しても我々と同じ結果になる。奴を消滅させずに倒せるのは輝ける魂である原田、お前しかいない。お前が奴に望むのは死か、正常化か。どちらだ?」
風も淡々とした語り口で選択を迫ってきて、ますます原田は悩んだものの、やがて一つの答えに辿り着く。
死だの消滅だのと難しく考える必要はない。
要はアーステイラを他人に任せるか、自分で殴りに行くかの二択だ。
だったら、原田は自分で殴りに行きたいと思った。
散々迷惑をかけられたんだ。
誰かに怪物として退治されてしまうんだったら、その前にごめんなさいと言わせたい。
「……大丈夫だ。アーステイラは絶対治してみせる」
力強く頷く原田に、仲間は全員わっと沸く。
「原田くん……」
感涙で視界が滲むピコを筆頭に、小島が「お前が戦いに行く際は絶対俺を誘っていけよ!道中お前を守ってやるぜ」と頼もしい助太刀を希望し、ジョゼは恍惚とした表情で原田を見つめて「さすが原田くん、輝ける魂の名に相応しく素晴らしい選択だわ」と何度も頷き、水木も満面の笑顔で原田を見つめて励ました。
「原田くん、私達はどんなことがあってもチームメンバーだよ。アーステイラと戦う時は必ず誘ってね。私も回復で原田くんをサポートしてあげる!」
まるで最終戦へ赴くが如き盛り上がりを見せる面々へ、大五郎がボソッと言い添える。
「あーちなみにアーステイラを死なせると、今度は別の奴が怪物化するかもしれんのでな。やり過ぎないよう気をつけるんだぞ」
「ちなみにちなんで聞いとくけど」と質問で返したのは小島だ。
「アーステイラをぶん殴りにいくのは、いつがいいんだ?」
「そりゃあ、今すぐにでも。と言いたいところだが……」
大五郎は言葉を濁し、他の死神と顔を見合わせる。
魔物化したアーステイラの行方は判っていない。気配を探るのも不可能だ。
「こちらから出向くのではなく、奴がやってくるのを待つしかない」と風が締め、頭上へ目をやる。
すっかり夜が更けて、月が輝いていた。
こんな時間になっては親も心配していよう。
「アーステイラ逃亡の件は陸か海を通して、それとなく教官へ告げておこう。お前らは、ひとまず家に帰れ」
死神に急き立てられ、興奮冷めやらぬまま原田たちは帰路についた。
21/06/18 UP

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