絶対天使と死神の話

死神編 06.接近


アーシスは貧富の差が、はっきりしている。
大通りを挟んで西側に広がるのは金持ちの住む区域、自由騎士を生業とする家族で構成されている。
両親ともに自由騎士な家庭が一番裕福で、彼らがアーシスの財政を担っていると考えてよい。
片親が自由騎士の家庭も、それなりに生活は安定している。
他に引退自由騎士の住む家があり、大抵は第二の職業、教官や食堂の飯炊きとして働いている。
大通りを挟んだ東側、こちらが原田たちの住む生活保護区域外、いわゆる貧乏世帯だ。
面積は東側のほうが狭い。
この町では、ほとんどの住民が自由騎士になるのだから、当然と言えば当然か。
なりたくても自由騎士になれなかった者や、最初から目指さないで自給自足生活を選んだ者が家を構えている。
東側にも引退自由騎士の姿がチラホラあり、彼らは月に収める警備費を払えない無職の身であるようだ。
大通りに住むのは店を構える者たちだ。
彼らは自由騎士と取引し、買値より数倍高い値段をつけて薬草や食料を売っている。
若くして親を失った原田が、どうやって日々の食費を稼いでいるのかと風は疑問に思ったが、町を眺めるうちに疑問は解消された。
貧乏人は富豪の家で臨時に働き、金を稼ぐのだ。
彼は五つの頃から働いていたから、多少なりとも蓄えがあるのであろう。
スクールに入ったのは、生活費稼ぎも兼ねているのかもしれない。
スクールの学費は無料だ。
その代わり、怪我の治療費や武具の手入れ代は自腹である。
依頼でもらった報酬は、チームで山分けする。
差し引きで考えると、割合実入りのいい場所ではなかろうか。
ただし、それは依頼で怪我をせず、怪物相手に引けを取らないほど強ければ……の話だ。
治療や手入れは、けして安くない。どの住民も、しのぎを削っている。
最初は依頼で小遣いを稼ぐより、戦闘特訓を優先したほうが結果的には合理的に稼げるのではないか。
そう考えたのは風だけではなかったようで、怪物舎や校庭での訓練は依頼開始日よりも賑わいを見せていた。
怪物舎には管理者ジャンギと救護士エリオットの二人しかいなかった。
風は、ここに陸を潜り込ませる。
ここにはジャンギとエリオットと陸の三人がいる――そのように人々の記憶を書き換えた。
陸に与えた役目はメンタルケアラーだ。怪我ではなく精神面の治療をする。
模擬戦闘するうちに、自信を喪失する生徒だって出てこよう。
彼らを励ます大人が必要だと考えた。
海は校庭に張りつかせ、武器訓練の見張り補助を担当させた。
武器訓練の監視役は教官の仕事だが、教官一人で複数のチームを見張るのは無理がある。
海なら全ての動きを見逃さない。むしろ教官がお役御免なぐらいだ。
全体を見渡して判ったのは、このスクールは圧倒的に人手不足だという点だ。
こうも不備が多いのでは、全生徒を自由騎士にしてやるのは難しい。
授業料が無料だし我慢しろというつもりかもしれないが、風には我慢ならなかった。
死神は合理を好む。この世界の子供たちにも、合理を学ばせてやろう。
なりたいものになれないのは不幸だ。それを補う為にこそ、学校は存在するのではないか。
いずれ滅びる世界だとしても、苦しみながら生きるよりは安定した生活のほうがいいに決まっている。
自由騎士の人口を増やせば、もしかしたら世界の滅亡を食い止められる未来が拓くかもしれない。
自分がやろうとしていることは、けしてファーストエンドにとって悪い事ではないはずだ。
死神本来の任務からは外れた行いだが、絶対天使を狩りさえすれば幾らでも帳尻を併せられると風は考えた。


原田家の夕飯はレアに焼かれた牛肉数切れと、付け合わせの青菜が数枚。それだけであった。
同じ貧乏とはいえ毎日肉一枚が食卓に上がっていた小島家と比べると、なんと慎ましい量か。
尤も小島家は母親が安定した収入先、富豪家での下働きをやっているのだから、比べる自体がおかしい。
それに、あっちは幹夫も入れて七人家族。肉一枚を七等分するのである。
今日の夕飯は、本来一人暮らしの原田が食うには充分な量だ。
だというのに「肉は全部お前が食べていいぞ」なんてハッパしか食べません宣言を原田にされては、さしもの大食漢も「だ、駄目だろ!お前こそ肉を食べなきゃ」と皿を突っ返して辞退した。
小島は常々疑問に思っているのだが、原田は、どうやって生活費を工面しているのか。
小島の母と同様、富豪家で働いているとの噂なら、ご近所で聞いた覚えだ。
だが、子供にも出来る仕事とは何なのか。
そこらへんは、どれだけ聞き耳を立てても噂が流れてこない。
本人に直接聞いても「どうでもいいだろ」と流されて、それっきりだ。
話したくないから話してくれないのか、それとも本当にどうでもいいと思っているから話さないだけなのか。
何でも知りたい好奇心旺盛な小島は、原田のそういうクールな面が多々不満なのであった。
肉は結局、二人で半分ずつ取って食べ始める。
しばらく黙々と食べていたが、やがて小島が雑談を振った。
「明後日はスクールが休みだけど、どうする〜?どっかで遊ぶか、それとも休日返上で特訓すっか?」
「悪い、明後日は用事があるんだ。二人だけで遊んでくれ」
即座に断られ、興味が沸いた小島は聞き返す。
「用事ってなんだ?」
「大したことじゃない」と暈されては、余計気になってしまう。
だが、追及したって答えまい。こいつは、そういう奴だ。
明後日は彼を尾行して暇をつぶすのも面白そうだと小島がニヤついていると、原田がポツリと呟いた。
「明後日で終わりにする予定なんだ。だから、ついてくるなよ。お前らが出張ると話がややこしくなりそうだし」
何を?とは聞かずとも判る。恐らくは収入先の話だ。
仕事を終わりにしたいのは、スクールで金儲けできると踏んだのか。
「……その後でなら、いくらでもつきあってやる」と話を締め、原田は青菜に噛みつく。
どんな仕事だったんだ。
友達が横入りすると話がこじれるって、どういう意味だ。
スクールの依頼と、その仕事とでは、どちらの実入りがいいんだ。
好奇心は次から次へと沸いたが、あえて小島は全ての質問を飲み込んだ。
どうせ明後日でやめる何かだ。詮索するのは野暮ってもんだろう。
飯を食べた後は風呂に入り、今日も同じベッドへ潜り込む。
一応部屋を替えようかと提案してみたのだが、原田の返事は「一緒に寝よう」の一択だった。
「お前、俺と寝るのが好きなのか?」と小島が尋ねると、そうじゃないと原田は首を振る。
「この大きさを一人で使うのが嫌なんだ」
アーステイラ作のベッドは、二人で寝ても余裕がある大きさだ。
これまで猫の額スペースの布団で寝ていた原田にしてみれば、落ち着かないのであろう。
つまり一緒に寝る相手はリビングにあるクッションでもいいと言われているようで小島はモヤッとしたのだが、明かりが消えると同時に原田はスヤスヤ眠りに入ってしまい、小島は一人、暗闇に取り残された。

翌日も小島が先に目覚め、原田は揺り起こされる。
何か楽しい夢を見ていたようにも思うが、起きた時には、さっぱり忘れていた。
「今日は、どうすんだ?依頼を受けるか、それとも先に訓練強化しちゃうのか」
「その辺はスクールについてから皆と相談して決めよう。それよりも、まずは朝食と弁当作りだ」と答え、原田は颯爽とパジャマのまま台所へ向かう。
アーステイラが出ていったから、今日が初めての二人分用意だ。
だから、それを見越して小島には早めに起こしてもらった。
「いやいや、着替えろよ。着替えてから飯作れって」と追いかけてきた小島に「時間が惜しい。食べてから着替える」と言葉少なに答え、鉄板にパンを敷く。
朝はトーストとサラダで充分だ。
用意するのは二人分だが問題ない、二枚焼けば済む話だ。
昨夜の夕飯も少ないかな?と心配したけど、小島は満足していたようだし。
手慣れた様子に、小島がヒュ〜♪と口笛を鳴らす。
「いつもこんな調子で自分で飯作って弁当も用意してたんだな!」
褒められたって、別に誇らしくない。
一人で暮らしていれば誰でも通る道だ。
「いや、弁当は前の晩に詰めていた。昨夜は何も残らなかったから今から作るってだけで」
小島のほうを振り返りもせず、ちゃっちゃと野菜を切って皿へ盛りつける。
ドレッシングは、かけない派だ。
野菜は生こそが一番おいしいと、原田は思っている。
トーストとサラダを食卓に並べると「先に食べていてくれ」と断り、お次は弁当に取り掛かった。
すると何を思ったか、小島が原田の横に並んで、包丁を握って微笑んでくる。
「俺も手伝うぜ!何から切ればいい?」
こう言っちゃなんだが、包丁を初めて握る人間には正直な処、手伝ってほしくない。
小島家は恐らく母親が料理を一手にやっているのだろうし、小島に何かを切らせるのは不安しかない。
原田の眉間に浮かんだ皺に気づいたか、小島が御託を並べてきた。
「や、俺ってば自活したい年頃だし?この際だから料理も覚えようかなぁって!」
「料理練習なら明後日の午後つきあってやる。今はいいから、先に朝飯を食べておけ」
バッサリ返事に小島が内心しょぼくれていると、玄関口からは水木の呼ぶ声が聞こえてきた。
「はっらだくーん、こっじまくーん、おっはよー!」
「うぇ!?もう、そんな時間だったか?」と慌てる小島に「いや、まだ余裕があるはずだが」と答え、原田が玄関先に出てみると。
「あのねー。おすそわけ!これ、さっきサフィアちゃんが、うちにきてプレゼントしてったの」
三段弁当箱を両手に抱えて、ニッコニコの水木が立っていた。
原田は眉を顰める。
サフィア教官が何故、唐突に水木の家へ重箱をプレゼントしていくのか。訳が分からない。
「ここら一帯のお宅で分け合って食べてねーだって。他の列にも配っているみたい」とは水木談で、さては貧乏世帯へのゴマすりが目的か。
貧乏人に富豪がゴマをするには、するだけの理由がある。
手伝いの手を必要としていたり、世間一般での人気取りであったりと様々だ。
サフィアの場合は人気取りと見た。悪評が広まれば、教官をクビになるシステムなのかもしれない。
「サフィアちゃん、自活できんの?てか、してたのか」
「そりゃあ、しているでしょ。大人だし」
小島と水木の他愛ない雑談は聞き流し、ひとまず水木を招き入れて重箱の中身を確認する。
新鮮な刺身と炊き込みご飯の入った段と煮つけが入った段、それから最後の段、これはデザートだろうか?プルンプルンの透明なものが入っている。
「分けづれぇおかずだな……」と正直な感想を小島が漏らし、水木は原田を見上げた。
「お父さんは食べたくないんだって。何が入っているか判らないからって。サフィアちゃんが、うちのお父さんを毒殺して何の意味があると思っているんだろうね?」
「まぁ……知らない人からの差し入れだからな。用心するのは当然だろ」
一応、水木の父親の肩を持っておいて、原田は考え込む。
これを今日の弁当にしてしまうか否かを。
量だけで考えるなら、申し分ない。
小島が腹いっぱい食べられるし、原田も今から弁当を用意する手間が省ける。
問題は味だが、ご近所でシェアしろと持ってくるぐらいだ、まさかゲロマズってこたぁあるまい。
少なくとも、自分が作る手抜き弁当よりは美味しいと思いたい。
決まりだ、これを今日の弁当として持っていこう。
「これを今日の昼飯にしよう」と二人に告げると、二人には驚かれた。
「え〜〜?マジで?せっかく原田の手作り弁当が食えると思ったのに!」と叫ぶ小島に「そうなの?だったら私も食べてみたい!」と乗っかる水木をほっといて、原田は踵を返す。
「あ!どこ行くの?」と水木に呼び止められた際には「着替えてくる」と言い残して。

いざスクールへ登校しようと外へ出た三人は、訪問者と鉢合わせる。
一人は上から下まで黒づくめに加えて顔半分を布で覆った怪しい男、もう一人は神坐であった。
「よー、いきなり来ちまって悪いな」と謝りつつ、訪問理由を神坐が語りだす。
「ガッコじゃ言えないんで今言うがよ、お前んとこにいた絶対天使。あいつァ教官宅に転がり込んだぜ。引き続き、用心を怠るんじゃねぇぞ」
何故こちらの状況を知っているのかといった警告に水木と小島は驚いたが、原田は冷静に返した。
「判っています。奴に気を許したりなんて絶対にしませんから、安心してください」
「あぁ、その"絶対"ってのも安易に口に出さないほうがいいぞ?奴は、そのワードに過剰反応すっからな」
神坐の言葉に、水木と小島も思い出す。
アーステイラは、やたら"絶対"に拘っていた。強い願いだと受け止めてもいた。
こちらにしてみれば絶対なんてワード、割と頻繁に、しかも安易に使ってしまいがちである。
強い想いがあっての使用でもない。どちらかというと気持ちは軽い。
「奴は隣のクラスに紛れ込んでいるが、お前らへ再び接触を試みてくるはずだ。依頼時間が重ならないようクラスごとに調整しているようだが、そのうち時間が重なる可能性は充分考えられる。そこでだ。奴が来たら、これを思いっきり吹いてくれ」と神坐から渡されたのは、堅い光沢を放つ小さな笛だ。
「これを吹けば、俺か海か大五郎の誰かが駆けつける。あとは俺達に任せて、お前らは一目散に逃げろ」
海と大五郎は初めて聞く名前だが、ここで出すからには神坐の仲間であろう。
アタリをつける原田へ、黙して立っていた黒づくめが声をかけてくる。
「俺は今日以降、校庭にいる。武器訓練は俺が見ているから、安心するといいぜ」
「こいつが海だ」と神坐に紹介され、三人とも海へ会釈し、海も無言で会釈し返す。
そのまま、なんとなく神坐と海も三人と一緒にスクールへ向かったのであった。
21/05/25 UP

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