死神が任務を遂行するにあたり、禁止事項が幾つかある。
一つ目は、原住民に必要以上の情報を与えないこと。
彼らが行く場所は、死神を認識している世界ばかりとは限らない。
亜種族概念のない世界での任務は、能力も制限される。
出来る限り原住民のふりをして、人目のつかない場所でターゲットを抹殺しなければいけない。
二つ目は、自身が死神であると原住民に明かさないこと。
明かしてしまうと、亜種族の概念があってもなくても面倒事になる。
なければないで騒ぎになるし、あったらあったで悪用されるかもしれない。
死神に追われているとターゲット自身が知れば、任務にも影響が出よう。
三つ目は、必要以上に原住民と仲良くならないこと。
これは任務がどうというよりも、別れがつらくなるせいだ。
死神とて単なる神の駒ではない。一個人としての感情を持つ生き物だ。
任務が終われば、冥界へ戻る身だ。
自分のみならず相手の感情も考えれば、恋仲になるなど言語道断。
これら禁止事項に触れれば、どうなるか。
過去には大勢いた同志が、身を以て証明してくれた。
死神だとバレて浄化されたり、人間に生まれ変わって死神ではなくなったり、悲恋に心を焦がして消滅した。
死神も、今では三人しかいない。
彼らを作りたもうた神は、手駒を増やす気がないようだ。
たった三人の死神は三人だけで数々の任務をこなし、次なる場所へ向かう。
これまでにない、最も苛酷になりそうな任務へ――
大五郎と神坐と風がアーシスへ到着した頃には、アーステイラも原田と一緒にスクールへ登校した後だった。
一クラスにちゃっかり紛れ込んで生徒のフリをされては、こちらも迂闊に近づけない。
「どうする……?我らも生徒になるか」と大五郎に振られ、チラリと彼を見た後に風が却下する。
「この学校は十七歳から二十歳までの年齢制限がある。我々が生徒に成りすますのは無理があろう」
大五郎の容姿は、どう見ても着流しのオッサンだ。
顎の無精髭が未成年ではないと、目一杯主張している。
かといって風も子供に見えるかと言ったら、答えはノーだ。
神坐ならギリギリ子供で通りそうだが、彼は子供の演技が下手で不安しかない。
アーステイラの外見は少女にしか見えない。実際には亜種族、二十歳を遥かに越えていようと。
「潜り込むとしたら、教師役だろうな」と、神坐。
「しかしクラスは三つしかないぞう。我らの紛れ込める組がないではないか」
大五郎が異を唱え、遠目に学校を千里眼サーチしながら風も思案する。
守るべき対象、原田の通う学校に大人は教官三人しかいない。
学校ならば必ず存在する保健室、そこの管理者がいないとは、ずさんな施設だ。
建物は一階建て。屋根は屋上として外に出られる作りだ。
一クラスにつき生徒は三十人。アーステイラの混ざった組だけ三十一人と端数だ。
三十人で区切った後に無理やり混ざったのだから、当然か。
むしろ、よく編入を許してもらえたものだ。
割合、管理体制の緩い学校であるらしい。
「保健医が、妥当か……」
ポツリと呟いた風に併せて神坐も学校を見やり、首を傾げる。
「ふぅん、保健医不在とは珍しい学校じゃねぇか」
「過酷な任務で怪我した生徒には、唾でもつけておけっていうんじゃなかろうな?」
その保健室へ今し方、担ぎ込まれた生徒がいる。
「原田だ。原田が保健室へ搬送された」
「おぅ、さっそく怪我したのか?」と大五郎も千里眼で見やり、怪訝に眉をひそめた。
目立った外傷は一つもないというのに、原田は意識を失っている。
加えて、魂に濁りが発生しているではないか。
朝の惨劇から今に至るまでの間で、一体何が起きた?
アーステイラの様子を探っても、門の外で呑気に薬草を摘む姿が確認できるだけだ。
この緊急事態に、奴は関係していないと見ていい。
ともかく、原田の魂に発生した濁りを浄化するのが先だ。
輝きを放つ前に堕落されては、ファーストエンドの未来にも支障が出る。
「気絶しているんじゃ話しかけても無駄だな。仕方ねぇ、深層下に潜り込んで直に魂と話すか」
死神は生命体の精神内部へ入り込める能力を持つ。
本来は発音できない生命体に使用するのだが、気絶した相手との会話も可能だ。
「お前がやるのか?」との大五郎の問いに、神坐は頷いた。
「俺が一番あれと歳近く見える。なら、警戒心も薄かろうよ」
「大丈夫か?」とは風の問いだが、演技が出来るのかと続ける前に神坐の姿が掻き消える。
「……心配じゃのぅ」
大五郎と二人、ここで頭を抱えているのも時間の無駄だ。
まずは居住を得ておく必要がある。都合よく空いている家があると良いのだが。
――気がつけば上も下もない空間で、男と向かい合っていた。
見知らぬ男だ。顔に見覚えはない。
黒いシャツを身に着けている。
夢を見ているのだ。
夢でありながら意識は、はっきりしている。
夢の中で、男が話しかけてくる。
労りを込めた、慈悲の瞳で。
「よぉ、酷い目に遭ったな。けど、人生は短いんだ。つまんねぇことに足を取られている場合じゃねぇぜ」
つまらないことだって?
つまらなくなんか、ない。
人生初めてのキスを、全然興味のない同級生に奪われたんだ。
しかも、その後が、もっと酷い。
輪をかけて興味の沸かない同級生にまで無理矢理キスされたんだ。
肺の空気を全部吸い取られるんじゃないかって勢いで息を吸われて、気を失った。
奴の口の中の甘ったるい味が、まだ舌に残っている気がする。
気持ち悪い。
泣きたい。
「泣きたいか。だったら、大声で泣けばいい」
そう言われても、幼子じゃないんだ。
人前で、わんわん泣けるような年齢ではない。
「お前、親がいなくなったんだってな。そのせいで泣き方も忘れっちまったのか」
そうだ。
五つになるまで、俺の側には親がいた。
五つの誕生日を迎えて、三日後には二人とも、いなくなってしまった。
なんで、いなくなったのか。
俺が悪い子だったからなのか?
いなくなって、悲しかったし動揺もしたはずなんだ。
なのに、涙は一滴も出なかった。
一ヶ月経っても戻ってこなくて、もう二度と戻ってこないと判って、だから壁という壁を全部壊した。
この家に俺一人しかいないんだったら、壁なんて要らない。
家も全部壊そうと思ったぐらいだ。
でも外壁を壊したら、さすがに水木や小島も異変に気付いてしまうから、やめた。
結局、近所の奴らには気づかれて同情されたけれど、俺は同情されたかったんじゃない。
親がいなくなって泣き叫びたいのに泣けないのは何故なのかを、誰かに教えて欲しかったんだ。
「人ってなぁ、本当に衝撃を受けると自分で自分の感情を殺しちまうんだ。一番深い悲しみは愛する者との離別だろうな。恋人に捨てられた、親が死んだ、ペットが定命を迎えた……消滅そのものが悲しいんじゃない。そいつが消滅したことにより、残された自分がどうなってしまうか不安だから悲しくなるんだ」
男が一歩近づく。
慈愛の色を瞳に浮かべたまま。
「お前は親が消えたと認めたくなくて、自分で自分の悲しみを封印しちまった。泣き叫ぶタイミングを失ったんだ。だが、いつまでも蟠りとして燻ぶっているってなぁ、悲しみ以外にも別の感情があったんだろ?」
その通りだ。
いなくなった時に感じたのは、悲しみだけじゃなかった。
だから、きっと、そんな感情を抱いた自分が自分でも嫌で、封じてしまったんだろう。
「全部吐き出しちまえよ。ここは、お前の心ン中だ。誰も見ちゃいねぇ。あぁ、俺がいるってか?気にすんな。俺は、いていないような存在だからな」
男の両手が伸びてきて、俺を抱きしめる。
温かい何かが俺の中に流れ込んできて、鼻の奥がツンとくる。
あぁ。
涙が出そうだ。
人前で泣くなんて恥ずかしいのに、でも、この男の放つ温かさが俺を泣かしにかかってくる。
「俺を親父だと思って、言いたいことを全部吐き出してみろよ。まぁ、俺じゃ父親性を感じねぇかもしんないが」
男の言葉に押されるようにして、あの時の感情が今になって次から次へと湧き出てくる。
何故、俺一人だけ置いていった。
二人でいなくなるなら、俺も連れていって欲しかった。
例え、その先が死であっても、俺は、そのほうが幸せだったんだ。
父に、母に、問いたい。
置き去りにするほど、俺が嫌いだったのか?
俺は、俺はずっと、あんた達二人が大好きだったのに――!
涙が押し寄せてくる。泣いても泣いても枯れそうにない。
「お前が他人を大切に想うのは、両親との離別がきっかけか。友達を失いたくないのも、それに纏わるんだろう。その延長なのか?初めての行為も大事にしたいのは。だがよ、人生において初めては大した問題じゃねぇ。大事なのは、お前が抱える想いの中で、どれだけ相手を大切に出来るかだ。いるんだろ?好きな奴が」
どきり、と心臓が跳ね上がる。
どこまで知られているんだ。
いや……もしかしたら、この男は全てを見通せるのかもしれない。
「そいつを大事にしたいなら壁を作っちゃいけねぇ。相手の心を調べもせずに決めつけたりするんじゃねぇぞ?一度尋ねてみろよ。お前をどう想っているのか。尋ねられるわけがないって?それが壁だ。壁を作っていたら、判るもんも永久に判らなくなるぜ。もう何も失いたくないんだろ?だったら、恐れるな。一歩前に踏み出してみろ」
全ての反応に先回りして答えへ導く。
この全知全能っぷり、もしや神様なのでは?
「え?神様?いやぁ、まぁ、神と言やぁ神かな。死神だけど」
やっぱり!
神様って本当にいるんだ……
「いやいや、納得してほしいのはソコじゃねぇ。俺が言いたいのは負の感情をため込むなってのと初めてより未来が大事ってことだ、オーケイ?」
オーケー、神様!
「あー。神様って呼ばれんのは、こそばゆいわ。俺にゃあ神坐って認識名称があるんだしよ」
神坐……さま?
神坐様、また……俺が迷った時には会ってくれますか?
「えーと。この夢から目覚めたら会えると思うけど。ひとまず魂の濁りが消えて良かったな。あぁ、それと、お前に張りついている絶対天使は俺らが処理しておくから安心しろ」
さすが神様、いえ神坐様、あの悪魔もご存じなんですね。
「まーな。まだ対処法を思いつかねーから様子見の段階だが、必ず奴の弱点を見つけ出して退治してやんよ。あぁっと、次に会う時は敬語もNGな。普通に話してくれたほうが俺も嬉しいからよ。じゃーな!」
神坐様の姿が薄く揺らぐと同時に意識が、いよいよ、はっきりしてくる。
夢の中で目が覚めると感じるのは不思議だが、夢の中で神様と会話を交わすのも稀有な出来事だ。
こんな夢、生まれて初めて見たぞ。
なにか良いことが起きるのかもしれない。
起きたら、まずは水木に確認だ。
俺を嫌っていないかどうか、それだけでも聞いておこう――
ベッドに寝かされた原田の意識が覚醒する。
「原田くん!目が覚めたんだね、おはよう!」
友人と思しき少年少女が騒ぐのを横目に、神坐は安堵の溜息をつく。
うっかり禁止事項を漏らしてしまったが、夢の中の記憶は断片的にしか覚えていられない。
そもそも死神だと言ったのに、そこは軽くスルーして神様だと喜んでいたから、恐らく大丈夫であろう。
さすがは輝ける魂の持ち主、心が純粋だ。
保健室に到着するや否や、その場にいた全員の記憶に、神坐が保健医という情報を上書きした。
これまで保健医が不在だった情報は消され、最初から神坐が保健医だという認識にすり替わるのだ。
記憶の書き換えは、歴史に関与しない程度になら使っていい能力だ。
というより、これを使わなければ現地への潜入も、ままならない。
絶対天使が異物であるのと同等に、死神も本来は、この地にいない存在なのだから。