一ヶ月を目処に依頼したライド怪物が、たった二週間で完成した。
試作の一匹だけではない。合計五体の怪物が調整を終えた。
それもこれも、全ては原田に向けたヤフトクゥスの情熱がなせる技だろうか。
既にジャンギ経由で、一週間後にはクラス全員で森林探索へ向かう旨が死神たちにも伝わっている。
原田を連れて四人で出かける予定だったのが、大所帯での探索になりそうだ。
「俺に呪術講師しろってのかよ、無理に決まってんだろ!使ったことがねぇってのに」と声を裏返しているのは神坐だ。
慌てる彼にも全く動ぜず、陸が言い返す。
「出来ないことはないでしょう?ファーストエンドの魔法は単純です、使いこなせない我々ではありません」
「魔法が使えるかどうかは問題にしてねぇよ。俺に先生やれってのが無理だっつってんだ」と神坐も負けておらず、「なんで、そこまで嫌がるんだ?魔法を教えるだけの簡単なお仕事だろうが」との大五郎の割り込みには、頭をかいて視線をそらした。
「あの学校の連中は、全員が俺達を死神だと認識してるわけじゃねぇんだろ?またうっかり口を滑らせちまいそうだし、俺じゃなくて風がやってくれよ」
「なんだ、そんな理由かよ」と呆れる海にも「これ以上、口を滑らせたら神に消滅させられっちまうだろうが、俺が!」と口から唾を飛ばす神坐の肩をポンポン叩き、大五郎は慰める。
「今まで散々あちこちにカミングアウトしまくったお前が言うと切実だがな、ジャンギのクラスは殆どの生徒が知っておるぞ、俺達の正体を。それに、今回の件においては風が神の遣いに許可を取ってある。心置きなく世界の改革に手を貸すようにとの命令だ」
「は!?いつ冥界に戻ったんだよ」
驚く神坐へ「昨夜、お前が寝ている間に行って戻ってきた」と事も無げに答えると、風は分身を含めた全員の顔を見渡した。
「命令は上書きされた。ファーストエンド後期サウストの時代を塗り替える。この時代に存在する魔族を討伐し、人類を生かす方向へ導く。この件はジャンギにも伝えておく」
「絶対天使の扱いについては、どうなったんだ?放置でいいのか」と尋ねる神坐へ風が寄こした答えは。
「奴等を使って大気中のマナを少しでも軽減せよとの指示が出た。アーステイラかヤフトクゥスのどちらかをサークライトへ送ろう」
絶対天使の魔力でマナを中和する――最初に立てた作戦と同じ内容であった。
違うのはピンポイントな場所へ送り込む点ぐらいか。
「どっちも嫌がりそうだよな」と海が笑い、陸も考え込む。
今は、どちらも動かせそうにない。マナの中和は全ての厄介事が済んだ後になろう。
送り込むのであれば、より魔力の高いヤフトクゥスが適任だ。問題は、奴が首を縦に振るかどうかだが。
「俺達の任務が魔族討伐ならよ、魔術を教える必要ないんじゃねぇのか?」
神坐の疑問に首を振り、風は彼を真っ向見据えて説得にかかる。
「魔族討伐は俺達だけで成しえられるものではない。神の遣いは言ったぞ、この世界の住民の手を借りねば魔族を探し出すことが出来ないと」
「あん?どういうこった」と、なおも首を傾げる神坐へは大五郎が補足に入った。
ファーストエンドには、特定の属性を持つ種族にしか出入りできないポイントが幾つか存在する。
街が滅びても土地にかけられた結界は健在で、ドラゴンヘイル、天空都市、ロストエデン、光の森があった場所は聖属性の種族しか結界を解呪できない。
一度結界を解いてしまえば他の種族も入れるが、中で再び結界を張られてしまうと、外にいる者は聖属性に頼るしかなくなる。
輝ける魂は聖の属性を持つ。故に、先の四箇所を回る際には原田の同行が必須となる。
「ん〜。でも、聖属性でいいんだったら絶対天使でも」と言いかける神坐には、即座に海が突っ込んだ。
「あいつらを魔族討伐に連れていくってか?下手したら世界が滅びるぞ」
魔族の属性は闇、戦うのであれば絶対天使のほうが死神よりも有利ではある。
しかし、あの二人は、ただの人間なジャンギに迷わず光線を放ったり、プチプチ草如きにも加減なしの一撃即死魔法をぶっ放すような輩だ。
同等の強さだと推測される魔族なんかと引き合わせたら、海の予想は杞憂じゃなくなる。
そして、あの二人の性格を考えると、結界を解いたらハイさよならともいくまい。
絶対奥までついてくると言い張るに決まっている。
「あぁっ、くそー、使えねぇ!」
「全くよなぁ。平行天界にゃ大人しい性格の天使ってな、おらんのかのう」
ぶちたれる神坐と絶対天使の便乗悪口を放つ大五郎を一瞥し、風が話を締める。
「魔族討伐に現地人の協力は欠かせない。それに、必要なのは原田だけじゃない。神の遣いは、こうも言っていた。原田を取り巻く仲間は、全員が魔族探索に必要な役目が与えられているのだと。往古 要も例外ではない」
「全員が?けど、結界は原田が解呪できるんだろ?」との神坐へは陸が「ポイントへ潜入した後、役目があるということでしょう」と畳み込み、本体へも確認を取る。
風は頷き、「そのとおりだ。魔族討伐は、ジャンギ組の全員とやれとの指示もあった。魔族の元へ辿り着くまで一人として命を散らさないよう、俺達が援護に回るしかあるまい」と言い切り、全てが初耳の面々を驚かせた。
「全員を強化しろってのかよ……それも、四十年以内に?」
難色を示す神坐に、風も少し考える素振りを見せてから、否定する。
「いや、魔族討伐は緊急を要する。本来の予定よりも早い時期に輝ける魂が覚醒したせいで、滅びの進行も早まっているそうだ。遠征中も神坐は呪術使いを育てろ。魔術使いは俺が面倒をみよう。大五郎は回復使いを頼む」
「魔術師を優先するんか?原田を最優先したほうがいいんじゃないのか。なんたって最重要人物だしのぅ」
大五郎の提案にも首を真横に「鍛えるなら術が先だ。原田には鞭を封印してもらう」と風は、にべもない。
効率だけでいうなら、原田にも術で戦ってもらったほうがいいのだろう。
だが、本人は鞭を使っての戦いを希望していた。
覚醒した後も、放課後の自主訓練では鞭が主体で魔法は訓練してもいない。
本人の気持ちを考えると、効率で切り捨てるには躊躇が生じる。
黙した神坐を眺めて、風や大五郎も思案する。
魔族討伐に彼を連れて行くか否かを。
無論、神坐がいるのといないのとでは戦力差は段違いだ。
高い攻撃力に加えて、臨機応変に後方援護へも回れる彼を外しての戦いは不安がよぎる。
しかし、こうも原住民に感情移入しすぎているのでは、土壇場で何をやらかすか判ったもんじゃない。
黙り込んでいた神坐が、ややあって顔を上げる。
「まぁ、ひとまず先の予定は置いといて、だ。呪術の教本を見せてくれよ、こっちも一夜漬けで覚えなきゃなんねぇかんな」
「やる気になってくれましたか」と陸は微笑み、真新しい魔術書を十冊、ぽんと神坐に手渡した。
「って、重てぇぇ!?こんなにあんのかよ、呪術書!」
「覚える術自体は回復魔法が一番多いです。呪術は応用が多いんですよね、ちらっと読んだ感じですと」
死神は呪文が必要ないけれど人間には呪文が必要なので、十冊にもかかる膨大な量になったのだ。
試しに神坐も本をチラ見してみると、意味のわからない文章がズラズラ書き並べられている。
これを全部自分が教えるのか。目眩がしてきた。
そもそも魔法なんてのは、感覚で使うもんだ。なんだって人間は、ややこしい方法を取ったんだ?
「過去の熟練者は呪文なしで唱えられたらしいんだがな、今の時代の奴等には無理だろ」
大五郎がペラペラめくっているのは回復呪文の楽譜か。あちらも膨大な束だ。
仕方ない。やると決めたからには、きばって暗記するしかない。
本を開いてブツブツ口の中で呪を唱える神坐を見、これなら大丈夫だと踏んだ風は、そっとその場を離れる。
向かう先は怪物舎だ。
ライド怪物は調整できたが、馬車に繋いでの試運転が終わっていない。
ブランクの空いた引退自由騎士各位の再訓練、そちらの様子も見てこねばなるまい。
いずれにしろ一旦ジャンギと合流して、念入りな計画を立てる必要がある。
怪物舎には先客がいた。
一人はサークライト住民のフォルテ、もう一人は引退騎士の月狼だ。
扉の前には、偉そうに仁王立ちしたヤフトクゥスも見える。
「小娘、私の着任は学長兼町長が定めたものだ!貴様の懸念とやらで覆るものではないと知れッ」
フォルテは地面に尻もちをついており、彼女を庇う位置で月狼が絶対天使を睨みつける。
風が来るまでに一悶着あって、フォルテはヤフトクゥスに追い出されたといった処か。
彼女が何の難癖を絶対天使につけたのかは、大体の見当がつく。
フォルテは異種族、死神に強い懸念を示していた。
ヤフトクゥスも異種族だと誰かに聞かされて、それで追い出そうと考えたのだろう。
とんだ勇み足だ。ウェルバーグはヤフトクゥスに全面の信頼を置いている。
アーシスへ来て月日が経っていない少女の言う事など、あの男が訊く由もない。
フォルテがいる理由は判るとして、月狼、彼が此処にいるのは何故だろう?
「ヤフトクゥス……貴様は本当に信頼できる相手なのか?」
ぼそっと低い声で尋ねられた絶対天使は、ことさら胸を張って高飛車に言い放つ。
「愚問だ。俺は輝ける魂、原田 正晃の一生を見守るために、この地へ留まっている。貴様ら愚民が、俺を信頼しようとしまいと知ったことか」
自分に正直なのは結構だが、言い方が駄目だ。あれでは余計に反感を買ってしまう。
と、説教したところで言うことを聞く相手でもない。
要件だけ告げて、さっさと退散するとしよう。
「ヤフトクゥス、ライド怪物を受け取りに来たぞ」
「おぉ、死神か!待っていたぞ、ひとまず一週間後の遠征に間に合う分は仕上がった。感謝するがよい」
どこまでも偉そうなヤフトクゥスに、苛つかされたのは風ではない。
「余所者風情が偉そうに」
小さく毒づき、月狼が舌打ちする。
覆面の隙間から覗く目は憎悪に彩られていたし、眉間には、これでもかというほどの縦皺が寄っている。
フォルテとは違った角度で、彼もヤフトクゥスを危険視しているようだ。
「失礼、ライド怪物とは?」
立ち上がったフォルテに尋ねられて、風が答えるよりも先にヤフトクゥスが、またまた偉そうに彼女を見下す。
「なんだ、スクール生徒の割には情報が遅いと見えるな。貴様ら学生の足となる馬車を引っ張る動力、俺が飼育調整して従順にさせた怪物だ」
おかげでフォルテの眉間にも細かい皺が集まり、険悪な表情になってしまった。
ウェルバーグは、この無礼な絶対天使に世の礼節を叩き込んだほうが良いのではなかろうか。
もはや話をするのも不快とばかりにヤフトクゥスから月狼に視線を移したフォルテが尋ねる。
「もう遠征へ出かけられる生徒がいるんですか?」
「いや、お試し遠征だ」「往復を体験するお試し遠征に決まっているだろう。そんなことも判らぬのか?」
月狼の答えをかき消す音量でヤフトクゥスが被せてきて、いつまでも此処に滞在していたら三人の喧嘩に巻き込まれる危機感を覚えた風は踵を返す。
「怪物は小屋にいるのか?一旦、斡旋所へ連れて行くぞ」
「よかろう」との返事を背に怪物小屋へ入り込むと、後から「手伝います!」とついてきたのはフォルテと、それから月狼もではないか。
「結構だ。俺一人で出来る」と断っても、彼女は引き下がろうとしない。
「いえ、皆の命を預かる大切な乗り物となるんでしょう?手伝わせてください」
それに、とポツリ付け足した。
「あの男が本当に調整できたのかを調べる必要もあります。万が一が起きてしまってから慌てても遅いですから」
「ヤフトクゥスの手際を疑っているのか?」と尋ねれば、二人とも同時に頷く。
「……あれは余所者だ。信頼ならん」などと月狼には言われ、風も短く返した。
「俺も余所者だが、信頼できないか」
「なん……だとっ!?」
月狼が驚いている処を見るに、ジャンギはメンバー全員に死神たちの素性を話したわけでもなさそうだ。
一方、フォルテは「えぇ。失礼ながら」と答え、じっと風を見据えてくる。
「あなたのお仲間はファーストエンドに危害を加えないと仰りました。ですが、あなた方が来た前後を境として、アーシス周辺でのマナ残滓が増量していたと判明しました。どうか、故郷へ帰っていただけませんか?」
死神や絶対天使、それと魔族もだが、魔力を源とする種族は、生きている限り微量な魔力を発している。
それが大気汚染に繋がると言われたら、そうなのかもしれない。
現に魔族の出現前後でも、大気中のマナは激しく増量したというではないか。
フォルテの意見は、ファーストエンドの未来を真剣に考えるサークライト民の総意だ。
今ここで起きているマナ汚染問題を先に片付けないと、死神の任務にも支障が出る。
なら、簡単だ。全部の責任を絶対天使に押しつけてやろう。
「マナの残滓が増えたなら、同じ量のマナをぶつけて相殺すればいい。ヤフトクゥスにやらせよう」
「あの男に!?」と驚く黒づくめへ頷き、風はフォルテの了承を待つ。
フォルテは、しばらく黙っていた。
彼女の脳内では、異種族への不信感と未来への打算が戦っているのだ。
ややあって、大きな溜息を吐き出したフォルテは決断する。
「……判りました。どこまで相殺されるか判りませんが、あの男に頼みましょう。ただ、こちらも前準備が必要ですので、やるのは遠征後にしてもらえますか?」
「判った」と承諾した風は、一人でライド怪物のケージを五つ引きずって帰ろうとしたのだが、月狼に「待て、手伝うと言ったはずだ」と呼び止められ、共にケージを引っ張って帰路についた。