死神から森林地帯の探索を提案されたジャンギは、最初の頃こそ否定的であったのだが。
輝ける魂のルーツに関わるものが残されているのではないかといった推理や生まれ故郷へ馳せる原田の熱意などを聞かされるうちに心が動かされたのか、翌日の授業が始まる前に、さっそく森林探索を話題に出してきた。
驚いたのは、他の生徒たちだ。
森林は怪物が始終うろつく危険地帯、ベテランの現役自由騎士でも苦戦は免れないと聞いている。
そんな場所に見習い如きが放り込まれたら、秒殺されてしまうのではないか。
しかし怯えるリントやマーカスを前にジャンギが言うには、見習いだけでの探索ではないとのことであった。
「戦闘サポートとして、俺の他にも引退騎士が同行する。諸君らは場の雰囲気を掴んでほしい。森で採れる食材や資材を知っておくのも大事だぞ」
「引退なのかよ?現役じゃなくて」と突っ込む小島へ頷き、ジャンギは繰り返した。
「あぁ、現役は多忙だからね……だが、心配ない。たとえ引退して久しかろうと、戦いの基本は身体が覚えているもんだ。それに現役時代は熟練だった顔ぶればかりだし、今の現役と比べても引けは取らないんじゃないかな」
入ってくれとジャンギに促されて戸口からゾロゾロ入ってきた面々を見て、何人かが「あっ!」と声をあげる。
「師匠……!師匠も、ご同行してくださるのですか」
驚く謙吾へ頷いたのは白髪の交じる男性だ。
両腕と首筋、それから顔を真一文字に大きな傷跡が走る。
よく通る声で「我が名は焔 弦十郎。こたびは英雄殿の召集にて、お主らの護衛を務めさせていただく」と名乗りを上げた。
両目に嵌まるのは銀色の瞳、双方とも動かない辺りから義眼と思われる。
片手に携えた大剣は使い込まれた面を見せていて、さぞや戦いに明け暮れたであろう現役時代を偲ばせた。
「ゲンジューローが護衛してくれるんだぁ!すっごーい!」
ポリンティがはしゃぐ中、小島と水木も知っている顔へ話しかける。
「ガンツさん、お店をほったらかしにしちゃって大丈夫なの?」
「なんだ、ほとんどジャンギの関係者じゃん!なら、そうと言ってくれよ〜。サフィアちゃんやオトコノコがついてくんのかと思ってビクビクしちまったじゃねーか」
「サフィア教官は別のクラスを受け持ってんだし、無理に決まってんだろ」
即座に突っ込みつつも、リントが小島へ尋ねる。
「つか、オトコノコって誰だ?そんな引退騎士いたっけ」
「それより一応自己紹介させてくれや。俺はガンツ=クローワクス、双斧のガンツと名を馳せた斧使いだ!」
両手に斧を持ったガンツが、ビシッとポーズを決める。
「知ってまーす!」と声を揃えたのはポリンティと、それからフォース&レーチェの双子もだ。
だが声を揃えずとも、このクラスにいる殆どの者がガンツを知っていよう。
ジャンギの片腕として、或いは正面に建つ飯屋の主人として。
ワーグの視線はガンツを飛び越えて、隣に立つソウルズへ釘付けだ。
「ソ、ソウルズさんが俺達の護衛にッ!?」
その横では「ファル様と冒険できるなんて、夢のようだわ……!」と感極まったソマリがいるわで、原田が思うよりずっと引退自由騎士を憧れとする見習いは多い。
「引退騎士は三人編成で各チームの護衛として同行する。それとは別に、斡旋所の三人も野営補助として同行するから、もし途中で何か判らないことがあったら、なんでも質問してみるといいよ」
「斡旋所の三人って、どなたです?」と首を傾げるマーカスへジャンギが微笑む。
「まだオープンしていないが、いずれ見習いの依頼所として展開される予定の店だ。そこのオーナーが各一名ずつ同行してくれるそうだ」
名だたる引退騎士に加えて死神まで同行するのであれば、危険地帯でも恐るるに足らず。
もちろん油断するつもりはないのだが、早くも原田の心は、まだ見ぬ森林の最深部まで飛んでゆく。
ワーグのチームに同行するのは、ソウルズとファルと弦十郎。
リントのチームに同行するのは、ガンツとジャックスと陸。
そして原田のチームに同行するのはジャンギとミストと、もう一人、原田たちの見知らぬ顔であった。
「拙者、暗器使いの月狼と申す。未熟者なれど足は引っ張らぬ。安心めされよ」
黒装束に身を包み、覆面の隙間から覗く紺色の瞳は片方が潰れている。
ボソボソッとした喋り方で声も低いから、聞き取りづらい。
「暗器使い?短剣使いじゃなくて?」
首を傾げる水木には「左様。拙者は飛び道具のみで戦いもうす」と月狼が頷く。
「月狼さんは現役時代、森林地帯をメインに探索していた自由騎士なんだ。今回の探索にあたっては、俺よりも詳しい知識があるんじゃないかな」
ジャンギの褒め言葉にも「滅相もない……拙者の知識など英雄殿の足元にも遥か及ばず」と月狼は腰が低い。
「そんな謙遜しないで下さいよ。私達よりはブランクが短いんですから、あなたのほうが」
ミストのフォローまで入っても、月狼は頭を垂れて沈黙の姿勢を崩さない。
「あそこまで謙るって、もしかして今回の仕事は自信がないのかな……?」
水木に小声でヒソヒソされて、小島も小声で囁き返した。
「けど、足は引っ張らないんだろ?なら自信満々じゃねーか」
「シッ、聞こえるわよ」とジョゼが小声で二人を嗜める中、ピコが手を挙げた。
「それで……今回の探索は、どこまで行けばいいんでしょうか?」
「最深部まで行けたらいいと考えているんだけどね……だが、無理はしない。行ける場所まで行ってみて、無理だと思った時点で引き返そう」とのジャンギの返事を聞いて、何人かは背筋を震わせる。
なにしろ最深部は全盛期のジャンギでも辿り着かなかった激戦区だというのに、その英雄本人様が引退後の今、見習いを引き連れて奥まで行く気満々とあっては。
「そっそそそ、草原だって怖いのに、ししししっ、森林の奥までですか?」
さっそく歯の根が合わなくなったのはマーカスだ。
両手を握りしめて縮こまり目元には涙を浮かべて、行く前から、この調子では先が思いやられる。
ソウルズは「だから護衛つきで探索すると言っている。危険のほどは俺達が見極める、貴様は後を付いてくるだけでいいんだ」と素っ気なく突き放し、涙目の見習いにも容赦ない。
「草原を馬車で突っ切って森林へ入る、往復の予行探索だ。予定としてはニ週間前後の長い日程になるから、各自準備は怠りなく。食料は嵩張らないもの、そうだな、俺のオススメは乾燥肉だ。店売りが高いと感じる人には別途レシピを渡しておくから、希望者は名乗り出るように。出発は一週間後、くれぐれも体調を崩さないようにな」
笑顔で伝えられる強行スケジュールに「いいいい、一週間ゴォォォ!?」と叫んだのはピコとマーカスぐらいで、意外やエルヴィンは冷静に質問した。
「出発までに武器訓練を間に合わせろと、そういうことですか」
ジャンギは首を真横に否定する。
「いや、今回は間に合わなくても大丈夫だ。森林での戦闘は護衛が担当する。むしろ、君たちは極力戦わないようにしてくれ。君たちの強さでは、まだ勝てる相手ではないからね」
今回の予行探索で見習いが覚えるのは森林で採れる資材と食料、それから護衛が取る戦術と連携だ。
もし不慮の事故、例えば戦闘に巻き込まれて怪我した場合は、同行の回復使いないし斡旋所員が見習いを優先して治療すると言われて、多少はマーカスとピコの恐怖も和らぐ。
ちらっと陸を見て、「そういや、もう一人いたよね……以前の怪物舎に。あの人は、同行しないんですか?」とジャンギに尋ねたのはコーメイだ。
「エリオットかい?彼なら失職したよ」
こともなげに言われて、驚いたのは原田だけじゃない。
クラスの全員が驚いた。
「失職?退職じゃなくて!?」「え、もしかしてクビになったのか!でも、なんで?」
大騒ぎの子どもたちへ答えたのはミストで、「何年も上司に逆らい続ける部下がクビにならないほうが、おかしいでしょう。教官、及び副教官の執務態度は、逐一学長の元へ報告されています。ですから、えぇ、来年は大幅な教官変更もありえるでしょうね」との話である。
「そっ……そっかぁ〜、教官でもクビになったりするんだぁ」
腕を組んで考え込むポリンティに「エリオットがクビになってショックだったのか?」と小島が問えば、そうじゃないよと彼女は首を振る。
「引退後の転職にって考えていたけど、安定しないんじゃねぇって思って」
「まだ現役にもなっていないのに気が早いですねぇ」とミストには呆れられてしまったが、そもそも自由騎士は引退後の収入源が安定していない。
ポリンティが先の未来を考えてしまうのも、当然といえば当然だろう。
「あれ、でも陸教官はメンタルケアでしたよね……僕達のチームだけ回復使いが足りないんじゃないですか?」
首を傾げるコーメイに微笑んだのは他ならぬ陸本人で、「ご心配なく。私も回復魔法は使えます」と言われて、リント達は胸を撫で下ろす。
「うん、それに斡旋所員も使えるからね」と繰り返し、ジャンギが話を締める。
「出発までの一週間、君たちは攻撃を避ける練習をしておくといい。それと、野営の予行練習もかな」
「野営の予行練習……って、例えば?家でもテントで寝るとか?」
小島の予想へは「違うだろ」と冷めた目でワーグが突っ込む。
「野営での調理方法や焚き火の付け方、遠征用具の使い方やテントの組み立て方などを予習しておけってことだろ。そうですよね?ジャンギ教官」と確認を取られて、ジャンギが頷く。
「その通りだ。魔術使いは五大元素魔法を駆使するチャンスだぞ。出発までに日常へ応用できる形を完成させておくのが望ましいかな」
ちらりとジョゼを一瞥し、こうも付け足した。
「もちろん、攻撃の形でも日常に使える魔法はある。そうした使い道も出発までに調べておくといいだろう」
「なぁ、ミストさんよ。耳の痛い話じゃねーの。どっかの誰かさんは、ほとんど道具任せだったもんなぁ?」
ジャックスに小声で耳打ちされて、ミストはうるさそうに手で払う真似をする。
「えぇ、私の魔力は攻撃に極振りでしたからね。道具があるなら道具を使いこなせばいいんです」
「けぇーッ、あぁ言えばこう言うんだからよォ。遠征同行でも減らず口を叩いて、見習いを幻滅させんなよ」
二人の内緒話を「内輪もめは帰ってから好きなだけやれ」と封じて、ソウルズが見習い全員の顔を見渡した。
「出発までの一週間、暇があれば俺達も顔を出す。片手剣と斧、回復と短剣。これらに該当する奴は特別に手ほどきをしてやってもいい。希望者は」
「ハイ!ハイハイハイハイッ!」
言葉途中でハイハイ手をあげての大興奮なワーグへ苦笑すると、ソウルズが続きを言い切る。
「やる気があって宜しい。希望者は今日の授業が終わった後で教官に申請してくれ」
「お、お前、そこまでソウルズさんに教わりたいんだ?」
リントにドン引きされても、ワーグの鼻息は「当然だろ!」と荒い。
続けて「お前はいないのかよ、そういう憧れの人」と尋ね返されて、リントは肩を竦める。
「いるけど、教われるチャンスがなくってさ」
「参考までに、どなたですか?」ともミストに訊かれたリントは、ちらっと上目遣いでジャンギを見つめた。
「そりゃあ……このクラスを選んだ時点で察して下さい」
「ですってよ、ジャンギくん。ジャンギくんは生徒に手ほどきしてあげないんですか?」
あえて言わなかったのに、ミストには面と向かって催促されて、「あ、わわわ、いいんです、教官!教官は、色々とお忙しいんでしょうし」と泡食うリントへ微笑み、ジャンギが答える。
「なんだ、リントくん。遠慮しなくていいんだぞ、俺は君の担任なんだから。他にも、この中で習いたい相手がいる人はいるかい?さすがに毎日とはいかないが、時間がある時は皆、顔を出せるはずだ」
途端に「ハイハーイ!ゲンジューロー先生と謙吾の稽古が見たいです」だの「ぼぼぼ、僕もいいですか?ジャンギ教官直々に棒術の初歩、教わりたいです」だのと教室は一気に賑やかになり、誰が何を言っているんだか判らない中で、ぼそっと要がぼやく。
「いいわねぇ、皆には対象の先生がいて。呪術使いは誰に講師してもらえばいいのよ」
「あら、術は自習できるじゃない。ミストさんが名乗りをあげなかったのは、そういう理由ではなくて?」とジョゼに突っ込まれても、要の愚痴は収まらない。
「木の棒が相手でも目に見えて結果がわかる魔術は、いいわよね。呪術は対人じゃないと成功の有無も判らないのよ?日常にも応用できないし、遠征に私が行く意味ってあるのかしら……」
いじける彼女にはチェルシーも励ましに回る。
「呪術を使わなくても、学べることはいっぱいあるよ。野営の手順、一緒に覚えよう!」
そこへ割り込んだのは陸だ。
「呪術でしたら、私の友人が師事できるかと思います」
「あなたの?」と首を傾げる要へ頷くと、他の者にも聴こえるよう言った。
「えぇ。斡旋所の三人も希望者がありましたら、ここへ来ます。野営についてもヒントを出せるかと思いますが、如何でしょう」
「ってこたぁ、神坐が学校に戻ってくるってか!?良かったな、原田っ!」
バシーンと勢いよく小島に背中をぶっ叩かれて、原田はニ、三歩よろける。
「え、神坐って、保健室にいた人?」などと囁かれる中、「あぁ」と原田が頷き、痛む背中へ手をやった。
一週間後の遠征で同行するのが三人のうちの誰だとは、誰も教えてくれなかったが、神坐ならいいなぁと密かに思っていたのだ。
遠征の前にも会えるとなったら、師事を希望するしかない。放課後が楽しみだ。
一通りの説明が終わり、やっと本日の授業が始まる。
しかし見習いの殆どが上の空だと判断したジャンギにより、本日の授業は全員座学に切り替えられた――