「ハイヨーッ!」と勇ましい掛け声で馬車が走り出し、周りの見習い達も駆け足で追いかける。
馬車の中では学者が機材と睨めっこしながら「例の怪物は、森林地帯へ向かっています」と伝えてきた。
「え!?森林地帯に入っちゃったの?」との水木の切り返しには首を振って、ヨリックが答える。
「いえ、向かっているのが森林地帯方面というだけで、まだ草原の地中を進んでいます」
「ま、まずいな、森林に入られたら」と息を切らせるピコを見やり、ジョゼも思い出す。
森林地帯には死神曰く、気配を消す怪物がウジャウジャいたはずだ。
そんな中に紛れ込まれたら、住処を探すどころではない。
「つ、つか、速っ……馬車、まってぇ……」
後方の魔術使い、レーチェとフォースは早くも脱落気味だ。
走る速さは次第に遅くなっていき、ほとんど歩きになっている。
だが幸いにも意外と早く馬車はストップし、全員が立ち止まった。
「ヒャクメの動きが止まりました!森林地帯より五百万Y手前、あっ、あれは何でしょう!?」
ヨリックの指差す前方を見やれば、地平線の先、広範囲に渡って草の剥げた大地が見えるではないか。
「何だ、ありゃ……あんなの昔は、なかったぞ」とジャンギが呟くからには、彼が現役時代だった頃には存在しなかった場所と思われる。
そして彼が知らないということは、今の現役も、この辺りを全く探索していないのであろう。
「あれを仮に穴ボコ地帯と名付けましょうか、新生ナーナンクインから測って四万Yの距離ですね」
「アーシスから測ると?」とジャンギが尋ね、「二万八千Yです」とヨリックが答えるのを聞いて、見習いは全員が驚愕する。
「えーっ!?ナーナンクインよりもアーシスのほうが近いのかよ!」
「それより、二万の範囲で誰も見つけてなかった事実のほうが大問題だ」とはオウガの弁で、ちらりと意味ありげにジャンギを見上げた。
「早いとこ自由騎士の規約を改定しないと、街の周辺一帯を怪物に囲まれる未来が来ちまいますぜ」
「その話し合いは現在、協議会で慎重に進めているよ」とジャンギも答え、見習いの顔を見渡した。
「もし、あの場所に巣穴があるとしたら、怪物が大量にいる可能性は高い。ここは数人で近づき、目視で怪物の存在を確認し次第、一路脱兎の策を取ろう」
見習いは「はい!」と一斉に頷き、「で、誰が偵察に行くんですか?」とグラントが尋ねてくる。
両目は爛々と輝き、如何にも俺を選べと言わんばかりの鼻息に、ジャンギは苦笑しながら答えた。
「もちろん、注意力と回避力に優れていて逃げ足の早いメンツに限るさ。ベネセさん、ピコくん、ワーグくん。君達三人と俺とで近づいてみようか」
途端に「え〜?」という落胆が小島とグラント両名の口から飛び出し、ベネセやワーグには肩を竦められた。
「というか、ピコもなのか?こいつに注意力があるとは到底思えんが」
ベネセの辛辣な評価に、当の本人よりも先に小島が食ってかかる。
「お前なぁ!お前の弟子だろ、ピコはッ。少しは信じてやれよ、ピコの実力を!」
「弟子?同じ見習い同士で?」と聞き咎めるソマリには水木が「ピコくんはね、ベネセちゃんの実力に惚れて弟子入りしたんだよ!」と教え、ピコは意味もなく前髪をふわぁっとかきあげる。
「ベネセ師匠、僕にも修練を積む機会を与えてくださいませんか?僕は、いずれ皆の危機を未然に回避する優秀な短剣使いとなる予定なんですから」
「そうそう、そのとおり」とジャンギも頷き、懐疑的なベネセとワーグを諭しにかかる。
「ピコくんは短剣使いだ。短剣使いの役目は囮と陽動だけじゃない。いざという時に備えて、探知能力を鍛えておく必要がある」
「そういうのは模擬でやればいいじゃないですか。何も危険な実戦で鍛えなくても」と言いかけるワーグを遮ったのはベネセで、彼女は何やら思案しながら言い切った。
「……いや、探知能力を鍛えるには実戦が一番だ。肌で感じる恐怖が勘を鋭くさせる」
かと思えばピコを睨みつけ、決意を迫ってきた。
「ピコ、この訓練は真面目にやれ。近い将来、チームの眼となる為にもな。目立とう、活躍しようなどといった余計な下心は捨てるんだ」
つきあいは浅かれど、さすが師匠。弟子の下心などバッチリお見通しだ。
ピコは一瞬ギクリとなったが、努めて平然を装い、魅惑のスマイルでベネセを見つめ返す。
「勿論ですとも、師匠。師匠の名を汚す真似など、この僕がするはずもありません」
残念ながら魅惑のスマイルはベネセの心に感銘を与えず「判っているなら、それでいい」とだけ言われて会話を締められた。
「逃げる方角はアーシスですか?」とのワーグの問いには首を振り、ジャンギは物憂げに答える。
「いや、ナーナンクインへ進路を取る。ヒャクメの行動範囲を測っておきたいんだ、どこまで追跡してくるのか」
「アーシスへ引っ張るのは、まずかろう。ナーナンクインと比べると警備の手が足りん」とベネセが即座に同意を示し、ぐるり一帯を見渡した。
ここからでは、アーシスもナーナンクインも見えてこない。
どちらの街が本命の餌場なのだろう。
距離でいえば、アーシスのほうが近い。しかし、怪物は頻繁にナーナンクインの周辺に出没している。
街の外へ住民が出る頻度は、そう大差ないはずだ。なのに、何故ナーナンクインばかりが狙われるのか。
――ここで考えても、答えは出まい。
「さぁ、行こう。ついてきてくれ」
ジャンギの号令でピコとベネセ、ワーグの三人は足音を忍ばせて穴ボコ地帯へと歩いてゆく。
馬車の近くに残された一行は、することもなく小声での雑談に興じた。
「古文書によると我々の住む草原地帯は、かつて東大陸のジパンと呼ばれた地方に該当するそうです。ジパン地方には黒髪の人々が多く住んでいて、ジパン地方を南下するとサクヤ地方が広がっていたと記されています」
ヨリックの雑談に乗っかって、「ふーん。じゃあ、俺の髪はジパン人の名残なのかな」と小島が自分の髪の毛を引っ張って尋ね返す。
「そうですね」とヨリックは微笑み、名前の付け方もサクヤとジパンでは違うのだと教えてくれた。
原田や小島のように苗字が先で名前が後にくる配列がジパン式で、ジャンギのように名前が先にきて、苗字が後に続く配列がサクヤ式であったという。
「アーシスは二つの地方の人間、その子孫が混ざりあった街なんです。対して砂漠地帯、かつてナーナンクインのあった場所は、海と呼ばれる大きな水場が広がる地域だったと想定されています」
「水場だったのに砂漠になっちまったのかよ!」
大声で驚くグラントを手で制し、ヨリックは尚も古文書知識を紐解く。
「砂漠地帯を住処としていたナーナンクイン住民は、どこの子孫だったのか。我々の推測では海に浮かぶファルゾファーム島の生き残りではないかという説が一つ。もう一つの説は、西大陸ラグロ地方の生き残りが遠路遥々旅をして流れ着いたというものです」
「サクヤでもジパンでもない地方から来たっていうの?」
今や豆粒と化したベネセを遠目に見やり、水木は首を傾げる。
「でも見た目は私達と、あまり変わらないよね」
「えぇ、ですが」とヨリックもベネセを見やり、ぽつりと付け足した。
「魔力の基礎値が全く異なるんです。ベネセ嬢と我々アーシス民とでは」
「えっ?」「魔力?」と口々に驚く見習いを見渡して、スタンが頷く。
「ベネセさんの話じゃナーナンクイン民の主力武器は弓矢だそうだが、彼女の魔力基礎値を測ったところ、我々と比べて格段に高いと判明した。勿体ないよな、魔術を極めればヒャクメだって一人で倒せそうなのに」
「えぇ!?そんなに高いの?」とジョゼの声は思わず甲高くなり、ヨリックに制される。
「あくまでも測定の上での数値ですが、ね。本人に魔術を覚える気があるかと尋ねたら、全くその気がないと断られてしまいました。彼女は弓矢に誇りを持っていらっしゃるようですね」
「あっ、そういやぁよ」と、何かを思い出した様子でグラントが尋ねる。
「フォルテってのは、どこの末裔なんだ?まだアーシスにいるんだろ、サークライトから来た客人!」
「サークライト民の先祖は、はっきり判明していますね。サクヤ地方です」
エリシャの答えに「えっ」と、またまた見習いは一同驚愕。
「でも、フォルテちゃんは言ってたよ?サークライトから南に移動したらアーシスへついたって」
水木の証言にエリシャは少し考え、結論を下す。
「世界は丸いんです。南を直進するうちに北にあるアーシスへ辿り着いたとは考えられませんか?」
「そうだった、世界は丸いんだ……う〜、地理感覚がおかしくなってくんぜ」
小島が頭を抱える横で、原田も地図を脳裏に思い浮かべる。
アーシスの北に新生ナーナンクイン、さらに北上するとサークライトがあり、だが実はアーシスの南側に存在するのではというのがエリシャの推測だ。
旧ナーナンクインがあった砂漠地帯はアーシスの北に位置する。
しかし、これもまた本当に北なのかが怪しくなってくる。世界は丸いのだと考えると。
ジャンギは砂漠地帯発見までに三年近く費やしており、そこまでの遠距離を歩いたのであれば、ぐるりと回って南に出た可能性が高いと今の学者連中は推測しているようだ。
西は森林地帯。東は未知の世界だ。まだ誰も草原の終わりに辿り着いていない。
「サークライトってサクヤ地方だった土地のどこらへんにあるのかなぁ?」
「さて。一口に何地方と呼んでも、一つ一つの大陸自体が大層広かったようですからねぇ。アーシスとの距離を考えると、地方の端と端なのかもしれません」
ヨリックは水木の疑問に寄り添い、遠方を見やる真似をする。
そして穴ボコを調べに行った四人が、全力疾走で戻ってくるのを確認したのであった――!
皆が雑談していた頃、穴ボコ周辺に近づいたジャンギたちが何を見つけたのかというと。
遠目にも穴だらけだと判るほどだったのだ。近づいてみれば、一層よく判る。
地面には巨大な穴が、いくつも空いていて、そのどれもが深く垂直に掘られていた。
子供を三人も連れているのに、ヒャクメが姿を現す振動は起こらない。
そればかりか、穴ボコ地帯周辺には怪物の気配が一切なかった。
どう考えても不自然だ。草原にはヒャクメ以外にも怪物が生息しているはずなのに。
少し考え、ジャンギは鞄から長いロープを取り出すと、穴の中へ垂らしてみる。
一体何を、と訪ねようとする子供たちをシッと短く制し、そろりそろりロープを降ろしていくと、やがてコツンと底の感触を得た。
「中に何もいない……?じゃあ、この穴は移動用の通路入口なのかな」
「移動用の通路?」と首を傾げるワーグへジャンギは頷いた。
「どこへ行くにも、地上を這うより地中を移動したほうが速いだろうからね」
「穴と穴が中で繋がっている可能性は?」とベネセが推測をあげて、それにもジャンギが答える。
「ありえるな。よし、君達もロープを垂らして、どのぐらいまでの深さなのか調べてみてくれ」
「了解です。ですが、ここが巣穴じゃないとしたら、ヤツは何故ここに――」
最後までワーグは言わせてもらえず、ジャンギに抱きかかえられて横っ飛びに転がり避けた。
直後、寸前まで彼がいた場所めがけて、ぶっとい尻尾が飛び出してくるもんだから、ぼやっと突っ立って眺めていたピコは仰天だ。
「ヒャ、ヒャッヒャッヒャッ!」
「落ち着けピコ、すぐに下がれ!」
ベネセは流石に慌てたりせず、弓矢を構えて狙いを定める。
だが、ジャンギに「逃げるぞ、皆の元へ戻ろう!」と命じられた後は、迅速にピコの襟首を掴んで走り出した。
振動は原田のいる場所にも響いてきて、遠目にも巨大な怪物が地中から飛び出すのを目撃する。
「ヒャッヒャッヒャクヒャク!」
驚きすぎて言葉にならないオウガや目をまん丸にしているエリシャを横目に、ヨリックが叫んだ。
「あの場所が巣穴と見て間違いありません!一路撤退、進路は新生ナーナンクイン!」
「ま、また走るの……!?」と泣き言を漏らす魔術使い姉弟は、スタンに力づくで馬車の中へと引っ張り込まれる。
ジャンギの腕から開放されたワーグもソマリの傍まで走り寄り、彼女を勢いよく抱きかかえあげた。
「行くぞ!」
完全に不意をついた行動だろうに、キャアだのと騒がないのは二人が信頼しあった恋人同士だからか。
ソマリはギュッとワーグにしがみつき、小島も左右を素早く見渡して水木を肩に担ぎ上げる。
「ちょ、ちょっと小島くん!私なら大丈夫だってば」と泡食う水木へ「遅れたらヤバイだろ!」と叫んで、小島も走り出す。
「ハイヨー!全力で逃げるぞ、全員遅れんなー!」
グラントの号令でラクダも走り出し、遅れがちなジョゼは途中でジャンギに抱きかかえられ、全員が死物狂いでナーナンクインを目指した。
どこまで走っただろうか。
足の感覚がなくなり、ついには走れなくなった一行が立ち止まったのは、草原のど真ん中であった。
休む暇なく襲いかかってくる怪物は、ジャンギの棒と馬車内で気力温存していた姉弟の魔法で牽制する。
ナーナンクインの集落は、まだ見えてこない。
息も絶え絶えに地べたでへたり込む見習いの面々を一瞥して、ジャンギが結論を下す。
「今の体力で一気に駆け抜けるのは危険だ。ここでテントを張り、交代で見張ろう」
「こんな草原の真ん中でか!?」とオウガは言うが、正直に言って原田もピコも、もう一歩も歩けない。
「全滅を防ぐには、休める時に休める。それは君も現役時代に、嫌と言うほど味わっているかと思ったんだがね」と街の英雄たる男に言い返されては、オウガも、それ以上の文句を言えず。
ぶちぶち口の中で呪いの言葉を呟きながら簡易テント、それから足を冷やす道具を取り出した。
『ヒヤシート』は一見何の変哲もない布に見えるが、さわるとヒヤッとする。
走りすぎて火照った足に当てると、じんわり筋肉が癒やされるような気分になった。
「気配を消せるヒャクメが貴方がたを襲ったのは、あの場所に留まってほしくなかったのだと思われます」
疲れ切った面々の足を冷やしながら、エリシャは推測する。
「あの場所に卵ないし幼生がいるのかもしれません。周辺に他怪物の気配を感じないのも、ヒャクメが排除したのだと考えられませんか?」
「もう一度、念入りに調べておきたいが……今は無理だな」と、ジャンギ。
「まずは、少しでも長く足を休めるんだ。テントで休憩する人はヒヤシートを脹脛と踵に張ってくれ」
そう言い残してテントの外へ出ていくジャンギの後を、フォースが追いかける。
「どうした、君も休むといい。見張りは俺がやっておこう」と労られて、逆に労り返した。
「いえ、俺は馬車に乗っていましたから大丈夫です。見張り一番手をやらせてくださいっ」
言葉は元気よくても、足はガクガク震えている。
「無理しないほうがいいんじゃない?」と冷やかす姉は、しっかりテントに潜り込んで足を冷やしている。
「レーチェさんの言うとおりだ、君の足は限界にきているぞ。ほら」
棒でチョンと脹脛を突かれただけで、フォースは「あうっ」とへたれた悲鳴をあげて、しゃがみ込んでしまう。
かくいうジャンギこそ走り通しの戦い通しなはずだが、見習い連中と比べると余裕を残しているようにも伺えた。
「君達と違って多少は年季が入っているからね……俺への気遣いはいいから、ゆっくり休んでおくように」
ここで一緒に見張りをします!と言えれば良いのだが、原田の足もフォースと同じぐらいにはガクガクだった。
大人しくヒヤシートを足に当てて、テントの中で座り込む。
学者の所持するテントは、一つにつき五人が足を伸ばして入れる広さであった。
ベネセを除いた見習いは全員テントへ潜り込み、学者はテントの外で今後の予定を立てる。
見張りはジャンギとベネセの二人だ。
「ナーナンクインの宿泊は広場を使わせていただきたいのですが、族長への許可をお願いできますか?」
「広場でテントを張るのか?それよりも、今頃は宿泊所が建設された頃だろうから、そちらへ泊まるといい」
「宿泊所が出来たのですか!?では、是非そちらで」
拍手喝采で喜ぶエリシャを軽く睨み、スタンが丁寧に断りを入れる。
「機材や荷物が多いんでね。こんな大所帯の上、大荷物とあっちゃ迷惑にならないかな?」
ベネセは少し考えてから、答えた。
「荷物は馬車止めに置いておけばよかろう。盗難が不安だというのなら、見張りをつけておく」
「ありがとうございます。つきまして、宿代はお幾らで……?」
そろりと切り出すヨリックにベネセは笑い、「こちらの宿泊所も試作の段階だ。宿代は当分無料でいくと訊いている」と答えて、学者の懐を安心させた。
話し合いを済ませた学者が馬車の中で寛ぐ中、周囲を油断なく見渡すジャンギにベネセが話しかける。
「ナーナンクインへ進路を取ったのは、族長に巣穴の場所を教えるつもりか?だが、族長は動かんだろう」
「何故?」と尋ね返すジャンギに目を伏せ、ベネセは吐き捨てた。
「今の族長は臆病なのでな……対策を考えられるとは思えん。この話を伝えるのであれば、族長よりも狩り頭が良かろう。彼が実質、今のナーナンクイン戦士を束ねるリーダーだ。彼には私が会わせてやる」
少しの間を置いて、ジャンギが頷く。
「現地の君がそう思うのなら、そうしよう。ナーナンクインに到着したら、さっそく会わせてくれるかい」
「あぁ」
ベネセも頷き返すと、見張りの交代を告げにテントをめくりあげた。