「今回の遠征は馬車で草原を往復する。極力戦闘を避けていきたいが、例のヒャクメは気配を断って接近してくる。従って、馬車の護衛諸君は各位警戒は怠りなく」
出発前、ジャンギの説明に子供たちは瞳を輝かせて一様に頷いた。
「はい!」
馬車に乗り込むのは御者役の生徒が一人と学者のみで、他の生徒は馬車の周りを歩いて護衛に就く。
同行する学者は四人。荷台には彼らの他に機材や食料が積み込まれた。
「じゃー、いくぞ!はいよーっ」と元気よく号令をかけたグラントがラクダに鞭をくれて、ラクダがのろのろと歩き出す。
大勢の住民に見守られながら、馬車はゆっくりアーシスの街を出発した。
まだ日が昇る前、朝の薄暗い時間での出発だ。
「このスピードでいったら、片道何日で辿り着けますか?」
尋ねたのは学者のヨリックで、それに答えたのはジャンギであった。
「そうだな……一週間前後を想定しているよ」
ナーナンクインへ行くだけなら、全力疾走すれば馬車でも二日で辿り着けない事はない。
しかし今回の遠征目的は、それだけじゃない。巨大怪物、ヒャクメを誘き出す役目も兼ねている。
ヒャクメと遭遇した箇所を記録して、やつの行動範囲を調べると同時に、住処を突き止めなければいけない。
「一週間!」と叫んで大きく溜息をついたのも学者で、名をオウガといった。
学者にしては鋭い眼光で、かつては自由騎士として活躍したのではと思わせる顔立ちだ。
「途中で食料追加調達も考えなきゃならんか、くそっ」
「いいじゃないですか、なまった腕を鍛え直すチャンスですよ」と横で笑う女性をオウガは睨みつける。
「馬鹿言え、エリシャ。お前が楽しい仕事になるというから同行したんだ。戦うなんて聞いちゃいない」
見た目と反して、オウガは戦うのが苦手なようだ。
彼らの雑談に被せるようにして、ジャンギも笑う。
「君達は荷台で座っていてくれ。怪物は全て俺達護衛が退けよう」
「頼もしいです、さすがは英雄様。ではお言葉に甘えて、私達は機材を守るのに徹しますね」
ジャンギに頭を下げたエリシャは、馬車の周辺を歩く子供たちへも声をかける。
「あ、できましたら食料の調達もお願いして宜しいですか?」
「もちろんですよ、任せてください!」
レーチェが笑顔で安請け合いし、傍らを歩くフォースは前方を見やる真似をした。
「この辺だとフットチキンがお手頃ですかねー?今んとこは見かけませんけど」
「フットチキンは専用の機材がないと捕まえられないぞ」と掛け合ったのは太った男性で、名をスタン。
「草原は広い。ここから先は君達が、まだお目にかけたことのない食材も出てくるだろう」
「へぇー!例えば、どんなのがいるんです?」と乗ってきたフォースへ笑いかけ、スタンが話を締める。
「ウィックルホップスは草原の代表的な野生肉でね、こんがり焼いた皮が美味しいんだ。さぁ、これで君達は楽しみが一つ出来たぞ。恐怖しかなかったヒャクメ探索も、多少は緊張が解れたんじゃないか?」
「へぇー、早く食ってみてぇなぁ、ウィックルホップス!」
御者台に座るグラントが涎を垂らし、その横を歩く小島はウンウンと何度も頷いた。
「あぁ、パリパリに焼けた皮と塩が絶妙なハーモニーってやつを奏でていたな。もう一度食べたいぜ」
「ハーモニーって神坐先生の真似じゃない?」と突っ込む水木そっちのけで、グラントが小島を凝視する。
「食ったのかよ!」
「おう、モリモリ食ったぜ。ピコを探しに行った時にさ、ジャンギがいっぱい狩ってきてくれたんだ」
英雄を呼び捨てる小島にソマリは眉をひそめるも、ワーグの感嘆はジャンギ本人へと向かう。
「さすがジャンギさん、人探しの合間にも食料調達は怠りなくだったんですね」
「あの時はソウルズが一緒だったからね」と笑い、ジャンギもワーグを、じっと見つめ返した。
「今度は君に頼もうかな。ウィックルホップスは片手剣使いと一番相性がいいんだ」
「ご指名、光栄です」と些か興奮で赤面するワーグの脇腹をつつき、ソマリが小声で囁く。
「先の戦いより、今は近くの戦いに集中して。右手で何かが動いたわ」
「よく気づいたね」
ワーグが何か言うより早く、ジャンギが右へ視線を向けたので皆もつられて、そちらを見た。
水平線まで続く緑の絨毯、その一部で草が揺れたような気がした。
鳴き声や威嚇は聴こえない。辺りは静まり返っている。
「だが、心配いらない。プチプチ草は全部無視して行こう」
「え、プチプチ草がもう起きているの!?」
驚く水木の口を塞いだのはジョゼで、「しっ、大声で呼ばないで」と窘められた水木も自分の口を押さえる。
「あぁ、夜行性もいるんだ。でも動きは昼より更に緩慢だからね、さして危険じゃない」
肩を竦めると、改めてジャンギはソマリを褒め称える。
「よく微弱な気配に気づけたね。ウィンフィルド組は、もう気配察知まで進んでいるのかい?」
「いえ……草が、動いたんです」と正直に答えて、ソマリは俯いた。
気配を察知できたんじゃない。たまたま右を見たら、たまたま風もないのに草が揺れた。
だから、生き物がいると判った。それだけだ。
プチプチ草だと判明したのはジャンギが断定したからだ。
それまでソマリには動物なのか怪物なのかも判らずにいた。
「なるほど」と頷き、ジャンギは見習いを見渡す。
「なら、哨戒探索ついでに気配察知の練習もやっていこうか。ヒャクメのように気配を隠す事ができるのは例外として、草原に住む生物は全て、大なり小なり気配を持っている。意識を周辺に集中させてごらん。何かの息吹を感じられるはずだ」
「い、意識を集中……?」
小島やピコなど戸惑う前衛陣とは異なり、魔術使いの面々は早くも瞼を閉じて足を止めている。
そこへ引退自由騎士、学者の指示が飛んだ。
「足を止めちゃ駄目だよ、馬車は待ってくれないよ!歩きながら集中するんだ」
これにはジョゼやフォースも「えっ!?」と戸惑いを見せ、レーチェが言い返す。
「無理言わないでくださいよぉ!動きながらじゃ集中できっこないですっ」
「うん、やっぱり魔術使いは、そう判断したか。意識集中は呪文と似た動作だろうと」
だが、と歩調を落として原田の横に並ぶと、ジャンギは付け加えた。
「立ち止まって集中するのは無防備で危険だ。魔術使いの呪文は前衛の守りあっての、安全地帯のみに許された行動だからね。むしろ、気配察知は前衛が相手の出方を探る動作に似ていると言えるかな」
「そう言ってくれれば分かり易いぜ!」と判ったような顔で小島が相槌を打ち、ワーグに蔑まされる。
「本当に判ったのか?何が出ても突進していきそうな単細胞のくせしてよ」
「なっ、誰が単細胞だっての!しっつれいだなー、俺だって様子見ぐらい出来るんだぞ!?」
怒り狂う親友には悪いが、原田もワーグに同感だ。
敵を前にして用心したり様子見する小島など、これまでの戦闘で一度も見た覚えがない。
「動きながら相手の出方を……」
ぶつぶつ呟きながら、ピコは周囲に素早く視線を巡らせている。
左右を頻繁に見渡しすぎたせいか、ふらぁっと倒れかけるもんだから、原田は慌てて彼を支えてやった。
「む、難しいね、周囲の気配を探るっていうのは。目が回ってしまったよ」
すかさず後方で「眼で見る必要はない」とベネセが突っ込む。
「視線ではなく意識で感じ取るんだ。慣れれば背後の気配も感じ取れるようになる」
こう言うからには、ベネセは気配察知をマスターしているのだろう。実戦を積んだ戦士ならではの感性で。
そのベネセやジャンギが危険を知らせないのだから、今のところ、周辺に危険な生物はいないと見ていい。
のんびり進む馬車の横を歩きながら、それでも原田は気配察知の練習に励む。
ジャンギの言う、生き物の息吹とは何を指しているのか。
前を行く小島の背中を眺める。じっと耳を澄ますと息を吸って吐く音や、草を踏む音が聴こえてくる。
続けて熱気。熱量と言い換えてもいいが、小島の体温が空気を通して伝わってくるような気がした。
――これが息吹なのか?
だとすると、どうにも掴みきれない。怪物の息吹が。
小島の息吹は、小島が近くにいるから感じ取れるような気になっている。
姿が見えない生き物の息吹を感じるには、どうしたら……
突然小島が立ち止まったので、ぶつかる寸前で原田も立ち止まる。
どうした?と尋ねる前に地面がボコッと盛り上がり、原田は誰かに腕を引っ張られて後方へ投げ飛ばされた。
「出やがったな!」と叫ぶや否や、皆の前で盾を構えたのはワーグだ。
ベネセは前方へ矢を放ち、まだ事態を飲み込めていない魔術使いへ声をかける。
「出たぞ、ヒャクメだ!全員後ろへ下がって呪文を唱えろッ」
ワンテンポ遅れて原田は立ち上がり、ピコが駆け寄ってくるのを手で制す。
「俺は平気だ、ピコはジョゼ達を守ってやってくれ!」
原田をぶん投げたのは恐らくジャンギだ。
声をかける暇もないほど急な襲撃だったのだから仕方ないとはいえ、受け身の練習をしていなかったら頭を打っていたかもしれない。
ジャンギは馬車の傍へ素早く駆け寄り、ラクダと箱を繋いだ縄を解く。
「い、一体なにを」と驚く学者連中の前で棒を一閃すると、彼らを乗せた箱は勢いよく後方へ押し飛ばされた。
「わぁぁぁっ!」との叫び声を乗せて、箱が原田の真横に落っこちる。
えらく乱暴な扱いだが、岩や砂が飛び交う中で馬車を放置するわけにもいくまい。
ジャンギの判断は的確だ。
「い、いたた……機材は、よし、無事か」
スタンが機材を弄くり回し、ホッとしたように溜息をもらす。
こんな時でも機材の心配とは。
学者を眺める原田へジャンギの指示が飛ぶ。
「原田くん、彼らはグラントくんに任せて、君は後方を確認してくれ!騒ぎに乗じて他の怪物が寄ってくるかもしれない」
「お、おう!って俺も後方援護なんスか!?」
咄嗟に返事をしてから、グラントが狼狽える。
御者台もろとも飛ばされた彼は、地面へ落ちる前に飛び降りていた。
再び前へ飛び出そうとしていた矢先の指示である。
「ワーグくんが弾き損ねた分を君の斧で防ぐんだ!小島くんはラクダを引っ張って後ろへ下がれ!」
前方へ突撃しかかっていた小島も足を止め、くるりと振り返る。
「なんでだ!?俺はワーグと一緒に前方防御だろ!」
素直に言うことを訊かないのが小島たる所以で、すかさず盾を構えたワーグに怒鳴りつけられる。
「突撃しようとしていた奴が文句言ってんじゃねぇ!さっさとラクダを安全圏まで引っ張っていきやがれ!!」
怪物の一番近くにいるのがワーグで、ひっきりなしに飛んでくる大岩や土の塊を盾で受け流しながら、泣き言一つ漏らさず踏み留まっている。
遠征やヒャクメとの戦いは初めてのはずなのに全く臆しない彼にピコは感心し、一方で不安も覚える。
この遠征で活躍しようと密かに目論んでいたのだが、またしても活躍を他の人に奪われてしまいそうだ。
ワーグのすぐ背後に控えるのはベネセだ。複眼へ矢を放っていた彼女は、不意に真横へ飛んだ。
「な、なんだ!?」と驚くグラントは、彼女が左手へビュンビュン射る姿を目に留める。
何もいないと思っていた場所からは『ギャア!』だの『グキャキャ!』といった獣じみた悲鳴、いやさ怪物の鳴き声が響いてきて、二度驚かされた。
後方でも原田の「くそっ!」といった悪態が聴こえてきて、どうやら前後を怪物に囲まれたんだとグラントが朧気に悟った時。
「燃え上がれ!メルトンッ!!」
ジョゼの手には真っ赤な炎球が。
「ボコボコにしてやる、ヒアトンッ!」
フォースの手には無数の氷粒が。
「ぶっ潰れろーッ、ドロー!!」
レーチェの頭上に浮かんだ巨大な岩塊が、それぞれに放たれて、ヒャクメめがけて飛んでゆく。
一息遅れてジャンギの掌からも放たれた風の刃が、原田の目前で怪物軍団を真っ二つに両断する。
前方でも炎と氷と岩の三段攻撃を受けたヒャクメが『ギャギャギャウッ!!』と唸り声を上げた。
こちらは致命傷に及ばず、しかし巨大怪物は地面を掘って地中へ潜ろうとする。
「今だ、発射!」と叫んだのはヨリックだ。
ヒャクメに向けられた機材はプシュッと小さな音を立てて、肉眼では見えづらい何かを発射した。
怪物が全力で逃げていき、辺りに静寂が戻る頃には、すっかり昇りきった太陽が頭上を照りつけており。
「……はぁ〜、なんだよ、これ」とぼやいて、ワーグが尻をつく。
まだ見習いの身だというのに、怪物と真っ向睨み合っての防衛だ。気力が尽きるのも当然であろう。
「初戦なのに、よく頑張ったな。君は、もうソウルズを超えてしまったかもしれないね」
ジャンギに労われたばかりか絶賛されて、ワーグはパァッと顔を輝かせた。
「ほっ、本当ですか?本当に、あのソウルズさんに匹敵するほどの防衛でしたか!?」
「あのって、お前、ソウルズのこと知ってんのか」
空気を読まない小島の問いには、ワーグも心底見下した視線で返してくる。
「知っているに決まってんだろ?片手剣使いを目指す奴の目標だぞ、あの人は」
早くに引退してしまったと聞いているが、よく考えてみればジャンギとはチームメイトだったと言うし、ソウルズに限らずミストやガンツも自由騎士を目指す人々の間では有名なのかもしれない。
「なら、レナって人も知ってる?」
ぽろっと水木の口から漏れた疑問には怪訝に眉をひそめ、ワーグは首を真横に振った。
「誰だ?そりゃ。いや、全然聞いたことねぇな」
慌てたのはジャンギで「し、知らなくて当然だ!彼女は途中で見習いをやめたんだからっ」と口を挟み、水木にはコソッと耳元で囁く。
「レナのことは、ひとまず内緒で頼むよ」
え?と小首を傾げる少女へ重ねて、お願いする。
「戦闘の緊張を保ったままで探索を進めたいんだ。だから、ね?レナの件は寝る前にでも話すとしようか」
どうもジャンギはレナを話題にして欲しくないようだ。
まぁ、学生時代の恋バナなんかを持ち出されたら皆が揃って脱線するのは目に見えているし、戦闘の緊張を保ったまま探索を続けたいとする彼の言い分は、よく判る。
しかしレナ=アピアランスが全くの無名なのも、原田には意外に感じられた。
のちに英雄となる若者の恋人だったんだから、当時の学友が噂を広めていても、おかしくないのだが……
或いは原田が拾い子であるのが非公開情報だったように、レナの失踪も噂に蓋を閉める出来事だったのか。
「それよりも、早く追わないと」とエリシャに言われて、見習い達は彼女を怪訝に見やる。
「追うって、ヒャクメを?」
ジョゼの問いにエリシャは頷き、「さっき探知機を撃ち込んだの。ほら、これを見て」と促されるままに原田も機材を覗き込んでみれば、赤い点が恐るべきスピードで遠ざかってゆく。
先ほど怪物へ向けて発射した見えない何かこそが、探知機であった。
「今すぐ追いかけないと駄目なのか?」とジャンギにも尋ねられ、「こいつはまだ、試作機の段階でね」とオウガが答え、遠方を見やる真似をする。
「はやいとこ追いかけましょうぜ。このスピードじゃ、もうすぐ探知の外に出られちまいます」
なおも「ラクダを疾走させろと?余計な危険が増えてしまうぞ」と渋るジャンギへ「サークライトには逃亡ルートを記録できる機械もあるらしいんですが、アーシスで入手できる材料じゃ、そこまでは作れないと言われました。従って現状は、この試作機を頼りにするしかないんです」とヨリックも口添えして、全員を促した。
「急ぎましょう。探知機のストックは残り二つです、何度も撃ち込める物じゃありません」
「仕方ない……グラントくん、小島くん、馬車を組み直すから手伝ってくれ」
渋々ジャンギは出発を告げて、「俺も手伝います」と腰を上げたワーグが散らばった箱やロープを拾い集める。
先ほどの戦闘で力を使い果たしたと思われるのに、よく手伝おうなんて言葉が出てくるもんだ。
このままでは彼一人にヒーローを独り占めされてしまう。ピコは慌てて立ち上がった。
「ぼ、僕も手伝います!そうだ、ラクダを一箇所にまとめておきますね」
ピコがラクダに蹴飛ばされるのを遠目に見ながら、水木やフォースも慣れない体力作業に加わった。