絶対天使と死神の話

野外実戦編 10.地上の末裔


ナーナンクインへ到着早々、ジャンギと学者達はベネセに導かれて狩り頭の元へ連れて行かれる。
見習いは全員宿泊所の部屋に収まり、一息ついた。
ナーナンクインの宿泊所は丸い建物を連結させた形になっていて、一部屋につき六人まで入れる広さだ。
食事は朝と夜の二回、下女が運んでくる。
到着後も特別に部屋まで運ばれてきて、アーシスでは見かけない料理の数々に子供たちは大いに盛り上がった。
「町周辺に生えてる、あの草って、んむっんむっ、食えたんだな!」
青々とした草のサラダを口いっぱい頬張るグラントを横目に、レーチェは薄緑やら赤やら色とりどりな草の混ざったシチューを一口含む。
まず口いっぱいに広がる甘みを感じ、具として浮かぶ草には柔らかさの中にしっかりした歯ごたえを覚える。
「うぅん、これは……あとでレシピを聞きたい美味しさだね。てか、食堂に置いてほしい〜」
「このメニュー込みで商売にする気だったら、レシピは非公開なんじゃねぇか?」
軽口を叩き、ワーグは窓の外を眺める。
草の表面を見せる丸い建物が不規則に並び、表でしゃがみこんでいる女が先程から力を入れて布をこすっているのが見えるが、もしや汚れ物の洗濯をしているのか。
アーシスでは盥に水を張って揉み洗いした後、紐を通した干し台に吊り下げるのが一般的な洗濯方法だ。
ナーナンクインは水の確保が大変だという話を噂で訊いている。
怪物の体内から水分を絞り出す方法と引き換えに、ナーナンクインの秘蔵レシピを聞き出せないだろうか。
まぁ、それを考えるのは見習いじゃない。現役自由騎士か、商人の仕事だ。
ワーグは溜息をつくと、鮮やかな緑色の草饅頭を一つポンと口へ放り込んだ。

ナーナンクインの狩り頭、ザンカルは草原地帯の現状を一通り聞き終えた後に決断を下す。
アーシスとナーナンクインから、それぞれに優秀な戦士を選出して、本格的な討伐隊を繰り出す作戦だ。
具体的にはナーナンクインの弓部隊とアーシスの片手剣使い及び魔術使い、サポートに回復使いも連れてゆく。
そちらの町長と連携を取りたいと申し出られ、ジャンギは伝言を承諾する。
急いで帰るならばと帰路用にラクダ数頭、それから追加の馬車も借り受けた。
ナーナンクインの馬車はアーシスのポンコツ荷車と異なり、屋根のついた大きな箱を幌ですっぽり覆い隠す形だ。
御者台にも左右に壁が取りつけられており、安全面の高さも伺えた。
「くっ……さすが元祖ラクダの持ち主、屋根壁のみならず簡易結界まで設置済みとは」
馬車止めにて見せられた馬車を前に、ヨリックの口からは悔しさが零れ出てしまうほどの豪華な作りであった。
荷台へ乗り込むと自動的に結界が立ち上がり、馬車そのものを怪物から見えなくする。
女や子供たちだけでの草収集が楽になったと住民の間でも大好評だそうだ。
ただし、現段階で結界が保つのは一日足らずと非常に短い。
まだまだ試作中だが、将来的にはアーシス間の往復手段として活用していく予定だ。
「これを全部草で……いずれは草の活用法も伝授していただきたいものですね!」とは瞳を輝かせたエリシャの弁で、荷台は幌も壁も天井も床さえも、煮詰めた草を張り合わせて作られている。
「本当にすごいな、ナーナンクイン民の発想は。見返りに教えられる知識が俺達にあるといいんだが」
ぶつぶつぼやくオウガを横目に、スタンは機材チェックに忙しい。
「おや、どうしました。計器は故障していませんよ、大丈夫です」と見当違いに労ってくるエリシャを見もせずに、スタンは機材が表示するデータを忙しなく羊皮紙に書き留めてゆく。
「誰も故障は心配していないさ。それより今のうちにヒャクメの生態を詳しくまとめておかなきゃ、あの前頭部ハゲ、また経費を渋って腰が重たくなっちまうぞ」
そこへ「前頭部ハゲって?」と甲高い声が割って入り、顔もあげずにスタンが答える。
「決まってんだろ、ウェルバーグ町長だ。あのハゲは自分じゃ何もしないくせに出費を渋るからなぁ。そのくせアイツがアーシスの金蔵だってんだから、嫌ンなっちまうぜ」
「ウェルバーグって、ウェルバーグ=ダムダム?ミストって人のお兄さんだよね、確か」
「そうだよ、他に誰がいるんだよ、ダムダムなんて変な苗字の――」
そこまで言いかけて、ハッと顔をあげたスタンが間近に捉えたのは、見知らぬ少女が興味深げに自分を覗き込む姿であった。
わ!誰だ、お前」と慌てるスタンにヨリックがゴホンと咳払い一つ。
「こちらはナーナンクインの馬車管理者で、お名前は」
「レナ……!?」と、さらに割って入ったのは、狩り頭との打ち合わせを終えて戻ってきたジャンギだ。
驚愕に目を大きく見開き、少女を見つめている。
少女もジャンギを見つめ返し、二人が見つめ合ったのも、ほんの数秒で。
「違うよ。あたしはマリンダ、レナの娘だよ!ねぇ、ママを知ってるってことは、あなたがジャンギなの?わぁ、ママの言ってた通りだ!」
学者は勿論、ジャンギにも口を挟ませない怒涛の勢いで喋りたてて、さらには勢いよくジャンギに抱きついてくるもんだから、抱きつかれた本人も、そして周りで見ていた学者陣も驚かされた。
それでも「い、言っていた通りって?」とジャンギが聞き返せば、マリンダは「言ってた通りのイケメンってコト!」と笑った。


見習いの泊まる宿泊所にて、ヨリックは皆にマリンダを紹介する。
ナーナンクインで馬車の管理者を勤めているが、草原を横断して現れた移住者らしい。
草を編んだワンピースに身を包み、健康そうな小麦色に焼けた肌を晒している。
大きな瞳は透き通る青、髪の毛は目にも鮮やかな黄緑色。
口元には真っ赤な紅を引いているが、下品にならず彼女に似合っている。
これだけ派手な見た目の彼女を誰も見た覚えがないのでは、彼女の故郷はアーシスでもない。
否、レナの娘だと自己紹介された。
アーシスを出た後にレナは何処かで娘を産み、そして、彼女はどうなった?
父親も、どうしたのだろう。新生ナーナンクインへ辿り着いた時、マリンダは一人だった。
それらを尋ねる前に、本人が語りだした。
「あたしね、森で育ったの。ちっちゃい頃はパパとママも一緒にいたんだけどね、あたしが十六になった日を限りに、ママは精霊界へ帰っちゃったんだぁ。んでパパはショックで寝込んだ挙げ句、死んじゃうしで、仕方ないから、あたし一人で旅に出るコトにしたってわけ!」
とんでもない半生を、さらっと聞かされたような気がする。
「ま、待って下さい?あなたのママ、えぇとレナ=アピアランスですか、彼女は精霊だったというんですか!?」
ヨリックの問いに「多分そうじゃない?」とマリンダは、あっさりしており、母親への未練は一切なさそうだ。
そのママからアーシスの思い出話を、たんと聞かされて育ったマリンダは、一路アーシスを目指して出発した。
しかし途中で飽きてきて、ちょうど見つけたナーナンクインで旅を終わりにした次第だ。
「森林地帯から徒歩でアーシスを目指した、だって?なのにナーナンクインを先に見つけるたぁ、方角がおかしいじゃないか」
しきりに首をひねるオウガを見やり、何を悩むのかとばかりにマリンダが付け足した。
「森林地帯って?あたしが住んでた森は、光の森って呼ばれてたらしいよ、大昔にはね!」
「光の森ですって!?」
再びヨリックが騒ぎ出し、どうしたのかとジョゼに問われた際には古文書知識を披露した。
「光の森はザイナ地方に広がる大樹海だったと記されています!そこから、ここまで歩いたとなると何十年もかかる距離ではありませんかッ」
聞いたことのない地名が出てきてパチクリする見習いには、エリシャが教える。
ザイナ地方とは西大陸の北部に位置した地域で、魔に属する種族が多く住んだとされている。
ザイナ首都にも魔の種族が住み着く中、光の森だけは聖に属する種族が住んでいた。
それが妖精などの所謂精霊族で、光の森の奥には精霊界へ繋がるゲートがあったのではないかと古文書は語る。
亜種族を知らない現住民の理解を超えた話だ。
ゲートとは何ぞや?との質問にも、異世界とファーストエンドを繋ぐ出入口だと学者は答え、レナが精霊界へ帰ったというのはゲートを抜けてファーストエンドを去っていったのではないかという推測で締めた。
ヨリックの疑問に、マリンダは首を振る。
「んー、なんて言ったらいいのかなぁ。あたし、歩いたけど歩いてないっていうか」
「どっちなんですか!」と熱り立つ学者を制したのは、ベネセだ。
「なにかに乗って移動したのか?」
「乗ったっていうか、ホラ」と何もない空中に手をかざすと、マリンダの姿が一瞬にして掻き消える。
「えっ!?」
皆が驚いている間に、少し離れた場所で姿を現した彼女が言うには。
マリンダは幼少の頃より魔法を多数使うことが出来た。
誰に学んだのでもなく、自然と使えたのだと言う。
瞬間移動の魔法も、その一つだ。あの地点まで行きたい、そう脳裏に思い浮かべるだけで呪文が発動する。
その魔法をチョコチョコ使って、ナーナンクインまで来た辺りで旅に飽きたのだ。
「瞬間移動って、輝ける魂だけが使えるんじゃなかったのかよ!?」と驚くオウガへ「いや、違う。古の時代では誰でも使えた魔法だ」と否定しながらも、スタンの目が近くに戻ってきたマリンダを捉える。
本当にレナと血を分けた家族なら、マリンダにも精霊の能力が受け継がれているのではあるまいか。
古文書でも曖昧だった亜種族の能力を解明するチャンスだ。
――もちろん、本人の承諾を得た上で調べるつもりだが。
「もっと、あなたの話を訊いてみたいと我々は思っています。どうですか?あなたのご都合が宜しければ、一緒にアーシスまで行きませんか」
軽い調子でエリシャが誘い、しかしマリンダは首を縦に振ったりはせず、悩む仕草を見せる。
「でも、あたしココで馬車を見張ってないといけないしさァ。よくいるんだよね、オンカに許可取らないで勝手に持ち出そうとする人」
オンカとはナーナンクインの現族長だ。
マリンダは、このたび彼に命じられて馬車の管理者になった。
それまでは無職の身、戦士でもないから肩身の狭い思いをしていたとは本人談。
「でも、今の魔法があるんだったら馬車なんか必要なくない?」
素朴な疑問を呈する水木へパタパタと手を振って、マリンダが言うには。
「この魔法、あたししか運べないんだ。ウン、前に子供たちを楽しませてやろうと思って一緒に飛んだんだけど、あたしだけ飛んじゃって。あとで非難轟々だったよ!」
古来の瞬間移動魔法は何人でも瞬時に長距離移動できたというから、彼女が使える魔法は、もしかしたら精霊だけが持つ特殊能力なのかもしれない。魔法じゃないのであれば、制限がかかるのにも納得だ。
長距離飛べないのも欠点の一つで、地平線に見えるまでの範囲しか移動できないのだと説明された。
小刻みにピョンピョン飛んでいたんじゃ、そのうち旅自体に飽きてくるのも道理である。
「今度から、旅は歩いてしたほうがいいよ。怪物は出るけど、新しい発見があるし」
水木の助言を受けて、マリンダは素直に頷いた。
「そうだね、そうする!って言っても、当分旅をする予定はないけどサ」
馬車の見張り番、この任務を解かれない限り、彼女がアーシスへの旅に出かけることも出来まい。
なら――と、ジャンギが提案する。
「ザンカル氏に頼んで、別の者を管理に回してもらおう。マリンダ、俺も君をアーシスへ招待したい。君が望むなら、アーシスに住居を構えたっていいんだぞ」
「ホント!?じゃあ行く!アーシスに引っ越すよ!」
ジャンギの案には目を輝かせて即答するあたり、馬車管理の責任感など一欠片も持ち合わせていないようだ。
マリンダは喜々として踵を返し、「んじゃー荷物まとめておくね!皆は一泊したら帰るの?帰る時は言ってね、ついてく!」と言い残して去っていった。
「どうして族長ではなく狩り頭に?」と原田に尋ねられて、ジャンギが答える。
「聡明な狩り頭殿なら、マリンダを馬車番なんかに座らせておくのは勿体ないと判るはずさ」
マリンダは亜種族の血を引く娘だ。
おまけに、遠く離れた土地に住んでいた貴重な生き証人でもある。
アーシスやナーナンクインの民が知らない知識を蓄えている可能性は極めて高い。
ひとまずは冷遇されているナーナンクインではなく、アーシスに転居させて様子を見る。
ある程度までなら生活を優遇したっていいし、マリンダが望むならスクールへの入学もアリだ。
そうした目論見がジャンギにあるのは理解できるし、納得もいく。
だがマリンダとジャンギの距離が近すぎる点に、原田は嫉妬の炎を燃やすのであった……
24/07/28 UP

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