絶対天使と死神の話

合同会編 09.お楽しみは夜食の後で


スクール帰りに原田はジャンギの家へお邪魔する。
同行したがる小島と水木を、バッサリ振り切っての寄り道である。
「なんなんだよー。俺達が一緒だと、やりにくいことって!」
ぶぅと頬を膨らませてふてくされる小島には、水木も同感だ。
「ああいうトコ、全然かわらないよね。原田くん」
だが、仕方ない。あまり文句を言い過ぎると、友情にまでヒビが入りかねない。
ぶちぶち文句を垂れつつ、水木と小島は素直に帰っていった。


原田が友人を振り切ってジャンギ宅へ寄ったのは、完全に自分一人の用事だったからだ。
今は家主と揃いのエプロンを身に着けて、必要な道具を棚から出して並べている。
「いや、しかし。聞きたいことがあるというから、てっきり戦闘指南かと思いきや、俺にケーキ作りを伝授して欲しいとはね」
習いたいのはフルーツケーキの作り方だ。
料理は一通り作れるけれど、貧乏暮らしにスイーツ作りを覚える余裕はない。
水木や小島も自分と同じだと踏んで、優雅な生活を楽しむ余裕のあるセレブたる英雄に頼んだのであった。
すみませんと頭を下げる原田に微笑み、頼られるのは何でも嬉しいとジャンギは言う。
「これは何に使うんですか?」との質問にも、笑顔で答えた。
「ボウルを固定するんだ。俺の友人が作ってくれた特別製でね」
棚から取り出したのはボウルや泡だて器といった調理道具の他に見慣れないものが多々あり、その殆どが片腕なジャンギを補助するための道具であると知って、片腕でも不自由なく一人暮らしが出来るのは、これのおかげかと原田は合点する。
しかも全てが手作りの特注品だ。これだけでも友達に恵まれているのが、よく判る。
「それにしてもフルーツケーキか。自分で作りたいと考えたのは、好きな人へのプレゼントかい?」と逆に尋ねられて、ふいっと視線を逸らしながらも原田は正直に頷く。
「お菓子は、これまで全然作ったことがなかったので……買うと高いですし」
「うん、確かに。買うぐらいなら作ったほうが安上がりだ」
他のケーキならともかく、大通りの店でフルーツケーキが売られているのを見た覚えがない。
現物を見たことがない原田には、どんなものか全く見当がつかない。
一体どんな材料で作ればいいのか。
それもジャンギに尋ねると、ジャンギは苦笑する。
「そうか、見たことがないから俺に作り方を……フルーツケーキは原材料が高くつくから、祭りごとでもない限り滅多なことじゃ売られないんだ」
足元の貯蓄穴から瓶を幾つか取り出して、原田に見せてきた。
「店で買う時は予約注文しなきゃならないしね。だったら自分で作ったほうが早い。フルーツケーキで使うのはコレだ、木の実や果物を酒に漬け込んでおいたものだよ」
酒に漬けた果物をケーキの材料に使うと聞かされて、原田の眉間には皺が寄る。
酒は妙な味がするから、料理にもスイーツにも使えないと思っていた。
「その顔を見た限りだと、お酒は苦手なようだね。だが、安心するといい。酒は調味料として使うと、味に深みが出てくるんだ」
こうした知識は、どこで学ぶのだろう?
原田の素朴な疑問にジャンギは「大概は独学だね。自分で実際に作ってみて、あれは駄目だ、これは良いと覚えるんだ」と答えた。
「家庭によっては親が教えてくれるらしいけど、俺の両親はメシを作れる人じゃなかったからね」と苦笑して、ジャンギが原田を見つめる。
「原田くんは、その歳で自炊しているんだろう?すごいね、俺なんて子供の頃は包丁を握ったこともなかったよ」
両親はメシを作れずとも、日々の食卓は下男下女が賄っていたのであろう。
逆にいうと、その暮らしでいながら料理やスイーツを作れるようになったほうが凄いのではあるまいか。
原田の料理も独学だ。
こちらは日々、生き延びるのに必死で覚えた。食べられる味なら何でもいいやつだ。
酒が調味料になるか否かなんて、考えたこともなかった。
「お菓子作りの基本は大抵同じだよ。粉を混ぜて固めて焼くんだ」
ボウルに、どさどさ粉を入れて秤に乗せる。
「細かく分量を決めるのが好きな人もいるけど……俺のやり方でいいかい?」と念を押されたので、原田は間髪入れず頷いた。
良いも悪いもない。
こちらは全くの初心者だし、ジャンギに教えてもらう以上は彼のやり方で覚えるしかない。
「よし、じゃあ位置を替わろう」
ボウルの前に立たされた原田は手渡されたヘラを用いて、ボウルの中身をかき混ぜる。
ボウルの中に放り込まれたのは粉と油の塊と砂糖、それから先ほどの酒漬け果物だ。
「全部同じぐらいの分量にしといたけど、甘さは、お好みで少なくしてもいいかな。ふわっふわになるまで、かき混ぜるんだ」
「ふわっふわ……」
と、言われても。
かき混ぜながら首を傾げる原田に、具体的なイメージ指示が飛んでくる。
「粉のザラザラ感がなくなるまで混ぜるんだ。結構重労働だけれど、これが終われば後は楽だから」
ヘラでかき混ぜた後は、泡だて器でガシャガシャ混ぜる作業が待っている。
原田が必死にかき混ぜている間にもジャンギは次の準備怠りなく、卵を二個割って小さな器で溶きほぐす。
ガシャガシャかき混ぜる背後に回って溶き卵をボウルに混ぜた後は、竃に薪を放り込んで火加減を見る彼に原田は話しかけた。
「ジャンギさんがフルーツケーキの作り方を覚えたのも、誰かへプレゼントしたかったからですか?」
「いや、誰かへのプレゼントというよりも、祭日に売られるケーキがボッタクリだと友人の誰かが文句を言っていたんで、なら自分で作ってみようと思ってね。ただの好奇心だよ」
大人でもボッタクリに感じる店売りフルーツケーキとは、一体どのくらいのお値段なのか。
改めて、作り方をジャンギに尋ねて正解だったと原田は独り言ちる。
手はすっかりダルくなってきたが、もうひと踏ん張りだ。
これが終われば、あとはきっと焼くだけだ。
原田は脳内で武器訓練や腕立て伏せをイメージしながら、懸命にかき混ぜる。
もう駄目だ、これ以上は腕が動かないと思い始めた頃に「よし、そろそろいいかな」と終了の合図がかかり、原田は心底ホッとした。
お菓子作りが、これほどまでに重労働だとは正直侮っていた。
明日は腕が筋肉痛で動かなくなるかもしれない。
最初は右手で混ぜていたのが途中で左手に交代してしまったから、両腕ダウンだ。
これを片手だけで混ぜられてしまうジャンギには、尊敬しか沸かない。
泡立てで力尽きた原田にはジャンギも「お疲れ様」と労わってきて、ボウルから型へ移す作業や竃に突っ込むのは彼が全部やってくれた。
「今日のケーキは、お土産に持って帰るといいよ。一番面倒な作業を君がやったんだしね」
ケーキを焼く間にもジャンギは夕飯の支度を始めており、慌てて「手伝います!」と申し出た原田は「いいよ、腕が疲れているんだろ?しばらく寝室で休んでおくといい。明日もスクールがあるんだしね」と押し切られ、ベッドまで誘導される。
何から何まで至れり尽くせりだ。
ジャンギに友人が多いのは英雄だからってだけではなく、他人を気遣える優しさもあるおかげか。
寝室はジャンギの匂いで溢れ返っており、ふんふんと最初は大人しく匂いを嗅いでいた原田だが、次第に大胆になってきて、掛布団をわしっと掴んで包まってみる。
布団にもジャンギの匂いが染みついていて、まるで彼に抱きかかえられているようで興奮する。
ジャンギに愛撫される自分を妄想したら興奮が止まらなくなった。
擦れあう掛布団の感触に衣類の上からだけでは我慢できなくなり、パンツを脱ぎ捨てて直接布団を押し当てる。
最初は小声でジャンギの名前を呟いていたのが喘ぎ声に変わってきて、やがて汗だくな原田の視線が布団を剥いで覗き込んできた目とかちあい、ようやくハッと我に返ったのだが、時遅し。
「えぇと。原田くん、すまない。夕飯が出来たので呼びに来たんだが……お邪魔だったかな?」
ジャンギにはクスリと笑われ、汗だくのおでこを撫でられて、羞恥心がグングン高まってゆく。
いや、もう、恥ずかしいなんてレベルではない。
他人の家で自慰する非常識っぷりを、家主本人に至近距離で見られたのだ。
今すぐ自害したい。
ジャンギはジャンギで「俺の寝室だと、ちゃんと意識しているのか……嬉しいね」と何やら小声で呟いたかと思うと、無言で固まる原田のおでこにチュッとキスをかましてくるもんだから、原田はますます茹であがる。
非常識を叱るどころか、むしろ好意的に捉えている。
そのようにも感じられる態度だ。
「汗をかいただろう、風呂を沸かしておくよ。それとも、今夜は泊まっていくかい?」
大人の余裕を見せつけてくるジャンギに、原田は無言でブンブンと首を振るしか出来ない。
風呂も駄目だ。また粗相をしでかす自分が予想できる。
ジャンギの匂いが染みついたバスタオルを前にしたら、正気でいられる自信がない。
泊まるのも然り、この家にはベッドが一つしかない。
ジャンギは風呂から一泊まで全拒否する原田をじっと見つめていたが、不意に迅速な動きで原田を抱き寄せる。
「じゃ、ジャンギさんっ!?」と泡食う相手に、再度風呂を薦めてきた。
「夕飯を食べてから帰ったら、家で風呂に入る時間がなくなる。腕を温める為にも、風呂ぐらいは使っていってくれないか?」
どこまでも気遣いの達人なのか、それとも単なる歓迎の意なのか、教官としての心配か。
きっと全部ひっくるめてのサービスだ。
あまり断りまくるのも失礼かと原田は思い直し、風呂を借りることにした。
本音を言うと、ちょっぴり興味がある。セレブ御用達の自宅風呂に。

夕飯は、これまた二人で食べるには少々量の多い肉料理だったのだが、濃い味が苦手な原田でも美味しいと感じられる絶妙な味付け具合で腹いっぱい詰め込んでしまった。
スイーツから料理まで完璧にこなせるなんて、羨ましい腕前だ。
戦士としても強かった上、今でも強さは健在で、おまけにイケメンだとか、天は彼に二物以上を与え過ぎだ。
いや、イケメンイケボは生まれつきとしても、あとの要素はジャンギ自身による努力の賜物である。
食事中に聞かされた料理の豆知識、主に調味料と薬味に関する情報も役に立つものばかりだ。
――ジャンギが自分の親だったら、楽しい生活になっただろうか。
そんなことを、ふと考えて、ありえなさに原田は肩をすくめる。
完璧な人間は他人だからこそ、羨ましいし尊敬の対象になるのだ。
きっと家族や兄弟だったなら、妬ましさに加えて二物を与えられなかった自分が惨めに感じることだろう。
それに家族じゃ、愛する対象にならない。あまりにも身近すぎて。
原田は隣で服を脱ぐジャンギを、ちらりと盗み見て、逞しさに胸をときめかせる。
小島ほどにはムキムキマッチョではないものの、均等の取れた筋肉だ。
英雄宅の風呂は広々としており、二人で入っても充分なスペースを残していた。
一緒に入ろうと誘われて一も二もなく頷いた今は、もそもそ着替えながら隣の裸体に心臓をバクバクさせている有様だ。
恥ずかしさが先に立って、じっと見つめられない。
原田がタオルで体躯を隠していても、ジャンギは文句を言ってこない。
これが小島だったら外せだの隠すなだのと大騒ぎして、無理やり剥ぎ取りにかかるかもしれない。
戸の向こうに広がるのも、自分の家の風呂とは全く異なる景色だ。
まず目に入るのは、ツヤツヤに磨かれた床と壁。
壁際には湯の出る管が通されていて、あれで体を洗うのだと説明された。
中央には大きな浴槽が置かれている。
全てが白い色調でまとめられていて、大層美しい。
原田家の風呂場は、戸を開けたら即風呂釜と対面する。熱い湯に浸かるだけのスペースだ。
然るにセレブとは、空間を楽しむ家づくりが基本なのだ。
一人暮らしといえども、けして手を抜かない間取りに原田は感服仕る。
「原田くん、おいで」と手招きされてジャンギの前に座った原田は、ちょうどよい温度の湯を頭から浴びせられて泡ブクブクに洗われる。
貧弱な身体をジャンギの前で晒すのには抵抗があったものの、泡に包まれたタオルの感触が気持ちいい。
「ん、随分と腕の筋肉が堅くなっているな……泡立ては、いい運動になったみたいだね」
ついうっかり身を任せているうちにタオルは腰からお尻、はては前までゴシゴシしてきて「んぅ……」と小さく喘いだ原田の耳元をジャンギの声が擽った。
「ここも硬くしちゃって……緊張しているのかい?リラックスできるよう、もっと気持ちよくしてあげるよ」
いつの間にかジャンギには背後から抱きつかれており、擦れあう肌と肌が泡でぬるぬるして二倍ぬるぬるだ。
もはや脳内がぬるぬるで埋まってしまうほど、ぬるぬるな感触に我を忘れてしまいそうになる。
このままずっとぬるぬる抱き合っていても良かったのだけれど、再び湯を全身に浴びせられた後は浴槽に放り込まれて、ぬるぬるから開放される。
「腕を、しっかり温めておくんだよ。明日、筋肉痛になりたくなかったら」と笑うジャンギは平常通りで、先ほど抱き着いて原田の大事な部分をタオルでぬるぬる扱いてきた人物と同一とは思えない。
全面的に優しいけれど、掴みどころのない部分もある。
恋人になってくれとは乞わないと言いつつ、先ほどの行為は恋人の如し距離感だった。
ジャンギは原田に対して、どういった関係を望んでいるのだろう?
じっと見つめたら、じっと見つめ返されて、原田の頬は火照ってくる。
何故だろう。彼に見つめられるだけで、興奮が高まってしまうのは。
上手く言葉に出来ないが、小島や水木とは異なる魅力がジャンギにはある。
大人と子供の違いか英雄のカリスマなのかは分からないけど、一つだけ判っていることがあった。
水木や小島、それから神坐と同じようにジャンギも好きな自分がいる、という点だ。
お風呂でポカポカに温まった原田は、お土産にフルーツケーキを持たされて、帰路につく。
「甘えたくなったら、いつでも遊びに来るといい。ただし、君一人でね」とジャンギに囁かれた言葉が、いつまでも耳元に残っていた――
21/09/17 UP

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