「魔法は媒体がなくても唱えられますが、媒体を用いると威力は勿論、範囲も広がります」
エリオットを講師に、ジョゼと水木は媒体の基礎を教わる。
本来、こうした武器に関する話題は武器訓練の際に担当教官が教える知識なのだが、彼らの担任は前衛職であったが為、魔術に関する初歩のイロハは術使いの誰もが教わっていない。
「媒体って何ですか?」
初歩中の初歩を水木が質問してきたので、エリオットは優しく教えてやる。
「初期装備は、あなた方も選んだでしょう?全部ひっくるめて武器と呼んでいますが、魔法の場合は呪文を詠唱する際、身に着けることで魔力を増幅させます」
水木は己の手元を、しげしげ眺める。
彼女の初期装備は笛だ。
笛を吹きながら、どうやって魔力を増幅させるのか。
笛を口に当てている状態では、呪文なんて唱えられないんだけど?
彼女の脳裏に浮かんだ疑問へ答えるかのように、エリオットの解説は続く。
「杖の場合、呪文は口で唱えて杖を握りしめることで魔力を増幅してくれます。笛の場合は、笛に呪文を吹き込むのだとお考え下さい。水晶玉と頭蓋骨は杖と同じですね。両手で抱え込んで呪文を唱えます」
杖と水晶玉は魔術使いの初期装備、杖と笛が回復使いの初期装備、杖と頭蓋骨が呪術使いの初期装備である。
「どの術でも使える杖って万能よね……水晶玉との違いは何なのかしら」
ジョゼの疑問も、エリオットがフォローする。
「大まかには範囲と威力の違いですね。杖は魔術の威力を高め、水晶玉は魔法の範囲を広めます」
広範囲が苦手な人は水晶玉を選び、威力をあげたい人は杖を選べばよいということか。
「ジョゼちゃんは何で杖にしたの?」
水木に問われ、ジョゼは少し考えるふうに空を見上げてから答える。
「家での練習で使っていたから、その流れで……ね。それに、杖以外にも媒体があるなんて知らなかったわ」
そっちこそ何故笛を選んだの?とジョゼに聞き返された水木は一瞬ウグッと言葉に詰まり、ややあって引きつった笑顔で答える。
「え、と。面白そうだったから?」
間髪入れず小島の指摘が飛んできた。
「嘘つけ!身長が足りなくて笛にしたんだろ!?」
小島と原田、それからピコの三人は、陸の指導で模擬戦闘を受けている。
対戦相手は毎度おなじみプチプチ草複数。
主に散弾の防ぎ方を教わっていた。
その最中での野次飛ばしとは、余裕があるじゃないか。
水木が反論する前にハハハと乾いた笑いで雑談を遮って、エリオットは途切れた解説を再開する。
「杖は身長の低い人用のもありますから、ご心配なく。笛と杖の違いも、広角か威力かですね。笛は広範囲複数が対象です。一人一人にかけていたのでは間に合わない場合、笛は効率的に回復できるでしょう」
総合すると杖は、どの呪文でも対一での威力を高める為の媒体だ。
呪術と回復は広範囲を重視したほうがいいとエリオットに微笑まれて、水木は胸を張る。
背丈が足りないからと危惧して笛を選んだのだが、結果としては最善だったのだ。
「術は呪文が基本ですが、笛の場合は少し違います。呪文に対応した楽譜がありまして、それを奏でることで術が完成します」
「つまり……曲を吹くのは口や脳内で呪文を唱えるのと同じってこと?」
ジョゼの推測にエリオットが満足の笑みを浮かべて頷く。
「その通りです。回復使いは呪文を覚えるよりも、笛を装備して楽譜を暗記したほうが宜しいでしょう」
「え、でも」と水木が首を傾げる。
「エリオットさん、この間の戦闘依頼じゃ笛を吹いてないのに原田くんと小島くんに結界をかけてなかった?」
初心者が感じた素朴な疑問を、エリオットはバッサリ切り捨てた。
「結界は対一では、かけられません。常に範囲呪文です。しかも術者から見て前方に広がる範囲を指しますので、背後の仲間にはかけられません。結界に限らず、高位は全て範囲呪文ですね」
「その、高位呪文って何なの?」と、これはジョゼの質問だ。
「五大元素魔法には高位って存在しないんだけど。回復だけの特別呪文なの?」
「そうです」と頷き、エリオットは町の方角へ目をやった。
「自由騎士になれなかった回復使いに使用許可が下りる呪文は回復だけです。高位とは、自由騎士のみに使用が許される援護呪文を指します。高位が存在するのは回復使いだけです。他の呪文、例えば五大元素でしたら、術者の魔力で如何様にも威力を制御できますからね」
「高位呪文は、そうじゃないの?」
首を傾げる水木へも頷いて、結論へ導く。
「呪文の威力は一律であり、自由の利かない魔法です。それだけに扱いが難しく、呪文を覚えるのも制御できるようになるにも一苦労でしたよ、えぇ」
結界を使いこなせるほど修行に明け暮れたのだから、エリオットは優秀な自由騎士だったのだ。
例え、ジョゼにも水木にも現役時代の彼が全く脳裏に描けなかったとしても。
スクールは毎期九十人が受講して、そのうちの半分以上が自由騎士として活動するのだ。
ジャンギぐらいの功績を果たした超有名人でもない限り、とても覚えていられない。
とはいえサフィア教官や隣のクラスの己龍教官には一定のファンがいるようだし、エリオットも何処かでは有名なのかもしれない。
「水木さんは、まず、回復に対応した楽譜のマスターを目指しましょう」
エリオットがポケットから出した紙の束を見て、水木は内心ウェッとドン引きする。
何枚あるのか、ざっと目視で数えただけでも十枚以上の厚さがあるコレを全部覚えろと?
「全てマスターできれば、今よりずっと役に立てます。チームメンバー全員をサポートできるようにもなるでしょう」と、満面の笑みを讃えてエリオットが言う。
そうだ、数の多さにドン引きしている場合ではない。
対アーステイラの為に結界だって覚えなきゃいけないってのに、初歩の魔法で躓いているようじゃ駄目だ。
「ずいぶんたくさん枚数があるけど、回復呪文って怪我の治療だけじゃないの?」
驚くジョゼにはエリオットの訂正が飛ぶ。
「怪我だけが治療ではありません。怪物は様々な特殊能力を使ってきますからね。毒、痺れ、幻覚、睡眠、呪い、等々。各異常状態に対応した呪文を覚えてこそ、真の回復使いと言えましょう」
術使いでは回復魔法が呪文の多さから一番面倒で、次点は発動率の悪さから呪術が大変だとエリオットは顔をしかめる。
「だからといって五大元素呪文が簡単かというと、そうでもないんですよね……広範囲もマスターしたジョゼリアさんなら、お分かりかと思いますが」
「えぇ。状況に併せて加減するのが難しいと、うちの母も言っていて、全くその通りでした」
ジョゼは深々と頷き、水木を見やる。
膨大な紙の束を前に軽く硬直していたはずの彼女は今、一枚一枚手に取って、じっと楽譜を眺めている。
「回復使いは光呪文という攻撃用の魔法を覚えることも出来ますが……水木さんには必要ないんじゃないかと思います」とのエリオットの結論に、ジョゼが「あら、どうして?攻撃の手は多ければ多いほど、チームの役に立つのではなくて」と噛みつけば、救護士は肩をすくめる真似をした。
「チームを組んでいる以上、回復使いは回復で手一杯となりましょう。それに威力面で考えても、光呪文は実用的ではありません」
光に対応する属性は闇だが、闇属性を持つ怪物は現時点で殆ど居ない。
自由騎士の報告でも、遺跡の中に数匹いるかいないかといった話だ。
使い道がないのである。五大元素魔法と比べると。
「笛の吹き方は判りますね?音符に対応した穴を指で押さえて吹き口に息を吹き込むと、音が出ます」
さっそく練習に取り掛かったようで、エリオットの指導を受けた水木が笛をプープー吹いている。
今はまだ、たどたどしくて聴く者を不安に陥れる音色だが、そのうち上手くなってゆくであろう。
さて、自分はどうしよう。
杖は既に使いこなせているつもりだ。
広範囲も対一の威力制御も、ばっちりマスターした。
考え込むジョゼを原田が呼びつける。
「アイムハイ……いや、ジョゼも模擬戦闘に加わってくれ。前衛だけでは、まだ全域を対処しきれそうにない」
わざわざ言い直すあたり、休み前の約束を、きっちり覚えていてくれたとみえる。
「判ったわ、任せてちょうだい原田くん!」
ジョゼは輝きに溢れた満面の笑みを浮かべて、そちらへ走っていった。
合同会を前倒ししろと言ったのは自分だが、まさか二ヶ月も前倒してくるとは思わなかった。
一ヶ月の猶予を見ての戦闘依頼だったのに、これじゃ原田の育成もままならない。
せめて開催日を決める前に、こちらへ連絡して欲しかった。
ジャンギは脳内で文句を並べつつ、表面上は各チームへの指示を飛ばしてやる。
表庭にひしめくのは、どれもサフィア教官のクラスの子だ。
すなわち八割が前衛の脳筋部隊。
血気盛んに飛び込んでプチプチ草の餌食になるのを、まとめて注意する。
どうして脳筋というのは、どいつも猪突猛進に飛び込んでしまうのか。代々伝わる遺伝子か。
原田のチームと比べると、他のチームは統制が取れていない。
前衛が無謀に飛び込んでしまうせいで、後衛には戸惑いが伺えた。
おまけに術を、まともに唱えられるのが一人もいない。
ジャンギは不発続きの術使いへ懇切丁寧な指示を飛ばしながら、生徒を比較してはいけないと己を戒める。
他の子が未熟なのではない、ジョゼが努力家だっただけだ。
未学前に練習してきた子と、今年から始める子を比較するのは無意味だ。
スクール全体で見ると、ジョゼは、そこまで優秀でもない。
ウィンフィルド教官のクラスには術の威力を最大限まで高められる魔術使いや、今の時点で高位呪文にも手の届く回復使いがゴロゴロいる。
もちろん全員、今年学び始めたばかりの術使いだ。
現役時代、魔術使いだった教官に指導されているだけはある。
教官が脳筋なせいで後れを取っている、サフィア受け持ちの術使い達が不憫でならない。
己龍教官は短剣使いだったから一応前衛ではあるが、彼の受け持ち生徒はバランス良く育っている。
どの子も用心深く、警戒心が高い。これも教官の指導の賜物だろう。
サフィア受け持ちの生徒は、とにかく前に飛び出して腕力でぶっ飛ばしたがる傾向にある。
原田とチームを組んでいる小島も、漏れなく猪突猛進で腕力に頼った戦いを好む。
一体武器訓練で何を教えているのか、いや、もしかしたら何も教えていない自由主義なのかもしれないが、前衛がこれでは全滅必至だ。
合同会でもボロボロな成績を残すこと請け合いである。
模擬戦闘を一旦中止させると、ジャンギは全員にチーム戦闘の基礎を叩きこむ。
基礎とは、一人で暴走しない、仲間を思いやる、敵の動きをよく見る、次の手を考えてから行動に移す、互いの行動をフォローするといった基本概念だ。
口答えする前衛は多かったが、死を例えに出すと誰もが大人しくなり、模擬再開後は多少動きがマシになる。
こちらが教えるまでチームの連携意識が皆無に近かったとは、これまでの依頼で、よく大怪我を負った生徒が出なかったものだと妙な感心をしてしまう。
媒体を覚えたおかげか、術使いにも余裕が生まれて魔法の発動率があがってきた。
今日に至るまで武器が媒体に当たることすら知らなかったとは、こちらも驚かされた。
次回の教官継続投票前には町長へサフィアの無能っぷりを申告しておこうと密かに決意を固めながら、ジャンギは模擬戦闘の指導に励んだ。