絶対天使と死神の話

合同会編 05.会いたかった


休み明けのスクールは、二大ニュースが待ち受けていた。
一つは、合同会の開催だ。
合同会とは、三クラス合同でおこなわれる力試しの大会である。
入学の三ヶ月後に行われるのが常だったのに、今年は二ヶ月早く開催すると決まった。
開催は来週頭。
これまでのように内輪的なものではなく、保護者や町の人々を招待して屋台も出る公開イベントになる予定だ。
形式もチーム戦だけではなくソロ戦が追加されたと聞いて、力自慢の前衛陣は大いに盛り上がる。
もう一つのニュースは、前者と比べると非常に些細なものかもしれない。
だが、原田には前倒しで開催される合同会よりも重要であった。


「――神坐さんっ!」
激しい勢いで扉を開いて、原田は保健室へ飛び込んだ。
いた。
椅子に腰かける姿を見た瞬間、目の前が涙で滲む。
「おう。原田、元気でやっていたか?」
ニッカと笑うのは袖のない黒シャツを着た男、神坐だ。
原田の内なる悩みを解消して父親代わりになると言ってくれた彼は、魔力の大幅浪費が原因で冥界へ一時帰還していたが、一週間を以て、ようやくファーストエンドへ戻ってきた。
たかが一週間、されど一週間。
神坐と会えないのが、ここまで心細くなるとは思ってもみなかった。
幼少の頃、目覚めて両親がいなくなったと知った時と同等だった。
話したいことは山ほどある。
神坐がいなくなって、ずっと寂しい想いをしていたこと。
初めての戦闘依頼で、少しばかり鞭の扱いに手ごたえを感じたこと。
大五郎から人形をもらったことも、話しておくべきだろうか?
だが、それらよりも先に話すべきは一つしかない。
「神坐さん、第二の絶対天使が……っ」
話しかける側から、ぽろりと涙が原田の頬を伝い、神坐を慌てさせる。
「お、おう。風や大五郎から大体は聞いているぞ。第二の絶対天使が、お前と接触したんだってな?」
ぎゅっと抱きしめられて、原田は肺一杯に神坐の匂いを吸い込む。
神坐は不思議な香りがする。
他の何にも例えられない、深い香りだ。
深い、深い、穴の底へ静かにゆっくりと沈んでいくようなイメージが脳内に浮かぶ。
嫌いな匂いではない。
どちらかといえば、良い香りに分類されるだろう。
スンスン鼻をひくつかせる原田を見下ろして、神坐が苦笑した。
「えらくフンフン嗅いでっけど、俺、そんなに匂うか?」
「あ……」
我に返った原田は赤面する。
また、やってしまった。
昔から好きな人の体臭を嗅ぐのが好きで、匂いに包まれているだけで幸せになれた。
体臭は相手を構成する成分の一つだ。
その人の性格を表しているようにも思う。
「良い匂いだな、と思いまして……他の何とも被らない、不思議な匂いです」
「そっか。冥界の土は、冥界にしかねぇからなぁ」
「冥界の土?」と首を傾げる相手へ神坐は説明してやった。
「死神は冥界の土で作られるんだ。だから、その土の匂いがするかもってハナシだ」
人類創造の比喩だろうか。人は土より作られしっていう。
いや、でも神坐は神様ではなかったか?
神様も創造神話は、人間と同じ内容なのか。
原田は首を捻ったものの、神坐が先に話題を変える。
「それより、第二の絶対天使がお前に熱愛って本当か?大五郎は激怒していたけどよ」
「そ……そうなんです。突然、性行為を迫ってきて」
思い出すと、背筋が凍りつく。
風やサフィアが説得して追い返したけれど、奴は近日中に再び戻ってきそうな予感があった。
「まぁ、お前が無事で良かったよ。そいつ、アーステイラについては何も言ってなかったのか?」
退治するようなことは言っていた記憶だが、始終愛の囁きをしてくる上、途中からはナンパ自慢大会にもつれ込んだせいで聞きそびれてしまった。
素直に判らないと伝えると神坐は少し考えこみ、結論を出した。
「お前に夢中な間はアーステイラの存在そのものを忘れていそうだけど、お前につきまとわれんのは正直ムカつくなぁ……当分は俺がお前を守ってやるよ。そうだ、いっそ恋人宣言しちまうってのは、どうだ!?」
「えっ!?」
予想外の結論に、原田は耳元まで熱くなる。
「じ、神坐さんが俺の恋人……に、なってくれるんですか?」
聞き返されて、神坐もミスリードに気づいたのか言い直す。
「ん?あ、違う違う、俺とじゃなくて、お前の身近にいる恋人とだよ。いるんだろ?好きな奴。そいつと堂々恋人カミングアウトしちまえっての」
訂正された直後、原田の胸の内で急速に何かが萎む。
胸の奥はチクリと痛み、どこかで期待していた自分を自覚して泣きたくなった。
馬鹿な。一体、何を期待していたんだ。
神坐は最初から原田に好意的だけれど、面と向かって好きだと言われたことは一度もない。
そもそも、彼は仕事でファーストエンドへ来た身だ。
原田を好きだから、守っているのではない。
仕事なんだ。仕事だから、仕方なく守ってくれているんだ。
再び涙が出そうになって瞼をこする原田を、どう捉えたのか、神坐が励ましてくる。
「ま、まさか好きな奴と上手くいかなかったのか?大丈夫だ。俺に任せておけ、仲を取り持ってやるから!」
「いえ……それは、平気です」
原田は小さく囁き、しかし神坐の身体にぎゅっと抱きつく。
いなくなった時の寂しさ、戻ってきてくれた時の嬉しさ。
今なら、はっきり判る。
俺は、この人が大好きなのだ。
神坐とは、ずっと一緒にいたい。
死ぬまで永遠に。
親友にも好きな人にも言えなかった、心の深層で抱えていた長年の痛みを解決してくれた。
誰にも見せたことのない、本当の自分を見られた。
たったそれだけで、神坐は重要な人物になった。
父親代わりじゃない。友情でもない。
水木や小島のように長い年月をかけた信頼ではないが、それと同じぐらいには大切な存在だ。
もっと強く、深く、心身ともに繋がりたい。
だが、この気持ちが届く日は永遠に来ない。
だって恋人宣言に対して、彼は自らを対象外としてきたのだから――
「水木とは昨日……しました、から」
「お、おう。良かったな、想いが通じてよ」
何をと詳しく説明しなくても、神坐には伝わったようだ。
「でも」と続けて、原田は懸念を吐き出す。
「俺に恋人がいると判ったら、ヤフトクゥスは俺に見切りをつけてアーステイラを退治しにいってしまうのでは、ありませんか?」
「あー、なるほど。完全にフッちまったら、仲間にするのが難しくなるってか」
完全にふられる、その一言で跳ね返ってくる心の痛みは尋常ではない。
幸い、神坐は原田を嫌ってはいない。
下手に告白してバッサリふられるよりは、恋心を隠してつきあうほうがマシだ。
ふと、小島の顔が原田の脳裏に浮かぶ。
原田が水木を好きだと発覚してから、俺も好きだと告白してきたのは何故か。
水木に遠慮して、言い出せなかったんだろうか。
それとも、ふられた後を考えて、なかなか言い出せなかったのかもしれない。
今の自分のように。
「神坐さん、は……今、好きな人っていますか?」
核心をついた質問に対する神坐の反応たるや、恥ずかしがるでも狼狽えるでもなく、ポリポリと頬をかき、あっさり答えを寄越してくる。
「他人の恋愛は山ほど見てきたけどよ、俺自身が誰かに恋ってのは、ねーな。うん、改めて考えてみりゃ一度もねぇや。そういう思考に陥ったこと」
まさかの恋愛未経験発言には、原田も二の句が出てこない。
長く生きているようなことを言っていたはずだが、本当に一度も誰かを好きにならなかったのか?
見た目は悪くない。
男女問わずで年上にモテそうな雰囲気がある。
だが、まぁ、町の英雄であるジャンギだって独り身を貫いていたのだ。
神坐が恋愛を知らないピュアな存在だったとして、全くありえない話ではない。
これから恋に目覚める機会も、ありえるだろう。
その時に、原田を好きになって欲しい。
原田に好きだと告白してきたジャンギのように。
「だから好きな人がいるって奴が羨ましくなる時もあるぜ。恋している奴らって、どいつも幸せそうだしな。絶対天使の惚れっぽさも、あれはあれでどうかと思うが、好きな相手に手も足も出なくなるってのは幸せを壊したくない裏返しなんだろ」
「惚れっぽいんですか?絶対天使って」との原田の疑問に頷き、神坐は断言した。
「おう。惚れっぽい上、好きな相手にゃ弱くもなる。だからアーステイラに恋人を当てがう予定だったんだが、あいつ、自分で見つけちまった。まさかピコとラブラブになるたぁ、こっちも想定外だったけどよ。そういや、あいつがいなくなってからピコの様子は、どうなんだ?落ち込んだりしてねーか」
アーステイラがいなくなって数日は、ピコも落ち込んでいた。
しかし最近の彼はクラスの仲良しレディと昼食を楽しんだり、休み時間や授業中はチームメイトと雑談に勤しんだりと、すっかりいつもの毎日へ戻ったように見える。
アーステイラを心配する発言さえ、すっかりご無沙汰だ。
そこんとこが、どうにも原田には納得がいかない。
もし水木や小島が行方不明になったりしたら、原田は一生立ち直れない自信がある。
神坐にしたって、たった一週間の留守で心に空風が吹き荒れる寂しさだったのだ。
「最近は、そうでも……」
口をへの字に折り曲げて、如何にも不満いっぱいな原田を眺めて、神坐は肩をすくめる。
「ふーん。ま、強がっているだけかもしんねぇし、そっとしといてやるか」
現状アーステイラについては、対処しようがない。
ピコとて、わざと忘れたふりをして空元気を出している可能性はゼロじゃない。
神坐の指摘で初めて気づき、原田は狭い推量でピコを責めた自分を恥じた。
「んじゃあ第二の絶対天使は、嫌いでも好きでもない態度で釣っておくか。一応、どこかに一人で出かける時は連絡してくれや。あいつと遭遇しても大丈夫なよう、俺が守ってやっから」
「はい」と素直に頷き、原田は名残惜しげに抱擁を解く。
全然一緒に居たりないけど、そろそろ午前の授業が始まってしまう。
放課後にだって彼とは会える。家も教えてもらったことだし。


昼休みを挟んで午後の実習は、疑似戦闘だ。
休み前の告白を思い出して原田は否応なく緊張が高まってきたのだが、休み前と変わらぬジャンギの態度には拍子抜けする。
笑顔で五人を迎え入れたジャンギの「今日の模擬は、引き続き魔法対策だ」との弁を遮ったのは、小島だ。
「なぁ、模擬やるより実戦のほうが有意義じゃねぇか?今後は全部実技を依頼にしちまうってのは、どうだろ」
勇んだ発言を真っ先に拒絶したのはピコである。
「無茶を言わないでくれ、小島くん!それだと、僕が毎日怪我してしまうじゃないか」
件の戦闘依頼にて、ピコには恐怖が植えつけられたようで、そのように真っ青な顔でブルブル震えられては、誰も小島の意見に賛成できない。
「合同会は来週だろう?今週は大事を取って、例の依頼は全休とさせてもらうよ」
ジャンギは首を真横に小島案を却下した。
「模擬戦闘なら酷い怪我には繋がらない。多少、痛い思いをする程度だ。今回は合同会に備えた模擬をやろう」
怪物舎には同じ目的でか他にもチームが多々集まっており、表庭は蟻の入る隙間もない。
原田チームは例によって裏庭へ通されたが、今日は、いつもと勝手が違った。
「本日はエリオットと陸が諸君らの指導に当たる。二人の指示を参考に、自分なりの戦い方を掴んでくれ」と言い残し、英雄は表庭へ戻っていってしまった。
「エリオットさんが?また結界で守られるんじゃないでしょうね」
悪態をつくジョゼをピコが諫める。
「さすがに模擬で、それはないんじゃないか?それよりチーム戦に備えて、水木さんの魔法を強化訓練できないか頼んでみよう」
「どうして水木だけを?」と首を捻る小島へも、ピコは持論を展開した。
「結界は便利な魔法だよね。魔術対策に使えそうだと思わないかい」
「え、じゃあ今日はエリオットさんに結界を教えてもらうの?あんな難しいの、私に出来るかなぁ……」
一番初歩の回復魔法だって、発動するまでに日数がかかったのだ。
水木の不安をカバーするかのように、穏やかな声が割り込んできた。
「結界は高位魔術ですので、一日二日でマスターできるものではありません。ですが水木さんを強化したい皆さんの気持ちは理解できますし、私も賛成です。本日は回復使いの媒体について、お教え致しましょう」
にこやかに立っているのは杖と笛を手にしたエリオット、背後には陸の姿もある。
「あなた方の受け持ち教官はサフィア=スフィールでしたよね。彼女は脳筋……ンンッ、もとい、魔術には詳しくないので、後衛の皆さんは媒体について学んでおられないのではありませんか?」
エリオットの問いに小島が質問で返す。
「エリオットはサフィアちゃんのこと知ってんのか?」
「そりゃあ知っているでしょう、同じスクールの教官だし」
すかさずジョゼが突っ込み、エリオットも頷いた。
「えぇ。彼女とは見習い時代、同期でしたから」
「そうなんだー!サフィア教官って、現役では何使いだったの?」と横道に逸れたのは水木で、それにもエリオットは気前よく答える。
「拳使いでした。武器はグローブですね。体術で前衛を張ったのですよ」
初日のアンポンタンな自己紹介を顧みるに魔術系ではないと踏んでいたけれど、肉弾派だったとは意外だ。
なんとなく短剣使い辺りではないかと、原田は予想していた。
「私は回復使い、そしてジャンギさんは棒使い――」
ちらっと陸を振り返り、エリオットが彼に尋ねる。
「あなたは何使いだったのです?私の記憶には残っていませんが」
死神は自由騎士ではない。
だが、教官は補助も含めて自由騎士だった者にしか勤められない。
何と答えるのかハラハラして見守る子供たちの前で、陸は平然と嘘をつく。
「鞭使いでした。現役時代は全くの無名雑魚でしたので、あなたの記憶に残っていなくても当然でしょう」
大鎌は自由騎士の初期装備にないから別の武器にしたとしても、あえて原田と同じ武器を選んだのは、どういうつもりなのか。
「ほぅ、鞭。奇しくも原田さんと一緒ですか。では……いいでしょう、今日は私自ら原田さんにスパルタ指導を施す予定でしたが、陸さん。原田さんへの指導を、あなたにお願いします」
ギラリとエリオットに睨みつけられても、やはり陸はクールに受け流す。
「えぇ。お任せください」
「原田にスパルタ指導?なんでエリオットが」と尋ねる小島へは本人が剣呑な目つきで答えた。
「原田さんはスパルタ指導がお望みだと、休日前に申し出ていらしたのですよ。えぇ、私の結界など不要だそうでして。ですから模擬戦闘でもビシ!バシ!指導する予定でしたが、私は水木さんの指導で手一杯となりましょうから、原田さんは陸さんにお任せします」
そうか。
それでか。
エリオットによる原田への嫌がらせを防ぐ為、陸は鞭を得意武器に設定したのだ。
五人は彼の心遣いへ密かに感謝しながら、模擬戦闘の開始を待った。
21/08/25 UP

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