絶対天使と死神の話

英雄編 06.予期せぬハプニング


そこから先はノンストップで集落への疾走が始まるかと思われたのだが――
「ストップ、ストップ、ストーップ!」と叫んだのはジョゼで、見れば内股でぷるぷる震えている。
「ど、どうしたジョゼ!?トラブルか?」
焦る小島へジョゼは涙を浮かべて「ト、トイレタイムをお願いできるかしら」と、彼にだけ聞こえる程度の小声で答えた。
「ハァ〜ン、しょんべん?盛大に立ちションしちまえよ」
およそ気遣いゼロな対応が返ってきて、ジョゼもこめかみに青筋を立ててブチキレだ。
「できるわけないでしょ!?」
かくして一同は一旦停止、荷物から簡易トイレを取り出したジャンギがジョゼに手渡すと、彼女は、もどかしい手つきで箱を地面に置いて上に跨った。
途端に四方をキラキラした光が包み込み、ジョゼの姿を見えなくする。
「ほぉ……すごいな、そこまでコンパクトな結界を作り出すとは」
驚いたのはベネセだけではなく、小島や水木も「そういう風に囲むんだ〜」とか「すげー!本当に透明になったぞ」と騒ぎ、小島なんかは「音は聴こえるっつってたけど、何も聴こえねぇな?」と耳を澄ます真似までする。
「あぁ、あれは跨ったまま動けば、という意味だよ。用を足すだけなら音は漏れないさ」
ジャンギが訂正するのを聞いて、それもそうだと原田は納得する。
いくら姿が消えても外に音が漏れたんじゃ、怪物に見つかってしまう。
「というか、小島くん。おしっこしているのに聞き耳を立てるのは失礼だよ」
水木が珍しく小島のマナー違反を注意する。
小島は肩をすくめて「別にジョゼの放尿にゃ興味ねーよ」と逆らってきて、じゃあ何で聞き耳を立てたんだと原田が問うと、「ホントに音が漏れるのかどうかを確認したかったんだ」と笑顔で宣った。
「なら、自分で使う時にやればいいじゃないか」
原田が言い返すと、「中と外じゃ環境が違うかもしんねーし、自分の音は自分に聞こえて当然だろ?」と返ってきて、どうあってもジョゼの放尿を聴こうとした無礼を謝る気がないようだ。
不意に何もない空間が煌めき、ハンカチで手を拭きながらジョゼが姿を現す。
「……全部聞こえていたわよ、小島くん。あなたって本当に最低ね」
「へぇ、中からは外の音も聴こえるのか!」
ジョゼの辛辣な反応も何のその、小島の興味は簡易トイレに一点集中だ。
「どこで手を洗ったんだ?おしっこでか」
ジョゼは冷たい視線で彼を一瞥したっきりで何も言わず、代わりに答えたのはジャンギだ。
「簡易トイレは、ただの箱じゃない。上に跨ると結界が自動で働き、トイレボックスと使い捨てタンクが展開される仕組みなんだ。用を足した後、タンクの水で手を洗ってから地面に埋めるのをオススメするよ」
「水があるのか!」と見当違いに驚く声へ振り返ると、ベネセが浮かべる驚愕の眼差しとかち合った。
「水があるのか……って、水ぐらいあるでしょ?そっちの集落にも」
水木の問いに、彼女はブンブンと激しく首を真横に振る。
「あるものか!我々は、常に苦労している。水の確保を。砂漠にいた頃はサボティーンが水分補給の役割を果たしていた。だが、草原にサボティーンは生えていない……」
「サボティーン?」
聞き慣れない植物の出現にアーシスの民は揃って首を傾げ、ベネセは悲しげに呟いた。
「砂漠の栄養食だ。あれのおかげで我々の生活は保たれていた。だが、草原でサボティーンは育たない」
サボティーンが、どのような物かは集落で実際に見せてやると言われて、一同は再び走り出す。
途中で何度も、水木や小島がトイレタイムでストップをかけながら。


散々用足しで足止めを食らいつつも草原を疾走して二日後には、ようやく新生ナーナンクインへ到着する。
移動しながらの忙しない食事と睡眠で、ほとんど寝た気がしない。はっきり言うと寝不足だ。
食事にしたって水で戻した干し肉しか口にしていないもんだから、小島が腹減ったと騒いではヤフトクゥスやベネセに怒られていた。
集落に到着した途端、ラクダがクタクタと地面に崩れ落ちるほどの強行軍であった。
反面、神坐とヤフトクゥスは疲労した様子を微塵も見せず、物珍しそうに集落を見渡している。
「へぇ……アーシスとは全然違うんだな、建築」
神坐の真横にピタッと寄り添い、ベネセが得意げに解説した。
それによると砂漠の建築は、本来サボティーンの皮を乾燥させて編み上げる方式なのだそうだ。
草原ではサボティーンの代用として雑草を集めて日に干し、煮汁で張り合わせる方法を採った。
見た目は丸いテントで、草のザラザラした表面を見せている。
アーシスの建築は土を練って固めるか、木材を切り出して組み合わせる方式である。
見た目は四角い箱、砂漠の民とは全く異なる建物だ。
「砂漠の民って草食なんだね。肉は食べないの?」と尋ねる水木へ「いや、本来の我々は草食なのではない」とベネセは目を伏せる。
「かつての我々はサボティーンのみを食していた。あれで全ての栄養が取れたのでな」
いうなればサボティーン食だ。
食べ物が一種類だけで飽きなかったのか?と驚く小島に首を振り、ベネセは自宅に皆を招き入れた。
彼女の家には年老いた老婆が一人いて、祖母だと紹介される。
祖母ベーレルの話によるとベネセの両親は疫病に倒れ、残された娘は弓の腕を鍛えて今や集落で一、二を争う戦士になったそうだ。
現在ナーナンクイン民は、総勢百人に満たない少数民族になってしまった。
街として繁栄していた頃は五百人以上いたというのに。
いつの間にか疫病が流行り出し、薬の場所は占いで判明したが、砂漠との距離がありすぎた。
それまで町の中だけで完結していた民だ。長旅に出た経験は誰にもない。
アービィが勇気ある決断をしなかったら、一人残らず滅亡していたかもしれない。
「サボティーンは町の中で育てていた。無論、外にも生えていたが、私が生まれる前までに栽培は安定して外へ採りに行く必要がなくなっていた。だから、だろうな。砂漠の民は戦いを忘れ、たった二人の若者に未来を託すしか手が残されていなかった」
ベネセが棚の奥から取り出してきたものを、テーブルに置く。
「これがサボティーンだ」
一目見た瞬間、主に女子のジョゼと水木が「えっ……」と絶句する横で、小島が元気いっぱい叫んだ。
「チンチンだ!そうか、サボティーンのティーンってティンティンって意味だったのか!」
「ちょっと小島くん!そんな大声で言わないで」と恥ずかしがるジョゼは頬が真っ赤だし、水木も視線を逸らす。
サボティーンは、奇怪な形状を成していた。
三つ又に分かれた緑色の植物で、左右が短く、真ん中だけ長い。
根元には丸いコブが二つ膨らんでおり、もじゃもじゃした根っこが絡まっている。
パッと見まさに男性の股間を思い起こさせる形で、小島が幼子のようにチンチン連呼してしまうのも致し方ない。
「チンチン?いや、サボティーンだと言っただろう。この先端に吸いつくと、瑞々しい味が口の中に広がるんだ。なんなら実際に食べてみるか?美味しいぞ」
この、と一番長い枝を指されて、ますます女子二人は赤面する。
恥じらっているのは女子だけにあらず、ジャンギやソウルズも困惑している。
「これは、食べるのに勇気がいる形だね……」
原田にしても然り、ジャンギの感想に全面同意だ。
恥ずかしがっていないのなんて、恥を知らない小島の他は神坐ぐらいか。
ヤフトクゥスでさえも眉間に縦皺を寄せて、不快な表情を浮かべている。
「俺は……お前のであれば……」
「ん?なんか言ったかい、ソウルズ」
ボソッと呟いたソウルズは視線をそらし、何度ジャンギに急かされても黙秘を貫く。
室内に何とも言えない微妙な空気が漂う中、神坐が名乗りを上げた。
「んじゃあ、ちょっと食ってみていいか?」
神坐の瞳はキラキラしており、そういや彼は以前よりファーストエンドの食べ物に興味津々だったし、だとすればサボティーンなる未知の植物を食べたがるのも想定内か。
とはいえサボティーンは見るからに猥褻物、これを皆の前で口に咥えるのは羞恥プレイも同然だ。
しかし原田が「待ってください」と声をかける前に、神坐は行動に出てしまった。
「あむ……んむ……」
三つ又の真ん中は長くて口に入りきらなかったのか、はむはむ先端ばかりを咥える姿が淫靡に映る。
いや、淫靡に見えてしまうのはサボティーンの形状が、あまりにも卑猥なせいだ。
じゅぷっ、ちゅぷっ、と口の中で発生する音までもが心なしか淫靡に聴こえてきて、原田はサボティーンを食す神坐から視線を外せない。
吸いあげる際に神坐が発する「ん、んっ」との小さな声が喘いでいるようにも感じられて、己の股間が熱く滾る。
あんな風に優しく咥えられて先端を舐めまわされたりしたら、想像だけで腰が砕けてしまう。
やがて、ちゅぽんっと神坐がサボティーンから口を離す。
口元に垂れた白い汁を腕で拭って、どこか満足したように感想を呟いた。
「んー、うめぇな、これ。無尽蔵に甘い汁が出てくるぞ」
ゴクリと生唾を飲み込んで、小島が前屈み気味に問いただす。
「ど、どんなふうに甘いんだ?」
「どんなって、牛の乳と砂糖をブレンドした感じかな。結構味が強いのに、喉越しサッパリで飲みやすいんだ。おまけに腹持ちもいい。やたら満腹感が得られるぜ。これ一本で一日活動できそうなぐらいにはな」
「その通りだ」とベーレルが頷き、サボティーンの枝を手で擦る。
「サボティーンは万能栄養食。砂漠にしか生えぬのが唯一の難点だが」
今はもう、町を抜け出した時に持ち出した物しか残っていない。
そんな貴重な一本を試食させてくれたのだと知り、アーシスの民は揃って恐縮する。
何度も頭を下げるジャンギに微笑み、ベーレルは問いかけた。
「どうしても気になるというのであれば、交換代価を求めよう。我らは植物以外の食べ物を知らぬ。草原で一番栄養価の高い植物は何だ?」
「我々アーシスの民は植物だけではなく、怪物を狩って食べています」と、ジャンギ。
英雄による怪物クッキング講座が始まる中、退屈なら集落を見物しても構わないとベネセに言われた原田たちは、ソウルズとジャンギを家の中に残して外へ出てみる。
ベネセも一緒についてきて、ナーナンクインの現状を解説し始めた。
「集落として落ち着いた今、我々は草原に住む民であれば新入りを歓迎している。あの家など、まさにそうだ。つい最近、引っ越してきたのだ。いや……行き倒れていたのを助けた、とでもいうべきか」
えっ?となって全員で真新しい家を見つめる。
この辺りで行き倒れていたとなると、アーシスの自由騎士だろうか。
しかしアーシスとナーナンクインを比較したら、圧倒的にアーシスのほうが大きいし品揃えもいいはずだ。
わざわざ小規模の、しかも余所者だらけの集落に落ち着くメリットが見あたらない。
元気を取り戻し次第、方位魔石を使ってアーシスまで戻ったほうが快適な生活を送れるであろう。
「移住者って多いの?」と水木に尋ねられて、ベネセは「そう多くもない」と答えて、先ほどの家に目をやる。
「これまでに移住してきた新入りは僅か三名だ」
つられて、もう一度新家を見やった原田たちの目が捉えたのは――

漆黒のドレスを纏い、頭には二本の角を生やし、毒々しい真紫の髪の毛を後ろでポニーテールに縛り、色つき眼鏡をかけた赤い瞳の怪物であった。

「へっ……?」
しばし、互いに見つめあった後。
一番最初に我に返ったのは、ヤフトクゥスだった。
「貴様、アーステイラ!?何故貴様が、のうのうとナーナンクインに住み着いている!」
指さし泡を食う絶対天使へフフンと嘲る視線を向けて、怪物――ではなくアーステイラが応える。
「この近くで行き倒れていた、わたしに手を差し伸べて下さったから、お礼に移住してあげたのです」
斜め上の返答に原田たちは再び「ハ?」となるしかない。
両者を交互に見つめたベネセが、不思議そうに問いかけてくる。
「どうした?皆も彼女を知っているのか」
「どーしたも、こーしたも!」
身振り手振りで大袈裟リアクションな小島の横でジョゼも叫ぶ。
「そ、そうだわ、ピコくんは!?ピコくんも一緒なの?」
「やぁ、僕がどうかしたのかい?」
返事は案外近くで聞こえてきて、慌てて振り向いた原田の目に映ったのは、派手な柄シャツを着て両腕に雑草の詰まった袋を下げたピコの姿であった。
「ピ、ピコくん!?ホントにピコくんなの?」と大騒ぎな水木へも頷くと、ピコは優雅に髪の毛をかきあげる。
「正真正銘、僕だとも。アーステイラと一緒にお腹を減らして倒れた僕に甘美な食べ物を恵んでくれたのが、ここナーナンクインの皆さんだったのさ。だから僕と彼女は、お礼に周辺の草を選別する仕事を引き受けたんだ」
草を刈り取るのは男衆がやっている。
アーステイラとピコは、刈り取られた草を袋に詰める担当なのだそうだ。
アーステイラがナーナンクインに住もうと、集落住民が許可した以上は原田が口出しする問題ではない。
問題は、ピコだ。
「ピコ、無事なら何でアーシスへ帰ってこなかったんだ」
ピコは見た処ピンピンしており、気のせいか日に焼けて横幅も増している。
集落の民に食料から身の回りの世話まで全お任せして、怠惰を過ごしていたのは想像に難くない。
眉を吊り上げてのご立腹に、しかしピコはナンセンスとばかりに肩をすくめる。
「僕一人で、ここからアーシスへ戻れと言うのかい?随分と非道な発言をするようになったじゃないか、原田くん」
確かに、ラクダで二日かかる遠距離を少年一人で移動するのは無理がある。
かといってアーステイラを同行させたら、アーシスで騒動が起きるのはピコでなくても想像余裕だ。
彼の選択肢は最初から一つしかなかった。
ここに留まって、アーシスの自由騎士が探しに来てくれるのを待つしか。
原田は「すまない、想像が欠けていた」と謝り、ちらりとアーステイラの様子を伺う。
彼女はベネセを挟んでヤフトクゥスや神坐と話しており、時折ヤフトクゥスが感情に任せて怒鳴ってはベネセが仲介で宥めに回るのを繰り返していた。
「原田くんは、どうして第二の絶対天使と一緒に行動しているんだ?」
ピコに尋ねられて、原田は「神坐さんが連れていくと言い出したんだ」とぼやき、逆に尋ね返した。
「アーステイラの様子は、どうなんだ?集落では大人しくしているのか」
「皆と仲良くやっているよ。僕が思うに、あのまま浄化しなくていいんじゃないか?」
ピコの結論を遮るかのように、アーステイラの怒号が響き渡る。
「よくなーい!」
何が良くないのかと驚いていると、ずかずか近寄ってきたアーステイラが原田へ向けて喧嘩腰に言い放つ。
「あんた、わたしを治しに来たんでしょ!?だったら、さっさと元の姿に戻してよね」
怪物化した理由自体が自業自得なのに何でか彼女は偉そうで、原田はムッとなる。
浄化にしたってアーステイラが逃げ出したりしなければ、もっと早くに解決できたはずだ。
さっさと治して帰りたいのは、こちらとて同じ心情だ。
浄化するには原田が彼女を殴ればいい、といったようなことを大五郎辺りが言っていた記憶だ。
ひとまず、原田は殴ってみた。
アーステイラの頬を平手打ちで。
パン!と軽い音が木霊して、数秒後にはアーステイラがブチキレる。
「いきなり何すんのよ!痛いじゃないッ」
駄目だ、全然戻る気配がない。アーステイラの容姿は醜いままだ。
首を傾げる原田の元に神坐が駆け寄ってきて、間違いを指摘する。
「違う違う、原田。浄化ってのは魂を正常に戻すんだ。姿の変貌が与えられた罰なら、犯した罪への懺悔を必要とする。相手の本音を吐かせるにゃ〜説得すんのが一番だが、素直に言うことを訊くタマじゃない場合はガチンコバトルするしかねぇな」
「何よ、それ。ゴメンナサイとか何の話?」
本人までもが話に混ざってきて首を傾げるのへはヤフトクゥスが答えた。
「貴様が地べたに額をつけて、心から正晃に謝罪すれば絶対天使に戻れると言っているのだ。ごめんなさい、自らの誓いすら厳守できない能無し愚かで醜く卑小な私めが悪うございましたとな」
……などと見下し視線のおまけつきで高飛車に命じられたとして、誰が素直に言うことを訊けるだろうか。
「だっ、だーれが!謝るもんですか!!」
案の定アーステイラは顔を真っ赤に全拒否、取り付く島もない。
「ちょっと、言い方ァ!」とジョゼが非難するのを横目に、神坐が原田へ耳打ちする。
「言い方はアレだが、要点は掴んでいるぜ。罪を犯した咎人が本心で謝罪しなきゃ浄化にならねぇんだからな」
やはり、どうあっても彼女とのガチンコバトルは絶対に避けられないのか。
原田は深々と諦めの溜息を吐き出すと、アーステイラへ話しかける。
「アーステイラ。ピコはアーシスへ連れ帰らせてもらう。だが、お前も、このまま放置するわけにはいかない」
「ハ?だったら早く、わたしを浄化してよ」と膨れっ面になる彼女へ指を突きつけて、挑戦状を叩きつけた。
「お前が俺に土下座謝罪をするか否かを賭けて、俺達と勝負しろ。浄化できるかどうかは、その勝負にかかっている……だが、無理に勝負を受けなくてもいい。どうせ怪物化した今のお前じゃ俺達には勝てないだろうしな」
バカハゲと蔑んでいた相手に挑発されて、大人しく黙っていられる少女ではない。
「いいわよ、やってやろうじゃない!あんた達がチョーシ乗ってられんのも、ここまでなんだからね!!」
アーステイラは口から唾を猛烈飛ばして、挑戦状を受け止めたのであった。
22/02/14 UP

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