絶対天使と死神の話

定められし天命編 08.最終進化


輝ける魂の能力を使いこなすと決めて以降、原田は毎日修行に明け暮れる。
輝ける魂だけが使える魔法だけではない。
回復や五大元素魔法の習得も修行のメニューに加えられた。
自分は魔術使いではなく鞭使いになりたいのだと申し出る原田に、神坐が言うには。
「お前が自由騎士を目指す理由は、幼馴染を守りたいってんだろ?だったら手数は多けりゃ多いほどいい。鞭を使えて魔法も使えるとなったら、かなりの広範囲を守れるようになるぞ」
試し撃ちと称して彼の放った赤い火球が草原の彼方で多数の怪物を燃やし尽くすのを眺め、新たに気持ちを切り替えた原田であった。
修行は夜で終了となり、憩いの一時が待っている。
野外でありながら周囲を結界で守られている上、食事と風呂と寝る場所の三点セットが揃った完全設備だ。
修行の初日、寝る場所はテントだとして風呂は一体どうやって用意するのだろうと原田は首を傾げたのだが、大岩が見る見るうちに削られて、中央に空いた穴には宙から湯が注がれる。
これが風呂だと風には説明された。
食事は神坐が獲物を狩ってきて、先程たらふく食べたばかりだ。
見たことのない怪物の肉でも美味しく食べられたのは、きっと味付けが良かったおかげだろう。
「岩を出したのも穴を空けたのも、全部魔法でやったんですか?」と尋ねる原田に、大五郎は「いや、我らの特殊能力よ。空間転移の応用だ」と答え、風呂の準備ができた後はテントへ潜り込んでいった。
せっかく風呂を作ったのに、自分は入らないのか。
怪訝に眉をひそめる原田へ神坐が言う。
「お前が一番風呂だ。俺達は、その後で入るから気にすんな」
いつの間にか風も姿を消しているし、二人とも人前で裸になるのを躊躇う原田へ気を遣ったに違いない。
神坐だけは側に残っていて、ちらりと原田が彼を見やると、にっかと笑われた。
「初日からぶっ続けの修行で疲れただろ?背中を流してやるよ」
「えっ……あ、あの、その……悪いです」
いつぞやの妄想が脳内にリフレインしてきて瞬く間に原田はボッと赤く染まったのだが、神坐は聞いているのかいないのか、空間から手ぬぐいを取り出すと、片手を布にかざす。
「悪いって何が悪いんだよ?気持ちいいぞ〜、風呂入りながら背中を流してもらうのは」
なめらかな液体が神坐の掌を流れ伝い落ちたかと思う暇もなく、手ぬぐいが白いブクブクとした泡に包まれる。
原田が何を言おうと背中を流す気満々だ。
「い、いや、でも、神坐さんが、濡れて……しまいます」
口では断りつつも妄想は留まることを知らず、原田の脳内では裸の神坐が妖艶に微笑んでおり、ぴったり背中越しに寄り添われる構図を想像して股間が熱く滾ってくる。
風呂に入る前から茹だり気味な原田を見て何を思ったか、神坐は「ん、そうか」と服を脱ぎにかかった。
「神坐さん!?何を」
「背中を流すってのに服を着てちゃ、おかしいよな。お前が言いたいのは、要するにそういうことだろ?」
妄想が現実になりつつある。
原田が止めても神坐の脱ぐ手は止まらず、いや、そればかりか原田のほうへも神坐の手が伸びてきて、シャツを脱がしにかかってくるではないか。
「あ、やっ、待って、待ってください、神坐さんっ!」
神坐の手が乳首の上をこすり、反射的に原田はビクンと身体を震わせる。
しかし、そんな仕草にも神坐が何かを勘づいた様子はなく、強引に服を脱がす手は止まらない。
「遠慮すんなって。さっさと風呂で疲れを取らないと、明日がキツイぞ」
むき出しの尻に神坐の体温が伝わってくる。
「あっ……」と原田が動揺するうちに身体が宙へ浮び、背後から抱きかかえられたんだと判る頃には熱さで全身を包まれた。
浅いかと思われた穴は意外や深く原田をすっぽり飲み込み、熱すぎず温すぎずの湯が全身を解しにかかってくる。
家の風呂より具合が良いのではないか。原田は、うーんと勢いよく伸びをした。
「どうだ?気持ちいいだろ」
神坐に訊かれて「……はい」と答えた原田は、再びチラリと彼を見やる。
痩せすぎず太りすぎず、均等の取れた肉体だ。
下腹部を覆う毛は黒々としており、それでいてボウボウではない。
大きさや太さも自分と大体同じぐらいか。それ相応のサイズのものが、ぶら下がっている。
ふと、無遠慮に眺めている自分に気づき、原田は勢いよく湯に顔を沈める。
恥ずかしい。ジロジロ品定めるする自分を見て、神坐はどう思っただろう。
「全身まで熱が行き渡ったら、一旦あがれよ。身体を洗ってやるから」
神坐はテレたり眉をひそめたりもせず、先と変わらぬ笑顔で此方を見つめていた。
全然まったく意識されていないんだと考えると泣きたくなるので、原田は無理やり思考を切り替える。
初日の今日、修行は想像を実在化するところから始まった。
脳内で思い描いた形を放つのは、これまで自分が放ってきた魔法まんまだから、それ自体は、さほど難しくない。
難しいのは、死と再生のイメージだ。
新しい命が誕生する瞬間も、老いた人間が死ぬ瞬間も、どちらも見た覚えがない。
アーシスに墓場は存在しない。
死を悟った年寄りは皆、街を出ていく暗黙のルールがあるせいだ。
弟や妹もいない。
そもそも両親が幼い頃にいなくなった原田に、新しい命の誕生など見られようはずもない。
今日は死の瀬戸際にある兎を見せられた。
吐く息は弱々しく、微かに背中を上下させるばかりで身動き一つしない。
じわじわ弱っていくのが、見ているだけでも伝わってきた。
毛並みもバサバサで汚らしく、原田の知る兎とは全く姿が異なった。
これが寿命による死なのだと考えると、ぞわっと背筋を悪寒が走る。
寿命を伸ばすには死の淵にある姿を想像しろと言われたが、死ぬ直前のジャンギを想像しただけで原田は涙が出そうになる。
今は若々しく見えるジャンギも死の淵に立つ時には、髪の毛がバサバサになって呼吸一つするのが精一杯、手足一本すら動かせなくなるのだろうか。
延命の術は習得する意欲を、どうしても削がれてしまう。
しかし、これこそが修行の第一目的だからして、嫌がっている場合ではない。
原田は次に、再生の術を思い返す。
再生とは、少し前まで時間を巻き戻すことだと風は言う。
肉体を全盛期まで巻き戻して細胞の活性化を促すのだとも説明されたが、正直に言って理解が追いつかない。
よく判らないまま、ウンウンと頷いておいた。
再生が成功すれば、ジャンギの失った片腕が元に戻るらしい。
今だって充分すごいのに、全盛期のジャンギは英雄と呼ぶに相応しい強さと機転を兼ね備えていたと聞く。
全盛期の棒さばきを、直にこの目で見てみたい。その為にも、再生の呪文をモノにしなければ。
再び老いたジャンギを脳裏に思い浮かべようとして、じわり涙ぐんだ原田へ遠慮がちな声がかけられる。
「なぁ、そろそろ全身に熱が行き渡ったんじゃないか?これ以上入っていると、のぼせっちまうぞ」
我に返った目に映ったのは神坐の全裸で、かぁっと全身の血が頭にのぼった原田は目眩でクラクラした。
「ありゃ、もうのぼせちまってたか、よいしょ……っと」
両腕を引っ張られる格好で風呂から連れ出された後は、素っ裸のまま神坐に担がれてテントの中へ運ばれる。
逆らおうにも動けない原田は、仰向けでシーツの上へ寝転された。
団扇でパタパタと仰ぎ送られてくる風が、火照った身体に心地よい。
「一日目だし張り切りすぎたんだろ。今日は、このまま寝ちまえよ。大丈夫だ、お前が風邪をひいたりしないよう身体は拭いといてやっから」
どこか見当違いに労ってくる神坐の言葉が右から左へすり抜けて眠りかかった原田であったが、さわさわと手ぬぐいで胸のあたりを撫でられた瞬間、全ての意識が戻ってくる。
「わ、わぁぁっ!?」と起き上がろうとするのは片手で押さえつけられ、なおも原田の全身を手ぬぐいで拭いながら、神坐が笑う。
「いいから、いいから、無理すんなって。これから毎日、お前の体調管理を俺が見てやる。風呂と飯は俺に任せておけ、常に万全の状態で修行できるようにしてやるぜ」
親切で言ってくれているのは判る。彼に何の下心がないことも。
しかし、「はは、ココんとこも突っ張っちまってんな。そんなに気持ちよかったか?岩風呂は」と手ぬぐいで怒張したナニをゴシゴシされては、眠ろうにも眠れたもんじゃない。
さすがに風と大五郎は原田の様子に気づいたか、風が「拭くのは、それぐらいでいいだろう。早く服を着せてやれ」と神坐を促した。
神坐も屈託なく「おう」と頷き、やはり空中から服を取り出すと慣れた手つきで原田に着せてゆく。
真新しい黒シャツと黒いズボンだ。神坐とお揃いの格好だが、シャツの袖は破れていない。
今日着ていた分は明日洗濯すると言い渡されて、再び団扇で仰がれているうちに、原田を睡魔が襲った。


そんなわけで初日はドタバタのドキドキ展開に悩まされた原田だが、何度も同じ事を繰り返しているうちに慣れてきて、来る日も来る日も魔術の修行に明け暮れる。
五大元素は火、水、風、土の四つを完璧にマスターしたと思えるし、やや発動が不安定ではあるものの、回復もモノにした。
闇の呪文だけは、何をどう頑張っても発動しなかった。
輝ける魂の属性に関係するのではと風は予想し、五大元素魔法の修行を一旦終わりにさせる。
残る本命、輝ける魂だけが使える魔術は、真っ先に蘇生の術を会得した。
攻撃呪文で倒した怪物を生き返らせる。その繰り返しだ。
つい先程まで生きていたんだから、想像するのは簡単であった。
次に再生の術、こちらも怪物を実験台にした。
一部分だけ攻撃呪文で吹き飛ばし、死なない程度に傷つけるのは却って加減が難しい。
殺生と蘇生と再生は一括りの修行だ。
何度も殺生を繰り返し、蘇生させては一部分を吹き飛ばす。
そして、吹き飛ばした箇所を再生する。これを幾度となく繰り返した。
こう何度も命を殺め続けていたんじゃ原田の気が狂ってしまうんじゃと大五郎は心配したのだが、風は容赦なく修行を続けさせ、原田も真面目に取り組んだ。
命を取り続けることで気が狂うというのなら五大元素を唱える術使いは全員気狂いになってしまうし、自由騎士の任務には怪物退治も含まれる。
人間を実験台にしていたならともかくも、怪物にかける情けは一切ない。
怪物は人間を襲う害獣だと町の人々からは繰り返し教えられていたし、スクールでも倒すべき存在だと教わった。
怪物を殺して蘇生や再生させるのは、一種の作業にしか感じない。
だが――本番は違う。ジャンギ、人間を相手に延命及び再生の術をかけるのだ。
失敗を考えるなと風には重々、念を押されている。
脳裏に失敗を思い浮かべた時こそが、失敗の瞬間なのだとも言い含められた。
魔術は想像であり、創造でもある。成功した形を思い浮かべなければ、習得した術も上手く発動しまい。
最後の延命、これが一番困難を極めた。
どうしても年老いた人間の姿が原田には想像できず、最終的には何処かの世界から呼び出されたサンプルを間近に見せられる。
初めて人間の老体を見た衝撃が冷めやらぬまま、長く生き続けた結果を脳裏に焼きつけておけと命じられた。
人間の老体は、兎の老体と似て非なる姿だ。
手足はおろか全身が枯れ木のように細く朽ちて、髪の毛が一本も残っていない。
前のめりに背中が折れ曲がり、顔は皺だらけ、落窪んだ眼窩で落ち着きなく此方を見つめていた。
自分と同じ人間だとは到底思えない。
ほとんど別の生命、枯れた植物ないし怪物のようだ。
だが、風はこれが人類の最終体形だと言う。
本来の生態であれば、いずれ老いた暁には原田や水木も、このような姿になって死ぬはずだったのだとも。
原田が記憶したと答えるや否や老人は元の世界へ還されたが、今の衝撃で彼が死んでしまいやしないかと原田は密かに心配した。
だが、サンプルを心配している場合でもない。
そこから先は毎日延々、延命の想像をする修行が始まった。
脳裏に老人を思い描き、想像した長命を魔力として若い生命体へ注ぎ込む。
言われる意味が判らない上、想像するのにも限界を覚えたが、攻撃魔法と同じで手をかざせば魔力が注がれるのだという風の説明の元、原田は無我夢中で繰り返した。
その結果が出たのは、ちょうど修行を始めて一ヶ月が経った日。
ポンとした拍子で、術の成功を告げられた。
まるで実感がわかない成功だ。
ぽかんとする原田に、風は何度も術を繰り返させて、ようやく修行の終わりをも告げる。
「一ヶ月で全てを習得するとは俺にも予想外だった。賢者ゼトラの血縁とは、相当高い能力を持つ一族だったのだな」と褒められて、原田は首を傾げる。
輝ける魂とは賢者ゼトラの生まれ変わりだと伝えられているはずだ。
生まれ変わりではなく血縁としたのは、どういった理由であろうか。
不思議がる原田に風が淡々と持論を解く。
「これまでに輝ける魂は複数発現したと、この街の書には記されている。なら、生まれ変わりではなく子孫だと考えるのが妥当だ。子孫であれば記憶を引き継いでいない点にも説明がつく」
輝ける者がゼトラなのではなく、ゼトラの血を受け継ぐ一族こそが輝ける魂なのだという説だ。
原田の実の両親もゼトラの末裔だったのではないかと風は推測し、話を締めた。
「さぁ、修行は終わりだ。術が実感を伴った以上、失敗は万に一つもあり得ない。ジャンギの元へ行くぞ」
背後では大五郎が後片付けに入っており、彼がテントや岩風呂を空中へ放り投げた途端、それらは全てパッと掻き消える。
空間から物を出し入れするのは死神が使える特殊能力だと言っていたが、あれが自分にも使えたら便利だろうと原田は考え、羨ましくもなった。
何か、あれの代用となれる術を使えたりしないんだろうか。輝ける魂は。
じっと黙って大五郎を見つめる原田に、神坐が耳打ちしてきた。
「ゼトラの残した術ってやつァ、今回覚えたやつだけじゃなさそうなんだ。ジャンギを延命させた後で時間があったら、そいつも探してみようぜ?」
「はい」と頷く原田を他所に、風はさっさと帰路につく。
神坐にも帰りを促されて、原田は死神たちと共に街の入口まで歩いていった。
22/08/20 UP

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