今日に至るまで、森林地帯は深層部へ辿り着いた自由騎士が一人もいない。
意図的に侵入妨害を行われていたんじゃ、それも当然であろう。
「ここより先は我ら以外、通り抜けを禁じていた。だが、今回は特別だ。我らの元へシャンティを連れてきた礼として、特別に入れてやろう」
行き止まりの袋小路、その奥にあるのは身の丈ほどの大きさの鏡――とでも呼べばいいのだろうか?
鏡の表面は七色に光り、常に渦巻いている。
ファントムが掌をかざすと、眩い光が全員の目を焼く。
「ぐぁ!眩しッ」と驚いているうちに、瞬時に別の場所へ移動した。
「えっ?ど、どこだ、ここ」
キョロキョロする小島の目が真っ先に捉えたのは、正面の奥にある巨大な樹木だ。
てっぺんは天まで届くんじゃないかというほどの高さだが、森へ入る前、あのような大木を見た記憶がない。
「どうだ、驚いたか?ここは我らが町、深層のローゲルリウナだ」
どこか自慢げに語るモジャモジャ頭をバックに、なおも原田は周辺を眺める。
きちんと整備された町でありながら、あちこちに花が咲き乱れ、小鳥がさえずり、緑に囲まれている。
建物は段々重ねの石造りで、どの家も苔むしている。どこかから焼き立てパンの匂いが漂ってきた。
「我らは結界の中に町を作った。疫病が外へ漏れぬよう」
「えっ、疫病!?」と叫んだコーメイへ頷くと、ファントムが町の経緯を語る。
ローゲルリウナの基礎を作り上げたのは、第四次聖戦の終戦前後でモンスターに追われて森へ逃げ込んだ人々だ。
森の中で暮らすうちに疫病が蔓延して、マナ汚染された住民は異形の姿に変化した。
今は森の中だけに留まっている病原菌も、外の人間が入り込めば世界中にばら撒かれよう。
住民は異種族の力を借りて町全体を結界で囲み、外の人間を追い返すべくモンスターを手懐けた。
森で長い年月を過ごすうちに、特異な能力を持つ者が一人だけ産まれるようになる。
異種族の者いわく、それは過去に崇められていた善神ゼファーの化身だと言う。
神の化身は不思議な力を持ち、生まれながらにモンスターや動物、植物とも心を通い合わせた。
町は化身を中心として長らく円滑に回っていたのだが、ある年に産まれた化身が消息を絶つ。
調査の結果、外にいる異種族へ手引きした住民がいた。
その誘拐事件が起きて以降、神の化身は町から永遠に失われてしまった……
「ちょ、ちょっと待って、異種族って外にも中にもいるの!?」
「神の化身って輝ける魂だよね?そんなにポンポン生まれていたんだ、ここでも!」
当然のことながら原田たちは大混乱。
口々に騒ぎ立てるのを手で制し、ファントムは一つずつ答えてゆく。
「まず、ローゲルリウナに長らくいたとされる異種族は、我らの先祖が精霊界より召喚した者たちだ。今では異種族の存在も召喚魔法も、歴史書に名を残すのみだがな。種族名はエルフ、フェアリー、ウィスプといったそうだ」
「え。あれ、ウィスプって怪物じゃありませんでしたっけ?」
コーメイの質問はジャックスへ向けたもので、ジャックスも頷き返す。
「あぁ、森を漂う怪物なんだが、そうか、元々は此処で呼び出された種族だったってか」
「そのとおり、彼らはまとめて精霊族と呼ばれていた」
ファントムも同意を示し、さらにと話を進める。
「お前らが輝ける魂と呼ぶ、その者は」と原田を顎で示し、じっと見据えた。
「善神ゼファーの化身だ。聖なる属性と強大な魔力を誇り、使えない魔法など一つもない。過去に存在した魔法でさえも使いこなす。神の化身は今の世代が死ぬと、次の周期で再び産まれる。記憶は引き継がれないが能力は引き継がれ、あとに産まれる子どもたちを病原菌からも守ってくれた」
「病原菌って森中に蔓延しているんじゃないのか?」とリントに尋ねられて、そうだとした上でイレントが言うには、善神ゼファーの化身が町にいるだけで病原菌は威力が薄まり、新しく産まれてくる子も本来あるべき人間に近い姿で産まれてきたという。
「この町から出ない限り、新生児は侵食されない。神の化身が町にいれば……の条件つきではあったが」
今は長らく不在だった為、本来の姿で産まれてきた子ども達も大人同様、侵食されて緑色に染まってしまった。
「……拙者たちには移ったりしないでござるよな?」
今頃になって不安が増してきたのか、隼士がヒソヒソと隣の謙吾に尋ね、謙吾も素早く辺りを見渡す。
「今のところ、誰も緑色に染まっていないようだが」
小声での相談だったというのに、ばっちり聞かれていたらしく、ズシーには苦笑される。
「善神ゼファーの化身が森に入った時点で、周辺のマナは清められた。そうでなくとも、お前たちは化身と長く共に住んでいた。恩恵は、その身に充分すぎるほど受けている。疫病への耐性として」
「……そうか、それで」と小さく呟いたベネセに「何か思い当たることがあった?」と水木が尋ねれば。
「いや、過去ナーナンクインの近くまで来ていたのに、何故アーシスで疫病は蔓延しなかったのかを考えていた」
「あぁ」と相づちを打ったのはジャンギで、「町に立ち入りこそしなかったけれど、疫病の範囲まで近づいていたかもしれないね。なのに何故、病原菌はアーシスで発病しなかったんだろう?」と首を傾げる。
「簡単な話だ」と、ズシーは言う。
「汚染は長くマナと接触することで発病する。少し近寄った程度では感染も侵食も起こらない。おまけに属性によっても耐性差が出るのだ」
「属性って怪物だけじゃなくて、人間にもあるっていうの?」
ジョゼの問いへ頷いたのはイレントで、属性は生まれついての他に育った環境でも変化するらしい。
ローゲルリウナ住民は土の属性を持つ。
化身は聖で、かつて森に呼び出された精霊族も聖属性であった。
「お前たちはバラバラだな。そこの女児からは水を感じるが、お前からは風の匂いを感じる」
「女児って」と不満げに頬を膨らます水木はさておき、お前と指をさされたジャンギは尋ね返した。
「見ただけで判るのかい?」
「勿論だ。伊達にマナに侵食されてはいない」と自信たっぷりにファントムは頷き、踵を返す。
「ついてこい、食事を用意しよう。安心しろ、化身がいる以上、お前たちに感染はない」
全員が心配を看破されていたようだ。
あちこちで漏れる安堵の溜息や小声での「よかったぁ」といった呟きを背に、森の住民は歩き出した。
ファントムの自宅と思わしき建物まで近づいた時、表玄関が勢いよく開いたかと思うと、緑色の少女が飛び出してきて「おかえり!シャンティ」と叫んで原田へ抱きついてくるもんだから、抱きつかれた原田は勿論仰天、小島や水木も黙っていられない。
「だ、誰だテメェ!」「原田くんに馴れ馴れしく抱きつかないで!?」
「ハラダクン?」と首を傾げる少女を、そっと後ろへ押しやり、ファントムが呆れ顔で補足する。
「シャンティにつけられた今の名だ。外の世界で健やかに育てられていたらしい」
続けて原田たちには「妹のランシゼーだ」と紹介し、衝撃の事実をも告げる。
「シャンティのフィアンセでもあり、それだけに心配は我ら以上のものがあった。無礼を許してくれ」
「フィアンセ!?」
ジョゼやリント、見習いの視線が少女と原田に一点集中する。
少女は例に漏れず素っ裸だが、全身緑色なためか他の住民同様、卑猥さを感じない。
「産まれたばっかの赤ん坊に婚約者がいたのかよ。ってーと、あんたは、この町の権力者ってとこか」
ワーグの推理に「権力は持ち得ないが、俺の家は代々化身に仕える神官を勤めていた」と肯定するような返事をして、ファントムが原田へ視線を移す。
「フィアンセと紹介はしたが、過去の約束でしかない。好きな相手がいるのであれば、その者と添い遂げてくれ」
「ちょっとー!アニキが妹の幸せを願わないって、どういうコト!?」
当の妹は膨れっ面だが、ファントムはまるで意に介さず会話を締めくくった。
「我らは化身の幸せを何よりも求むのだからな」
「それよっか、一目で判ったのは何でだ?こいつは赤ん坊だった頃に誘拐されたんだろ」と神坐に尋ねられて、ランシゼーは「そりゃあ判るよぉ、ピッカピカだもん!」と笑顔で答える。
「ピッカピカって、頭が?」とのガンツの追い打ち質問にも、マイペースに「魂が!」と答えた。
「属性だけではなく魂の輝きも感知できるのか……」と呟くソウルズの傍らで「お前ら、もう人間やめちゃってるんだな!」と小島の無礼が放たれて、死神以外の全員が動揺する。
「小島くん!失礼だよ、謝って!!」「こんな姿でも人間だって言われたばかりでしょ!?」
「そういや、ここの住民は皆、どうして服を着ないのでござる?」
ひそっと隼士に尋ねられ、ランシゼーは一瞬ポカンとした後、ややあって苦笑いを浮かべた。
「あー、だってねぇ。お洒落したって見せる相手がいないし、ここって年中気温が安定していて寒くも暑くもないしねぇ。服を着る意味がなくなっちゃったんだよね」
「今の若い連中は、そう言うが」
ゴホンと咳払いで遮り、本当の理由をファントムが話す。
身体の隅々までマナの侵食を受けたローゲルリウナ人は肌で気配や魔力、属性といった種の持つ特性を感知する。
服を着ると、それらの感知力が鈍るので、あえて服文化を捨て去った。
全ては森へ入り込もうとする部外者を追い払うために。
「だが十七年前、悲劇が起きた。住民の一人が心の闇を突かれ、外の世界の異種族と取引をした。異種族は住民の手引きで町へ入り込み、まだ赤子であったシャンティを連れ去っていった……」
「心の闇って?」と尋ねる水木には「好奇心だ。外の世界への」と短く答え、ファントムは頭をふる。
「俺達は結界の中に封じ込められたも同然だからな。文献を読んで外の世界へ憧れを持つ若者は多い」
「あなたは持たなかったの?」とのチェルシーにも、ゆるく首を真横に振ってファントムは否定した。
「侵食された身だ。この姿で森の外へ出たとしても不幸にしかなれん」
ふとピコの脳裏をよぎったのは、闇堕ちしたアーステイラの姿であった。
あの時、皆は口々に彼女を怪物扱いして大騒ぎしていたっけ。
ピコからすりゃあ、どんな姿になろうとアーステイラはアーステイラだ。
むしろ何故、皆が大騒ぎするのか理解できずにいた。
ローゲルリウナ住民にはピコも驚いたが、こうして見慣れてしまうと、普通に言葉も通じるし人間じゃないか。
服を着ないのだって、そういうファッションなんだと捉えれば許容範囲である。
それにしても、とピコの思考は横道にそれる。
小島くんに水木さんにジョゼさん、それから要さんとチェルシーさんにも好かれているし、ジャンギ教官には依怙贔屓されて、死神にも一目置かれている処へ、さらに婚約者の登場だ。モテモテじゃないか、原田くん。
「さぁー、しんみりするのは後にして、食事にしよ!」
パンパンと手を叩き、ランシゼーが場の雰囲気を吹き飛ばす。
「ねね、これ、あなたは食べたことないんじゃない?砂肝魚っていうんだけど、美味しいよ!」
ぐいぐい料理の乗った皿を押し付けられて、辟易しながら原田は少し離れた席へ腰掛ける。
砂肝魚とやらは皿の上で細長い体を横たえていたが、やたらスパイシーな香りを放ってきて、味付けが濃そうな予感を原田に与えてきた。
「そうだな。ローゲルリウナの名産、シャンティには、じっくり味わってもらおうじゃないか」
笑うズシーは「味わうのは原田くんだけ?」と水木に突っ込まれて、言い直す。
「いや、あんたらにも味わってもらうぜ。それじゃあ、シャンティの帰還を祝って乾杯!」
「乾杯!」とつられて全員が、緑の液体の入ったカップを天井へ掲げた。