東:ワーグチーム
野営は何事もなく過ぎて、翌日は朝食後に再び森の奥へ進む探索が始まる。歩きながら何度も肩をコキコキさせるレーチェにファルが話しかけた。
「どうしたの?テントで寝違えちゃった?」
「あ、はい……すみません、さっきからずっと背中と肩が痛くて、なんか怠くて」
そう答える間も背中をしきりに擦るレーチェの後ろへ回り、ファルが小さく呪文を唱えると。
「……え、あれ?痛くない!?え、嘘!さっきまでずっと痛かったのに!」
ふわっと暖かい光が差したのも一瞬で、痛かった部分が何処だったのかも判らなくなる。
「はい、これでおしまい。他の子も、痛いところがあったら言ってね。治してあげる」
「今のは」と驚くソマリへ「骨折治癒の呪文よ。骨以外に体の怠さや筋肉痛にも効くから覚えといてね」とファルは答え、ひとくちに治療呪文と言っても応用は複数あるのだと教えてくれた。
「すごい……!どれが何に対応しているのか、ぜひ教えて下さい!!」
たちまちキラキラと羨望の眼差しになったソマリに頼まれて、ファルが寛大にも「いいわよ〜、あなたには何でも教えちゃう!」と喜んでいる間、辺りを油断なく見渡していた焔がボソッと呟く。
「気づいたか?」
「え?」と反応したマーカスが何かを尋ねる前に、「囲まれているな」と風が僅かに顎を引いて応えた。
「え!?」と再度驚くマーカスへ無言で頷くと、焔は先頭を進むソウルズを呼び止める。
「敵の気配が我々の元へ集まりつつある。動くよりも待ち構えるとしよう」
だが、ソウルズは「あぁ、気づいていた――が、このまま進むぞ」と首を縦に振らない姿勢で、マーカスは三度驚かされる。
何故だ。囲まれていると判っているなら、焔の言う通り立ち止まって迎え撃ったほうが楽だろうに。
「囮になるのか?」との風に、目線は森の奥へ併せたままソウルズが話を締める。
「あぁ。敵が俺達を狙うというなら好都合だ。このまま此方へ引きつけておこう」
「え、ま、待って下さい!」
今度こそマーカスは会話に割って入り、ソウルズへ尋ねた。
「怪物が集まってきているって、俺達を狙っているって、どうして!?」
泡を食う彼と比べたら、ワーグやソマリの反応は冷静で。
「怪物の中にリーダー格がいて、私達を意図的に追いかけている。そういう解釈で宜しいですか?」
ソマリに問われたソウルズは「そうだ」と頷き、「これまでの森林地帯では考えられない事態だが、気配を辿る限り、奴らは俺達を囲む陣を崩さずに動いている」とも付け足した。
何度も驚愕と混乱とで叫ぶマーカスをBGMに、ワーグも尋ねた。
「俺達が囮になるとして、どのタイミングで倒すんですか?数が多かったら、まずいことになりませんか」
四方を囲まれたら如何な凄腕の引退騎士といえど苦戦するのではないか。
たった四人で全員を守りきれる数なら、囮作戦もありだろうが。
「数は二十。この辺りに出現する怪物は魔法生物と羽根女、それから鬼火の三種類しかおらぬ。全てが空を飛ぶが、盾役が引きつけて受け流せば」
焔の発言は「二十ッ!?」と怪物の数の多さに驚いた見習いの叫びで後半をかき消される。
しかし「数は多いが問題ない」とは風の弁で「俺が魔法で吹き飛ばす」とのこと。
ソウルズも「魔法で吹き飛ばし損ねたやつを俺と焔で叩く。おびき寄せるのは、この先にある袋小路を背にできる場所だ」と答えた。
「袋小路!?」「そんなトコに入り込んだら、こっちがヤバいんじゃ!?」
大騒ぎな見習い連中へソウルズが言うには、袋小路は木々が密集して生えているから怪物に背後を取られることもない。敵の数が多い時は、あえて袋小路で待ち構える策もあるのだとか。
「魔法、使えるんですか。何魔法ですか?」とエルヴィンに尋ねられて、風は短く「風の魔法だ」と答える。
名前が"風"だから得意魔法も風なのかなぁとグラントが考えている間にも、先頭のソウルズは迷わず歩いていく。
かなりのブランクがあるだろうに、未だ袋小路の場所を忘れていないとは大した記憶力だ。
「ねぇ、まっすぐ歩いていくけど大丈夫?」とファルが声をかけて、ソウルズは「なにがだ」と振り返る。
「ここは森よ?袋小路の場所も変わっちゃっているんじゃないかしら」
「え?」と、またまた驚愕のマーカスにも判るよう、ファルが言い直す。
「樹木には寿命があるのよ。以前は密集していたとしても、今は枯れちゃった可能性だってあるわ」
だが、ソウルズときたらフンと鼻息一つでファルの予想を吹き飛ばした。
「貴様こそ引退ブランクが長すぎて忘れてしまったようだな」
「な、なにをよぉ」
「前を見ろ。日の差す箇所が多いか少ないかぐらい、貴様の老眼でも確認できるんじゃないか?」
「誰が老眼よぉ!!!」とプンスカ怒るファルはさておき、見習いもつられて前方を見やる。
正しくは前方に広がる木々の生い茂り具合だ。
これから向かう先は、足元の草が今いる場所よりも数段薄暗く陰っている。
「樹木が密集すればするほど日は差し込まない。夜の暗さに匹敵する場所は袋小路の行き止まりだと思ったほうがいい。それにな、樹木に寿命があるのは当然だが、学者の研究によれば森林地帯の大樹は最低でも五十年持つとされている。俺の引退時期からの換算で考えると、まだ枯れる年数ではなかろう」
「へぇー」と皆揃ってソウルズの豆知識に感心する中、ソマリは、ちらりとファルを見た。
思いっきり見習いの前で間違った知識を披露してしまって、彼女が傷ついていやしないかと心配したのだ。
ファルはしゃがんで、足元の花を見ていた。
「わぁ、プリアティアが咲いているじゃない!ねぇ、蜜を集めておきましょ。二人とも手伝って」
そればかりか焔や風を巻き込んで、せっせと蜜集めしているではないか。
これっぽっちも傷ついているようには見えない。心配して損した。
思わずジト目になるソマリへソウルズがボソッと助言する。
「ファルを心配したのか?あれは相当図太い神経の女だから、何か失態をかまそうと気にしなくていいぞ」
昔の仲間だった割には、ぞんざいな扱いだ。
文句を言おうとして、ふとワーグの視線に気づいたソマリは、言い返す代わりに全く違う質問をした。
「いえ、その。私ごときが心配するのは失礼というものでしょう。それよりもファルさんが集めているプリアティアの蜜って、何の効用があるんですか?」
ワーグの視線はソウルズの顔に一直線、その目つきときたら恋する乙女のようではないか。
入学前から彼がソウルズに憧れているのは知っていたが、そこまで夢中だとは思わなかった。
下手に文句を言おうもんなら、ソマリの印象がワーグの脳内で悪くなってしまう恐れがある。
「あぁ、それは」とソウルズが答えるよりも先に本人が答える。
「体に塗ると火傷耐性がつくのよ。紅茶に入れて飲めば風邪の予防薬にもなるわ。しかも森林地帯でしか採れないレアレア薬だから、薬屋に売りつければ高値で買い取ってもらえること間違いなしっ!」
勢いよくVサインを突きつけられて、ソマリの中でファルへの憧れがガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
街で訊いた武勇伝では女神の如く凛々しい立ち回りの回復使いなはずなのに、現実の彼女は、えらい軽薄で、魔術使いミスト=ダムダムばりの守銭奴じゃないか。
人の噂というのも案外あてにならないものだ。
まぁ、後半の発言はさておき、これから襲い来る予定の怪物には炎の魔法を使うのも含まれているのだろう。
火傷耐性のつく薬を集めておこうと考えるからには。
つまり、それは――守りきれない可能性をも意味しているのではないか?
護衛に守られる立場とはいえ、ソマリは極力パーティーの足を引っ張りたくないと考えている。
今の段階の自分に、最小限のダメージで防げる方法はないものか。
他の面々も同じ想いなのか、レーチェが「私も魔法を唱えたほうがいいですか?」とソウルズへ尋ねた。
ソウルズは「いや、魔法の使い手が分散するのは余計に危うくなる」と即答し、風を一瞥する。
「一斉に襲いかかってきたところを風の魔法で吹き飛ばし、追撃を俺の盾で流して焔が退治する。その策でいく」
「一応結界も、かけておくわね」とした上で、ファルは見習いの面々に小瓶を差し出した。
先ほど集めた蜜の入った小瓶だ。ちゃんと人数分に分けてある。
「それでも防ぎきれなかった時の用心で、これを肌に塗っといてね」
「は、はい!」と返事をして素直に塗り込む見習い達を見て、うんうんと納得する焔の目がマーカスを捉える。
彼一人だけ呆然と佇んで、しかも顔色は真っ青、涙がとめどなく頬を伝って零れ落ちていた。
防衛しきれない可能性があると聞かされて、とうとう恐怖が限界値を超えてしまったのかもしれない。
見習い時代には、よくある反応だ。特に外での探索を始めたばかりの時期には。
己龍組は退治依頼も始まっていたはずだが、恐らく彼はずっと退治を避けていたのであろう。
これもまた見習いあるあるというやつで、臆病なくせに好奇心の塊な子に多い。
「ひゃー、ベタベタァ」だの「俺ってばイイ匂いがする!」とはしゃぐ面々をよそに、マーカスを抱き寄せる。
「安心せぃ。お前は儂が守ってやろう」
抱き寄せられても我に返らず、泣き続けるマーカスを抱きかかえて歩かせる。
そんなヘタレた様子を心底軽蔑の眼差しでチラリと見た後、ワーグはソウルズの傍らへ戻った。
何か言い出す前に「万が一にもないとは思うが、俺が防衛し損ねた分を、お前の盾で弾いてくれるか」と頼まれて、ワーグは「は、はいっ!」と上擦った返事をしてから、何故自分にはレーチェのように余計な真似をするなと言わなかったのかを考える。
もしや、地獄の特訓成果を今の段階で見せてみろと期待されているのではあるまいか。
もし、そうなら自分の実力をアピールする大チャンスだ。
前方に真っ暗な場所が見えてきた辺りだった。
突然、焔が大声で「走れ!袋小路まで全力疾走しろ、襲ってくるぞ!」と怒鳴ったのは。
「う、うへぇぇええ!?」と動揺しつつ、見習いは勿論、護衛も全力で走り出す。
先頭のワーグが辿り着いたか否かのタイミングで風が振り返り、大鎌を大地へ突き刺した。
同時に一行を取り巻く形で旋風が出現し、襲いかかってきた羽根女を『グキャアァァァ!』と吹っ飛ばす。
否、吹っ飛んだというよりも切り刻んだといったほうが正しいか。
眼の前で緑の体液が派手に飛び散り、切り傷まみれと化した羽根女の死体が何体も四方へ放り出される。
同時には飛びかかってこなかった魔法生物が炎の術を撃ってきて、前方の炎はソウルズの盾が防ぎ、右手からの炎は焔の大剣が吹き消して、左手からの炎は見えない壁、ファルの結界で弾かれる。
だが袋小路だと安心していた方角、背後からもボッと大きな音を立てて赤い塊が飛んでくる。
まったくの奇襲なれど、ワーグは咄嗟に盾を突き出した。
「く、うっ!」
ズドンと重たい衝撃を盾に受ける。これも魔法生物の炎魔法だと思うが、足がズズッと後ろへ押された。
まさか、魔法に自分が押し負けるなんて。
合同会で受け止めた見習いの魔法なんか比にもならない威力だ。
驚愕のワーグは「伏せろ!」とソウルズの声に命令されて、訳が分からないまでも言われた通り腰を落とす。
頭上をぶぅんっと一薙ぎの旋風が走って、次の瞬間には真っ赤な血がビチャッとワーグの頭に降り注ぐ。
右手でも轟音の旋風、これは焔の大剣だろうがグシャッと複数の怪物を叩き潰す音と断末魔が響き渡り、ついでにメキッと樹のへし折れるような音も聴いた。
全てが終わって、ホッと一息つくレーチェの耳をファルの怒号が劈く。
「もう、袋小路に追い込もうって言い出したのは誰よ!?全然安全じゃないじゃない!」
「安全だとは誰も言っていない」とやり返し、ソウルズはしゃがみ込んだままのワーグを立たせてやった。
「す、すごい」
ポツリと呟いたのはエルヴィンだ。
「ねー、すごいよねワーグ。よく受け止められたじゃん、完全に死角だったのに」とレーチェが言うのを遮り、尊敬の眼差しを風に向ける。
「すごい威力でした、あの風魔法!どうやったら、あんな威力が出るんですか!?」
「え、そっち?」と呆れるレーチェには、グラントも同感だ。
「引退騎士なんだし、あれぐらいの威力は出せるよなぁ」
とはいえ、ぐるぐる周囲を回るような使い方は初めて見た。
後でやり方を教えてもらおうとレーチェは密かに考えた。
それにしても、やはり一番すごいのはワーグだ。
よく死角からの炎魔法に気づけたもんだ、自分たちと同じ見習いのくせして。
「炎、突き抜けてきたよな」と呟くグラントに「そう……だね。燃やしたんじゃなくて間を抜けてきたよね」と答えるレーチェへ「違う」とダメ出しを入れてきたのは誰であろう、風だ。
「違うって何がですか?」との切り返しには「炎魔法に転移の術をかけて、此方側へ出現させた奴が居る」との返事に、護衛までもが「えっ!?」と驚愕する。
「何故そうと言い切れる?」
「というか、そんなことって可能なの?魔法に魔法を重ねがけするなんて」
焔とファル、二人がかりの問いにも風は素っ気なく「あの瞬間、怪物とは違う気配が出現した。やったのは、そいつで間違いあるまい」と答えた。
だが、この答えは護衛の三人に衝撃を与える。
断言してもいい。先の戦闘で感じ取れたのは三種類の怪物の気配のみだった。
ソウルズやファルほどの熟練でも感知できなかった気配を、無名の風が察知していた事実に焔は愕然となる。
見習いが奇襲へ対応できたのにも驚かされた。
あの時は全方向から炎が飛んできていて、どれか一つの音に反応するなんて到底不可能だったろうに。
「どうやって気づけたの?」とレーチェに尋ねられて、「音が……したんだ、他の呪文とは違う音が」と答えるワーグは全身返り血でびしょ濡れだ。
「何処かで綺麗に洗い落とさんといかんな」と呟くソウルズに、焔が北東を指さす。
「あちらに自然湖があったはずだ」
今度は自然湖を目指して歩き出した背中を追って、「焔さんも覚えているんだ、この辺の地形」と囁いてきたレーチェに「あの人達が覚えているってこたぁ、まだ探索は序盤も序盤なのか。序盤でコレって、ハードすぎるんじゃないの森林地帯」とグラントがぼやく。
辺り一面、緑やら赤やらの流血で草木が染まっており、えらく凄惨な状況になってしまった。
これでまだ序盤だと言うなら、奥地では、どんな激戦が繰り広げられるのやら。
ふと、おとなしいマーカスに目を向けてみれば、白目をむいて倒れているのが見えた。
「ほらー、寝てないで行くよマーカス」
「寝ているんじゃなくて気絶しているんじゃないのか、コレ」
無理矢理叩き起こそうとするレーチェを押し留め、グラントはマーカスを肩に担ぎ上げる。
気を失った見習いは彼一人だけで、ソマリは黙々とワーグの後を追いかけ、ワーグはソウルズと何やら雑談していて楽しげであるし、エルヴィンの視線は風に集中しっぱなしだ。
なんとも気弱な足手まといがパーティに入ってきちまったもんだとグラントは考え、今後の依頼でも足を引っ張られそうな杞憂に溜息を漏らしたのであった。