昼休みから午後の授業にかけて、たっぷりピコとベッドで愛し合ったアーステイラは幸せの絶頂にあった。
自分が何をしにファーストエンドに来たのかを忘れてしまいそうになる程には。
しかし、これでバカハゲとバカゴリラへの恨みが帳消しになるかと言ったら、そんな事は全くなく。
奴らに受けた恥は、きっちりお返しさせてもらう。ピコとの恋愛は別問題だ。
情事を終えた後、ピコは授業に出てくると言い残して保健室を出ていき、アーステイラはドレスを着直しておく。
ついぞ最近ムシャクシャしていた自分へ幸せをくれたお礼に、絶対の願いは彼の分をかなえてあげよう。
今のところ、ピコの心を探っても強い願いを読み取れない。
彼の思考は常に自分自身への賛美で溢れており、現状に満足しているようでもあった。
ピコは何故、自由騎士の道を進もうと考えたのであろう。
家族は母一人の生活保護区外だが、父一人の水木や大家族な小島と異なり、生活費の工面には苦労していない。
アーステイラのチームメイトと一緒で、単にお金が稼げるから、町の外へ自由に出かけられるから、なりたいのかもしれない。
ファーストエンドへ来たばかりのアーステイラであれば、強い志を持たないピコに幻滅したかもしれない。
だが、今の彼女は違う。ピコに熱烈な愛を向ける一人の乙女だ。
彼がそう考えているのであれば、お金稼ぎも外への冒険心も目標としてアリだと思う。
そのうち、強い願望を持つ可能性だってあるんだし。
廊下が騒がしくなり、何気なく扉へ意識を向けたアーステイラは、あっと叫びそうになって口元を塞ぐ。
がらっと扉が開いて、ぞろぞろ入ってきたのは原田率いるチームご一行ではないか。
「原田くんは知っているかもしれないけど、改めて紹介しよう」
ピコが満面の笑みで、こちらへ手を差し出してアーステイラを面々へ紹介する。
「こちらが僕の新しいガールフレンド、名前はアーステイラさんだ」
「え……えぇ〜〜〜〜っ!?」
水木と小島の大合唱が響き、原田は叫びこそしなかったものの目を丸くして、アーステイラを凝視する。
ジョゼは三人とピコ、それからアーステイラの顔を順番に見やり、「えぇと……おめでとうと言っておくべきなのかしら?」とクールな反応を見せた。
彼女とも以前一度だけ会ったはずなのだが、忘れられてしまったようだ。
「もちろんだとも。ありがとう、ジョゼさん」
ピコは力強く頷き、アーステイラの横に立つと、彼女の肩を抱き寄せる。
「彼女が僕に告白してくれたんだ。僕の美しさに目を奪われて、一目惚れしてしまったのだと。嗚呼、罪深きは僕の美しさかな。そして僕も彼女の愛を受け止めた。僕ら、ラブラブなんだ。そうだよね、アーステイラ」
午前中まで、そんな前振りは一切なかった。
では、この恋は今日の昼休みに発生して一気に盛り上がった即席の恋愛なのか。
「スゲー!」と何が凄いんだか、小島の口を称賛が飛び出した。
「お前が好きなのは、お前自身かと思ってたけど、ちゃんと他の子も好きになれるんだな!」
褒めているんだか貶しているんだか微妙な誉め言葉に、ピコは気を悪くした様子もなく髪をかき上げる。
「ふふっ、当然だよ小島くん。僕は僕が一番美しいと信じて疑わないけれど、他人の美を受け止める美意識も持ち合わせているんだよ。なにより僕の美への理解者を、僕が好きにならないはずがないだろう?」
突き詰めれば結局、一周回って自分が好きなだけではないか?とジョゼや原田は首を捻ったが、うっとりピコを見つめるアーステイラは気づいていないようだし、野暮なツッコミはナシってもんだ。
「もぅ〜ピコってば、すっごくテクニシャンなんだもん。わたし、はじめての相手があなたで良かったわ」と語尾にハートでもつきかねないベタベタした甘え声で擦り寄り、アーステイラがピコに媚びた目で笑いかける。
「は、はじめて?って、恋愛のことだよね?」
泡食う水木に見下し目線を向けたのも見間違いかと思うほどの一瞬で、アーステイラは頬に手をあてて恥じらってみせた。
「さっき、ここで愛を確かめあったの……キャッ」
たった一言で、二人が午後の授業時間中に何をしていたのかが全員に伝わり、保健室は動揺に包まれる。
「え、ちょ、えぇ〜っ!?お前、手が早すぎね!」
小島の非難も何のその、ピコは腰に手をやり受け流す余裕の態度。
「愛は燃え上がっているうちが華なのさ。僕を求めるレディに恥をかかせるわけにはいかない……判るだろう?」
「全然わかんねーよ!」と小島にキレられても余裕を崩さず、ピコは優雅に微笑んだ。
「きみも誰かと恋に落ちれば判るようになるよ、小島くん」
この余裕は何なのだ。アーステイラ以外とも経験があるのか。
彼がクラスの女子と何人か仲良しなのは知っている。
顔よし性格よしなポジティブ思考だから、ピコが女子に好かれるのも判る。
しかし、まさか、まさか全ての人々を見下しているとしか思えない高慢な絶対天使までもがピコへ愛を告げるとは、原田は驚きすぎて開いた口が塞がらない。
意味深な発言をそのままの意味として受け取ると、二人は性行為まで済ませた間柄だ。
いくら一目惚れだからといったって、昨日までは全くつきあいのなかった赤の他人だ。
だというのに、そんな簡単に体を許してしまうアーステイラが信じられない。
元々信用ならない相手だと思っていたが、そこまで軽薄な奴だったとは心底軽蔑だ。
ポカンと呆ける原田へ目をやり、アーステイラが意地悪く笑う。
「あら、原田くん。馬鹿みたいに大口開けて呆けちゃって、わたしの恋が羨ましいんですかぁ?でしたら、あなたも早く好きな人へ告白して、ラブラブチュッチュで幸せになるといいですよ」
一大ニュースの衝撃が去らないうちに、追加で爆弾発言が投下された。
当然のように場は大きくざわめき、「はぁっ!?」と全員の注目が原田へ向けられる。
「え、何!?原田お前、好きな人いたのかよ!」
「誰なの!私以外だなんて言わないわよね、ねぇっ言わないで、お願い!!」
原田の両脇で小島とジョゼが大声で騒ぎ立て、水木は度を失って原田を見上げた。
「え、えぇと、え、と。は、原田くんだって誰かを好きになるよね。で、でも全然そんな素振り見せなかったし!全然気づかなかったよ!?」
原田と知り合って間もないピコとて、全く動揺しなかったわけじゃない。
アーステイラと原田を交互に見つめ、「えっ?どうしてアーステイラが原田くんの恋事情を知っているんだ!?」と驚愕と衝撃をないまぜにオタオタする。
「原田くん、君が話したのかい?アーステイラに!」とピコに問われても、原田は返事が出来なかった。
あまりにも、怒りが昂りすぎて。
言わないって約束したのに。
絶対、人前で言わないと厳守するって約束したのに。
じわっと浮かんだ涙に、誰もがハッとなって口を噤んだ。
原田は涙をにじませた怒りの目で、真っ向からアーステイラを睨みつける。
「な、なによぅ」と、たじろぐ彼女を低く詰った。
「絶対に話さないと言ったのに、自分で約束を破るのか」
「え……」
素でポカンとなったあたり、過去に自分でした約束をド忘れしていたようだ。
ますます許せない。
「言っただろ。初めて会った時。俺が人前で言うなと言ったら、お前は絶対厳守すると約束した。自分で申し出た約束を反故にするのか、絶対とまで言っておきながら!」
原田が叫んだ瞬間、窓の外で、さぁーっと雲が立ち込める。
空は瞬く間に暗くなり、遠くではゴロゴロと低い音が轟いた。
「え、何……?急に暗くなってきたんだけど」
窓の外を見て驚くジョゼに、小島も手をかざして遠くを見やる。
「ホントだ。まだ昼過ぎだってのに。それに、あれ。なんだ?雲が真っ黒だぞ」
まだ夕方じゃない時刻なのに空が暗くなるなんて、初めて見る天気だ。
雲の中でゴロゴロ鳴っている低い音も、初めて聞いた。
真っ黒に染まった雲は時折ピカッと光っており、何もかもが初めての事態に子供たちは狼狽える。
外の異常を気にしていないのは、睨みあう原田とアーステイラだけだ。
いや、睨んでいるのは原田だけで、アーステイラは彼の気迫に怯えている。
「願いを絶対かなえるのが絶対天使の役割なんだろ。なのに、絶対天使が願いを破棄するのはアリなのか!?」
ようやくアーステイラも思い出す。
確かに言った、シャイボーイのお願いは絶対厳守してやると。
「でも、具体的な名前は言ってないしセーフでしょ、セーフ!」
好きな人がいると言っただけで、好きな相手が誰だとはバラしていない。
だからセーフだ。
といったアーステイラの主張は、残念ながら彼女以外には受け入れられる言い訳ではなく。
ガシャーン!と派手な音を立てて窓ガラスが割れて、「キャー!」と叫んだジョゼを小島が咄嗟に庇う。
同時に外からは重苦しくも堅苦しい響きを携えて、何者かの声がアーステイラへ向かって放たれた。
『絶対の願いは絶対天使において絶対破棄してはならぬ誓いである。誓いを破りし絶対天使には天罰を』
ファーストエンドの民には聞き覚えがなくとも、アーステイラには聞き覚えのある声だ。
平行神界で絶対天使をまとめるリーダー格、同じ絶対天使でありながら絶対の断罪力を持つ存在。
「そんな、お待ちください、リトナグラリッチ様……!」
天に向かって手を伸ばした彼女の身体を、割れた窓ガラスから一直線に飛んできた電光が貫く。
再びジョゼが悲鳴をあげ、アーステイラにも目に見えて異変が表れた。
真っ白だった羽根とドレスは真っ黒に染まり、金色に輝いていたはずの髪の毛が毒々しい真紫へと変わり、頭にはニョキニョキと二本の角が生えてきて、青かった瞳を真っ赤に見開き、狂ったように嘲笑する。
「これが!絶対の誓いを破りし罪とやらか。だが!それも運命であれば受け止めるまでよ!」
これまでの甲高い女の子トーンではない。オッサンの如く野太い声だ。
アーステイラは宙に浮かび、驚愕に慄く全ての顔を見渡す。
「あ……アーステイラ?」
あまりにもあまりな変貌を前に、原田たちは腰を抜かしてしまって誰一人動けない。
廊下を走って神坐が駆けつけた。
「どうした、何があった……うおっ!?」
すぐ宙を飛ぶ異形の者に気づき、身構える。
「なんだ、てめぇ!どっから入ってきやがった!!」と叫ぶ彼へ「アーステイラだ!」と小島も叫び、聞き返される前に付け足した。
「あれは、アーステイラなんだ!絶対の約束を破ったから、ああなっちまったんだ!!」
「なんだと……絶対天使の誓いって、そんな反動がある呪いだったのかよ」
引きつった表情を浮かべる神坐を見下ろし、アーステイラだったものがニヤリと歪に笑う。
「ほぅ、死神もファーストエンドに来ていようとは。そこの輝ける魂が目的か?しかし、奴の魂をむざむざ貴様にくれてやるのは面白くない」
「はっ!?」となったのは神坐だけじゃない。
原田を含めた全員が呆気にとられた。
輝ける魂って何だ?そんなの、これまでの人生で聞いた覚えがない。
変貌を遂げる前のアーステイラだって、そんな話を原田に振ってこなかったじゃないか。
神坐が「違う!俺達は、そいつを狩りに来たんじゃねぇ!テメェから守る為に来たんだ!」と叫ぶのも聞き、ますます頭の中がハテナで埋め尽くされる。
神坐は輝ける魂が何なのか知っているようだ。
原田は尋ねようとしたが、彼に聞く権利は与えられなかった。
「我が運命がこうなると、死神が読んでいたというつもりか?なら、次に我が取る行動も読めていたのであろう。そら、飛んでゆけ」
異形の怪物に指をさされた直後、原田たちの姿はパッとかき消える。
どこかへ瞬間転移させられたのだ。
「ハハハハハ!早く輝ける魂を探してやらぬと、失われてしまうぞ。我としては屈辱が晴らせて一石二鳥だがな」と言い残してアーステイラだったものは遠くへ飛び去り、どちらを追うか悩んだのも一瞬で、神坐は原田の探索を優先する。
あれだけ強大な魔力の持ち主を追いかけるのは難しくないし、やつと一人で戦うほどには神坐も愚かではない。
それよりも危険なのは原田たちだ。
町を遠く離れた場所まで飛ばされたら、定命を迎えるより前に死んでしまう。
仲間にも伝達を飛ばす傍ら、子供たちの気配を探り当てるや否や、神坐も空間を渡った。
平行神界――
今日もエンデルの泉を調整していたシノクルは、泉の表面へ目をやった。
「うんうん、今日も穏やかな一日ね。どこも争いが起きていないし」と言い終える前にピシャーン!と泉目掛けて落雷が走り、「きゃあ!」と叫んだ彼女の元へ高速で飛んでくる影が一つ。
影はシノクルの側へ降り立つと、前後の挨拶ぬきで確認を取ってきた。
「シノクル!今、天罰が下った。別次元へ出かけている絶対天使は全部で何人だ?」
誰かと思えばヤフトクゥスだ。
普段はリトナグラリッチ様に仕えている彼が泡を食って飛んでくるのだから、只事ではない。
先ほどの落雷と何か関係があるのか――いや、今、彼がはっきり言ったではないか、天罰が下りたと。
「て、天罰が……!?」と怯えるシノクルに再度ヤフトクゥスが「降り立った者の名を教えろ!」と急かしてきて、彼女は怯えを色濃くして答える。
「あ、アーステイラ、イモール、ウィンデクルス、エルンスト、オーエンの五名です」
「むぅ、意外と多いな!順に調べるか」と言って即、ヤフトクゥスは眉間に皺をめいっぱい寄せた。
「アーステイラめ、あの小娘か!若さゆえの未熟で絶対の誓いを破ったか」
「アーステイラが!?」とシノクルは息を飲む。
アーステイラは平行神界では一番の若年者で、いつもやる気に満ちて元気いっぱいな女の子だ。
あの子が誓いを破るだなんて信じられない。
しかしヤフトクゥスが気配を読み違えるわけもなし、天罰が下ったのは間違いなく彼女なのだ。
絶対天使は絶対の名のもとに、相手の願いを絶対にかなえる誓いを立てる。
絶対をリソースに魔法や特殊能力が使い放題になる反面、誓いを破ったものには天罰が下され、邪悪な魔物に身を窶してしまう。
アーステイラの愛らしい姿を思い浮かべ、シノクルは涙を流す。
あの子が醜い怪物になってしまった挙句、現地人に殺されて消滅すると考えただけで心が震えた。
泉の行き来ぐらいでしか会話をかわした覚えのない相手だが、それでも大事な同胞だ。
「俺は原因を調べてくる。アーステイラが魔物化して暴れているようであれば、浄化もやむなしだ」
泣き濡れていたシノクルが、はっとなってヤフトクゥスを見上げる。
「そんな……そんな、どうか、ご慈悲を」
ぶるぶると体を震わせる彼女の頭を、ヤフトクゥスは優しく撫でてやる。
「勘違いするな、浄化は消滅ではない。魂は一度平行神界へ還り、再び生まれ変わる」
浄化が死ではなくても、アーステイラだった記憶や姿は失われる。
別の天使として再生されて、新しい命を生きるのは消滅と同じではないのか。
だが、どれだけ憤りを感じても、シノクルには反論できなかった。
絶対天使として生み出された以上、世界の理に従って生きるしかない。
さようなら、アーステイラ。
短い付き合いだったけれど、あなたのことは忘れないわ。
シノクルの涙がポタリと泉に落ちて、小さな波紋を幾つも作る。
彼女は、さめざめと泣きながら、ヤフトクゥスが泉へ飛び込むのを見送った。