勢いで原田家を飛び出したアーステイラは夜道をトボトボ歩いて、やがて町外れで立ち止まった。
涙が頬を伝って流れ落ちるが、悲しいのではない。
怒りで腸がグラグラ煮えくり返っている。この涙は、悔し涙だ。
お遊び気分の訓練で負けた上、おもらしまで見られてしまったのだ。
もう、奴らの願いをかなえてあげようといった善意は、彼女の心から吹き飛んでいた。
バカゴリラもバカハゲも、惨たらしく恥ずかしい目に遭わせて、この町に住めなくしてやりたい。
具体的に、どういった手段なら奴らを不幸のどん底に落とせるだろうか。
原田のアキレス腱は水木だ。
彼女の前で何か恥ずかしいことを行わせるというのは、どうだろうか。
おもらし程度じゃ生ぬるい、いっそ脱糞ぐらいまでやらせないとアーステイラの気が収まらない。
皆の前で脱糞プラス射精。これでドン引きしない人間は居ない。
小島にはジョゼを強姦させてみよう。
巨乳が好きと触れ回っていたようだし、ジョゼが小島に襲われても誰も疑問を持つまい。
ジョゼまで不幸になってしまうが、彼女もクソハゲなんかを好きになるような女だし心は全然痛まない。
ピコと水木、この二人に関しては保留としておく。
ピコについてアーステイラは詳しく知らないし、水木の願いは原田が側にいる前提だ。
彼女が原田に幻滅すれば願いも自動消滅する。
こちらの行動を邪魔してこない限り、あの二人は無視して大丈夫な存在であろう。
とにかく原田と小島を徹底的に人間社会の輪から外す。それが今の目標だ。
尿まみれのドレスを一瞬にして魔法で再生させると、アーステイラは周辺を見渡した。
あの家には戻れなくなったから、今後の仮宿を探さなければいけない。
空き家を探して再生させてもいいのだが、空き家に無断で住み着く事自体、気が引ける。
かといって家を一から建てたら目立ってしまいそうだし、どうしたものか。
考えあぐねていると、暗がりから声をかけてくる者がいる。
「――もしや、そこにいるのはアーステイラさんですか?」
物腰柔らかで落ち着いた声には、聞き覚えがある。
月に照らされて見えた顔は、担当教官の己龍ではないか。
「己龍……教官。でしたっけ。こんばんは」
ぽつりと返事をすると、ほっとした表情で近づいてくる。
「やっぱり、あなたでしたか。夜に一人で草むらに佇んでいては危ないですよ」
「でも、町の中ですよ?何が危険なんですか」
問い返すと、教官は、ほんの少し顔を曇らせて答えた。
「この辺りは暗くなると女性を襲う暴漢が出るのです。生活保護区域と違って治安が悪いですからね」
生活保護区域――とは、両親健在の家族が住まう区域を指す。
彼らが町の警備団を養っていると考えれば、向こうのほうが治安が良いのにも納得だ。
「家まで送りましょう。おうちは、どこですか?」と親切に申し出てくる己龍へ、アーステイラは今にも泣きだしそうな表情を作って答えた。
「実は家を追い出されちゃって……帰る場所がないんです」
「追い出され……?それは酷い。ご両親にですか」
「友達と同居してたんですけど、二度と戻ってくるなって」とアーステイラは深い追及をはぐらかし、ひしっと己龍へ抱きついた。
突然抱きつかれても教官は顔色一つ変えず、アーステイラを抱きとめる。
「そうですか……居場所をなくされたのですね、可哀想に。良かったら、私の家へ来ませんか。狭い家ですが、あなた一人を養える余裕はあります」
ぎゅっと抱きつき無言で頷きながらアーステイラは、ほくそ笑む。
ちょろいものだ。
しばらくは可哀想な少女のフリをして、この男の家で暮らそう。
万が一こいつが襲ってきたって、人間の一人、倒せない相手ではない。
本性を隠した絶対天使は担当教官に手を引かれ、大人しくついていった。
己龍に連れていかれたのは生活保護区域内にある一軒家で、入るや否や甲高い声が二人を出迎える。
「あら〜、遅かったじゃない駄犬。どこで寄り道していたのかな☆事と次第によっちゃオ・シ・オ・キだぞ♪」
ピンクのド派手な髪の毛、芝居がかったポーズと無駄にカワイコぶった口調。
どこかで見た覚えがあると思ったら、原田の担当教官ではないか。
確か名前をサフィアといった。
何故彼女が此処に?と己龍を振り返れば、いそいそと服を脱ぐ彼を目撃し、アーステイラはドン引きする。
「なんでいきなりマッパになってんです、教官……」
「これが私の私服なのです。お見苦しいものを見せて申し訳ない」と言って、己龍は尻穴にフサフサした尻尾を突っ込んで微笑んだ。
そんな格好でイケメンスマイルされても、どんな反応をすればいいのか判らない。
スクールでの彼は上から下まで黒一色の忍者服だ。
先ほどまで、その忍者服を着ていたはずだが、今はスッポンポンの素っ裸。パンツすら履いていない。
今の彼を見たら、最前列でキャーキャー言っていた少女たちの恋心が一瞬で冷めそうだ。
己龍は犬耳のついたカチューシャを頭にセットし、自ら首輪を嵌める。
一体どんなプレイなのか。そして、これは誰の趣味だ。
ニコニコして彼の着替えを眺めているサフィアが元凶なのか。
茫然とするアーステイラに気づいたか、サフィアが声をかけてきた。
「あ、ごめんなさいねぇ。驚いたでしょう?この家では、己龍はセンセじゃなくて駄犬なの」
と、いきなり言われても、ますます意味が判らない。
「この家の持ち主は彼女です。私はペットとして飼われている」とは、駄犬呼ばわりされた本人の弁。
然るに、この二人が両親健在じゃないのに生活保護区域で暮らしているのは、サフィアが税金ないし警備費を払っており、己龍は彼女と同居していると見てよかろう。
同居人ではなくペット扱いなのは、生活費やその他諸々が全てサフィア持ちだからか。
これでよく"私の家"だの"養える余裕がある"だのと豪語できたものだ。
サフィアは己龍とアーステイラの顔を何度か交互に眺めた後、アーステイラへ微笑んだ。
「なるほど……理解したわ。駄犬の優男ぶった口車に乗せられて連れ込まれた挙句、危うくイッパツはめられる処だったのね。駄目よ、もっと自分を大切にしなくっちゃ☆」
斜め上の結論には、アーステイラではなく己龍が抗議する。
「ち、違う……!彼女は居場所がなくなってしまったんだ、だから、ここで保護できないかと」
「も〜っ。駄犬のくせに口答えしない!」
軽い口調とは裏腹に鋭い蹴りが己龍の股間を直撃し、声にならない苦悶の声をあげて彼が蹲るのを横目に、サフィアは可哀想な少女の双肩へ両手を置いた。
「何も言わなくていいわ。あなたが何らかの理由で、住み慣れた家を追い出されたか失ったんだと判るから。私達と一緒に暮らしましょ。駄犬が一緒じゃ不安でしょうけど、サフィアちゃんには従順な犬だから安心してね☆」
「えっと、あの……なんで駄犬なんです?実質ヒモだから?」
アーステイラが先ほどから気になっていた点を尋ねると、サフィアは微笑みを崩さずに答えてよこす。
「己龍は自由騎士を引退した時、警備費を払える財力がなくて生活保護区域を退去させられそうになったの。けどサフィアちゃんが町長に根回しして、この家のペットとして残れるようにしてあげたってワケ☆」
町長に口利きできる実権と金を持つ、この女は何者なのか。
自由騎士をやっていただけでは、そこまで儲かるまい。
実際、同じく自由騎士だったはずの己龍は納めるべき金を維持できなかったようだし。
「あ、なんでペットなの?って顔してるネ。そうなの、同居人ってことにしちゃうと二人分のお金を取られちゃうから〜。駄犬の分まで払うなんて馬鹿馬鹿しいでしょ?」
「えー……じゃ、なんで引き留めたんですか」
これ以上ないぐらい引きまくったアーステイラの問いに答えたのは、悶絶から立ち直った己龍本人だ。
「彼女は私の姉です。正確には義理の、ですが」
言われたことを頭で反芻し、数十秒後に「は?」となった天使へサフィアも「そうなの〜。こんな駄犬でも家族の繋がりがある以上、放り出すわけにもいかなくて」と肩をすくめ、じろりと己龍を睨みつける。
歪んだ家族愛か。あまり深くかかわらないほうが良さそうだ。
それにしても、サフィアが姉なのか。
どちらも年齢不詳だが、落ち着いて見える分、己龍のほうが年上かと思っていた。
だが、それを指摘するとサフィアが駄犬に八つ当たりする予感がしたので、アーステイラは黙っておいた。
そうだ、深くかかわる必要はない。所詮は仮宿、雨露が凌げれば充分だ。
「わたしが同居したら、二人分払うことになるんじゃ?」と一応確認を取ってみれば、サフィア曰く「子供は支払い能力ないから数に入らないわ」とのことで、道理で易々同居を許可したわけだ。
「それに、子供が一人いれば家族っぽく見えるじゃない?これでやっと周りに溶け込めるのね」
あちらの打算も含めての同居だ。
義理の弟と夫婦扱いされて嬉しいのか?とアーステイラは聞いてみたかったが、これも駄犬が余計な制裁を受けてしまいそうで、怖くて聞くに聞けない。
さっき深入りしないと決めたばかりだ。余計な質問はナシにしよう。
「……あ、そうだ」
ふと思いつき、二人に尋ねる。
「あなた方には今、絶対かなえたい夢がありますか?居候のお礼に、一つかなえて差し上げますよ」
深く関わらないと何度も決めたはずなのに、その言葉はポロリとアーステイラの口から、こぼれ出た。
アーステイラの問いかけはサフィアに軽く笑って受け流され、今、彼女は己龍の部屋でベッドに腰かけている。
全裸の弟と気の毒な少女を同じ部屋に突っ込むとは、家主のサフィアも何を考えているのか。
てっきりサフィアと同室か、空き部屋をあてがわれると思っていたので想定外の事態だ。
「どうか気楽にしてください」と言われたって、目の前でブラブラされちゃあ気が休まる暇もない。
せめて自室でぐらい、服を着たらいいのに。
しかし己龍曰くペットとして同居する以上、家では犬の格好厳守なのだそうだ。
何か弱みを握られているのか、そこまでしてヒモ生活に未練があるのか、アーステイラの理解を越える姉弟だ。
「ベッドは、あなたがお使いください。私は外で寝るとしましょう」とも言われ、え?外?と目線で伺うアーステイラに「えぇ。外です。外でなら、服を許されますから」と頷き、己龍は離れた椅子へ腰かけた。
少しでもチンチンブラブラを少女の視界に入れまいとした気遣いだ。
「先ほど、あなたはおっしゃいましたね。絶対にかなえたい夢はないか、と。サフィアはないと答えましたが、私には――あります。彼女の手前、言うのは憚られましたが」
ポツリと呟き、どこか遠くを眺める眼差しで己龍が続ける。
「この家はサフィアのものですが、かつては私の家でもありました。私が遠く、探索の旅へ出ている間に彼女が権利の全てを買い占めて、私の権利と財産を根こそぎ奪ってしまったのです」
「あ、じゃあ、絶対に家を取り戻したい、とか?」とアーステイラが先回りして尋ねれば、いいえと首を真横に振って己龍は否定した。
「家を取り戻したところで同じスクールの教官をやっている以上、私に幸せは訪れません。ですが……一度こっぴどい目に遭って、あの女がグチャグチャに泣き崩れれば、多少は溜飲が下がるかもしれません」
要するに、自由だ。
彼はサフィアの支配を免れて、自由に生きたいのだ。
ペットとして引き取られたのは彼の意思ではなくサフィアが強制的に、とも考えられる。
ついでに長年の恨みを晴らせれば、一石二鳥のウィンウィンであろう。
「泣き崩れるだけでいいだなんて、教官は無欲ですね?」
ニヤァと黒い笑みを浮かべてアーステイラが見つめると、己龍は少し引いた眼で尋ね返す。
「私が彼女の死を願っていると?いいえ、そこまで酷い願望は持ちません。これでも一応家族ですので」
「いやいや、こっぴどい目に遭わせても泣くだけで許しちゃうのが無欲だと言っているんです。どうせやるなら、人間社会で二度と生活できないぐらいコテンパンにやっちゃいません?」
酷い目とは、どのような状態かとアーステイラに尋ねられ、己龍は具体例をあげる。
「そうですね……財産を全て失って町長の後ろ盾をなくし、私にした数々の悪行を生徒に知られて悪評が広まり、友人やウィンフィルド教官からも見捨てられる――といった塩梅でしょうか」
容赦なく人間社会の輪から外しにかかった想定だ。
前言撤回、無欲ではなく恨みで真っ黒な男であった。
「ウィンフィルド教官って、残り一つのクラスの担当ですか。その人に見捨てられると何かマズイことが?」
好奇心旺盛な質問に「サフィアが想いを寄せているのです」と答え、己龍は目を伏せた。
「彼は少女にしか興味がないのですがね」と付け足して。
この町で、異性と既婚していない成人女性は肩身が狭い。
何故かというと、男女夫婦でなければ未来の自由騎士候補である子供を産めないせいだ。
あなたも成人する前に恋人を作っておくとよいでしょう――と話を締めて、己龍がアーステイラを促した。
「私は絶対サフィアを破滅に追い込みたい。ですが、あなたに実行して欲しいとは願いません。私より年若いあなたに託すには現実的ではありませんし、あの女と町長の繋がりは生半可な権力では太刀打ちできません。例えウィンフィルド氏の協力があったとしても……話が長くなりましたね、もう寝ましょう」
町長とサフィアの繋がりが何であるかを調べれば、断ち切る方法も見つかりそうだ。
なにより町長は只の人間、煩悩溢れる俗物が相手なら絶対天使の敵ではない。
バカゴリラたちをやっつけるついでにサフィアも破滅に追い込んでやれば、己龍を開放してやれる。
それにウィンフィルド教官か、スクールを巻き込むんだったら彼の協力は必須だ。
少女にしか興味が沸かないロリコンだそうだから、見た目少女のアーステイラが色目を使えば一発だ。
スクールどころか町全体をも巻き込むほど一気に願いのスケールが大きくなってきて、アーステイラはベッドの中で計画を練りながら、興奮に胸を高ぶらせる。
考えているうちに眠りに誘われ、彼女はスヤスヤと寝ついた。
原田の家で寝ていた時よりも眠りが早く、そして深いのは部屋に漂う仄かな香のおかげかもしれない。
――夜が更けて、しばらく経ち。
アーステイラの眠る部屋へ、音もなく扉が開いて誰かが忍び入ってくる。
そいつは布団に潜り込み、するする少女の下着を脱がすと、あそこの具合を確かめた。
「……やはり、無垢な少女には無垢な身体が付き物です」
舌で、つぅっと一筋なぞり、惚れ惚れと眺めたのちに下着を履き直させる。
来た時同様、音を立てずに表へ出ていった。
「本番は、あなたの意識がある時に致しましょうか」
ぽつりと呟き、月明かりに照らされた侵入者の顔こそは、己龍その人であった――