ラルフ&エリック
――あれ以来、エリックのラルフを見る目が変わってしまったように思う。”あれ以来”とは、一服盛ってエリックに無体な真似をしようとした一件だ。
純粋な彼のこと、てっきり判るまいと思っていたのに、座薬をぶち込もうとした段階で悪企みは見破られる。
以降、エリックは露骨にラルフを避けるようになり、二人のホームにも帰らない日が多くなった。
「――バレンタインデー、ですか」
初心者の街・ワンス。
ここ数日、家にも戻らず宿屋暮らしをしていたエリックは、酒場でイベントの噂を聞きつける。
以前にもイベントは何度か行なわれていたらしいが、ずっと家にこもりっぱなしだった為、一度も参加したことがなかった。
一度ぐらいは参加してみてもいいだろう。
もしかしたら、この世界について、目に見える以上の情報が判るかもしれない。
ワールドプリズへ戻る方法も、何か掴めるかもしれない。
ラルフが何も言い出さないので言うに言えなかったが、エリックは元の世界へ戻りたいと切に願っていた。
自分には職がある。大切な職だ。
村の皆も心配していよう、司祭が行方不明とあっては。
「それで、バレンタインとは何をするイベントなのですか?」
相席の眼鏡青年に尋ねると、彼は愛想良く応えた。
「決まっている。意中の女性に愛を囁き、あわよくば我が物にするイベントだ」
「我が物に……」
ドン引きしているエリックなど、お構いなしに青年の熱弁は続く。
「簡単に参加したいなら、イベント用に販売されるチョコレートってアイテムを買って相手に渡せばいい。だが、より奥深く楽しむにはダンジョンへ潜り、特別なチョコレートを取ってくる必要がある」
店販売のチョコレートとダンジョン報酬のチョコレートとでは、何が、どう違うというのか。
呆れながらも「特別な……ですか?それは、どういった」とエリックが尋ねれば、眼鏡青年は力強く頷いた。
「店売りのチョコレートは、ただの回復アイテムだ。だが、ダンジョンで入手できるチョコレートは違う。魔女の祈りがかかっているからな……もらった相手は、本人の意志とは関係なく、くれた相手に惚れるらしい」
もし、これが本当だとしたら、とんでもないことだ。
他人の意志を操るアイテムなんて、物騒極まりない。
イベント期間中に、何人悲劇のカップルが生まれる事やら。
「ま、受け取るかどうかは本人の意思次第だがな。だが、俺は絶対このチョコレートを探し出し、ナナたんに無理矢理でも食わせるつもりだ」
やたら自信たっぷりに笑う青年へ、エリックは一応忠告した。
「いけません、無理強いしては。相手に余計嫌われてしまいますよ」
しかし眼鏡青年は聞く耳持たずとばかりに席を立ち、会計へ向かった。
「あんたの忠告は一応受け止めておく。だが俺の意志は、そいつを大きく上回る。ナナたんへの愛ゆえに!」
外道な一言を残して去っていく青年の背中を見送りながら、エリックは一つ決心した。
このイベント――なんとしてでも、阻止せねばなるまい。
それには、人手が必要だ。
ラルフ以外の、頼れる人材が……
酒場でパーティ募集をしたら意外な人物が参入申請してきたので、エリックは驚いた。
「まさか君も、ここへ来ていようとはね。あの場にいた全員が引きずり込まれた、と見ていいのかな?」
テーブルを挟んで差し向かいに座ったのは、ハリィ=ジョルズ=スカイヤード。
ワールドプリズの住民であり、傭兵としても名高い男だ。
彼も、この異世界へ来ていたとは。
いや、ここへ来たのは自分の意志ではなかろう。
今、彼も言ったではないか。
「……引きずり込まれた?」
首を傾げるエリックに、ハリィが説明する。
この世界の名前は、コントラスト。
笹川なる男が作り出した、ゲームの世界である。
ゲームとは、現実ではなく架空の世界で生き死にを楽しむ場所だ。
このコントラスト全体が巨大な架空空間だと、ハリィは言った。
全てはヘルプの受け売りだがね、と付け足して。
「生死を楽しむとは、穏やかではありませんね」
眉をひそめるエリックに、ハリィも頷いた。
「あぁ、まったくだ。命の冒涜と言っていい。しかし、その為に、この世界のモンスターは存在しているようなもんだ。本来なら、俺達の世界とは違ってモンスターのいない世界に住む奴らが、ここで遊ぶんだろうよ」
殺しあいを架空の世界で楽しもうなんざ、ワールドプリズ住民からすれば狂気の沙汰だ。
だが住む世界が異なれば、常識も異なる。
モンスターと斬り合うのを娯楽の一環と考える、異世界の住民がいたっておかしくはない。
「それで」とハリィが話題を切り替える。
「君は、どうしてパーティ募集をかけたんだ?まさか、モンスター退治の招集ではあるまい」
考えに沈んでいたエリックも顔をあげ、答え返した。
「それなのですが……あなたは、近々開催されるバレンタイン・イベントを、ご存じですか?」
「あぁ……チョコレートを贈ったり奪ったりする、例のアレかい?」
奪うとは穏やかではないが、詳しい話は後で聞けばいい。
まずはパーティ結成の理由を話す方が先だ。
強欲にまみれたバレンタインイベントを阻止したい――
そう話すと、ハリィは思慮深げに俯いて言葉を濁す。
「君らしい判断だね。しかし、誰かの恋路を邪魔するのは私怨を買う行為だ」
「判っております。ですが」
「それに、洗脳チョコレートは俺も狙っているんでね」
とんでもない発言がハリィの口を飛び出して、ポカンとするエリックの前でハリィがニヤリと笑った。
「そいつを阻止しようってんなら、君と俺は敵対関係だ」
「ど、どうして……あなたが?あなたなら口説けば女性の一人や二人、難なく」
「女性じゃないんだ」
ぼそりと吐き捨てると、ハリィは視線を外した。
「仲違いしてしまった友人がいて、ね。話を聞いてもらうには、素直になってもらうしかない」
友人という言葉に、エリックの脳裏に思い浮かんだ顔があった。
ハリィには親友と呼べる友達が一人いたはずだ。
名前はグレイグ=グレイゾン。
ワールドプリズで最も大国を誇る、レイザース王国の騎士団隊長だ。
仲違いをした友人が彼であるとすれば、仲直りは絶対しなくてはいけない。
だが、アイテムを使って強引に言うことを聞かせるのは、本当に仲直りと呼べるのか。
エリックが指摘すると、ハリィは困ったように肩をすくめた。
「俺も、そう思う。だが、頑なになったあいつほど手に負えない相手もいなくてね。チョコレートは、きっかけ作りに過ぎないよ。気持ちをほぐせば、後はどうとでもなる」
それより、とハリィが話の矛先をエリックへ向けてくる。
「君にも親友がいたはずだが、彼はこちらに来ていないのか?」
嗚呼、ラルフ。
我が親友は、この世界コントラストに来てから、すっかり豹変してしまった。
あの忌まわしき悪夢の晩。
何を思ったのか、ラルフは、よりによってエリックを性欲の捌け口に選んだ。
男同士で。
しかもエリックは神に身を捧げた司祭であると、彼も知っているはずなのに!
「エリック?」
エリックが急に沈黙したので、心配になったのだろう。
顔を覗き込んでくるハリィへ目を向けると、エリックは力なく答えた。
「あぁ……いや、ラルフの事は忘れましょう」
「どうしたんだ。一緒じゃないのか?」
「一緒だった時期もありましたが、今となっては過去の話です」
そう、たった一週間の過去だ。
ラルフの豹変を打ち明けたい想いは、エリックの胸中にもあった。
しかし、いくら顔馴染みとはいえ、さして親しくもないハリィに話すのは躊躇われる。
目の前の男が、せめて斬であったなら良かったのだが……
斬も、この世界へ来ているのだろうか。
来ているなら、是非とも仲間に加えたい。
「ふぅん……まぁ、いいがね。喧嘩しているんだったら、早めに仲直りしといたほうがいいぜ」
それで、とハリィが話を戻す。
「俺と君の二人だけじゃ手数が足りないな。知りあいを何人か呼んでもいいかい?」
「お願いします」
即座に頭を下げ、エリックは酒場を、もう一度見渡した。
「新規の申請を待っているのか?パーティ募集するんなら目的とエリア名を書かないと、誰も食いついてこないぞ」
トークレシーバーを弄りながらハリィが言うのを聞き流し、エリックの視線は壁の一点に辿り着く。
今週のランキング上位発表が貼られた壁だ。
オシャレ、金持ち、強さ、闘技場など各種ランキングがあり、その上位トップ10が公表されている。
あの中に、もしかしたら斬の名前があるかもしれない。
「少し、いいでしょうか。席を外しても」
「どこへ?」と視線はトークレシーバーに落としたまま、ハリィが尋ね返してくる。
「ランキング表を見てみたいのです」と答え、エリックは席を立った。
オシャレも金持ちも彼のガラじゃない。
強さ、或いは闘技場のどちらかにいてくれれば――
順番に眺めていって、見覚えのあるギルド名にエリックは「おや」と呟いた。
『HANDxHAND GLORY's』
間違いない。
斬も、この世界へ来ていたのだ。