ハリィ&グレイグ
ハリィと二人っきりで心躍る冒険が始まるかと思っていた時期は、グレイグにもあった。だが蓋を開けてみれば二人でいる時間の、なんと少ない事か。
宿に泊まった時までは一緒なのだが、翌日になるとハリィは毎日ふらふら勝手に出歩いてしまい、グレイグは独りぼっちで置いてけぼりをくう。
たまに一緒にいるかと思えば、街で出会った青い髪の青年クレイと、そのツレの春名とパーティーを組まねばならない。
ハリィは誰にでも優しい男だから、初心者である二人を放っておけなかったのだろう。
だからといって何も毎日パーティを組まなくてもよかろうと、グレイグは内心不満に思っていた。
初心者のうちに上級者と組んでしまうと、戦いを覚えない。
代わりに怠けることを覚えてしまう。
クレイが一人になった時、戦えなくなるのではないかとグレイグは危惧した。
しかし春名と楽しげに会話するハリィを邪魔できるほどの勇気は持っておらず、やきもきしながら毎日を過ごした。
春名も春名だ。
彼女はクレイの恋人――ではなかったのか?
ハリィの話によると、二人はスケベ心を出した連中に襲われていて、クレイは春名を庇おうとしていたらしい。
なのに、そのクレイの前でハリィとばかり仲良くおしゃべりするというのは、如何なものだろうか。
自分がクレイだったら気を悪くする。
否、クレイじゃなくてもグレイグは気を悪くしていた。
ハリィと仲良くおしゃべりする春名の存在自体に。
「どうした?最近暗いじゃないか」
横合いから陽気に聞かれ、グレイグは素っ気なく答え返す。
「別に」
無事第一次転職を終えグレイグはナイトへ、ハリィはスナイパーへ転職した。
やっと念願の銃を装備できるようになり、今も鼻歌交じりに整備している。
いい気なものだ。
人を、こんなに悶々させておいて。
「別にってことはないだろう、端から見ても落ち込んでいるようにしか見えないぞ。何かあったのか?」
間近で瞳を覗き込まれ、グレイグは身を引いた。
「だ、だから、特に何もないと」
「俺には相談できないような悩みかい?」
グレイグは完全に沈黙し、少し考えてからハリィが付け足す。
「最近あの二人とばかりパーティを組んでいるから、かな」
「――どうして、それが!?」と咄嗟に口に出してしまってから、グレイグは、あっと己の口を手で塞ぐ。
だが、遅かった。
ハリィはニヤニヤ笑っている。
「そうか、図星か。やっぱりな。俺としたことが忘れていたよ、君は見かけよりずっと独占欲が強いってのをね」
真っ赤になって黙り込むグレイグを上から下まで眺め回すと、ハリィは再び距離を詰めてきて、ぽんぽんとグレイグの肩を叩いてくる。
「なら明日は、あの二人を呼ばないで、俺と君の二人だけで街へ遊びに行くとするか?」
この友は、普段はニブチンのくせして時々妙に勘が働くから小賢しい。
けれど、そのおかげで明日は初心者のお守りから解放される。
グレイグは、久しぶりに安らかな眠りについた。
翌日。
ハリィは約束通り、クレイと春名にトークレシーバーで呼びかける事もせず、グレイグはハリィと差し向かいで朝食を取る。
ハリィと二人で朝食を食べるのも、すごく久々だ。
いや、もっと言うなれば対人モードを常時オフにするようになってからは、一度も朝食を食べていない。
「そういや、君は知っているかな?対人モードをオンにしておくと、料理がおいしく感じるんだ」
どれどれと言われたとおりオンに設定してから、グレイグはハムエッグを口に含む。
おいしい。
ちゃんとハムエッグの味がする。
驚くグレイグへ微笑むと、ハリィは今日の予定を口にした。
「君も戦闘ばかりじゃつまらんだろう。今日は俺が街で覚えた色々な知識を君に教えてやるよ」
「色々な……知識?」
首を傾げるグレイへ顔を近づけると、ハリィは片目を閉じてウィンクする。
「そうさ、君の知らないような……ね。もっとも君はオフでも、あまりモノを知らなさそうだが」
どんな知識だろう。あまり下世話なものではないといいのだが。
ハリィは貴族出身の割に、やたら俗世に詳しく、庶民のグレイグでも知らないような下品なネタを仕入れてくる。
この世界でも毎日ぶらぶら出歩いていたようだし、ろくでもない知識を取り込んでいそうだ。
用心しておかないと。
警戒するグレイグを見、ハリィは内心苦笑する。
親愛なる友は、いつまで経ってもハリィ以外の者とうち解けようとしない。
せっかくクレイと春名を紹介してやっても、頑として口をきこうとしなかった。
クレイとグレイグは生真面目同士だし、仲良くなれるんじゃないかとハリィは踏んでいたのだが、我が親友は予想以上にシャイなようだ。
もっともクレイのほうでも、こちらには打ち解けてこず、いつも狩りの最中は無言だった。
一度彼と、じっくり話し合ってみたいものだ。
だが、その前にグレイの機嫌を直してやらないと。
彼が落ち込んでいては、こちらも落ち着かない。
グレイグがどっしり構えていてくれるからこそ、多少の無茶が出来るのだ。
ハリィは身勝手にも、そのように自分達の仲を分析していた。
本当はハリィのほうが年上だし、どっしり構えていなきゃいけない兄貴分なのは重々承知しているのだが、しかし、この世界は現実よりも面白い。
戦闘だけで終わらせてしまっては、勿体ないぐらいに。
「今日は一日中対人モードをオンにしておけよ」
ハリィの言葉にグレイグが首を傾げる。
「対人モードを?しかし町中ではオフにしたほうがいいと提案したのは君じゃないか」
「そいつは初心者時代の話だろ。今の俺達なら大丈夫だ」
来いよと促され、グレイグも宿を出る。
対人モードオンで見る景色は、いつもより輝いて見えた。
町中を歩いていても、周りの視線がビシバシ痛いほどに飛んでくる。
皆、グレイグを見ているのだ。
主に女性プレイヤーが。
いつもの光景だ。
グレイグはハンサムなので、女性から注目を浴びやすい。
「ハリィ、それで今日の予定は?」
グレイグ本人は全然気づいていないようで、仏頂面でハリィに尋ねてくる。
今も熟年の女性プレイヤーが熱い視線を向けているというのに、グレイグの視線はハリィに一直線だ。
「そう急くなよ。まずは君に街の見どころを紹介してやろう」
「この街なら一通り歩いたから知っているぞ」
せっかちに遮ってくる友へ手をふり、ハリィは苦笑した。
「君が知っているのは重要拠点と店の位置ぐらいだろ?俺が紹介したいのは、そういう視点じゃない」
「じゃあ、どういう視点で」と言いかけるグレイグへ指を突き出し、「あれを見てみろよ」とハリィは促した。
彼の示す方向を見てみると、一人の少女が籠を持って立っている。
手には花を持っているようだ。
鼻にかかる甘ったるい声で、周りに呼びかけている。
「花はいりませんかァ。摘みたてのお花ですよォ」
「花?」と呟くグレイグへ、ハリィが頷く。
「そうだ。彼女は花を売っている」
「しかし、あんなNPC、前に見たときはいなかったぞ」
首をふりふり思い出そうとするグレイへは、注釈を入れた。
「そうだ、彼女はNPCじゃない。PCだ、俺達と同じプレイヤーだよ」
「フリマでもないのに、花を売買できるのか!?」
驚くグレイへ、ハリィが答える。
「あぁ。物を売るのに広場へ集まる必要はない。歌うスキルがある奴は、歌で金を稼ぐ事もできる」
見ろ、と指をさされてグレイグが見た先では、ピンク色の目にも鮮やかな髪の毛をした少女が調子っぱずれな歌を披露している。
誰も金を払う様子はないが、きっと上手ければ金を稼げる手段になりうるのだろう。
驚いた。
この世界は生産と戦闘ぐらいしか、やることがないと思っていたのに。
皆、自分の思いついた行動で遊んでいる。
そういう意味での"自由度"か。
感心していると、傍らの友が、とんでもない発言を口にした。
「さらには驚いたことに、この世界にも売春があるんだぜ。どうだい、知らなかっただろう」
それは知らなくてもいい知識だ。
バッと両耳を塞いで聞くまいとする親友に、ハリィはニヤニヤする。
「それでね、俺も真似して稼いでみようとしたんだが」
意地の悪い笑みを浮かべて話を続けると、耳を塞いでいたはずのグレイグが勢いよく反応した。
「だ、駄目だ!!ハリィッ、君がそんな薄汚い真似をしてはいけないッ」
「薄汚い?どうして」
「どうしても、こうしてもあるかっ!体を売って金を稼ぐなど、人として最低の行いだぞ!」
「おいおい、俺が真似しようとしたのは歌で金を稼ぐ方法だぞ」
はた、と真顔で見つめてくるグレイへ、ハリィは肩をすくめてみせる。
「君みたいな美形や可愛い子がやるならともかく、俺のようなオッサンが売春を真似してどうするんだ」
わざとミスリードするよう言ったのは自分だが、こうもたやすく引っかかるとは予想以上だ。
グレイグは顔も真っ赤に、こちらを睨んでいる。
すぐテレて赤面するから可愛いし面白い。
これだから彼をからかうのは、やめられない。
「……もしかして君は、PEに興味があるのかな?」
耳元で囁いたら、グレイグがハッと身を固くする。
即座に違う!と大騒ぎするかとハリィは予想したのだが、グレイグの反応は違っていた。
彼はしばらく考え込んだ後に、ぎゅっとハリィの胸元を掴んで引き寄せると、小声で囁き返してきたのだ。
「君こそ……いつも、やっているのか?俺と一緒にいない間、街の中で」
「やっているのか、って何を?」
「だから、その……PEを、他の女性プレイヤーと」
なんとしたことか、グレイグは頬を真っ赤に染めて、じっとハリィを見つめてくるではないか。
今にも泣きそうな表情のオマケつきで。
やばい。
己の鼓動が早まった気がして、ハリィは慌てて視線を逸らす。
町中でグレイグが、シャイで自分以外とはおしゃべりもできない彼が、こんなゲリラ的奇襲を仕掛けてくるとは思わなかった。
いつもなら、そんなわけないだろう!と、ややヒステリック気味に否定するのが彼の十八番パターンなのに。
「そんなに気になるのか、な……?俺が、いつも誰と一緒にいるのか」
真正面から向き合っていると赤面が移ってしまいそうで、やや下方向に視線を外しながらハリィが尋ねると「当たり前だろう」と呟いて、ますますグレイグが抱きついてくる。
天変地異の前触れだ。
今だって周囲の視線で焦げ付きそうなほど注目されているってのに、グレイグが周りを気にした様子はない。
一部の女子がスクリーンカメラを取り出して、こちらをパシャパシャ撮っている。
スクリーンカメラは、ゲーム内の様子を写すカメラだ。
もう、あの女子達の間では、ハリィとグレイグは公認のラブラブカップルになったに違いない。
「君がいない間、俺がどれだけ寂しかったか……君は知らないんだ」
小さく呟いて、グレイグが瞼を閉じる。
その仕草だけでも周辺からはキャーッと女性の黄色い悲鳴が飛んでくるもんだから、グレイグと共に注目の的になっているハリィは居たたまれない。
それにしても、そこまでグレイに寂しい思いをさせていた記憶がハリィにはなくて、彼は首を傾げる。
できるだけ一緒にいたつもりだし、いつも二人っきりじゃ寂しかろうと気を利かせてフレンドのクレイと春名もパーティに入れてやったというのに、一体何が不満だったというのか。
ただでさえ口数が少ない上、滅多に己の感情を表に出さない友だから、察しろと言われても、こっちだって困ってしまう。
しかし自分の胸元にぎゅっと抱きついて目を閉じているグレイグは、これまでのゲーム内生活で一番リラックスしているようにも見えた。
ここが広場じゃなければ、ぎゅっと抱きしめ返してやってもよかったのだが、ここでやる自信はない。
相手がテレれば大衆の前でも恥ずかしい真似をやってのける癖に、相手が真面目だと尻込みしてしまう。
ハリィは、そういう男であった。
脳内で立てていた予定を変更し、ハリィはグレイグに囁いた。
「グレイ、ここは騒がしすぎる……少し、静かな場所で話をしよう」
こくりと頷くグレイの背中へ手を回すと、全プレイヤーが注目する中、そっと広場を立ち去った。