ハリィ&グレイグ
「なるほど、こいつは驚いたな。本物と寸分違わずじゃないか」ハリィの声で、グレイグは我に返る。
――ここは、どこだ?
先ほどまでの空間とは異なり、空があり、大地がある。
地面にしっかりと足をつけて立っていた。
己がおかしな格好をしているのに気づき、唖然となる。
普段着でいたはずなのに、いつの間にか安っぽい皮の軽鎧を着て、手には長剣を持っている。
自前の愛剣ではなく、量産型のロングソードだ。
自分だけじゃない。
傍らに立つハリィも普段着ではなく、狩り着のようなものを身につけていた。
手にしているのは弓矢だ。
「あぁ、これか?」
グレイグの視線に気づいて、ハリィが苦笑する。
「俺はレンジャーというクラスらしい。で、君はファイターだそうだ」
えっ、となってグレイグは聞き返す。
「クラス?それに、ここは何処だ」
「ここは笹川の作ったゲームの中だよ。俺と君はバーチャル、つまりリアルではなくアバターとして、ここに存在しているらしい」
アバター?バーチャル?
聞き覚えのない単語にグレイグは首をひねる。
「まぁ、俺もあれを見て知ったんだが」と言って、ハリィが上空を見あげた。
つられてグレイグも空を見て、あっとなる。
空に幾つかの文字が浮かんでいる。
左から順に、プロフィール、アイテム、クエスト、フレンド、ギルド、マップ、オプション、ヘルプと書かれた文字が。
「ヘルプを開いてごらん。開く時は指で文字を示せばいい」
言われるがままにヘルプを指さしてみると、空にパッと白くて四角いものが浮かび上がる。
そこには文字がぎっしりと書かれていて、グレイグは目眩を覚えた。
ハリィは、これを全部読んだのか。
「読むのは苦痛かい?」
「いや、その」
答えに窮していると、ハリィが優しく微笑んだ。
「なら、俺が教えてやろう。いいか、ここは架空の世界だ。本物の俺と君は、ここにはいない。だがアバター、つまり、この世界で行動できる状態では存在している。驚いたことにね、アバターには感覚があるようなんだ。例えば」
唐突にふぅっと生暖かい息を首筋に吹きかけられ、グレイグはぞわぁっと総毛立つ。
「何をするんだ!?」
涙目で問いただすと、ハリィは肩をすくめた。
「生暖かくて気持ち悪かっただろ?感覚があるって証拠さ」
それなら、そうと別の方法で説明してくれれば。
警戒するグレイグの腕を取り、ハリィは自分の元へ引き寄せる。
「笹川の言葉を覚えているか?」
顔の近さにドギマギしながら、グレイグも頷く。
「あ、あぁ」
奴は、こう言っていた。
現実ではエッチ出来ない相手でも、一緒に遊べば……グフフ
「服を脱ぐことも脱がすことも可能だ。それをさせない為には、オプションを開いて対人モードをオフにすればいいそうだ」
「オプション……」
再び空を見て、グレイグは額を押さえる。
あれを開けば、また文字の羅列が出てくるに違いない。
うまく設定できる自信がない。
「まぁ、俺はオンのままいこうと思う」
「えっ!?」
意外な台詞にグレイグは慌てる。
ハリィの話を信じるならば、ここは服を脱がしたり脱がされたりもするワールドである。
おまけに感覚もある。
気持ち悪いと感じるなら、痛みや快感も、また然り。
誰かに襲われたり、何者かに危害を加えられて、痛い思いをするのは怖くないのだろうか?
「どうせやるからには、本格的に経験してみたいじゃないか」
こともなげに笑っているが、冗談ではない。
ハリィが誰かに犯されたり殺されたりしたら、グレイグは自分の気が狂ってしまうんじゃないかと考えた。
否、想像するだけでも胸が張り裂けそうだ。
「駄目だ!もし君が死んだりしたら、俺は」
「心配性だな。大丈夫だよ、死んでもゲートに戻されるだけだと書いてあった」
また理解不能な言葉が出てきたが、それどころではない。
「不吉な事を言うな!それに死ぬような怪我をしたら痛いんじゃないのか?」
「そりゃあ、ね。しかし痛覚を切ったんじゃ、臨場感が出ないだろ」
「そんなもの、なくたって構わないだろう!それより、ここを出る方法を探さないと」
プンプン怒るグレイグを呆れたように眺めていたが、最後の言葉にハリィは口をへの字に折り曲げる。
「それなんだが」
「ないのか?ここを出る方法」
「あぁ、少なくともヘルプには書いていなかった」
冗談ではない。
いや、しかしハリィの表情を見るに、本当にヘルプには載っていなかったようだ。
呆然とするグレイグに、ハリィが言う。
「まぁ、そう絶望するなよ。俺の推理じゃ何かを成し終えて満足した時に、あいつが教えてくれそうな気もするんだ。笹川がね」
何かを、とはなんだ。
グレイグが尋ねると、ハリィは手にした弓矢を掲げて答えた。
「さぁね、そこまでは俺にも見当つかないよ。とりあえず、レベル上げでも励むとしないか?何処に行くにしても、何をするにしても、弱いよりは強い方がいい。そうだろ?」
なんというポジティブシンキング。
すぐクヨクヨ悩むグレイグと違って、ハリィはトコトン前向きだ。
こんな、訳の判らない仮想空間に閉じこめられたとしても。
さすがは敬愛する兄貴分である。
頼りになる。
グレイグはジッと己の武器を見た。
切れ味は鈍そうだが、戦えない事もあるまい。
自分が敵を打ち倒し、ハリィを全力で守れば問題ない。
「俺が戦士で君は弓師だったな。ならハリィ、君は俺の背後でフォローにあたってくれ」
「勿論だ」
ハリィは頷き、一本試しに射ってみる。
矢はビヨンと頼りない曲線を描き、地面にぽとりと落ちた。
「本当は銃のほうが良かったんだが」と彼が呟くのを見て、そういえばと思い出してグレイグは尋ねた。
「クラスというのは職業と考えていいのか?」
「あぁ」
「それで、既にこの格好だったようだが、俺達に選択の余地は」
「ないみたいだね。転職は第一次、第二次とパワーアップしていくだけで、変更自体は出来ないそうだ」
あの文字だらけのヘルプを相当読み込んだようで、よどみなくスラスラと答えるハリィに、グレイグは、ますます尊敬の視線でハリィを見つめるのであった。