17.真夜中の訪問
情報収集するのは明日以降からだ。色々ありすぎて疲れてしまったので、その日は宿に泊まった。
ランスロットの記憶喪失は、戦いが終わってから考える――
そう決めたのは自分なのに、やはり納得がいかない。
ベッドの上で何度か寝返りをうっていたエイジは、起き上がる。
時計がないので判らないが、時刻は夜十時を過ぎているはずだ。
こんな時間に行くのは気が咎めたが、行くなら皆の寝ている今しかない。
そっと自分の部屋を出て、隣の扉をノックした。
『……はい?』
控えめな返事が聞こえる。エイジは小さく囁いた。
「俺だ、エイジだ。夜分遅くすまないが、部屋に入れてくれないか?」
返事はなく、その代わり扉が開いて彼を招き入れる。
ランスロットは、まだ起きていたらしく、ベッドが少しも乱れていない。
エイジの視線を辿り、彼女は言い訳のように付け足した。
『眠れなくて……』
「俺もだ」と頷いて、エイジが扉にもたれかかる。
「一旦は、ああ決めたが……やはり、どうしても君の記憶を取り戻したいと思って、こんな時間に来てしまった。非礼を許してくれ」
『非礼だなんて、わたしの為に、そこまでしてくださる心遣いが有り難いです』
そう言って、ランスロットが項垂れる。
『わたし……皆さんのお役に立てなくて、申し訳ないです』
「君が責任を感じる必要はない。それに役に立てないなどと言い出したら、今集まっている殆どの者が戦いの場では何の役にも立てないだろう」
悪魔を呼び出せないデヴィットを筆頭に、何ができるのか判らないダグー。
口先だけのグラウに、変態のキース。
一見多彩に見えるピートの能力は、戦闘力皆無である。
吉敷も聖獣がいないと本調子が出せないと言っていた。
自分だって、そうだ。記憶喪失の悪魔を抱えて、何ができる?
――何かの役に立ちたいからこそ、ここへ来た。
『そ、それで、記憶を取り戻す方法が判ったんですか?』
期待に満ちた目を向けられて、エイジはウッと言葉に詰まる。
実に言い出しにくい。
昼間ダグーが言ったアイディアを試してみる、などとは。
「そ、その、だな。……まずはショック療法を試してみようと思っている」
『ショック療法?』
「そうだ」
話しているだけでも、この後の展開を考えると頬が熱くなってくる。
きょとんとするランスロットの正面に立ち、エイジは彼女をぎゅっと抱きしめた。
『あっ……』と小さく呟いて、ランスロットが目を閉じる。
そればかりじゃない、背中に手まで回してくるもんだから、意外なリアクションに驚いて、エイジは硬直してしまった。
風呂もベッドも一緒の間柄だ。今更何を恥ずかしがる必要がある――
そう思って決行したショック療法"いきなりハグ"は、どうやら失敗の予感。
抱き合うのが、こんなに恥ずかしいとは予想外だった。
大体、普段のランスロットなら、こんな態度は絶対に取らない。
エイジのほうからハグを求めると、必ずと言っていいほど猛烈な拒否に遭う。
『駄目です』の一点張りで、エイジを近寄らせようともしない。
その時、決まって言われるのが、こうだ。
『ご主人様と使い魔で、こんな真似をしてはいけない』
そのくせランスロットは鎧で抱きついてきたり、エイジを抱き上げたがるのである。
改めて考えると、恐ろしく理不尽だ。
どちらがご主人様か、判ったものではない。
己の胸に顔をうずめるランスロットを見下ろし、エイジは考える。
このままでも、いいか。
……いやいや、よくない。
思わず一時の感情に流されてしまうところだった。
「ら、ランスロット……俺は……」
ぼそぼそ呟くエイジの声はランスロットには聞こえなかったのか、彼女が小声で尋ねてきた。
『エイジさん。わたし……記憶を失う前は、あなたと、どういう関係だったのですか?わたしとあなたは、その、使い魔とご主人様という立場以外では、どうだったんでしょう。仲が良かった……?それとも』
「それは……」
『ご主人様とシモベ以外の関係など、なかった……?』
琥珀色の瞳が、じっとエイジを見つめている。
これ以上染まりようがないほど真っ赤に染まったエイジは、さらに頬が熱くなる感覚を抱きながら、大真面目に答えた。
「お……俺達は、誰よりも互いの事を判りあっていた。強い信頼で結ばれていたんだ。だからこそ、会社でトップに立てるほどの実力を発揮できた」
ランスロットの瞳が僅かに陰る。
『でも……今のわたしには、それが判らないんですね』
ここまできても、エイジは全てを話していない。
二人きりだというのに、建前で話している。
そう感じたのだ。
そう感じたランスロットにエイジも気づき、絶句する。
エイジの顔を盗み見て、そっとランスロットが離れた。
『もう夜も遅いので、そろそろ寝ようと思います。エイジさん、ありがとうございました。わたしの為に、わざわざ訪問して下さいまして』
扉を開けて、促される。
遠回しに出て行けと催促されている。
理性が働く前に声が飛び出していた。
「おっ、俺はッ!俺はお前が好きなのに、お前はいつも拒んでいた……だからッ」
えっと棒立ちになったランスロットは、再びエイジに抱きつかれる。
「だから、ああいう言い方しかできなくて……でも悪いのは、お前じゃない。『あるじが使い魔を好きになるのはおかしい』と決めつけた世論のせいだ。そんな世間体を気にして、強く求める事のできなかった俺自身の弱さのせいだ!」
『あ、あの、エイジさん』
夜中だというのに、そんな大きな声で話していたら、皆が目を覚ましてしまう。
扉を閉めなくてはと手を伸ばすが、その手を押さえられた。
「ランスロット、お前が記憶を失う前、俺をどう思っていたのかは俺には判らない。だが、俺はお前を好きだった。いや、今でも、その気持ちは変わらないッ」
真っ向から見つめられては目をそらすことも出来ず、ランスロットも自分の頬が火照ってくるのを感じていた。
『あ、あぅ……』
昔の自分がどう思っていたのかは、ランスロット自身にも判らない。
でも、これだけは言える。
今の自分は、この人に惹かれている――
再び、そろそろと手をエイジの背中へ回しかけた時、無粋な声が遮った。
「ヒューヒュー♪夜中に愛の告白かい?見せつけてくれるじゃないか、エイジ」
忘れたくとも忘れられない。
この声は昼間散々自分を舅の如く虐めてくれた、ニヤケ顔のモノではないか。
慌ててエイジが手を放す。
ランスロットも恐る恐る声の方向を確かめて、思いっきり顔を引きつらせた。
『デヴィットさん……いつの間に?』
デヴィットは悪魔の問いを無視して、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「君は常識人だと思っていたけど、悪魔に愛の告白をするなんて、僕と同じぐらいの変わり者だったんだねぇ〜?」
デヴィットにねちっこく絡まれて、エイジはすっかり汗だくだ。
「いっ、いつから聞いていたんだ……?」
「世論がおかしい、自分が悪いって君が演説を始めた辺りからかな」
やはり扉は閉めておくべきであった。
開けたままにしてしまった自分の迂闊さに、ランスロットは歯がみする。
扉さえ閉まっていれば、無粋な乱入を防げたものを。
「大体さ、使い魔と一緒に暮らしているって聞いた時から、おかしいと思ったんだ。いくら優秀な使い魔だと言っても年中側に置いとくなんて、距離が近すぎだろ」
「何が言いたい……?」
ジロリと睨むエイジに、デヴィットはトドメの一言を放つ。
「ねぇ。もしかして君は、これからやるつもりだったのかい?可愛い愛しのランスロットと、ベッドの上でセックスを。好きの意味を確かめあう為にさ」
「セッ……!!」
かぁっと一気に頭へ血が上る。
だがエイジが怒りで殴りかかるよりも先に、デヴィットへ攻撃した者がいた。
『エイジ様に下品なネタをふるのは、おやめ下さい!!』
風圧が襲ってきた。と思う暇もなく、ぎゅわんと歪んだ音がして、デヴィットの頭上の空間が真っ黒に切り開かれる。
「ひぃっ!」と叫んで腰を抜かしたデヴィットは、真っ青になって前方を見た。
『謝りなさい、エイジ様に!』
こめかみに青筋を立てて怒っているのはランスロットだ。
さっきまでモジモジしていた奴と同じ悪魔とは到底思えない。
というか今、手加減されたのではないか?
ということは、能力を制御できているんじゃないか!
デヴィットは気づくが、ランスロットの絶叫のせいで思考は四散した。
『あ、あぁー!?私、私どうして鎧を脱いでいるのでしょう!?はわわ、恥ずかしいっ!私の鎧、鎧は何処ですかぁぁっ!え、エイジ様ぁぁ〜、隠さず出して下さいよ、私の鎧!』
おろおろする悪魔に、つられてエイジもオロオロしながら答える。
「い、いや……すまん、お前の鎧がどこにあるのかは俺にも判らん。俺と再会した時点で、すでにお前は鎧を着ていなかったぞ」
『再会?えっ?私、どこかに行っていたんですか?それに、ここは何処ですか?』
気づく順番が滅茶苦茶だ。
だが、この状態はデヴィットにも見覚えがある。
天然クオリティー百パーセント、平時のランスロットだ。
「も、もしかして……記憶が戻ったのか?」
エイジの問いに、悪魔は首を傾げた。
『はっ?記憶?私が記憶喪失にでもなっていたと、おっしゃるのですか?エイジ様も、ご冗談がお好きですね』
人の気も知らんと、ニコニコ笑っている。
まぁ、いい。戻ったのなら、言うことなしだ。
デヴィットは格好を繕うと、これみよがしに言ってみる。
「ほ、ほらな。だからショック療法が一番だって昼間の僕も言ったじゃないか。僕の予想通り、シモネタ発言によるショック療法は効果的だったみたいだねぇ」
「結果論だろうが!」
再びエイジの顔は火照ってきて、ランスロットだけがキョトンとする。
『一体何のお話ですか?』
シモネタ療法の件は、全然記憶に残っていないようだ。
さっきの攻撃は、無意識で放ったものらしい。
「お前が気にする必要はないよ」とデヴィットは言ってやった。
そうだ、もう戦力不足を気にする必要もない。
明日は、こいつに頼んでアーシュラを呼び戻そう。
その上で、コードK探しに励むとしよう。
最終戦を前に、やる気が上昇したデヴィットであった。