怨冥道士

第二話 タネさん

風村と薄幸の美少年こと草間が再び顔を会わせたのは、風村が種山と話して、更に数日経ってからであった。
その時、風村は何をしていたかというと――話は出会うより少し前に戻る。

その日も太陽が真上から照りつけ、立っているだけで汗がぼたぼたと流れ落ちてくるような天候であった。
暑さにそう強くもない風村が通学途中でギブアップしたのは言うまでもなく、もうすぐ夏休みだというのに待ちきれず、またも大学をおサボりした。
この間の一件から例の涼み場所には行く気になれない。
――図書館はどうだろう?
不意に思いついた案が自分でも気に入り、近所の図書館へと歩いていった。
その途中の道である。
信号待ちしていた風村の視界に、見たくもない風景が入ってきた。
派手なガラシャツを着た男に若いお嬢さんが絡まれている情景だ。
こういう時、格好良く助けるのが男というものなのかもしれない。
しかし風村はそんな勇気など持ち合わせていなかった。
だが、見て見ぬ振りというのも気が退ける。
周りの人達も、そう思っているらしかった。
ちらちらと不安そうに女性と男を交互に眺めている者もいる。
助けてやれよ、と風村は自分の事を棚にあげて苛ついた。

その時であった。
絡んでいた男が突如体を震わせたかと思うと、いきなり歩き出したのは。
歩き出し方が実に不自然だ。
顔を強張らせたまま、ぎくしゃくとひとけのない方向へ進んでいく。
出た足と同じほうの手を振っている。
まるで見えぬ何者かに操られるようにして、無理矢理歩いているようであった。
ぽかーんとする周囲の目の前で、男は強制退場させられた。
男の姿が完全に見えなくなったところで、街はいつもの雰囲気に戻る。
「夏だなぁ…」というつぶやきが風村の耳に届いて、なにげなく彼は振り向いた。そして、あの少年の姿を見つけたのである。

少年は一人ではなかった。
もう一人、背の高い青年と一緒に立っていた。
もちろん風村の見知った顔ではない。初めて見る顔だ。
その青年が呟く。さきほど聞いた声と同じ声で呟いた。
「……夏になると、ああいうのが出てきて困るねぇ。サトも気をつけろよ?」
あの子はサトというのか。
風村がぼんやり考えていると、少年もこちらに気がついたようだった。
「風村さん!」と名を呼んできた。
何故俺の名前をと聞く暇もなく、駆け寄ってくる。
少年は笑顔で輝いていた。

彼らは草間と名乗った。
背の高いほうが兄で少年は義弟だという。
二人に挨拶されて、風村も一応名乗っておいた。
が、兄のほうに制される。
「あぁ、名前はもう知ってるから。風村サンだろ?」
「え?」
俺って、そんなに有名人だっけ?とボケると、少年が応える。
「いえ、占いで調べたんです。どうしてもお礼が言いたくて、それで……」
別に大したことはしていないのだから、面と向かって言われると照れる。
「いやぁ……お礼だなんて、そんな」
照れていると少年はぎゅっと風村の手を握ってきて、そして真面目な顔でこう言った。
「僕にできることがありましたら、何でもお申し付け下さい」
風村といえど、小中学生を働かせるほど極悪ではない。
弱っていると兄のほうが助け船をよこしてくる。
「サトは思いこみが激しいナァ。あ、そーだ。これ名刺。風村サン、困ったことがあったらサトに仕事回してくれよな。それで恩返しにもなるだろ、サト?」

渡された名刺には
【怨冥道士  草間】
と書かれていた。


風村と草間が仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
だいぶ歳が離れた二人ではあるが、草間は風村の言うことなら何でも素直に信じるので、風村も彼の純粋さに呆れながら好感を持つようになっていた。
風村は草間を自分のアパートに招待したりもしたし、命の恩人とまで言われて気をよくしたのか、通っている大学の名前まで教えてしまっていた。
ただ、風村は草間の境遇については何も知らないままであった。
話を振っても何気なくスルーされてしまうのだ。
話しにくい家庭環境なのだろうか。
彼の家に招待されたこともない。
怨冥道士って何だ?と尋ねたこともあったが、以前お見せした術を使って困った人達を助ける仕事ですよ……としか説明されなかった。
一緒に出会った義兄とやらには、あの日以来まったく会っていない。
アパートに招待するたびに、兄さんも連れて来いよと誘った事が何度かあったのだが、遊びに来るのはいつも少年一人であった。
理由を問うと、少年は寂しそうに必ずこう言った。
「兄は……忙しい人ですから。僕とは違って有能な方です」

友達であるが、まだ完全に心を許せない。
風村と草間の仲はそのような状態になりつつあった。
なかなか全てを話そうとしてくれない草間に気を揉んだ風村は、禁断の行為に出ようと決意を固めつつあった。
そう、会わせてみるのだ。
草間を、あの人――種山に。
二人を引き合わせてみて、結果として何が起こるかは判らない。
だが、種山ならば草間から話を聞きだしてくれるかもしれないという淡い期待が風村にはあった。
なにしろ、種山の本業はジャーナリストなのだから……


慌ただしい朝を過ごして出てきたため、風村が種山に電話をかけることができたのは昼休み、大学の構内からであった。
もう季節は新学期に入っている。
夏休みの間はどうしたものか、種山と連絡を取り合うことができなかった。
きっと取材で忙しかったのだろうと思う。
なんにせよ、忙しいというのは良いことだ。食いっぱぐれないで済む。
今は種山の仕事を心配するよりも、やることがあった。
新しくできた風村の友達――
そう、草間を種山に紹介するのだ。
問題があるとすれば種山のナンパ癖だが、これは自分が見張っていれば大丈夫だろう。
電話をかける風村の背後には一人の少年が佇んでいる。
あれやこれやと言いくるめて、ここまで連れ込んでしまった草間その人であった。

「風村さん。僕、やっぱりここにいるのは」
草間が遠慮深げに話しかけてきた時、電話の相手が出た。
『はい、種山……なんだーお前かぁ、ショーヘイ。今日はどうした?大学行ってるか?』
いつもと変わらない暢気な声を聞いて、少しほっとしながら風村は用件を切り出す。
「えぇ、大学からです。今電話してるんですけど」
当たり前のことを説明しつつ、ちらりと後ろを見た。
所在なく立っている草間は、いつにも増して存在が薄く感じられた。
「えっと、今からそっち行ってもいいですかね?種山さんに会ってほしい人がいるんすけど」
『おいおい〜、何だよ急だな。まぁいいけど』
おどけたような、それでいて穏やかな声が返ってくる。
「よかった。あ、でも平気ですよね?時間空いてます?」
『空いてなかったらOK出さないよ。それで?誰に会ってほしいんだって?』
「今からそちらへ向かいます。それまでは内緒ですよ」と言って電話を切った。
長電話をしていると、草間が帰ってしまうかもしれない。

「大学って……」
「うん?」
種山のアパートへ向かう途中、不意に草間が話しかけてくる。
視線は地面を向いていたが、その顔には微かに笑みが浮かんでいた。
「広いんですね。僕、初めて行きました」
「うん……まぁ、広いね」
あまり気が利かない返事をした後、風村はそっと尋ねてみる。
「……もしかして、呼ばれたことを後悔してる?」
不思議そうな目を向けられた。
「えっ?」
「いや、だって落ち着かないみたいだったからさ…」
「あ、いえ、そんなことは。ただ、人の多いところは苦手なので」
慌てて手を振り否定の意を返すと、その後は黙って歩いた。

黙々と歩いて一時間ほどで種山のアパートに到着する。
風村には、その一時間が二時間にも三時間にも感じられた。
重苦しい雰囲気から解放されたい勢いで、種山のいる部屋のドアを開けた。
とたんに二人そろって煙草の煙で歓迎される。
「げほっげほげほっ!ちょ……種山さん、また窓閉めて煙草吸って!」
風村は涙目になりながらも上がり込むと、窓という窓を全部開ける。
気持ちのいい風が入ってきた。
当の家主、種山はというと、反省の色もなく風村の後ろをついてきた少年に話しかけている。
風村に何の断りも挨拶もないとは、まったく油断も隙もない。
草間の肩を抱きかかえるようにしながら部屋へ誘導すると、自分の隣に座らせた。
「いや〜〜〜可愛いねぇ君!なんて名前?ショーヘイとはどういうつきあい?いやいやいやいや、ショーヘイなんかこの際どうだっていい!俺と君の出会いに乾杯を!おいショーヘイ、そんなとこで突っ立ってないでビールを入れて差し上げろ!」
あまりといえばあまりな変わり様に呆れた溜息をつくと、風村は大人しくキッチンへ向かう。
いつもこうなのだ。綺麗な人と種山が遭遇すると。
だから本当は会わせたくなかったのだ、二人を。

「へぇ〜ぇ、君が噂の怨冥道士様か!いやいやいや、噂通り若くて綺麗で羨ましいねぇ!この手で人を呪ったりするのかい?いや、答えなくていい。君になら俺も呪われてみたいもんだよ。ほぉ〜それにしてもスベスベしていて若い子の肌の手触りはいいねぇ〜」
あの、その、と何かを言いかける草間に、種山は際限なく話しかけては手を握ったり、その手にスリスリ頬擦りしたりとやりたい放題だ。
草間が困った顔で風村を見つめている。
ビールをお盆に乗せて持ってきた風村もその視線に気づき、助平親父丸出しの種山を叱った。
「ちょっと種山さん、退かれてますよ。それじゃセクハラ親父だ。それにそんなことさせる為に連れてきたんじゃないんですよ。俺の話を聞いてください」
「いいとも。わざわざ俺のトコに連れ込むぐらいだ、目的は何だ?」
握った手を離さないまま答える種山。
「えーと……その前にその手を離してください」
風村は呆れながらもツッコミを入れた。

種山が名残惜しそうに手を離した後、風村は草間と出会ってから今日までの出来事を話した。
「それで?」
煙草の煙をくゆらせながら種山が尋ねる。
「それで、とは?」
ビールをあおってから風村も答えた。
「それで、俺に何をどうしてほしいんだ?二人の門出を乾杯しろとでも?」
「門出だなんて!!」
二人でハモッた。
風村が驚いて草間を見ると、彼は頬をぽぅっと赤く染めている。
それについて突っ込むと、しどろもどろに答えを返してきた。
「い、いえ、その……風村さんは僕の恩人ですから。門出だなんて……おこがましいです」
「じゃあ奴隷か傀儡だ。いいねぇ、俺もこんな若い子にお世話してもらいたいもんだよ」
品のない種山の言葉に草間はさらに顔を赤くした。
たまりかねて、再び風村は種山を叱る。
「ちょっと種山さんっ。草間くんは奴隷なんかじゃないっすよ!」
「わかってるわかってる、ちょっとからかっただけじゃないか」
ニヤニヤ笑いで返された。
「要するにお前は気になるわけだ、この子の本職であるところの怨冥道が」
もちろん、それもある。
しかし風村が本当に知りたいのは草間の家族構成や実家、そして生い立ちだ。
それを誘導尋問してもらいたくて連れてきたのだが、種山は種山で自分の欲望に忠実なようである。
半ば諦めながら、もう一杯ビールをあおった。
「からかうなんて人が悪いっすよ。草間くんはそーゆー冗談苦手なんすから」
「悪い悪い。で、どうなの?怨冥道ってのは。憶測じゃ色々聞いてるけど本当に人を呪って殺すことなんてできるのかねぇ?」
殺す、と聞いてコップを持った手が止まる。
風村は知らずのうちに草間を見つめていた。
この、ともすれば臆病そうにも見える少年が人を殺したりできるのだろうか?
恩人の凝視を身に受け、草間は再び顔を赤らめたまま短く応えた。
「できます。それが怨冥道です」
短くなった煙草を揉み消し、二本目に火をつけながら種山は平然と尋ねる。
「自信満々だね。君はその怨冥道を誰に習ったの?お爺さん?それともお兄さん?」
「父です」
短く答える草間の声に躊躇はない。
「へぇ、代々受け継いでいくものなんだ。じゃあお父さんは当然お爺さんから習ったんだね?」
「えぇ」
「それで、君は怨冥道で誰かを殺したことはあるの?」
いきなり確信をついた質問に草間は質問で返してきた。
「……それは尋問ですか?それとも、疑問ですか」
もはや顔は赤らんでいない。暗い瞳でじっと種山を見つめている。
その視線を真っ向から受け止めると、種山もニヤニヤ笑いを消して言う。
「怨冥道を嗅ぎ回らない方が身のためですよ、って事かい」
「えぇ」
じゃあ、と種山はいきなり風村を指さして言った。
「君が答えてくれないと風村くんが困っちゃうんだけど?」
「えぇっ?……どうしてですか?風村さんっ」
風村よりも数倍困った顔で草間が尋ねる。
風村本人も戸惑った。
なにしろ怨冥道を知らなくても、風村は別に困らないからだ。
「さ、さぁ?」
とぼけた返事をしていると、種山が再び薄ら笑いを浮かべたまま言った。
「君についてのすべてが知りたいんだと。友達なら隠し事なんてしないよなぁ?全てをさらけ出してこその友人ってもんだろ」
でもあの、と言いかける草間の服を何故か脱がし始める。
「風村くんは君の心意気に感動してるんだよ。君が自分のために働きたいなんて言うからさ。でも働かせるにしても、素性の判らない奴に何かを頼むわけにもいかんだろ?」
「あの……それと服を脱がせるのには、どういう関係が」
ボタンを外す手を押さえようとするが、種山は止まらない。
背後から抱きかかえて草間の動きを封じると、シャツのボタンを全て外してしまった。
「ちょ、ちょっとちょっと種さん。何やってるんですか」
風村の制止も何のその、次はズボンのチャックを下に降ろしながら種山は続けて攻める。
「それにな、風村くんはこうも言ったよ……君の全てを知るにはまず裸のおつきあいだ。君の裸が見たいんだよ、俺も、彼もね」
種山のような変態と一緒にされては大変に困る。
今後の友情にヒビが入りかねなかった。
風村は思わず立ち上がって絶叫した。
「いい加減にしろよ、このヘンタイッ!」
ズボンの中身をまさぐる種山からむりやり草間を引っぺがすと、風村は絨毯に頭をこすりつけんばかりに草間に向かって平謝りした。
何で自分が謝らなければならないのだろう、という気もしたが、このアパートへ彼を招待したのは他ならぬ自分だ。
やはり自分のせいでもあるだろう。
「すまんっ!いやな気分にさせちゃって、本当にごめんっ!!」
一方の草間はズボンの中を掻き回されて呆けていたが、謝り倒す風村に向かい逆に謝ってきた。
「いえ、その、僕のほうこそすみません。友達なのに隠してばかりで……」
最後の方は小声で、赤らみながら言った。
「風村さんが……ごらんになりたいのでしたら、僕は……別に、かまいませんし」
やはり誤解されている。風村は慌てて弁解した。
「いやっ!見たいとは思ってないから!というか見たくないから見せなくていい!」
半分以上本音だ。
草間が少女だというのなら少しは興味がある。
別に風村はロリコンではない。少年よりは少女のほうが関心が大きいというだけだ。
とはいえ草間は友達なのだから、何であろうとセクハラは言語道断だ。
風村は自分の妄想を断ち切ると、怒りの形相で種山を睨みつけた。
「種山さんっ!」
種山はそしらぬ顔で煙草なんぞを吹かしている。
「今度やったら俺らも絶交ですよ?!絶交しますからね、種さんとはっ」
これもまた、本気であった。
風村の本気をどこまで真剣に受け取ったのかは判らないが、種山は神妙に頷いた。
「判った。おふざけはここまでにして、ここからは真面目に尋ねよう。君、名前は?」
「あ……草間です」
「うん、草間くん。こいつに、ショーヘイに色々教えてやってくれないか?冗談抜きに彼は好奇心旺盛だからね。俺のところに君を連れてきたということは、君に興味があるんだけども遠慮して聞けない、だから俺に代行させようって腹なんだろ」
風村の思惑は見透かされていた。
あっさり看破されていたことに驚く風村を尻目に続ける。
「何もかもを話せるのが友達とは言わない、恩を被せるつもりもない。ただ、君が彼を気の許せる相手だと思うのなら、話してやってくれないか」
最後に、こう付け加えることも忘れなかった。
「もちろん、俺も知りたいしね」
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