怨冥道士

第三話 風村の決意

草間が自分の家系について話してくれる気になったのは、風村が種山の家に押し掛けてきてから半日ほど経過しての事であった。
その間、二人は実に辛抱強く待っていた。
意を決した草間が重く閉ざしていた口をようやく開いて話し始めると、種山は短くなった煙草を揉み消し、風村はビールをコップに継ぎ足す。
ビールはすっかりぬるくなり、炭酸がだいぶ抜けていた。
「あの、約束してくださいね。この話は」
前置きを言いかける草間を制して種山が続ける。
「わかってる。他言無用だと言いたいんだろ?大丈夫、俺もこいつも口は堅いからね」
そうかなぁと風村は思ったのだが、くちに出しては言わないことにした。

「怨冥道士とは――」

草間の弁によると京の時代、平安時代から伝わる呪術師であるらしい。
怨恨の怨に冥界の冥と書いて、【おんめい】と読む。
いかにもだなと種山が茶々を入れ、風村は黙って頷いた。
草間家は代々将軍に使えてきた呪殺者の家系であった。
聞いたことがないと呟く風村に草間は頷き、彼が答えるよりも早く種山が横合いから口を挟む。
恐らくは陰の暗殺者なのだろうから、歴史の表舞台には登場しなくても当然だろう。
その通りですと答えて、草間は先を続ける。
術は血族の中で最も優れた術者に与えられ、極秘を守るため、書物類も極力残さぬ方針で口づてに伝えられてきた。
秘伝の術を伝えられなかったであろう、残る家族はどうしたか―?
当主の手により全てが闇に葬られてきたという。
血を分けた肉親であろうに容赦のない話だ。
あまりに非現実すぎて実感がわかず、「一子相伝の秘術か……壮絶な話だね」と風村がとぼけたことを呟くと、種山も調子を合わせてくる。
「お前はもう、死んでいる!あ いや、この場合は詛われている、か?」
さて、極秘の術なのだから、当然の事なれど赤の他人に知られてはならない。
しかし長い歴史の中、偶然その存在を知ってしまった者も少なくなかろう。
偶然それを知ってしまった者達の末路は?
草間は淡々と語った。
全ては死を以て口封じされた――
それを聞いた時には、風村と種山は両名とも背筋が凍る思いがした。
二人の気持ちを察したのか、草間はわずかに微笑んで「お二人は大丈夫ですよ」と言う。
「僕が、消させませんから」とも言った。
声は小さいが力強い言葉であった。
「そこまで詳しく知っているということは、今の当主は君なのか」
背筋に寒いものを感じながら種山が問うと、草間はしばしの沈黙の後に答える。
「……はい。兄と、二人で一人の当主です」
「えっ」
風村は驚いて聞き返した。
「でも怨冥道は一子相伝の秘術なんじゃなかったっけ?」
それにも頷くと、草間は言いづらそうに答えた。
「兄は……養子なんです、僕が産まれる前に草間の家に来た。その後僕が産まれた……父は僕が中学に上がったとき、当主になれと命じました。でも僕はまだ幼いから、兄を補佐としてつけたのです」
なるほど。
それはお兄さんとしては、さぞ面白くないであろう。
養子として呼ばれたにも関わらず、跡継ぎが産まれた途端に補佐に格下げか。
密かに恨んでいたとしてもおかしくない。
だから、あまり家族のことを話してくれなかったのかもしれない。
それに彼の場合は、彼の家系独特の秘密主義も含まれている。
秘密を知った相手を殺さねばならぬような家系では、おいそれと話すわけにはいかなかったのにも頷けるというものだ。
「よく話してくれたね」
風村が褒めると、草間はまたも頬を赤らめ俯きながら呟く。
「あなたになら話しても大丈夫だと思ったからです。いいえ……僕は、あなたに知って欲しかったのかもしれない」
その様子を見て、種山がニヤニヤと下品な笑いを浮かべていることに風村は気がついた。
きっとまた冷やかしてくるに違いないという彼の予測を裏切らず、種山は言った。
「ここまで慕われてちゃあ邪険にできないよなァ、ショーヘイ」
「邪険にする気なんてハナからないっすよ」
むっとしながら答えると、再び視線を草間に向けた。
彼がまだ何か言いたそうにしていたからだ。
「でも……その頃からなんです。当主を継ぐと判ってからなんです……僕が変な人達に狙われるようになったのは」

襲いかかってくる相手は、いつも年上の男達であった。
初めは呪殺依頼から来る怨恨かと思った。
暗殺なんて仕事をしていれば、誰かしらから恨みを買っていても当然だからだ。
だが、それにしては襲ってくる相手が毎回違うのが気になった。
彼らは背後につながりがあるわけでもなく、どこかの組織に与している者達でもない。
今までに襲ってきた面々の全てが赤の他人同士であった。
怨恨にしては、なんとも奇妙な話ではないか。
それに襲われ方も別段命に関わるものではないのが気にかかる。
彼らは全て草間の肉体のみを求めて群がってきていた。
草間は少年であるというのに、殺すわけではなく犯すためだけに襲いかかってくるのだ。

「そりゃあ君、お兄さんに詛われてるんじゃないの?」
いともあっさりとした種山の意見に、草間はもちろんのこと風村もぽかんとなった。
すぐさま立ち直り、「種さん、そりゃいくらなんでも……義理とはいえ一応兄弟なんですよ?」と風村が突っ込むが、種山は煙草を挟んだ指をチチチと振って否定する。
「兄弟ったって義理だろ?義理。ましてやお前、草間クンはお兄さんの地位を奪い取ったご当主様なんだぜ。草間クンが傷ついて立ち直れなくなるか、噂がご町内に広まるのを待ってるんだな」
今度は草間が反論する。
「で、でも冥幻術には相手を直接殺す術もあります!兄もそれを知っています。兄が犯人なら、こんな回りくどいやり方をするでしょうか?」
「その冥幻術ってのは」
煙草の煙を吐き出しながら、場に似合わぬのんびりした口調で種山は言う。
「詛った形跡が判るようなものかい?身内には」
「え、えぇ。身内なら判ります。術を使ったかそうではないか」
戸惑いながらも頷くと、草間は続けて断った。
「だから兄が僕を詛ったのではないことも判ります。呪の形跡がないから」
「だれも呪術で君を詛ったとは言ってないよ。それに詛いってのは何も呪文を使わなくたってできるもんだ」
再び驚く二人に、種山は自分の推理を披露した。
つまり草間の義兄は金の力で人を動かし、草間を襲わせていたのではないか。
金で動かない場合に限り、相手を術にかけて動かす。
草間自身に呪いをかけたのではすぐにバレてしまうだろうが、間接的な相手なら――?
「どうだね、判るかい?」
言われて初めて気がついた。
あの時は動揺していて、そんな気配を探る余裕もなかったことに。
種山が重ねて尋ねてくる。
「お兄さんと君とは、どうなんだ。仲はいいの?悪いの?」
草間は項垂れると、黙って首を横に振った。


すっかり気落ちしてしまった草間を慰めるためにも、風村と種山は相談する。
相談の結果、草間本人の同意の元に彼の兄さんを懲らしめる案を決起したのである。
「君がご当主様なんだ。たとえ兄さんが文句言おうとね」
ともすれば気弱になりがちな草間をそう励ますと、種山はさっそく手帳を取り出す。
手帳にはマスコミ有志の連絡先が多々書き殴ってある。
その中から雑誌社のカメラマンを選び出し、電話をかけ始めた。
どうするつもりなんですかと風村が問うと、種山は黙って片目をつぶる。
俺に任せておけと言いたいらしい。
「――ああ、八木か?俺だ、種山だ。今おもしれぇネタを追っかけてる最中なんだがお前も一口乗っ……あぁ、そんなんじゃない、芸能人の尻追っかけるよりスリリングなネタだ」
種山が電話中、風村はこっそりと草間に囁いた。
「種さんのことだけどさ、人は悪いけど信用していいよ」
こくりと頷くと、くわえて彼は言う。
「はい。風村さんのお友達ですから疑ってなんていません」
すべては風村あっての信頼か。
「お、お兄さんの事もだけどさ。種山さんは何も君の術で殺せって言ってるんじゃないんだ。ただちょっと懲らしめる程度で……えっと、できる、よね?」
照れたのか どもりながら尋ねる風村に、草間は悪戯っぽく笑う。
「はい。元々そっちのほうが得意ですから……人を化かす狸や狐も幻術を使いますよね」
――この子がオッサン達に狙われるのは、何もお兄さんの怨恨のせいだけじゃないよなぁ。
それぐらいにドキッとするような顔を、彼は時折見せることがあった。今もそうだ。
そんな風村の妄想は、突然の大声と共にかき消された。
「よーし二人とも!作戦開始といくぞ!」
こうして張り切っている種山の元、【草間のお兄さんをびっくりさせるぞ大作戦】は敢行されようとしていた。


いかにして驚かしてやろうか。
確かに、そればかりを考えていた種山にも落ち度はあった。
自分のアパートで風村達と作戦会議で盛り上がった後、種山は「時間をくれ」と二人に申し出て、策を立てることに没頭していた。
それこそ普段の仕事もほっぽりだして。
相手は現代の魔術師。
不足はない。おつりがくるほどだ。
こんな機会は滅多にあるものでもない。
自分より遙か上の実力者を参ったと言わせることが出来れば、さぞ気味がいいことだろう。
ついでに直に会うことができれば、いい記事のネタにもなる。
まさに一石二鳥だ。
――くだらない芸能取材なんぞしている場合じゃないな。
種山はニヤニヤ笑いを浮かべながら信号待ちをしていた。
すっかり周りの人の視線など忘れていた。
だから目の前にダンプカーが迫ってきたときも、まさかそいつが自分めがけて突っ込んできたのだとは気づかなかったのだ。
ダンプは急ブレーキをかけることなく、種山の元へ突っ込んできて――

緊急病院から電話を貰った風村は、危うく受話器を取り落とすところであった。
「そ……それで容態は?種山さんの様子はどうなんですっ」
うわずった声で問い返すと、医者は落ち着いた声で言った。
重傷ですが助かります、と。
種山はダンプに跳ねられた上、前輪に袖を巻き込まれ引きずられたという。
医者曰く、生きていたというのが奇跡なんだそうだ。
ダンプの運転手は自首していた。
種山を轢いたあと数メートル先で止まったので、皆で運転席に入り押さえ込んだのだ。
降ろされた運転手は様子が変であった。
人を轢いてしまったことに対しては、もちろん動揺していたが、それよりも自分がいつダンプに乗り込んだのか全く覚えていないと言うのだ。
状況を見ていた人達によると、ダンプは確実に種山を狙って飛び込んできた。
種山は歩道の上で信号待ちをしていた。
ダンプは種山の立つ歩道にまっすぐ突っ込むかたちで走ってきたというのだ。
下手をすれば他の人間をも巻き込んでいたかもしれなかった。
種山だけで済んだのは、不幸中の幸いといえよう。
運転手は業務上過失致死で送検されるだろう。精神鑑定も受けるに違いない。
しかし自分がいつ乗り込んだのか判らぬままに車を運転し、且つ人為的に確定された人物だけを轢くなど無意識の中でできるのであろうか――?
運転手が嘘をついているようには見えなかったと医者は言う。
風村はどうも信用できなかったので、見舞いがてら運転手にも会ってみようと思った。

「よォ、悪いな。見舞いを催促しちまったみたいで」
全身包帯ぐるぐる巻きのミイラ男になった種山は今、眠っている。
彼の代わりに風村を出迎えたのは、種山の同僚で雑誌編集者をやっている西田という男であった。
風村も何度か出会っている。
種山同様、どこか胡散臭いイメージを纏っている男だ。
「タネさんの身内っつったら、お前さんぐらいしか思いつかなかったんだ。許せよ」
笑う西田に、風村もちょっとだけ笑顔を見せた。
ぎこちない笑みではあるが。
「いえ、大丈夫です。今日は大学も休みでしたし……」
休みましたし、とは言わない辺りが風村らしい。
「それより種さんを轢いた奴は?運転手はどこにいるんです」
勢い込んで尋ねると、西田はマァマァと手を振りながらさらりと言う。
「今は警察だよ。精神鑑定の結果、異常は見られなかったらしいがね。ただ、不思議なことに記憶の欠如が一部見られたそうだ」
「え?」
「起きていながら、その時の記憶が何もない。空白の時間があるようなんだ。そんなことって現実にありうるもんかねぇ。あの男、若くして健忘症か」
少し考えてから風村は言ってみた。
「例えるなら催眠暗示……ということはありませんか?」
真面目な顔で尋ねると一笑された。
「きみね、ドラマの見過ぎなんじゃないのかい。ダンプの運ちゃんに暗示をかけてまで殺すような価値があるとは思えないよ、タネさんに。昔書いた記事からの怨恨って線も考えたけど……タネさんが扱って失敗した記事といやー例のアルフ突撃インタビューぐらいなもんで、あれも会社の金で向こうさんとは一件落着している。つまり、彼を轢き殺してまで口止めしたくなるような記事は他にないんだ」

「――って言われちゃったんだけど、きみはどう思う?」
夜、来訪してきた草間相手に風村は意見を尋ねていた。
どうにも納得がいかなかったのだが、肝心の種山にも運転手にも会うことが叶わず、すごすごと自宅へ戻ってきたところにドアの前で待っていた草間と鉢合わせたのだった。
風村の顔を見た途端、目に見えて判るぐらい輝いた顔を見せるものだから、家で何かあったんじゃないかと風村は思わず勘ぐったのであるが……
意見を聞いた途端、その顔色が今度は真っ青へと変わってゆく。
「います、種山さんが死んで助かる人が一人……」
「なんだい?まさか君のお兄さんだなんて言うつもりじゃないだろうな」
草間は泣きそうな顔で頷いていた。

そもそも草間が夜更けに風村宅を尋ねてきたのも、実は義兄が原因だった。
それは薄々感づいていたものの、更なる理由を聞いて風村は驚いた。
なんと彼は種山、風村、そして草間の悪巧みを看破していたというのだ。
まだ何も仕掛けていないばかりか、具体的な案も立てていないというのに。
そればかりではない。
風村らと別れてから、夕食時に草間は、それとなく話題に出してみた。
――そういえば今日、見知らぬ人に襲われたんだけど一体何だったのかな?
草間としては鎌をかけるつもりで、それとなく尋ねたつもりだった。
反応があるならよし、ないならないで悪戯作戦に歯止めをかけることができる。
そう考えた。
だが、兄は思いのほか激しい反応を見せたのだ。
いきなり家政婦達に両腕を掴まれ、ナプキンを丸めた物を口の中に押し込まれた。
何が起きたのか咄嗟に判断できないでいると、彼女達の前で兄にいやというほど陵辱された。
後ろから異物を挿入され、バラバラになるような激痛が体中をかけ巡る。
乱暴に突き動かされて、尻が裂けてしまうのではないかと思ったぐらいだ。
ことが終わった後も痛みに喘いでいると、耳元で囁く声がする。
そうだ、今までお前を襲わせていたのは、この俺だ。
だが、お前を世間的に葬るには、他人の手じゃ駄目だってことにようやく気づいたよ。
今の一部始終をビデオに撮っておいたぜ、御当主様。
バラまかれたくなかったら俺の言うとおりにするんだ。
兄は穏やかで優しい笑みを張りつかせていた。

聞いた後、風村はしばらく口をきくのも忘れてしまった。
義兄とはいえ、兄が弟を?
そんなもんを公開したら、兄だって世間的に隔離されてしまうんじゃなかろうか。
いや、他人の手を汚させるような小賢しい真似をする男のことだから、自分の姿が映ってる部分だけはカットするのかもしれない。
或いは編集して、今まで操ってきた者達の姿に差し替えてしまうとか……
しかし今はビデオの流出を心配している場合ではない。
このままだと、草間は殺されないまでも生きる屍に変えられてしまう危険が高い。
そちらの問題を、まず何とかするべきだ。
悶々と考え込んでいた風村は、不意にハッとなって草間を見た。
遅くなったが「……話してくれて、ありがとう」と礼を述べて慰めるのであった。
「差し出がましいとは思うけど……お兄さんと暮らすのが怖くなったら、いつでもうちに来いよ」
暗い顔で俯く草間の肩を掴んだ。
「俺に出来ることがあったら何でもするから、してやるから」
すると腕を力強く掴まれた。
「それじゃ……お願いです、兄を倒す力を僕に下さい!!」
意外な言葉にエッ?となる風村に、再度彼は言った。
「兄は、家政婦さん達も操っていた……僕を失脚させる為だけに。それだけじゃない、今までの人達も、ダンプの運転手さんも……みんな、みんな僕を失脚させる為だけに操ってきたんです。僕だけを狙うなら、僕だけを消せばいい!他の人達を操るなんてこと、する必要がないんです……なのに、兄は……お願いです風村さん、僕に勇気を分けてください!」
今にも泣き出しそうな少年が見せた初めての強い意志。
風村は思わず彼の小さな体を抱きしめた。まるで父親が息子を勇気づけるかのように。

勇気というものがあったら、自分はどんな風に育っていただろうか。
風村は時々そんな妄想を巡らせては、自分の置かれた現状に溜息が出そうになるのだ。
だが彼は今、生まれて初めて誰かのためになけなしの勇気を奮おうと決意していた。
相手は希代の魔術師。
他人を操ったり遠方から手を触れずに詛い殺したりすることができるという。
……駄目だ。勝ち目がない。
種山と違い、根が温厚で控えめな――といえば聞こえはいいが、要はぐぅたらで面倒くさがりな風村は、普段ならここで挫けているところである。
これが自分のことならばギブアップしても構わないと思う。
誰も風村をなじったりしないだろう。
よく頑張った、お前にはハナから無謀だったんだよと慰めてくれるかもしれない。
だが。
これは友達の為なのだ。挫けるわけにはいくまい。
若い友人の未来がかかっているといっても過言ではない。
自分の勇気一つで彼の将来が安心できるものになるならば、安いものじゃないか。
友達を失うよりは、友達の役に立てたほうがいいに決まっている。
それに、まるっきり勝算がないわけでもない。
草間もまた現代に生きる魔術師――怨冥道士なのだから。
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