4話
――昼になって。「イーサン、最近ゴロメと話、してる?」
差し向かいで座った途端、ソルトに言われたイーは、ほんの少し顔を歪ませる。
ゴロメというのはギルドメンバーの一人で、ガッチリ胸板のムサ男だ。
元々は女にしか興味のない奴だったのだが、からかい程度に手を出してみたら、翌日からゴロメはすっかりイーに夢中となってしまった。
しかし、イーは相手が一人で満足する男ではない。
ましてやゴロメは冗談で抱いただけ、意中のイの字もかすらない。
一回きりで終わった相手として、カウント済だ。
よって、恨みがましく文句を言われる筋合いなどないのである。イーにしてみれば。
「ゴロメ、寂しがっていたぞ。お前が構ってくれないから」
二人の関係を何処まで把握しているのかは判りかねるが、ソルトはそんな事を言う。
「寂しがってるったって同じ船に乗ってんだしさ、用があるなら向こうから来いっての」
手をひらひらさせて不真面目に答えると、イーは飯をスプーンで一口すくう。
ソルトはイーを真っ直ぐ見つめて、言い返した。
「部屋にいつ行っても留守だって愚痴っていたぞ。お前、いつも何処で寝てるんだ?」
「あーまー、他ん奴んトコいったり、奴隷室で一夜明かしたり?」
イーは隠し事をしない主義なので、素直に答えてやった。
奴隷室という言葉を耳にした瞬間、ソルトは眉をひそめたが、彼は何も言わなかった。
代わりに、口を出たのは伝言の続きだった。
「仲間を悲しませるなんて最低だ。ゴロメを早く安心させてやれよ」
イーがハイと答えるまで、この話をやめないつもりか。
早くもゴロメの話題に飽き飽きしてきたイーは、ぞんざいに頷いた。
「ん、判った判った、あとで慰めとく」
「約束だぞ?」
ソルトにはチラリ上目遣いに見上げられて、ガラにもなくイーの胸はキュンと高鳴った。
他の皆と同様、イーもソルトが気に入っている。
いやもう、次に手を出したい相手としてターゲッティングしている。
イーは男でも女でも人外でもオールマイティに手を出す下半身野郎であったから、ソルトも当然、範疇内だ。
なんといっても可愛いし、彼関連の浮いた噂が今のところ一切ないのも気にかかる。
女が好きなのか、男が好きなのか、それとも人外がお好みか。
その手の話が全く出てこないのは、しゅういちとソルトぐらいなものだ。
しゅういちは、とりあえず女性に興味はないらしい。
かといって男が好きなのかと言えば、答えはノー。
人間には興味がなく、書物と異世界の文化を愛でているのだと思われた。
ソルトは、どうなのだろう?
「なぁ、それより夜の予定空いてる?」と切り出せば、彼には怪訝な顔をされた。
「俺の予定なんか聞いてどうするんだ?イーサンはゴロメを慰めてあげなきゃ駄目だろ」
「だから、それは飯食った後にやっとくっての。そうじゃなくて夜だよ、夜。夜に何か用事あんの?」
ソルトは少し考え、すぐに答えた。
「特にないな」
「なら」と身を乗り出して、イーはとっておきの笑顔を浮かべる。
「俺の部屋で一緒に過ごさねぇ?星空見ながら、じっくり語り合おうぜェ」
しかしながら、とっておきのスマイルもソルトには全く効果がなかったかして、ふるふると首を真横に振られてしまった。
「いや、いい」
「なんでだよ」
口を尖らせるイーにちらりと目をやり、ソルトは窓へ視線を逃す。
聞いたのだ。他のギルメンから。
イーサンが部屋に誘ってきたら、用心しろと。
何故?と尋ねたら、大抵は、こういう答えが返ってきた。
ノコノコ遊びに行ったら、お前、食われちまうぞ――と。
食われるの意味は判らなかったが、仲間が言うぐらいだから信憑性は高い。
ソルトは、用心しておくことにした。
イーサンに誘われても、絶対に彼の部屋には入るまい。
無言の答えに、イーもピンとくる。
こいつ、他の奴らに余計な入れ知恵されたのか。
まぁいい。部屋でなくても襲うチャンスは、いくらでもある。
ソルトが同じギルドにいる間は、ずっと。
「ま、いっかぁ。いつか俺とも二人っきりのチャンスをくれよな」
飯を食い終わったイーは席を立ち、ぶらぶらと歩き出す。
仕方ない。ソルトの頼みとあっちゃ、ゴロメを慰めに行くしかない。
一発誘われるかもしれないが、その時は、その時だ。
立ち上がれないぐらいブッ込んでやれば、当分は大人しくなるかもしれない。
夕飯を食べ終えた後、ソルトは自室に戻らず、しゅういちの部屋へ向かう。
次のエモノはバラク島南部の海域と聞いているが、到着するまでには時間がかかる。
その間の時間つぶしを、しゅういちの部屋でしようと思った。
自室にいると誰かしら扉を叩いてきて、ゆっくり出来ないからだ。
構われるの自体は嫌ではない。が、しかし構われすぎるのには慣れていない。
これまでソルトは、一人で生きてきた。
気がついたら、廃屋に一人でいたのだ。前後の記憶が一切ない。
見知らぬ者に命を狙われる事があった。
誘拐されそうになったのも、一度や二度ではない。
何故、自分は狙われるのか――全く判らない。
だが捕まったら、ただでは済まないだろう。
直感で悟り、ずっと逃げ回ってきた。
しゅういちと出会ったのは、逃亡中での偶然だった。
彼の船に乗り込んだのは、身を隠す場所が必要だったからだ。
思った以上に、この船の中は快適だ。
個室が与えられるとは思ってもみなかったし、仲間は皆、自分に優しい。
飯は三食きっちり出るし、風呂やトイレも完備されている。
そして、なんといってもギルドマスターの性格がいい。
しゅういちは必要以上に干渉してこない。
ソルトだけではなく、メンバー全員に対してだ。
メンバーの中には書物と文化しか興味がないんじゃないか、と悪口を言う奴もいる。
しかし、そんなメンバーにも、しゅういちは罰を与えたりしなかった。
ギルドの基本ルールは『最低限のマナーを守って仲良く』だけだ。
要するに仲間内で喧嘩さえしなければ、追い出される事もない。
これは海賊ギルドでは、相当に珍しいルールなのだそうだ。
荒くれものが集い、仲間内で殺傷事件が起きるなど日常茶飯事なのが海賊の在り方だ。
しゅういちは海賊のくせに温厚だと、メンバーの誰もが言う。
ソルトも、そう感じた。
戦闘には全くのノータッチ、奴隷にしてもメンバーの要望があるから仕方なく設置しているといった案配で、彼自身は利用していないようである。
オマケにサラサラの銀髪、青い瞳は知的な光を携えている。
体格は中肉中背、スマートとガッチリの中間だ。
荒くれていなければ、ファッションセンスが壊滅してもいない。
海賊ギルドのマスターだというのが信じられないぐらい、外見も性格も街の住民そっくりだ。
しゅういちに、何故偽名を使うのかと聞いてみた事がある。
彼は『ハッタリとハクの為だ』と答え、笑った。
海賊をやっていくには、相手を怖がらせる必要があるそうだ。
とっくに死んでいる人間の名前を聞いてビビる奴の気が知れない。
そう突っ込むと、しゅういちは苦笑して、こうも言った。
八賢者の中でも笹川修一は特殊な人物で、今も生きている可能性があるのだ――と。
ちなみに本名はナイショだとも、しっかり釘を刺された。
猛烈気になるが、こちらのプライベートに踏み込んでこない相手のプライベートに踏み込むのは、さすがの新参者なソルトでも気が退けた。
「しゅういち、起きているか?」
トントンと扉をノックすると、すぐに返事がくる。
「起きているよ、入っておいで」
するりと入り込んでみれば、部屋は散らかっており、足の踏み場もありゃしない。
散らばっているのは、文字の書かれた紙切れだ。
しゅういちが書いたメモのようで、ほとんどが殴り書きされている。
「なんだ、これ。部屋を散らかしちゃ駄目だろ」
一枚拾い上げてみたが『遺産→眉唾?』など、断片的な言葉ばかりで意味が判らない。
「あぁ、すまない。後で片付けるから気にしないでくれ」
部屋の主は笑顔で言い、目線はモニターに釘付け、手は忙しなくメモを取っている。
それでも「取り込み中だったのか?」と尋ねるソルトには振り返って答えた。
「いや、もうすぐ終わる……うん、必要なデータは大体取れたかな」
投げ散らかしたメモを一枚ずつ拾い、束ねていく。
ソルトも手伝い、しゅういちには「ありがとう」と微笑まれた。
「それ、何の情報なんだ?」
「これから行く、バラク島南部の詳しい海賊情報だよ。知っているのと知らないのとでは、戦況も百八十度変わってくるからね」
「エモノがいるって言ってたけど」
「うん、そいつらの内部情報を集めていたんだ。人数と各々の分担は判った。規模さえ判れば攻略できる」
打てば響く返事を聞き、ソルトは安心する。
しゅういちの得意分野は鑑定だけではない。
事前に対戦相手の情報を調べ、戦略を練るのも彼の仕事だ。
無謀に突っ込んでいく他の海賊とは一味違うとはギルメンの言葉だが、ソルトも今では信用していた。
しゅういちの実力を。
彼の元にいれば、安全に過ごせる。
拉致や襲撃に怯える事もなく。