やや遅めの時間にケーキを食した後、この家の感想を伊藤に聞かれた宇佐美は正直に答えた。
「……おっきいスね、あと凄い」
「凄いって何が?」
「伊藤さんのコレクション」
伊藤は、しばらく空を見つめて考えていたようだが、やがて宇佐美の言うコレクションが何であるかを思いついたのか、ニコッと笑う。
「読みたい本があったら、言ってね」
「あ……いや、本も、なんですが……」
が、宇佐美の言いたいものとは違ったらしい。
どこか視線を外して、ボソッと付け足す。
「……ゲーム、面白かったです」
途端に伊藤がガタッ!と勢いよく席を立つもんだから、宇佐美は驚いた。
「え!ゲーム!!みみみ、見ちゃったの!?俺の秘蔵のコレクションッ」
「あ……はい……」
見てはいけなかったのか。
それも、そうか。
わざわざ引き出しにしまってあったぐらいだし。
無断で引き出しを開けるという行為に、罪悪感がなかったわけではない。
でも、好奇心が上回ってしまった。
なんてのは言い訳に過ぎない。
項垂れる宇佐美に気づき、伊藤が慌てて言い添える。
「あっ!見られて困るっていうんじゃないから誤解しないでね!?ただ、そのぉ〜、え、エロゲーもあったりするから、その……ウサミッチに軽蔑されたらヤダな〜って思っただけで……」
10代の小娘でもあるまいに、こちらを幾つだと思っているのだろう。
今時エロゲーを持っているというだけじゃ、軽蔑の対象にもならない。
「エロゲー、別に嫌いじゃないス」
「あっ、そうなの?てかウサミッチの好きなジャンルって何?」
興味津々に聞かれては答えないわけにもいかず、宇佐美は最小限に答えた。
「……音ゲーと格ゲース」
「なるほど〜。ウサミッチはゲーマーなんだね!俺はゲーオタだから、どうしても物語重視じゃないと満足できなくて……あっ、でも音ゲーは昔、笹川と一緒にブイブイいわせていた時期もあったよ!今はもう無理かもだけど、指がついていかなくて。なんたって、おじさんだからね!」
一度話し出すと、ぽんぽん言葉が出てくる伊藤には口を挟む隙がない。
それでも、宇佐美は満足していた。
伊藤は、どんな話題でも楽しそうに話す。
特にゲーム関連になると彼の持つゲーム愛を、そこかしこに感じた。
嬉しそうな伊藤の顔を見ていると、こちらまで幸せになれる気がする。
だから宇佐美は、伊藤の話を聞くのが好きであった。
ただし、リアクションを求められると困ってしまうのだが。
「アクションゲーム全般が好きなの?それとも音ゲーと格ゲーだけ?」
「あ、はい。伊藤さんは、恋愛、好きなんですね」
聞き返すと、伊藤は頬を赤くして何度も頷いた。
「えっ、うん……うん」
勢いが落ちたのを機に、宇佐美は思いきって言ってみた。
「俺、あんま、ああいうの……やったことなかったんスけど、今日やってみたら案外面白いなって……思って」
「ホント!?ホントにそう思う!?ウサミッチ、どれやったの?もしかして、コレッ!?コレ、俺も大好きなんだけど!」
途端にテンションが復活したかと思うと、だだっとソフト棚に走り寄って伊藤が持ってきたのは、ゲイ向けの同人エロゲーであった。
パッケージの絵柄が、あまりにも濃いのでプレイを敬遠したやつだ。
宇佐美は、そっと視線を外して小さく謝る。
「……すいません、それ、やってないです」
「あ、そうなんだ……ご、ごめん、決めつけたりして」
「いえ……」
伊藤のお薦めが、まさかのゲイ向けとは。
コレクションは美少女ゲームが圧倒的に多かったように思うのだが。
ふと脳裏に浮かんだ言葉があり、宇佐美は尋ねようとした。
「伊藤さんは……」
だが、途中で思い留まる。

――伊藤さんは、ゲイなんですか?

少数派が表舞台へ出てくるようになった近年。
ゲイがダブーではなくなったかというと、そんなことは全くなく、相変わらず禁忌の如く扱われているのは、個人の性癖だからという点もあろう。
同居人のプライベートを詮索するのは、危険だ。
嫌われる恐れがある。
伊藤に嫌われたら、宇佐美には行く場所が何処にもなくなってしまう。
ワンルームは引き払ってしまったし、ここに住むしかないのだ。
「え、えっと俺に聞きたいことがあるのかな?かな?なんでもいいよ、遠慮しないで聞いてみて?あっ、ちなみに俺はガチホモじゃないからね!」
本人が先回りして言ってくれたおかげで、無遠慮な質問は回避された。
「……なんでもないです」
宇佐美は小さく呟き、頭を下げる。
下げられたほうも何で頭を下げられたのかが判らず、頭を下げ返した。
「えっと、じゃあ、俺からも質問いい?」
頷いてYESの意を示すと、伊藤は真顔になって尋ねてよこした。
「ウサミッチって、今、彼女とかいるの?」
ものすごい直球且つ剛速球でプライベートの奥底にまで踏み込まれて、呆然と、自分より何倍も年上の相手を見つめてしまった宇佐美であった。

宇佐美は伊藤の質問へ答えるまでに、数分を要した。
答えたくなかったのでも、答えられなかったのでもない。
単純に、驚いてしまって反応が遅れた。
「……いえ。いないス」
「ホントにぃ〜?ウサミッチ、女の子にモテそうな感じだけど?」
何故かしつこく食い下がってくる伊藤に、重ねて頷く。
「いえ……ホントにいないです……」
「んじゃ、今はフリーなんだね?」
「いえ、フリーというか……」
視線を下向きに外して宇佐美は言い直す。
遠慮皆無の同居生活、この際だから何でも言っておこうと思い直したのだ。
「俺、そういうの、わかんないんで」
今度は伊藤が言葉を失う番で、数十秒ほどの間が開く。
だが、伊藤がそういう反応になるだろうとは宇佐美にも予想がついていた。
バイト先でも散々言われたのだ。
君ってモテそうだけど、彼女どんだけいるの?と、店長に。
どんだけも何も一人もいないと言ったら、今のように疑われた。
女子に興味がないとも言ったら、硬派なんだね、と言われた。
硬派なつもりはない。
他人に興味を持てなかっただけだ。
そう言うと、店長には呆気に取られて会話が終わった。
「そっか、じゃあ好きになった人は俺が初めて?」
ポカンとするまではバイト先の店長と一緒だったが、伊藤のその後の反応は一味違った。
「え……まぁ……」
予想外の反応に動揺する宇佐美の前で、伊藤がニコニコと微笑んだ。
「そうなんだ、嬉しいなぁ。ウサミッチの初・好きが俺だなんて」
「え……と、その」
「人として好きでも嬉しいよ。俺もね、今は彼女いないんだ。昔は、いたんだけど……ま、若かった頃にね。色々あって別れた後は他人が怖くなっちゃったりもして、しばらく外に出られなかったりもしたけれど。その時、銀英社の求人広告を見てね……変わろうって思ったんだ」
衝撃の事実が次から次へと語られて、ややあって、宇佐美は何とか言葉を絞り出した。
「え、あの、それじゃ……伊藤さんが、あの会社勤めたのは」
「うん、ゲームが目的だったんじゃない。対人恐怖症を治そうと思って、面接を受けたんだ」
だって俺が面接を受けた時は、ピコ通読んでなかったしね!
最後は明るく締めると、勢いよく席を立つ。
「えーと、話が大幅に脱線しちゃったけど。二人とも彼女なしのフリーなら、遠慮なく過ごせるよね。ってのを言いたかったんだ、うん」
本当に、それが言いたかったのだろうか。
宇佐美がフリーだと判った時の、伊藤の瞳のキラキラ具合は尋常ではなかった。
だが本人曰くゲイではないそうだし、あまり疑うのも悪いだろう。
それに――
もし伊藤がゲイで宇佐美に性的な興味を持っていたとしても、自分は嫌悪しないのではないかと宇佐美は考えた。
誰かを好きになったことがないせいで同性愛も異性愛も知らない自分だが、伊藤に何かされるのであれば拒まないような気がするのだ、漠然と。
実際にされた時にどうなるかは、されてみないと判らない。
宇佐美はチラリと、机の上に置かれた濃いパッケージを見下ろした。
伊藤のおすすめ、ゲイ向け恋愛ゲームだ。
これをプレイすれば、伊藤がどんな恋愛観を持っているのか判るかもしれない。
宇佐美の視線を辿り、伊藤が慌てに慌てた様子で言い訳してくる。
「あ、あのね?ゲームは性癖そのものじゃないから!だってそれだと、殺人事件好きな人は殺人鬼って事になっちゃうでしょ!?俺がこのゲームおすすめって言ったのは、男同士がどうってより、せつない恋の泣けるストーリーがオススメなんであって!」
必死な弁を遮って、宇佐美は上目遣いに伊藤を見た。
「伊藤さんのオススメなら、やってみようかと思ったんです。……やっていいんスよね?」
「あ、ハイ。じゃ、じゃあ、次の休日の時、一緒にやろっか」
なし崩しに、次の休日は一緒にエロゲーをやることになった。


シャワーを浴びる前に、伊藤は何となく尋ねてみる。
「ウサミッチって小麦色だよね。今年は海に出かけたの?」
「いえ、その……伊藤さん、俺の部屋見ましたよね」
質問に質問で返され、ひとまず伊藤は頷く。
「うん。ワンルームだったね」
「あの部屋、日差しが強くて……背中がジリジリ焼けこげる感じで。んで、背中向けて仕事してると、めっちゃ暑くて……だから、シャツもパンツも脱いでやってるっていうか」
海で日光浴どころの話ではない。
「え、え、じゃあ、部屋の中でマッパ!?」
目をキョロキョロさせて落ち着きのない伊藤とは対照的に、宇佐美の返事は案外クールだ。
「まァ……そうなりますかね……」
「え、えと、その……こ、この家は全部屋冷暖房完備だから!もう日差しに困らなくて済むよね。あ、良かったら書斎を使ってもいいからね!?」
なんとしたことか、伊藤は耳まで真っ赤っかだ。
宇佐美よりずっと年上だろうに、素っ裸程度で恥ずかしがるとか。
いや、もしかしたら退いてしまったのかもしれない。
家で全裸になって仕事するデザイナーなどという存在に。
落ち込む宇佐美の内心を知ってか知らずか、伊藤が急に大声を出す。
「あ、じゃあ、ついでに俺も衝撃の告白言っていい!?」
さっきから散々衝撃の告白をしているようにも思うが、一応宇佐美は頷いた。
「俺ね、実は裸族なんだ。だからホントは夜は全部脱ぎたいんだけど、でも兄貴に一度見つかっちゃってからは、パジャマを強制されて……あっ!ウサミッチ酷いよ、笑わないでよ〜!」

楽しい同居生活になりそうだ。
その日、宇佐美は心底、そう思ったのであった。

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