伊藤の家で、まだ見ていない部屋が一つあるのを覚えていた。
寝室にある扉だ。
全体の間取りを考えれば、納戸か物置だと思われる。
しかし、宇佐美は伊藤の仕事部屋と呼べる場所がないのが気になっていた。
リビングで仕事をしているという可能性もあるが、この調度品では落ち着くまい。
リビングにある数々の家具は、伊藤の趣味ではないと宇佐美は推測した。
きっと彼の兄上様が可愛い弟の為に用意したものだ。
寝室のドアを、そっと開いて覗いてみる。
壁一面に広がる本棚が見えて、えっ?となった宇佐美は一歩足を踏み入れる。
そこは納戸でも物置でもなく、書斎になっていた。
立派な机とパソコンが置いてあるが、それよりも目を奪われるのは四方を囲む本棚だ。
雑誌、漫画、小説、専門書と、あらゆる本が乱雑に詰め込まれている。
本は床にも散乱しており、パッと見てエロ本だと判るのも落ちていて宇佐美は苦笑する。
伊藤も、そのへんは男ということか。
本の種類を見れば伊藤の趣味も判るかと思ったが、ジャンル問わずで集めているようだ。
これでは、どれが趣味の本なのかも判らない。
まさかパソコンを無断で立ち上げるわけにもいかないし、一旦部屋を出た。

リビングにはテーブルとソファ、それから暖炉とシャンデリアの他にテレビがある。
テレビの側にはDVDの箱が山積みにされていた。
これを見れば、伊藤の趣味が判るだろうか。
一つずつひっくり返して概要を読む。
恋愛ものが多い。
伊藤は恋愛に憧れる、ロマンティストであるようだ。
テレビ棚の引き出しを引いてみると、ゲーム機類が突っ込んであった。
ジャンルはRPGと恋愛ゲームが圧倒的に多い。
伊藤の記事はシューティングやレースなどの硬派なジャンルが多かったように思うのだが、趣味でやる分には恋愛のほうが好きなのか。
恋愛ゲームと一口に言ったが、エロゲーや美少女ゲームだけではない。
乙女ゲームやゲイ向け18禁もあり、かなり広範囲に渡るロマンティストだ。
――ゲームの趣味が俺とは、だいぶ違う。
霧島に好きなゲームを問われた時に答えなくてよかった、と宇佐美は思った。
宇佐美が好きなジャンルは、音ゲーと格ゲーである。
ただ、最近は全くやっていない。
面白いゲームがなくなったというのもあるが、ゲームに使う金もない。
伊藤は自ら金持ちだと言うだけあって、ゲームソフトを沢山持っている。
引き出し一つに目一杯カセットが突っ込まれている段もあり、少々廃人的とも言えた。
いや、ゲーム雑誌社に勤める編集者たるもの、プライベートでもゲーム漬けにならなければいけない使命があるのかもしれない。
などと勝手な解釈で納得すると、宇佐美は引き出しを全部閉めた。

寝室には伊藤の脱ぎ散らかしていったパジャマが落ちている。
それらを拾い上げると、宇佐美は洗濯機を探して右往左往する。
洗濯機は風呂場にあった。
トイレの上にある四角い謎の箱が、そうだったのだ。
トイレットペーパーが詰まっているのかと思ったが、全然違った。
伊藤のパジャマを突っ込んだだけでもパンパンになり、こんな小さな箱で日々の洗濯物が全部洗えるのかと宇佐美は首を傾げもしたのだが、洗濯機が静かに回り始める頃には、一人分なら充分なのかもと考え直した。
しかし、これからは二人で住むのだ。
今後はコインランドリーへ行く必要があろう。
毎回洗うとなると、相当無駄な出費だ。
やっぱり、一緒に住むべきではなかったのだろうか――
いや、それなら自分の分はタライを出して外で洗うという選択肢もある。
ここを出て行くにしても、伊藤が戻るまで待たなければ駄目だ。
宇佐美は時計を見る。
いつの間にか、正午を過ぎていた。
DVDとゲームソフトを眺めるだけで、随分時間を費やしたらしい。
勝手に食べるのは申し訳ないのだが、腹がぐーぐー鳴っている。
宇佐美はキッチンへ向かった。

冷蔵庫の中身はコンビニ購入のツマミとビールが、半分以上を占めていた。
伊藤は自炊できないタイプの人間であるらしい。
朝に確認した時も、宇佐美は思わず溜息が漏れてしまったものだ。
一人暮らしなのに自炊が駄目とは。
今まで、どのような食生活をしていたのかが不安になる。
そんな中、卵と食パンがあったのは奇跡だった。
彼が購入したとは考えにくいから、偉大なる兄上様の差し入れだろう。
どうせだったら、家事の出来るメイドもつけてやればよかったのに。
だが、まぁ、メイドは確保された。
宇佐美が此処へ来たことで。
イカの燻製を細かく裂いて、泡立てた卵の中へ放り込む。
そいつを卵焼きにするだけで、立派なおかずになる。
ご飯がないのは残念だが、ビールとイカの燻製が主食のようだし贅沢は言えない。
イカの燻製は全部で三十袋あった。
いくらイカが大好きだったとしても、食べ過ぎだ。
そもそも、これを冷蔵庫で冷やしておく意味が判らない。
伊藤は、これまでの二十年間、満足に一人暮らしが出来ていたのか。
彼の健康や常識を心配して、再び不安に陥る宇佐美であった……

イカクン入り卵焼きを食べた後は、なんとなくゲームで遊んだ。
伊藤の好きなジャンル、恋愛ゲームを片っ端からセットしてみる。
AVGやSLG、箱庭など、一口に恋愛と言っても色々なパターンがある。
これだけソフトがあれば恋愛のシチュエーションも豊富で、ありえない告白やイベントに、いつしか声を出して突っ込んでいる自分に気づいた。
最近のゲームは面白くないと思っていたが、案外面白いではないか。
満足してゲームを全部閉まった頃に、玄関の開く音が聞こえた。
「やっほ〜ウサミッチィ〜!たっだいま〜♪」
伊藤のご機嫌な声まで聞こえたかと思うと、すぐに本人がリビングへ駆け込んできた。
「あー、一人じゃないって素敵だね!安心するねっ」
勢いに押される形で、宇佐美はボソッと出迎える。
「お……おかえりなさい、伊藤さん」
「んん〜、お・か・え・り・な・さ・い。何十年ぶりに聞いただろ、その言葉!二十年ぶりかぁ!いいねぇ、おかえりなさい。あっ、そうだ。昼食なにか食べた?何も食べていないんだとしたら、これ、お土産!」
ハイッと手渡されたのは、どう見てもケーキが入っていそうな小箱だ。
「いや、あの……すいません、卵とイカの燻製ちょっともらいました」
「あっ、ウサミッチもイカクン好きなの?」
ズイズイ近寄ってくる伊藤から逃れるように後退して、宇佐美は小さく頷く。
好きか嫌いかと聞かれれば、まぁ、好きだ。
ただし、この家の冷蔵庫には選択肢がなかったけれど。
「今度イカクンにあいそうなお酒を選んでくるね」と上機嫌な伊藤には悪いのだが、宇佐美は小声で話をぶった切る。
「あの……それより、今度、一緒に買い物いきませんか?」
「えっ!?ウサミッチとお買い物!?やったー!」
両手をあげて万歳する伊藤へ、なおも小声で付け足した。
「……伊藤さんの食生活、心配ですから」
「えへへ〜、俺を心配してくれるの?なんだかテレるなぁ」
伊藤はデレデレしているが、そこは照れる場面ではない。
まぁ、いい。
買い物へ行く約束は取り付けた。
ツマミとビール以外の食材、それからタライを買う必要もある。
「あ、君の荷物は今日手配しといたから。明日の午前中には届くと思うから、ハンコ宜しくね!」
「ハンコ……」と呟く宇佐美へは、すぐに判子がポンと手渡される。
「料金先払いだから、ハンコ押すだけで大丈夫だよ」
「あ……その……すいません……」
ぼそぼそ呟いて項垂れる宇佐美の肩を、伊藤が軽く叩いてくる。
「もぅ、ウサミッチ、謙遜は君の美徳だけれど、これからは二人で同居生活するんだしさ、遠慮はナシでいこう!」
そう言われても、長年染みついた貧乏生活が宇佐美を遠慮させてしまう。
もう少し、この生活に慣れるまでの時間が必要だ。
「さっ、それじゃケーキを食べようか。ウサミッチ、食器棚から、お皿とフォークを二人分持ってきて!」
ひとまず説教は後にして、宇佐美は素直にキッチンへと歩いていった。

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