そぉっと寝室へ忍び入ると、真っ暗な部屋の中に一つの塊を見つけた。
キングサイズベッドの端っこで、宇佐美が丸くなって眠っている。
ど真ん中で寝たっていいのに、遠慮深いなぁと伊藤は妙なところで感心した。
宇佐美が遠慮深い性格なのは、先ほどの会話だけでも充分に判った。
今までお菓子やジュースを拒否していたのも、伊藤の出費を考えての遠慮だったのだ。
遠慮しなくていいのに。
というか、あの時のお菓子やジュースは貰ってくれたほうが嬉しかった。
そろりそろりと反対側へ回り込んで、伊藤は宇佐美の寝顔を拝見する。
普段の目元の険しさは、どこへやら、寝ている彼は穏やかな表情を浮かべていた。
見事なまでに熟睡しており、ちょっと触った程度では起きないと思われる。
だからといって寝込みを襲う趣味など伊藤には、ない。
せっかく同居にこぎつけたのだ。
迂闊な真似をして嫌われたくない。
伊藤は宇佐美に何かしてやりたくて、たまらなかった。
彼が金に困っているようなら、積極的に融資してあげたい。
編集者のコネを使って、彼に仕事を紹介してあげたって構わないのだ。
ただ、それを宇佐美自身が望んでいるかどうかとなると、これが難しい。
何しろ彼は"遠慮"の元に、なかなか本音を話してくれない男だから。
再び、そろりそろりと足音を忍ばせ反対側まで戻ってくると、伊藤は、ごろりとベッドへ横たわる。
同居生活は始まったばかりだ。
詳しい話は時間をかけて、ゆっくり聞き出せばいい。


明るい光が寝室に差し込んでくる。
二、三度瞬きして、宇佐美は、しばらくボーッとしていたが、やがて現在の状況を思い出すと勢いよく反対側を振り向いた。
伊藤が寝ている。
幸せそうな顔で。
何故かベッドの端っこで寝ており、今にも落ちそうな体勢だ。
自分の家のベッドなのに、何でスミッコで寝ているのか。
――宇佐美が一緒だったからだ。
きっと伊藤は宇佐美に遠慮して、端っこで寝ようと決めたのだ。
それにしても見事なバランス感覚だ。落ちそうで落ちない。
だが、いずれは落ちてしまうかもしれない。
宇佐美は起き上がると反対側に回って、伊藤の身体を転がしてやる。
転がしてから、声をかけた。
「伊藤さん、朝です」
時計は七時を指している。
伊藤の勤める雑誌社は営業開始が九時だから、まだ少しの余裕がある。
とはいえ、それは律儀に九時出社した場合の話であり、編集者の伊藤が実際何時に出社しているのかは、宇佐美の知るところではない。
人によっては午後出勤、いわゆる社長出勤している奴も多々いると聞く。
意外と皆、時間にルーズなので、一般企業と比較してヤクザな商売と呼ぶ人もいる。
それが雑誌社の標準だ。
伊藤は実に幸せそうな顔で寝ており、叩き起こすのも悪い気がしてくる。
起こすのを諦めた宇佐美は、彼の朝食を作ろうと考えた。
もしかしたら朝は食べない派かもしれないが、一応、念のために。

なにやら良い匂いが漂ってくる……
この匂いは、トーストとスクランブルエッグ?
以前笹川の家で食べた記憶があるけど、美味しかったやつだなぁ……
と、そこまで夢うつつに考えて。
伊藤は、ガバッと跳ね起きる。
今、何時だ?
うっかり微睡んでしまったが、今日も会社はある。
しかも、今日は朝から打ち合わせがあったはず。
寝ている場合ではない。
時計を見ると八時ちょっとを過ぎている。
打ち合わせは十時だが、それより早く会社へつく必要がある。
打ち合わせに必要なものの準備だ。
「あわわ、あわわわっ」
もたもたとパジャマを脱ぎ捨て、全裸になったところで気がついた。
一緒に寝ていたはずのウサミッチがいない!
「えぇぇ、まさか帰っちゃったりしてないよね?よねっ!?」
裸で寝室を飛び出してみると、キッチンからは先ほどの匂いが漂ってくる。
夢ではなかったのか。
となれば、作っているのは宇佐美しかいない。
「ウサミッチー!」
大声で叫びながら伊藤がキッチンへ飛び込んでいくと、卵をかき混ぜていた宇佐美が振り向き、驚愕の視線を向けてくる。
「ちょ……なんつー格好してんです」
驚愕というよりも、目線を外して戸惑っていた。
伊藤は改めて自分の格好を思いだし、ポッと赤くなる。
「あ、え、ご、ごめん。着替えてる途中だったんだ、ははっ」
慌てて笑いで誤魔化すと、今度は寝室へ飛び込んだ伊藤であった。

Tシャツにジーパンと、軽装な格好へ着替える。
雑誌社には制服がない。
背広も強制されていないから、皆、好きな格好で来る。
戻ってきた伊藤は宇佐美と一緒に朝食を取る。
スクランブルエッグをトーストに乗せて一気に頬張る伊藤を見ながら、宇佐美は尋ねてみた。
「……伊藤さん、朝弱いんスか?」
ごくんっと口の中にある分だけ飲み込んでから、伊藤が答える。
「え、あ、いや、普段は、そうでもないんだけど……」
夕べは、あれから寝つくまでに時間を要したなんてのは、当然宇佐美には内緒である。
隣で宇佐美が寝ていると考えただけで伊藤は興奮してしまい、寝られなかったのだ。
最初は宇佐美から離れた場所に寝転んでみたのだが、次第に近づいてみたり。
かと思えば、ささーと転がって離れてみたりを繰り返した。
端から見れば、かなり気持ち悪い動きをしていたのではなかろうか。
そっと宇佐美のシャツをめくりあげてもみた。
この程度なら襲ったことにならないからセーフ、セーフ。
自分ルールを適用させて覗いてみた宇佐美の背中は、思った以上に日焼けしていた。
シャツを着ないで日光浴したのかと思うほど、真っ黒だ。
この夏は海に行ったのだろうか。
いや、しかし海まで行くお金があるとも思えない。
次に続く伊藤の興味は、下も黒いのか?――であった。
シャツを捲った時以上に慎重な動きで、宇佐美のジーパンに手をかける。
これぐらいなら襲ったことにならな以下略セーフセーフ。
じりじりとジーパンをずりさげていったら、ちょびっとだけお尻が見えて、伊藤は動きを止めて、じっくり見た。
やはり黒い。
もはや全身マッパで日光浴したかのような色だ。
いやいや、まさかシャイなウサミッチが、そんな真似をするとは思えない。
思えないが、しかし、ここまで黒い肌はサーファーでも滅多に見かけない。
大体尻まで黒いとは、どういう状況だ。
真っ黒すぎる宇佐美の肉体は、伊藤を大いに悩ませた。
最後に意識が途切れたのは、朝の四時だっただろうか。
そんなわけでの、寝不足だ。
言えるはずもない。
「う、ウサミッチこそ朝早いね?」
己の下心を看破されまいと話題を振ってみれば、宇佐美は俯いて答える。
「……そんな早くもないです、普通スから」
「そ、そうか。ちなみに何時ぐらいに起きたの?」
「あ……七時で」
なんとなく会話が途切れてしまい、伊藤のもちゃもちゃ食べる音だけが響いた。
「ぷぁー!ごちそうさまっ。美味しかったー」
ぱちんと両手を併せて喜ぶと、伊藤は皿を片付けにかかる。
それを止めたのは宇佐美だ。
「俺、やります……片付け。伊藤さんは出社しないと」
「あ、そう?それじゃ、お願いしていいかな。あぁ、あと、それと昨日、合い鍵は渡したよね。カードキーの使い方は判る?」
宇佐美が黙っていると、伊藤は使い方を説明し出す。
「扉の横にある四角の溝にカードを差し込むと、開いたり閉まったりするから。カチャッ一回で閉まる、二回で開く、みたいな感じで。出かける時は必ず鍵をかけてね、それじゃ、いってきまーす!」
最後のほうは、えらい早口で玄関を駆け抜けていった。
きっと今日は急いで出社しなければいけない日だったのかもしれない。
引き留めて悪かったなぁと思いつつ、伊藤の出た後にカードを通した。
カチッと一回鳴った後は、ドアノブを回しても開かない。
なるほど。
鍵穴に鍵を通すよりも楽だな、と宇佐美は思った。
それと、伊藤は慌てすぎると鍵をかけ忘れるのだということも知った。
留守番役は必要だったのかもしれない。
食器を洗って棚にしまいこむと、やることもなくなった。
仕事道具が届くまでにも、しばらくかかるだろう。
今日一日どうやって過ごそうか。
宇佐美は、しばらく考えたが、やがて行動に移した。
伊藤について色々と調べてみたい。
不意に、思いついたのである。

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