一緒に住もう、と誘われて。
その日のうちに宇佐美は伊藤に、お持ち帰りされた。


帰りのタクシーの中で、宇佐美は半分夢の中に潜り込みつつ考えた。
伊藤の住まいは広いマンションだそうだが、広いというのは如何ほどの広さか。
一人でいるのが寂しくなるというと、3LDKぐらいだろうか。
宇佐美が今住んでいるのは、ワンルームのアパートだ。
一人で住む分には、この広さで充分なのだ。
そんなことを、うつらうつらしながら考えていると、高級ホテルみたいな外装の建物にタクシーが横付けされて、宇佐美はパッチリ目が覚めてしまった。
外装に突っ込む暇もなく、伊藤の後について彼の部屋へ連れ込まれる。
玄関へ一歩入ったら、また驚かされた。

広い。
滅茶苦茶広いのだ、玄関なのに。

玄関だけで宇佐美の住んでいるワンルームぐらい、あるのではないか。
広い玄関を抜けた先には廊下があり、突き進むとリビングルームに出る。
オーク材のテーブルと革張りのソファーが置いてあり、事務所の応接間のようだ。
なんと、壁際には暖炉まであった。
天井を見上げると、煌びやかなシャンデリアが下がっている。
リビングにあるものは、どれも渋さを強調していて、若々しい伊藤には似つかわしくないインテリアだと宇佐美は思った。
奥へ続く扉を開くと、寝室になっていた。
二人、三人ぐらいは寝られそうなキングサイズのベッドが置かれている。
トイレと風呂が見あたらないが、玄関横にも扉があったから、きっとそこだ。
確認の為に扉を開けてみると、洋式スタイルのバスとトイレに出くわした。
正しくは猫足の白いバスタブだ。
無駄にオシャレである。
トイレと風呂は一応カーテンで仕切られている。
しかし、めくられたら見られてしまうのではと宇佐美は危惧した。
まぁ、見られたところで男同士、特に害もないのだが……
反対側はキッチンへ続いていて、これがまた無駄に広い。
どこぞの料理研究家よろしく、一般家庭にはない器具が並んでいる。
思わず溜息を漏らしてしまった宇佐美であった。
「はぁ……」
伊藤の住まいは、どう見てもホテルだ。
これでマンションと言い張るのか。
「あ、適当に腰掛けてて。今、おつまみ持ってくるから。ここ、俺の兄貴が運用してるマンションでさ。家賃タダなんだよ。いわゆる間借りってやつ?だからウサミッチも家賃のことは気にしなくていいからね!」
家族のよしみで間借りしているとしても、その兄上様は一体何者か。
高級マンションの経営。
元手を考えたら、とても一般人とは呼べない。
セレブのボンボンと馬原が言っていたのは、皮肉でも誇張でもなかった。
伊藤一家は真の上流階級だったのだ。
「は〜い、下のコンビニで買い置きしといたイカクンだよぉ〜」
イカの燻製が、恐ろしく場違いに見えてくるリビングだ。
というか、こんな重厚な部屋に住んでいるのにコンビニでツマミを買うのか。
あの物々しいキッチンは、普段は使用しないのだろうか?
伊藤の感覚がセレブなんだか庶民なんだか、いまいち判らない。
「あ、イカの燻製は大丈夫?アレルギーとかないよね?」
宇佐美が手を出さないので、誤解されてしまったようだ。
「いえ、大丈夫ス」
イカをくっちゃくっちゃ噛みながら、宇佐美はもう一度室内を見渡した。
傍らに座った伊藤が話しかけてくる。
「ね、無駄に広いでしょ。ここに一人で住んでいたんだけど、もう、ずっと寂しくてさぁ」
「……何年ぐらいですか?ここに住んで」
「んと、俺が銀英社に入ってからだから……かれこれ二十年ぐらい?」
二十年も住んでいりゃ大概の環境には慣れそうなものだが、しかし自分で自分を寂しがり屋と言ってしまうぐらいだ。
要するに一人で暮らす事に孤独を感じるタイプなのであろう、伊藤は。
「君の荷物は明日、引き取るから。運搬は俺がやるから、カギを渡してくれるかな?」
弾かれたように宇佐美が腰を浮かせる。
「そんな!……悪いです」
「いやいや、だって一緒に住もうって誘ったのは俺だし。君に出費させるわけにはいかないよ」と、伊藤も譲らない。
「けど、伊藤さんに出費させるのも……心苦しいです」
ぼそぼそ呟く宇佐美の手を握り、伊藤が説き伏せてくる。
「お金に関して、あまり俺に気を遣わないで欲しいな。俺は君が考えているよりは、お金持ちなんだぞ。なんたって、君よりずっとずっと前から社会人をやっているからね!」
胸を張ってカラカラ笑う伊藤には、つい、宇佐美も顔が綻びかける。
「あ、そうそう」と尻ポケットから薄いものを取り出すと、伊藤が差し出す。
「これ、この部屋のカギ。合い鍵ね。君にも渡しておくよ」
「カードなのに……カギなんスね」
宇佐美は受け取って、しみじみ眺めてみる。
ペラッペラだ。
なくさないよう、財布に入れておこう。
「そうだね。カードなのにカギって言うね」
伊藤も笑い、かと思えば、不意にじっと宇佐美を見つめてくる。
見つめられたほうは途端に落ち着かなくなったのだが、じっくりたっぷり見つめた後に伊藤が話を切り出してきた。
「えぇと、その……寝室、見たよね?見ての通り、ベッドが一つしかないんだ。俺と一緒に寝ることになるけど、いい?あっ、加齢臭がどうしても我慢できないっていうならシングルベッドを来月購入するのも検討するけど!」
加齢臭がするほどには、伊藤も歳を取っていまい。
いつも会うたびに、さわやかな香りを感じた。
コロンか何かを使っているのだろう。
「伊藤さんは、そんな匂い、しないでしょ」
ぽつりと言い返し、宇佐美は両手を握りしめる。
「……シングルベッド、必要ないです。無駄な出費ですから」
まだ出費を気にしている宇佐美を見て、伊藤も内心うぅんと唸る。
貧乏じゃないと散々アピールしているのに、信じて貰えないのか。
まぁ、あんな貧乏くさい出版社に勤めていちゃ〜、仕方ないか……
「お、お風呂とトイレは一体型だけど、覗いたりしないから安心してね?どっちか使う時は、事前に声をかけてくれると嬉しいかな」
「はい」と頷き、くすりと宇佐美が笑う。
「伊藤さんになら、見られても困らないですよ」
――今のは、どういう意味だ。
いや、深い意味などないに決まっている。
それでもドキドキしながら、伊藤は目で宇佐美の行動を追いかける。
「すいません、もう、限界で……先に寝ます」
宇佐美は欠伸を噛み殺し、まっすぐ寝室へ向かっている。
「あ、もう寝ちゃう?」と聞いてから、気がついた。
とっくに深夜零時を越えている。
宇佐美からすれば、こんな遅くまで起きていた事がないのかもしれない。
いつも早々と帰っていたけど、今まで残りの時間をどう過ごしていたのか。
これまで、どんな生活をしていたのか。
色々聞き出したいけど眠そうな相手を掴まえるのも悪い気がして、寝室のドアが閉まるのを見守ってから伊藤は忍び足でバスルームへ向かう。
どれだけ深夜でも、一日の汗を流すバスタイムは欠かせない。
シャワーの後は一人で寂しく寝る毎日だったが、今日からは違う。
伊藤は何となくウキウキしながら、シャワーのコックをひねったのであった。

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