誰かと友達になりたいと考えた場合、人は多弁な奴を好む。
俺みたいに無愛想で無口な奴は、ご遠慮願いますということなのだろう。
小学校から大学卒業に至るまで、俺は常に孤独だった。
寂しくなかったわけじゃない。
しかし、どうやって他人と交流すればいいのか、それが判らないまま大人になってしまった。
だから俺は、他人と深く接したことがない。
他人を理解できないのだから、誰かに好意を寄せたこともない。
誰かを好きになる未来も、想像がつかなかった。
そんな俺を、伊藤さんは褒めてくれた。
初めてだ。
口下手な部分が気に入った、などと言ってくれた人は。
大抵の人、例えば教師は短所と捉え、直せと強制してきたのに。
おまけに、俺の作品まで気に入ったと言う。
ポートフォリオ、たった一冊の作品集を見ただけで。
そればかりじゃない。
仕事まで回してくれた。
ただ、一回十万円と言われた時には、唖然とした。
編集者として年季が長い人だろうに、金銭感覚がおかしい。
無名デザイナーのレイアウト如きに十万は勿体ない。
しかも報酬は伊藤さんのポケットマネーで払うと言われたのだが、毎月十万は、かなり手痛い出費だと思う。
だから五千円まで値切ったのだが、意外な粘りを見せられて、我に返った時には五万円で契約書にサインさせられていた。
恐るべし口八丁の天才だ。
いや、さすがは編集者と言うべきか。
俺も、この人ぐらい話が出来れば、きっと違う人生が待っていただろう。
広告のモデルにしても、そうだ。
俺なんかを背景にしたら、広告自体を見てもらえなくなると思ったのだが、伊藤さんのよく回る弁に流されて、気づいたら写真を撮られていた。
礼金はタダでいいと断ったら驚かれたのだが、こちらは素人なのだ。
棒立ちの写真を何枚か撮った程度で金を要求するほうが、どうかしている。
会うたびに色々な雑談をふってくれて、伊藤さんは笑顔を絶やさない。
しかし、彼の話す殆どの話題に俺はついていけなかった。
ネタ自体が判らないのではない。
どう切り返せばいいのかが、判らない。
いつも会話にならなくて、申し訳ないと思う。
伊藤さんは俺が編集部へ来るたびに、ジュースやお菓子を薦めてくれる。
けど、全部辞退した。
ただでさえ五万も出費させているのに、それ以上の出費を重ねさせたくない。
どちらかというと、俺が奢りたいぐらいなのだ。
金さえあれば。
契約が続いているうちに、何かお礼をしたいと考えるようになっていった。

俺は、この人が好きだ。
無職同然のフリーデザイナーに、仕事を回してくれたってだけじゃない。
俺みたいな外見チンピラに何の偏見も持たないばかりか、優しくしてくれる。
まるで菩薩のような人だ。今まで身近に一人もいなかったタイプでもある。
だから、好きな人を聞かれた時には真っ先に彼の名前が浮かんだ。
つい、ぽろりと呟いた答えは、目の前の二人に予想外の衝撃を与えたようだった。


「うっひょおぉぉぉ!I・LOVE・YOU!?For・YOU!?」
伊藤さんは奇声を張り上げ、足踏みして踊り出す。
一緒にいた女性編集者が、すかさずツッコミを入れた。
「はっ?アイラブユーって、そういう"好き"なの!?」
「うはー、告白されたのなんて高校以来だよぉ……嬉ちぃ」
頬に手をあてて喜ぶ伊藤さんに、更なるツッコミが飛ぶ。
「いやいや、そうじゃないでしょ、人として!好きって意味でしょ」と、後半は俺に尋ねているようでもあったので、俺は素直に頷く。
「あ……はい。尊敬してます」
「人としてでも嬉しいよぉ〜。俺も!大・大・大好きだから君のこと〜」
チュバッチュバッと両手でもって投げキッスされて、俺はたじろいだ。
好きと言っただけで、ここまでの反応があるとは思ってもみなかった。
「はー。しかし伊藤ちゃんが好き?人として?尊敬ポイント、どこ?」
女性編集者に尋ねられ、俺は、ぼそぼそと答える。
「あ、その……仕事くれましたし、俺の作品を褒めてもくれました」
「なるほどー。そっか、恩人だね」
「はい」
たったこれだけを話す間にも、俺の額には汗が滲む。
……早く帰りたい。
伊藤さんは、まだ狂喜乱舞していて、正常とは言い難い。
しきりに「キャッホウ!」と叫んでおり、かと思えばスマホを取り出して打ち込み始める。
誰かにメールかLINEでも打っているのだろうか。
今の喜びを伝える為に。
と考えていたら、伊藤さんが不意に満面の笑顔で距離を詰めてきた。
「ウサミッチ、いや、宇佐美くん!」
「は、はい」
「ありがとう!人として尊敬されたの、初めてだよ俺。しかも言ってくれたのが君だなんて、もう運命感じちゃうよネ☆」
よね、と念を押されても困ってしまう。
俺はただ、思ったことを正直に言っただけだ。
運命と言われれば、ポートフォリオを伊藤さんが見てくれた事は、そうなのかもしれない。
あれを送らなければ、俺と伊藤さんが出会うこともなかっただろうから。
「ね、ウサミッチ。いや、宇佐美くん」
なんで、いちいち宇佐美と言い直すのかも気になる。
ウサミッチでも宇佐美でも、好きなほうで呼べばいいのに。
「……はい」
「君、毎月五万で生活できてる?」
いきなりの話題転換な質問に、目が点になったのは俺だけじゃない。
傍らの女性編集者もだ。
「え……まぁ、一応」
伊藤さんから支払われる五万円は、毎月生活費で全部消えている。
しかし、これは仕方ない。
他に仕事もないのだし。
だからといって報酬の値上げなど、断じて出来ない。
本当は五千円だって申し訳なかったのだ。
仕送りがある間は、生活できている。
大丈夫だ。
親が死んだ後のことは、死んでから考える――
無言になる俺の手を、ぎゅっと伊藤さんが握ってきたので、俺はぎょっとなった。
「ホントは生活、苦しいんでしょ。なら俺と一緒に住もう?」
「ちょ、伊藤ちゃん何言って」
「だって俺の事、尊敬してくれてるんでしょ?それにさぁ、前から思ってたんだけど、あのマンション、俺一人で住んでいるのは寂しいんだよね〜。いずれ編集部で同居者募集しよっかなって思っていたところに、俺を好きだと断言する君が現れた!もう、これは運命なんだよ!」
早口で一気にまくし立てられ、呆然とする俺を助けたのは、近づいてきた別の編集者だった。
いつも伊藤さんの隣に座っている、名前はバハラとかいう人だ。
「あー、お前いつも言ってたもんな。一人じゃ広すぎて寂しいって」
「そうそう。しかも住民も少ないしさー。俺ってば寂しがり屋のウサギさんだから、死んじゃう!」
「いや、ウサギは寂しいぐらいじゃ死なねーし。お前が死んでも代わりの編集者はいるし」
「あうっ!酷いよ、馬原」
口を挟めないほどのハイテンポで繰り広げられる会話に、俺はボソリと呟いた。
「……伊藤さんの代わりなんて、いないです」
だが三人が一斉に俺を振り向くもんだから、慌てた。
小さく呟いたつもりだったのに、聞こえてしまったのか。
「だよね〜!ウサミッチだけは俺のこと、よく評価しているよ!じゃあ、一緒に住もう。これから宜しくね」
「え、あの……」
「いいんじゃね?こいつセレブのボンボンだから。ついでに遊ぶ金も毟っとけ」
非道な言葉が馬原さんの口から出て、驚く俺の横では伊藤さんが突っ込む。
「やだな〜、セレブのボンボンだなんて。うちは普通の上流家庭だよ」
「上流家庭が普通かね。こういう奴だから、毟りまくってオッケーだぞ」
馬原さんから嫌味を言われても、伊藤さんは全く堪えていない。
俺をキラキラした瞳で見つめて、返答を待っている。
なんと断っても、俺と同居する気満々のようだ。
本音を言うと、これ以上何かを断り続けるのも、悪い気がしている。
伊藤さんを尊敬していると言いつつ、俺は彼の意に沿う事を何もしていない。
せいぜい、彼の担当する企画のレイアウトを毎月仕上げている程度だ。
「あの……め、迷惑じゃなければ……」
頷くや否や、伊藤さんが勢いよく飛びついてきた。
「やったー!じゃ、今日から一緒に住もうね。俺の仕事が終わるまで、編集部で待っててくれていいから」
今日からとは、えらく急速な話だ。
荷物だって届けちゃいないというのに。
俺は汗だくで断りを入れる。
「いや、でも……ここにいたら邪魔ですし」
「邪魔じゃないよ〜!」と間髪入れず叫んだのは、伊藤さんじゃない。
「ね、一緒におしゃべりしよ?気分転換の相手になってよ」
先ほどの女性編集者だった。
彼女だけじゃない。
編集部にいる全員が俺に注目しているではないか。

こうして、俺は。
伊藤さんの仕事が終わるまで、汗だくになりながら編集部の全員と雑談をかわすハメになったのだった……

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