伊藤が宇佐美に企画レイアウトデザインを頼むようになって、四ヶ月が過ぎた。
「ねぇ〜もぉ〜俺の愚痴、聞いてよ〜」
朝から伊藤の機嫌は悪い。
いや、おかしい。
ちょいちょいと袖を引っ張られ、隣の席の馬原は苛ついた目で彼を見た。
ゲームの攻略記事構成に煮詰まって、むしゃくしゃしていたのである。
「んだよ、るせーな。LINEで小町ちゃんにでも愚痴ってろよ」
お騒がせ娘の小町は、遊びに来ていない。
ここんとこ全然来ないのは、きっと夏休みで友達と遊ぶのに忙しいのだろう。
「こまっちゃんじゃ駄目なの〜。あの子、すぐ言いふらすし」
「じゃあ、笹川氏は?」
「全然既読にならない。はぁ〜、俺、嫌われてんのかなぁ」
LINEで誰にも相手にされないから、とうとう社内で愚痴相手を探し始めたのか。
仕方がない。
隣でグテグテされるのも、目障りだ。
「五分だけ聞いてやるから言ってみろ」
「ありがと〜。馬原、優しい」
「いーち、にーぃ……」
馬原が短気にカウントしただけで、慌てて伊藤は話を切り出した。
「あっ。あのね、実はウサミッチのことなんだけど」
「ウサミッチ?」
ウサミッチというのは、伊藤がご贔屓にしているデザイナーに間違いあるまい。
宇佐美なんとか。下の名前が妙な当て字だったと馬原の記憶にはある。
月に一度、バカ企画のレイアウトをデザインして届けに来る。
やたら無愛想で口数が少なく、目つきの悪い青年だ。
実際、伊藤と話しているのを横で聞いていても、「今月の」と「あざっす」ぐらいしか耳にした覚えがない。
伊藤が何か話していても、途中で帰ってしまうこともある。
伊藤は多少人懐っこいというか距離ゼロな部分はあるが、まぁ、悪い奴ではない。
初対面の相手にもグイグイいけるのは、編集者ならば長所であろう。
その伊藤を、ああも邪険に扱うとは。
よっぽど他人と関わりたくないのかもしれない。宇佐美は。
「うん、宇佐美凶次くん。俺の専門デザイナー」
「専門って、勝手にお前が仕事回しただけだろ。で?そいつが何か」
「ぜんっぜん仲良くなれない!」
「ハァ?」
「もう四ヶ月だよ?知り合ってから四ヶ月も経つのに、何も聞き出せないんだ!」
あーっと髪の毛をかきむしり、伊藤は天井を仰ぐ。
「趣味とか好みとか聞きたいのに、すぐ、あざっす言って帰っちゃうんだ!缶ジュースで釣っても、お菓子で釣っても梨の礫でっ」
「そりゃ、まぁ、ガキじゃないんだし、食い物で釣るのは無理だろ」
「ほな、どーしたらえぇねん!?」
いきなり変な関西弁で迫られた。
しかも似非臭い。
「お前もしかして、嫌われているとか」
ずばっと突っ込んだら、伊藤は、ぶんぶん勢いよく首を振る。
「あー!それ考えると夜も眠れないから会社で寝ちゃう!駄目!!」
「どこで寝ても、お前の自由だから、どうでもいいけどよ。それで、俺にそれを愚痴って、お前はどうしたいんだ?」
「んん、だからさ。どうすりゃウサミッチと仲良くなれるか考えてよぅ」
これまでの伊藤との遣り取りから察するに、宇佐美は話し下手である。
従って、伊藤の十八番である無駄雑談は封じられていると見ていい。
馬原は真面目に考えてみた。
本来なら、こんな一銭にもならない相談、聞く義理もないのだが、ただ、今は煮詰まった原稿の存在を忘れたい。
現実放棄の気分転換だ。
「そうだな……俺なら、間にもう一人置くかな……」
「もう一人?」と首を傾げる伊藤へ、馬原も頷く。
「そっ。おしゃべり好きで聞き出し上手で、さらに宇佐美に嫌われても、なんら問題なさそうな奴を間に入れて雑談をしかけるんだ。上手くいきゃあ、お前の知りたいプライベートを聞き出せるかもよ?」
「つまり、それは……」
二人の視線が、机列向こう二番目へ集中する。
そこには、男同僚と仲良く雑談する女性編集者の姿があった。
霧島 直美。
無遠慮な詮索をさせたら、彼女の右に出る者は居ない。
「霧島を巻き込んで、今度来たら雑談ふらせてみろよ」
「よ、よし、そーする」
ただし、どんな結果が出ても、馬原の知ったことではない。
伊藤が自ら、そうすると決めたのだから。


そして、来るべき五ヶ月目の原稿が届いた。
いつも実費で来てくれる宇佐美には、頭が上がらない。
一応、初日に次からの電車代を出すと掛け合ったのだが、断られた。
本人曰く、依頼料の中に含まれているから……との事である。
依頼料だって最初、伊藤は十万ぐらい払う予定でいたのに拒否された。
値切りに値切られて、五千円でいいと言われて、さすがに伊藤も反発する。
編集者の意地をかけて交渉を重ねた結果、五万円で落ち着いたのだった。
しかし、宇佐美は月五万の収入で生活できているのだろうか。
他に仕事を請け負っているようにも見えないし、正直心配である。
「ちわっす。伊藤さん、これ」
――来たな!
とんとんと肩を叩かれ、表面上はいつも通りに伊藤が振り向く。
「いつも、ありがとうね。あ、そこの椅子に腰掛けてくれる?」
「……いえ。すぐ戻るんで」
空いている席を指さしたのに、彼は棒立ちしたままだ。
なかなか座ってくれない。
いや、一度もだ。
遠慮なのか、それとも単に早く帰りたいだけなのか。
俺と、こうやって会っているのも、実は苦痛だとか?
思わず、じわっと目元が潤みそうになったので、伊藤は悲しい予想を打ち切った。
そんなことより、霧島さんカモンカモン。
原稿を見終わったら、宇佐美が帰ってしまう。
その前に雑談を振って欲しい。
いつもより、じっくり眺めるふりをしていると、足音が近づいてきた。
「こーんにちはぁ〜。宇佐美くんだっけ、ちょっといい?」
彼がいいともダメとも言う前から、さっさと空いた席に腰掛けて、上目遣いで宇佐美を見つめる女性こそは霧島 直美その人である。
「あ……」と小さく呟いて、所在なさげに視線を彷徨わせる宇佐美へ尋ねた。
「宇佐美くんさ、もう編集部の雰囲気には慣れた?ていうか伊藤くんの雰囲気かな」
ちらっと小悪魔的視線を向けられても、宇佐美は無言だ。
無言で棒立ちしている。
伊藤以外の人間に話しかけられるなど、思ってもいなかった風にも見える。
「キミ、いつも来て、すぐ帰っちゃうでしょ。だから皆、キミのこと気になっているんだよね。どうなのかなぁ〜。ちょっと雑談していく時間、ある?」
「……いえ、その……」
「まずは質問っ!宇佐美くんは好きなアイドルとか、いますか?」
全く相手の様子を気にせず、マイペースな質問を飛ばす霧島には恐れ入る。
二十秒ほど沈黙が続いた後、宇佐美が、ぼそっと答えた。
「興味ないです……」
「あ、じゃあ好きなゲームは?」
「あの……帰ります」
なんと、霧島の雑談を振り切って帰ると言うではないか。
雑談する時間もつらいほど、ここにいるのが嫌なのか?
しかし彼は元々、この雑誌社のデザイナーを希望していたはずだ。
正規デザイナーになれば、編集部の人間とは、ちょくちょく顔を併せる。
打ち合わせも行なうから、口下手では仕事にならない。
「ん〜。そんなんじゃ面接落ちても仕方ないゾ?」
ずばっと霧島に突っ込まれ、踵を返した宇佐美の体がビクッと震える。
「人と話す社交術ぐらいつけないと、どこへ勤めても失敗するよ?」
やはり宇佐美は無言であったが、足は止まっている。
霧島の話を聞く気はあるようだ。
「はい、それじゃ質問タイム再開〜!今、宇佐美くんには好きな人って、いますかぁ〜?」
無邪気に笑って霧島が尋ねると、宇佐美は、二、三度ほど躊躇いを見せて、視線を明後日に逃がす。
そして、小声でボソッと答えた。
「……ス」
「え?」
あまりにも小さな声だったもんだから、霧島も伊藤も聞き逃した。
「ごめん、もう一回、教えてくれるかな」
伊藤が微笑みかけると、宇佐美は前よりは大きな声で答えてくれた。
「……ですから、伊藤さん、です」
やはり視線は明後日に逃がし、どこか困ったような、照れ臭そうな表情で。

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