大学を卒業したばかりで、デザイナーになるのは狭き門だと判っていた。
それでも、雑誌のデザイナーになりたくて応募した。
結果は不採用。
悔しくて、その日は泣いた。
翌日、一企画コーナーの誌面デザインを頼みたいという電話が来た。
それが伊藤さんだった。
伊藤さんには、感謝してもしたりない。
大学を出たばかりの無名も無名な、ひよっこデザイナーを外注で雇ってくれたのだから。
しかも、デザインするのは伊藤さんの担当する記事。
通称・バカ記事だ。
伊藤さんが所属する編集部はゲーム雑誌を出しているのだが、その雑誌内でゲームと全く無関係な企画をおこなっているページがある。
それがバカ記事と呼ばれるコーナーだ。
何故バカとつくのかというと、馬鹿な企画ばかりやっているからだ。
なお、このバカ記事という通称は雑誌が自ら謳っている。
けして俺が罵りたいわけではないので、誤解しないで欲しい。

伊藤さんとは電話で話した当日に、編集部の待合室で面会した。
「いや〜、君の作品見たけど、面白いね!あ、ごめん。いきなり感想から入っちゃって。ささ、どうぞどうぞ、座って。お茶買ってあるから、飲んでね?」
作品というのは、面接応募の際に送ったポートフォリオの事だろう。
これまでに作った物を一冊にまとめた作品集のようなものだ。
「俺思ったんだけど、最近うちに入ってくるデザイナーって、うちの雑誌のこと判っていないパンピーばかりで不満なんだよねぇ。人事仕事しろ!って感じで。あっ、パンピーって死語だった?ごめんね、おじさん社内ヒッキーだから下界の事情に疎くって」
それにしても、よくしゃべる人だ。
記事内では、どちらかというと他の記者に弄られる草食系に見えたのだが。
「うん、とにかくね。君の作品からは、ゲームに対する愛情を感じたんだ。ゲームが大好きだよぉっていう!ここで働きたいんだぞぉって!」
実を言うとゲームは今、それほど好きじゃない。
ピコ通という雑誌の、バカ記事が大好きなので応募した。
昔はゲーム少年だった時期もあったが、今はすっかり卒業している。
最近のゲームは、つまらなくなった。
だが、ピコ通のバカ記事だけは昔も今もクオリティーが変わらない。
そこがいい。
「だからね、俺の受け持つ企画のデザインだけでも、やってもらえないかな〜って。一発オーケーしてくれるとは、やっぱり俺の目に狂いはなかったって感じかな!うんうん、それじゃさっそくだけど来月の分、よろしくしちゃってもいいかな?いいともー!」
一人ボケツッコミまで始められて、俺はポカーンとしてしまった。
完全に間を外した伊藤さんを助けたのは、俺ではない。
偶然通りかかった、同編集部の編集者だった。
「伊藤くん、そちらの方、固まっているから。誰?お客様?」
ポンポンと肩を叩かれ、伊藤さんが慌てて俺を気遣ってくる。
「あっ。ご、ごめんね、えぇと、宇佐美くん。初対面でいきなり、ハイスピードでかっ飛ばしちゃって。引いちゃったかな……と、とにかく、仕事は真面目な話だから。一番最初は自由にデザインしていいよ。駄目だったら、こっちで駄目出しさせてもらうし」
俺もまた、恐縮しながら頭を下げた。
「……あざっす」
「え?」
「あ、その……」
俺の返事は小さすぎたのか、聞こえなかったようだ。
「あ……あざっす」
人と話すのは苦手だから、どうしても早口になってしまう。
俺的には"ありがとうございます"と言っているつもりなのだが、やはり伊藤さんは首を傾げた。
困った。
ちらっと上目遣いに見上げると、伊藤さんはゴビリと喉を鳴らす。
「うわぁ……」
「え?」
「いや、あざっす?それって若者言葉ってやつ?いいっす!イイネ100点満点拍手連打!!あ、ごめんね、おじさん社内ヒキーだから若者言葉に触れたの初めてで!」
おじさんと連呼しているが、伊藤さんは見た目がとても若々しい。
笑顔は柔らかだし、スレンダーで、白いシャツが清潔感を醸し出している。
年齢不詳だ。一体、幾つなのだろう。
「イイヨーイイヨー、ものすごく気に入っちゃった、君のこと!じゃ、来月分のデザインよろしくね!出来たら、ご足労だけど俺の席まで持ってきてね。受付には伊藤さんにアポ取ってあるって言えばフリーパスだから」
見た目は物腰柔らかな好青年なのに、しゃべると超ハイテンションだ。
俺は伊藤さんの勢いに押し出されるようにして、銀英社を後にした。


一週間かけて、バカ記事のページデザインを作った。
伊藤さんに提示された期間は15日間だったから、かなり早くに仕上がった。
あまり早すぎると、手抜きだと思われてしまうだろうか?
いや、それよりも、このクオリティーで大丈夫なのだろうか。
せっかく俺を気に入ってくれた伊藤さんを、がっかりさせやしないだろうか。
不安の面持ちで、俺は編集部へ向かう。
伊藤さんにアポを取ったと言ったら、本当に受付は通してくれた。
伊藤さんの席は判らなかったが、近くを通りがかった編集者に教えてもらう。
伊藤さんは席で寝ていた。
いわゆる、椅子寝り状態で。
二つ並べた椅子の上で寝る、という器用な真似を"椅子寝り"と呼ぶのだそうだ。
リは要らないと思うのだが。
「あの……」
俺がボソッと話しかけると、伊藤さんはパッチリ目を開く。
「んあ?時間?」
何の時間だかは判らないが、俺は再度話しかけた。
「宇佐美っす。デザイン、できたんで」
「ウサミッチ!?」
がばっと跳ね起きるや否や、その勢いで伊藤さんが椅子から転げ落ちるもんだから、俺は驚いてしまった。
「だ……大丈夫ですか……?」
「いってー……あ、宇佐美くん。きてくれたんだね」
俺を見上げて、伊藤さんが笑う。
柔らかな笑みだ。
「きたってことは、えぇと、もうデザインができたと?早いね!」
素直に驚く彼へ、原稿の入った封筒を差し出す。
「あっ。ありがとう。うんうん、さっそく見させてもらうね」
封筒から取り出し、原稿をじっと眺めていたかと思うと、顎をさすり、唸り出す。
「う〜ん、この昔懐かしいピコ通と今のピコ通を掛け合わせて、なおかつ、新しい見やすさをブレンドする……素晴らしい。ビュリホー!」
だんだんテンションがおかしくなってきた伊藤さんに、編集長が話しかける。
「何がビュリホーなんだ?」
「これこれ、こちらの彼がデザインしてくれたんですけど」
「ほー。おぉ、これは昔懐かしバカ記事をオマージュしつつ、それでいて見やすさを重視した秀逸なデザインじゃないか。これを彼が?」
俺を指さし驚く編集長へ、伊藤さんは何度も頷いた。
「そうっすよ。彼はバカ記事を理解している俺の理解者なんです!」
この間が初対面だったというのに、えらい高評価を受けたものだ。
「いや〜、君に外注頼んで正解だった!こんなふうに来月もお願いしちゃおっかな。いいともー!」
「え……あの……」
「うん、今月分は振り込んでおくから口座教えて?あと来月もデザインよろしくね。ってか、一年契約でいい?俺としちゃ永遠契約したいとこなんだけど!」
「永遠契約なんてねーよ」と編集長が脇から突っ込み、伊藤さんは舌を出す。
「テヘペロ☆あ、おじさん無理して若者言葉使っちゃった」
「いや、テヘペロは、もう死語だから」
「えっ、死語?もう死語なの!?やべー社内ヒッキー卒業しなきゃ」
「いやー伊藤くんは永遠の社内ヒッキーでいてもらう予定だから無理」
「ガーンッ!」
編集長と伊藤さんのコントを延々眺めつつ、俺は口を挟めずに突っ立っていた。
「疲れるでしょ、座ったら?」
隣の席の編集者に席を譲られ、慌てて断った。
「いえ、あの、もう帰るんで……すいません」
「伊藤くん、彼、もう帰るって。バカコントしてないで見送ったら?」
「あ、もう帰るの?送るよ、入口までだけど。ごめんねー、おじさん社内ヒキーだから外出られないんだ」
「い、いえ、あの……いいです。一人で帰れますから」
俺の遠慮も何のその、伊藤さんは俺の手を握ると、嬉々としてエレベーターに乗り込んだ。
そして、ビルの出口で言ってくれたのだ。
「何度も言うけどさ。俺、君のデザインから口下手なとこまで何から何まで全部気に入っちゃった。できれば、うちの専属デザイナーになってほしいとこだけど、あ、でも面接落ちちゃったんだよね。じゃあ外注での専属デザイナーになってよ。なんてね!それじゃっ」
たたっと駆け足で去っていく背中を見送りながら、この人を好きになったかもしれないと、俺は考えた。

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