とある日の編集部――
「ねぇー伊藤っち、このイケメン誰?誰?お前のカレシ?答えろよ、ガチホモー」
ぐいぐいネクタイを引っ張られ、ぐぇっとなりつつ伊藤 健吾は答えた。
「ち、違うよ。あと俺はガチホモじゃないから」
「えー、じゃー誰?読モ?」
ガチホモ説否定をするっとスルーし、伊藤に尋ねているのは一人の少女。
時々編集部へ遊びに来ては内部を引っかき回して帰っていく、自称・小悪魔ちゃん。
その正体は、ただのはた迷惑な近所の女子高生こと源 小町だ。
「読者モデルじゃないよ」と答えたのは伊藤ではなく、やはり編集部へ遊びに来ていた厄介者の一人、笹川 修一。
昔は当編集部でデザイナーをやっていた事もあり、バカ記事を一緒に書いた仲でもある。
だが、ある日突然、彼は辞職してフリーのデザイナーになってしまった。
今は順風に仕事を受けているという話だが、当社の仕事は全部拒否された。
そのくせ堂々と遊びにくるたぁ、どういうことだ。
えらいツラの皮の厚い男である。知っていたけど。
小町が見ているのは、伊藤の勤める銀英社が出している雑誌。
年季の長いゲーム誌で、今年で30周年を迎える。
彼女が騒いでいたのは、その雑誌に掲載された当社の人材募集公告だった。
募集告知が下部の四角欄に書いてあり、背景には男性の写真が載っている。
小町は彼を見て格好いいと、おおはしゃぎしていたのであった。
三白眼で多少目つきが悪いもののスマートな体格で、迷彩柄の夏物カーデが似合っている。
「読モじゃないって、じゃあ何者?モデル雇ったの?よく金あったね!?」
「モデルでもないよ。この編集部に出入りしている外注デザイナーさん」
なんで会社を辞めた奴が内部事情に詳しいのだという疑問は、ひとまず置いといて、緩んだネクタイを締め直し、伊藤も頷いた。
「うん、そうなんだ。モデル雇うまでもないなって話になってて、ちょうど彼が原稿持ってきた時に頼んでみたら、快く引き受けてくれて」
「へー。もちろん依頼料は払ったんだよね?」と、小町。
「いや、ボランティアで」
伊藤が答えるや否や、またしてもネクタイを小町に引っ張られる。
「えー、ひどーい!ブラック企業!サイテー!!」
「ぐえぇっ」
「無名デザイナーなんだろ?モデル料ぐらい払ってやりゃーいいのにケチくせー会社だよなぁ。ま、知ってたけど」
笹川にまで詰られて、さすがにムッときた伊藤は言い返す。
「彼が断ったんだよ。ボランティアだから謝礼なんかいらない、って」
「わー!聖人君子!今時珍しくない?なくない?」
小町が驚く中、伊藤の席へ近づいてくる者がある。
「……伊藤さん、これ、今月の」
噂をすれば影。
写真のヌシが現れた。
差し出された封筒を受け取り、伊藤もニッコリする。
「ありがとう。いつも仕事が早くて助かるよ」
「……あざっす。それじゃ」
小さく呟き踵を返して出ていこうとするのを止めたのは、小町だ。
「待って待って、モデル兼デザイナーさん!名前教えて!!」
「……あ?」
人相悪く振り向いた彼へ、ごめんねとばかりに愛想笑いで伊藤も引き留める。
「えぇと、前の広告にこいつらが興味もっちゃって。ごめんね。君を紹介してもいいかな?」
「伊藤さんがしたいってんなら……どうぞ」
小さく顎を引く彼を、改めて二人へ紹介する。
「彼は宇佐美 凶次くん。駆け出しの外注デザイナーさんだ。うちの連中にも見習って欲しいぐらいの仕事スピードで、いつも助かっているよ」
「オメーも原稿スピードは、おっせーだろーが」
痛いところを元同僚に突っ込まれ、伊藤は、うっと呻いた後。
「い、いや、昔と比べると多少は、ねぇ?」
苦し紛れに言い訳したが、笹川も小町も聞いちゃいなかった。
「宇佐美さん?じゃあ、ウサビッチ?」
「いや、男だからビッチはねーべ」
「じゃあ、ウサミンチ?」
「イイネ!」
勝手に変なあだ名をつけて盛り上がっている。
当の宇佐美は「……くっだらねー……」と呟いて、そっぽを向いた。
くだらないという割に、この馬鹿雑談に混ざってくれているのだから善人だ。
「ほんと、ごめんね?忙しいのに」
伊藤が労ると宇佐美はハッとした顔で伊藤を見、数秒後には心なしかテレた様子で視線を外す。
「……いえ。伊藤さんの、頼みスから」
普段は最小限の挨拶しか交わさないので、こんな表情を見るのは初めてだ。
思いがけぬほど可愛い顔には、伊藤の心臓もドキッとときめく。
やばい。
ドキドキしたのが小町にバレたら、またガチホモと呼ばれてしまう。
「おい、何見つめあってんのー?ガチホモ野郎」
考えている側から、ガチホモ呼ばわりされた。
「だっ!だから、ガチホモじゃないってば、俺は」
「けど、こないだの記事にもカッコ・ガチホモって煽り入ってたじゃん」
「あれはバカ記事だから!記事を面白くする為のフィクションだからッ」
「そうそう、この記事はバカ記事なので鵜呑みにするなよーって下のほうに小さく書いてあるもんね。嘘を嘘と見抜けない奴は」
笹川が話している側で、宇佐美が大声を出す。
「あ、あんたは、まさかっ!?」
彼が大声を出すのも、伊藤は初めて見た。
いつもはボソボソーッと小声でしか話さないので、大声が出せないのだとばかり。
「大昔のピコ通で、着ぐるみ記事に出まくっていた笹川さん!?俺、あの記事が大好きで……!」
ピコ通とは、ピコピコ通信。
つまりは小町が先ほど見ていた雑誌だ。
誌面デザインの仕事をしているから、宇佐美が今の誌面に目を通しているのは当たり前だ。
しかし、デザインを頼んでいなかった昔にも読んでいたとは驚きだ。
「てへっ☆ありがとん。だが今の俺はフリーのデザイナー……君とは同業者にしてライバルというわけだねぇ?」
「ら……ライバルだなんて、恐れ多い……ッ」
滅茶苦茶恐縮する宇佐美へ、笹川が付け足した。
「あと、あの記事にあった俺が"足の臭いフェチ"ってのもフィクションだからネ。鵜呑みにしないでよね?笹っちからの、お願いだよ☆」
「え、えぇっ!?そ……そうなんですか?」
驚く宇佐美からは本気を感じる。
バカ記事を鵜呑みにしている読者の、なんと多いことよ。
些か目眩を覚える伊藤であった。

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