仕事は昼過ぎから始まった。
紙面デザインは分担作業であった。
ページごとに分けて、数人でアタリを取る。
基本となるデザインは、編集者と話し合って決める。
さもなければ、チーフがデザインする。
何もかも一人で手がけていた伊藤の依頼とは、全く異なる行程だ。
宇佐美は引き続き、伊藤のコーナーを任された。
恐らく、編集部のほうから話を通してあるのだろう。
机の上に置かれたパソコンは邪魔者の如く、脇へ避けなければいけない。
何しろアタリは手作業で描くのだ。
今時パソコンを使わないアナログ作業に、驚かされた。
何の為にパソコンが置かれているのか、疑問に思うぐらいだ。
いっそ自分流でやらせてくださいと言い出したかった宇佐美ではあるが、制作部には制作部のやりかたもあろう。
大人しく、手作業で仕事を進めておいた。
全手作業でも、出来ないことはない。
一番最初にデザインを考える際は、アナログで描いていたのだし。
――不意に視線を感じて顔をあげると、チーフと目があった。
最初の挨拶と簡単な業務説明以降、全く会話を交わしていない相手だ。
彼は何か言いたそうな顔をしていたが、宇佐美がじっと見つめると、作業へ戻っていった。
一度落ちた人間にしてコンペ優勝者だから、警戒されているのかもしれない。
皆と仲良くできるかどうかは、宇佐美自身にも不安があった。
友達ゴッコがしたいわけではないのだが、不仲でギスギスした職場というのも気が滅入る。
静まりかえった部署に、皆の線を引く音だけが響く。
いつも、こうなのだろうかと宇佐美は考えた。
誰も何もしゃべらない。
無言の作業だ。
自分が入った事で、場の雰囲気を重苦しくさせてしまったのだとしたら――

「……へっくちん!」

右斜めで可愛らしいくしゃみが響き渡ると同時に、雰囲気が一変した。
二、三人がプッと吹き出し、部署のあちこちで忍び笑いが聞こえてくる。
「ちょっ」
「やめろや、そのクシャミ」
どの顔も笑っており、笑いの発生源を見つめている。
「ご、ごめん」と謝ったのは、先ほどのくしゃみの主。
「真面目にやろうと思ったら、鼻がムズムズしてきちゃって」
すかさず誰かが「なんでだよ」と突っ込み、見ればチーフも苦笑している。
「もう、やめだ、やめ!真面目にやるとか、うちらしくない」
左向かいに座った無精髭の先輩が馬鹿笑いしたのを、きっかけとし、全員が、どわっと一斉にしゃべり出す。
「も〜、真面目が一時間と続かないんだから!」
「しゃべらないでやったら早く終わるって言ったの、誰だっけ?」
あちこちで雑談があがる中、本木が立ち上がって宇佐美の席へ近寄ってくる。
「いつも、こんな調子で騒がしいんだよね、うちの部署は。んで、こないだ編集長に、うるさすぎるって怒られちゃって。これからは静かに作業しようって決めたのが昨日の話なんだけど、やっぱ無理だったわ」
伊藤のいる編集部も、いつ行っても賑やかな場所だった。
その賑やかな場所にいる編集長ですら、やかましいと感じるとは、普段の制作部は、どれだけ賑やかなのか。
真面目が途切れた処で、宇佐美の席に皆が集まってくる。
「ねぇねぇ、編集部の人達が君のことウサミッチって呼んでんだけど俺達もウサミッチって呼んでいいの?」
超タメグチで尋ねてきたのは、自己紹介で西田と名乗っていた先輩だ。
息のかかる距離に、宇佐美は緊張しながら小声で返す。
「あ……宇佐美でもウサミッチでも、どちらでも構わないス」
「じゃあウサミッチって呼ぶね」と、西田は屈託なく笑う。
編集部もそうだったが、制作部も年齢不詳な輩が多い。
西田は角刈りで、肩幅も胸板もがっしりしたスポーツマン風味の外見だ。
何故このような場所にいるのか、不思議がられるタイプでもある。
見た目から同世代だと踏んでみた宇佐美だが、本人は三十四歳だと言っていた。
大体が二十代から三十前半で、社内全体から見ると制作部は若い部類に入るのだそうだ。
かくいうチーフも二十六歳。
にしては立派な口ひげを生やしており、実年齢より老けて見える。
そして、各々の趣味がこれまた多方面に渡って幅広い。
映画鑑賞だの、書道だの、フラワーアレンジメントだのと、全くゲームと無関係なインドア系趣味を羅列されて、宇佐美は目を丸くした。
ゲームを趣味としていたのは、本木ぐらいであった。
尤も、面接では一切それを隠していた――とは、チーフ談。
本人曰く、隠れオタクなのだそうだ。
面接では何もかもを馬鹿正直に話す必要ないですよね、とおちゃらけて、先輩に小突かれる真似をされていた。
これぐらい強かにならなければ、就職の難しい時代なのかもしれない。
そして先輩諸氏は全く、"社交的じゃない"ではなかった。
全員が伊藤級の、おしゃべりだ。
自己紹介の時だけではなく、今も皆の雑談パワーには圧倒される。
本当に社交的ではない宇佐美には、口を挟めもしない。
「そいやウサミッチ……って、なんか恥ずかしいな、この呼び名。俺はキョウジって呼ぶけど、いいよな?」
さして仲良くもないのに下の名前で呼ぶほうが、より気恥ずかしいと思うのだが。
しかし本木に笑顔で尋ねられ、宇佐美は黙って頷いた。
「んじゃキョウジ、お前もピコ通読者だったんだよな。今回のアレは、やっぱウサピョンコを意識して作ったのか?」
アレとは、コンペで宇佐美が提出したウサ野郎の事であろう。
ウサピョンコというのは、元々ピコ通に存在した公式マスコットの名称だ。
宇佐美は再び黙って頷く。
「あ、やっぱりな!謎は解けた」
ポンと膝打つ本木へ、先輩が口々に突っ込む。
「いや、謎も何も、コンペ作品はウサギが多かったじゃん」
「皆、意識してたよねぇ」
「意識してたのに、ゆるキャラじゃなくしたのは何で?」と別の先輩に尋ねられ、宇佐美は、しばらく黙っていたが、ややあって控えめに答えた。
「似たようなモノ、作ったら失礼スから。笹川さんに」
「あれ、なんでお前、作った奴知ってんだ!?」
無精髭の小野先輩が素っ頓狂に騒ぎ出す横では、本木も負けじと声を張り上げた。
「あれ、ササチンコのデザインだったのか!?」
ササチンコ?と宇佐美が聞き返す暇もあらば、小野が更に大声で受け応える。
「そうだぜ、けど、こいつぁ内部情報ってやつで……あっ、そうか!伊藤さんか、伊藤さんから聞いたんだな、お前?」
宇佐美がコクリと頷くのを見て、チーフも頬肉を緩ませる。
「……宇佐美くんは、大人しいねぇ」
誰もが、ん?となって彼を見て、宇佐美の隣に陣取った女性の先輩、三宅が釘を刺す。
「ちょっとチーフ、変な真似しちゃ駄目ですよ?」
「しない、しない」と手を振りつつも、チーフの視線は宇佐美に釘付けだ。
「大人しいねって言っただけで人を犯罪者扱いしてくれるなよ」
「だってチーフには前科がありますから」と、三宅も素っ気ない。
どんな前科なのかは気になったが、宇佐美に聞く暇は与えられなかった。
「お〜い、下の階まで響いているぞ、お前らの声。そろそろ編集長が上から降りてきて、ブチキレるんじゃないか?」
ひょこっと戸口から顔を出して、皆に注意を促してきた奴がいたからだ。
あれは経理部の山川だ。
「あ、やべっ。桂さんの説教、長ェからなぁ。またしばらく、真面目にやるか」
チーフの横山が格好を崩し、宇佐美にウィンクを飛ばしてくる。
「今日、仕事が終わったら君の歓迎会やるからね。帰っちゃ駄目だよ」
このおしゃべりどもと、仕事がひけてもつきあわねばならぬのか。
心なしか横腹がキリキリしてきたが、宇佐美は、それでも黙って頷いたのであった。

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