二、三日経って、コンペの結果が届いた。
伊藤の様子から薄々察してはいたものの、改めて受け取ることで、最優秀賞の嬉しさが、じわじわ宇佐美の心に浸透する。
通知には銀英社への勧誘と、簡単な仕事概要も書かれていた。
これも伊藤や募集要項の説明通りだ。
一度は落ちてしまった会社だが、今でも入りたいと思っている。
故に同封された書類に入社希望の旨を書き、送り返しておいた。
同社の社員と同棲しているのだし、彼に届けてもらえばいい――という考えは、宇佐美の脳裏に一切浮かばなかった。
こういうのは何事も格式だ。
手抜きをしては、第一印象をも損ないかねない。


きたるべき、初出勤の日。
「やーっほーっ!ウサミーッチ、入社おめでとー!」
部署に一歩入った宇佐美を出迎えたのは同僚たる社内デザイナーではなく、編集者の霧島であった。
手元には大量のクラッカーを携えて。
「やったね〜。晴れて正社員だよ。嬉しい?嬉しい〜?」
「は、はぁ……まぁ……」
宇佐美は口の中で呟きながら、椅子に腰掛ける。
使い古された、どこか汚れたキーボードとモニター。
それ以外は何も置かれていない、机だけは真新しい自分の席だ。
いずれは、真向かいの席のように荷物でゴチャゴチャしてくるのだろうか。
仕事用具よりも圧倒的に私物のほうが多いように見えるのだが……
「あははウサミッチ、シャイなのは全然かわんないんだね!けど、ここじゃシャイボーイは相手にされないから、積極的に頑張るんだゾ?伊藤ちゃんも、そのうち手が空いたら来ると思うよ。そんじゃーね♪」
一方的にけたたましくしゃべりまくって、霧島は上機嫌で去っていった。
「……あー、うるさかった。あの人、声でかすぎなんだよね」
これみよがしに毒を吐いて、宇佐美の隣に誰かが腰掛けてくる。
「はじめまして。コンペ優勝者の宇佐美 凶次さん、ですよね。本木 達也って言います。俺も、まだ新入社員なんで……新入社員同士、宜しくです」
本木はカジュアルな服装に身を包み、清潔感漂う短めの黒髪で、ゲーマー臭やオタク臭を感じさせない一般社会人に見えた。
自分が何故面接されずに落ちたのかを、宇佐美は、ぼんやり考えた。
もしかしたら編集部の求める人材とは、サブカルとは無縁の人々を求めていたのではないか――
はっきり言うと、見た目で落とされたのだと思う。
目の前の本木は恐らく、宇佐美が応募した人材募集での合格者だ。
本木は誰が見ても、サワヤカな好青年といった印象を受けるであろう。
履歴書に貼る写真は、髪型を整えて背広を着ておくべきだった。
社会人の礼儀として。
黙ってしまった宇佐美をチラリと見上げ、本木が付け足してくる。
「あの、シャイボーイでも、うちの部署は問題ないですから。俺も、あんま社交的とはいえないですけど、よくしてもらってますし。そもそも先輩方も、あまり社交的じゃないですし……」
部署は閑散としている。
今の時間は忙しいのだろうか。
宇佐美の視線を辿り、本木が説明した。
「あ、えっと。先輩達は、昼を回った辺りから来るかと。朝は仕事、ないんですよね。あぁ、もちろん別冊や突発単行本を出す時は朝から来ているんですけど!」
宇佐美の相づちの有無に関係なく続けた。
「あーっと。基本うちの先輩社員がたって、社長出勤なんですよね。デザイナーも編集者も。だから……こんな早くに来ているのは、事務の人と俺達新人ぐらいですよ。あとは、さっきの霧島さん。つか霧島さん、何でこんな早くにいるんだろ?」
こんな早くというが、営業時間にして朝の十時だ。
開始は九時だから全然早くない。
宇佐美の視線が壁時計へ向けられているのに気づき、本木は頭をかいた。
「えぇ、本業開始は九時からってことになっていますけどね。俺も最初は驚きました。先輩、誰も来てないんですもん」
本木によると、編集者が会社へ来てからがデザイナーの仕事開始らしい。
編集者の原稿なくしては、紙面デザインも構成できないからだ。
「内容によって毎回紙面デザイン、変わりますからね……あ、宇佐美さんは伊藤さんのコーナー担当してたんでしたっけ?じゃあ、説明しなくても判りますよね」
何故か敬語の数ヶ月先輩な同輩に尋ねられ、宇佐美はコクリと頷いた。
「あとは、なんだったかな……あぁ、そうそう、時々電話がかかってくるから電話番しろって」
「……どこから?」
「え、あぁ、編集部や印刷所から、です。印刷所からは引き取った原稿を保管したり、原稿主に返したり。あ、返す原稿は漫画とかです。で、編集部からは先輩諸氏との打ち合わせの件で」
「……あの」
「は、はい?」
「なんで敬語、なんスか。俺のほうが後輩ッショ」
宇佐美が呟くたびに、本木の笑顔が引きつるのも気になるといえば気になる。
やはり見た目が悪いから、怯えられているのだろうか。
しかし宇佐美が内心気落ちしているなど、本木は気づくまい。
落ち込む肩を、後ろからポンと叩かれた。
「ウサミッチ、おはよ♪」
伊藤だ。
朝は一緒に家を出たから、彼が来ているのは知っていた。
打ち合わせがあると言っていたはずだが、ここで道草していていいんだろうか。
「どう?会社初日の印象は。モトキッチ、仲良くしてあげてね?」
「は、はいっ!」
必要以上に気負った本木の返事に宇佐美が驚いていると、あっとなって本木は頬を赤くし、弁解してくる。
「あ、あの、俺、伊藤さんの記事が好きで、伊藤さんに憧れてココ受けたってか!ピコ通は学生時代からずっと、俺のバイブルでしたんで!」
まさかのゲーマー発言に、きょとんと目を丸くしながら「……そう、言ったんスか?面接で」と宇佐美が問うと、本木はブンブン手を振った。
「いやいや!そんなん迂闊にしゃべって本人に聞かれたら恥ずかしーし!面接じゃ〜フツーに御社のイメージと働きたい意欲を見せましたとも!」
今はもう、入社した後だから本人の前で堂々言えるのだという。
「入ってから、えっ?ってなる人が多いんだよね、うちは」と、伊藤も苦笑する。
面接では大概が猫を被っており、入るまでは、どんな性格だか判らない。
本木も面接したデザイナーの目には、大人しくて落ち着いた新卒に見えたらしい。
「俺、まだ新入りだからデザインできるのもカット描けるのも、ほんの一部分しか任されてないんですけど、いつかは伊藤さんの記事を……っとぉ!それは駄目ですね、宇佐美さんの仕事でしたね!!」
こんな熱烈信者な後輩がいたんなら、わざわざ宇佐美を雇う必要もなかったのでは?
宇佐美が目線で伊藤に尋ねると、伊藤は、じっと宇佐美を見つめ返して微笑んだ。
「そうだね。俺のコーナーは俺好みのデザインが出来る人じゃないと任せられないよ。だって、あのコーナーは俺の成長記であり、子供同様大切なものだから」
おっとりと、だがバッサリ本人には断られ、本木は肩を落とす。
「くぅ〜、こればかりは才能がモノを言う世界……!宇佐美さんが羨ましいですっ」
たまたま伊藤の好みに宇佐美のセンスが一致しただけだ。
だが、それでも伊藤に憧れを持つ者からしたら羨望の的なのであろう。
それよりも、本木は望みを奪った奴と仲良くできるのだろうか。
内心不安になっていると、当の本人が顔をあげた。
まるで宇佐美の心を読んだかのように、きっぱり断言してくる。
「大丈夫、デザイナーは実力勝負。仕事の件で恨んだりなんて、しません。こんなオタゲーマーな俺でもよかったら、仲良くしてやって下さい」
オタクというかピコ通読者だったのは、お互い様である。
差し出された手を、宇佐美は少し迷った末に握り返す。
本木の手は柔らかかった。
「今年の新人は俺しかいないのかと、ちょっと不安だったんだけど、宇佐美さんが来てくれて嬉しいです。じゃ、改めて宜しく!」
「……あの」
もう一度宇佐美は、ぼそっと呟き、ちらりと本木を見る。
「敬語、なくていいス。同期だし、タメで」
もっと渋るかと思いきや「え?そぉ?」と、本木は案外乗り気で返してきた。
「じゃ、タメで!いや、俺もそっちのほうがしゃべりやすいんで」
ずっと一人でべらべらしゃべりまくり、さらに好意的な笑みを浮かべる本木を眺めながら、これのどこが、"あまり社交的ではない"のだろう――宇佐美は改めて、この会社の社交術のハードルに身震いした。

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