酒臭い歓迎会から解放された時には、深夜一時を回っていた。
足を棒にして辿り着くと、伊藤さんが玄関で出迎えてくれた。
「なんだ、電話してくれればタクシーで迎えにいったのに〜!」と言われたが、冗談じゃない。
俺の用事で伊藤さんに出費させるわけにはいかない。
金持ちだという伊藤さんの弁を、信用していないんじゃない。
彼に金を出させる、それ自体が嫌なのだ。
同居するからには対等の立場でいたい。
どちらかが一方的に負担するなんてのは、対等とは言えないだろう。
これだけは、絶対に譲れない。
俺のポリシーだ。
「んん、お酒の匂いが移っちゃったね……明日、洗濯しよっか」
俺の上着をくんくん嗅いで、伊藤さんが呟く。
明日は仕事休みだ。
そのせいか、今日の歓迎会で先輩方が飲みまくっていたのは。
会社の金だから遠慮するなと酒を薦められたが、全部丁重に断った。
酒は好きじゃない。
単純に、味の好みで。
焼肉を大量に食べたから、歓迎される身としては充分なもてなしを受けたと思う。
歓迎会でも皆は思い思いにしゃべりまくって、うるさかった。
それでも不思議と嫌な騒がしさではなかったのは、皆が勝手に話しているだけで誰にも相づちを強制されなかったおかげか。
マンツーマンで話しかけてきたのは、本木さんぐらいだった。
彼は始終ゲームの話ばかりで、しかも伊藤さんと違って愚痴が多かったけれど、愚痴と不満だらけでありながら、ゲームがやめられないのだとも言っていた。
この仕事もそうだ、と言う。
最初は慣れないこと続きで嫌になったりもしたが、今は最高に楽しいのだ、と。
俺を励ますつもりで、そんな〆に持ち込んだのかもしれない。
無言と頷きで流し聞きしておいたが、あの分なら、伊藤さんの記事の件で俺を厄介者扱いにはしないだろうという確信が持てた。
「……なんか、いい顔してるね?ウサミッチ。歓迎会で皆と仲良くやれたのかな」
気づけば俺の隣に立って、伊藤さんがニコニコしている。
「……まぁ、一応」
頭を下げる俺を見て、伊藤さんは何度もウンウンと頷いた。
「制作部にいる連中って悪い奴らじゃないからさ。きっと良くしてもらえると思うよ?まぁ、センスは残念ながら壊滅的だけど」
よほどデザイン面で思うところがあるのか、その辺りだけは辛辣だ。
「うちの会社って、どこもあんな感じでフレンドリーだからね。もしウサミッチが何かの用で、経理部や編集部に来ることがあっても大丈夫だからね。皆、優しいし、怖い人なんていないし!」
グッと親指を立ててくる伊藤さんへ、俺も頷いた。
「はい。伊藤さんも、優しいですし」
すると伊藤さんは「えっ!?」と、あからさまに動揺した目を俺に向ける。
「お、俺が優しいって?ホントに、そう思ってる?」
「はい」
もう一度頷くと、伊藤さんはデレデレとしまりのない顔を浮かべて俺を見つめてきた。
「えへへぇ……そう言ってくれるウサミッチだって、優しいよ。今まで距離ナシとか距離ゼロとか馴れ馴れしいって言われてキモがられてばかりだったけど嬉しいなぁ、優しいだなんて」
どの部署も優しい人ばかりだという割に、伊藤さんには辛辣だったようだ。
それとも、親しいが故の毒舌なのか。
俺は、ここぞとばかりに言い切った。
「伊藤さんが優しいんじゃなかったら、優しさって何なんですか。伊藤さんは、優しいです。俺に仕事を与えてくれたし、住む場所も貸してくれたし、それに、何よりも。俺という個人の性格を褒めてくれた。……それが、一番嬉しかったです。今まで、そんなこと言ってくれる人、一人もいませんでしたから」
ごびびっと音を立てて唾液を飲み込んだ後、伊藤さんもポツポツ語り返してくる。
「え、えぇと……俺が君に優しくしたのは、多少の下心も含むよ?あ!もちろん第一印象の好感度は本物だけど。一緒に住もうって誘ったのは、君も俺が好きと知って嬉しかったからだし、仕事を回したかったのも、君には幸せになって欲しかったからだし!」
なんだ、それなら伊藤さんは全面的に親切なお人好しじゃないか――
暖かいものが、俺の心に浸透してくる。
今の話だけでは彼の下心が、どこらへんに関わってくるのか判らない。
感動する俺の前で、さらに伊藤さんの話は続いた。
「そ、それと……君を性的に好きになったタイミングは、一緒に住もうって考えるより前で……えと、モデルを頼んだ時なんだけど。あの時、オシャレした君を見てたら胸がキュンキュンしちゃって、きみの腕の中に飛び込んでみた〜いって思って……あっ……こ、こんな言い方されたら気持ち悪いよね……ごめん」
求人広告のモデルをやったのは、知り合って間もない頃だ。
そんな初期の段階で、性的な目を向けられていたとは驚きだ。
棒立ちで写真を撮られる男の何に、性的な魅力を感じたんだ。
伊藤さんのときめくポイントが、いまいち判らない。
だが恋とは、そうしたものなのかもしれない。
俺が知らないだけで。
或いは、タイミングのズレた一目惚れ――なのか?
恋愛ゲームの、どのパターンにも当てはまらないが。
「あ、あの、それで!こんな下心満開な俺と一緒のベッドで寝るのが、お嫌でしたら、シングルベッドの」
必死で叫ぶ伊藤さんを遮って、俺は答えた。
「いりませんよ。前も言いましたが、シングルベッドは無駄な出費スから」
大体、キングサイズのベッドがある以上、どこにシングルを置くつもりなんだ。
いくら寝室が広くても、ベッド二つは入りきらない。
だが、そう突っ込めば、床やソファで寝かねない。
伊藤さんは、きっと、そういう人だ。
俺は先ほどの話を蒸し返して、確認を取った。
「胸に飛び込むってのは、要するに抱きつきたいって事ですか?」
「え、うん」と素直に頷き、伊藤さんがチラリと上目遣いになる。
「けど、いつも抱きついてきますよね。それとは、どう違うんスか」
俺の突っ込みに、伊藤さんの頬は赤く染まった。
「えぇと。抱きつくんじゃなくて、抱きあいたい……んだ、君と」
なるほど。
改めて伊藤さんと向かい合った。
身長は俺のほうが高い。
伊藤さんは小柄で細身だ。
真正面から抱きしめるというのは、こちらも緊張する。
だが彼がそれを望むなら、しなきゃ駄目だ。
恩返しってだけじゃない。
俺も伊藤さんが好きだ。
彼が、伊藤さんが幸せになれるなら、なんだってする覚悟ぐらいある。
ぎゅっと抱きしめてみたら、腕の中で伊藤さんが身を固くする。
「あ、あぁう……思ったよりも、ずっとドキドキするぅ」
ぶつぶつ呟いて、俺を見上げた。頬が先ほどよりも赤い。
「べ、ベッドの中でも寝ぼけて抱きついちゃうかもしれないけど、いい?」
「え、まぁ」
断られなくても伊藤さんがスキンシップ好きというのは、充分判った。
初めて抱きつかれた時は、こちらも驚いた。
今まで俺に抱きついたり、手を握ったりするような人もいなかったから。
皆、遠巻きだった。
遠巻きに俺を、見ていた。
見ているだけで、話しかけてもこなかった。
本当に、伊藤さんと知り合えたのは、俺にとって幸運だ。
孤独から、俺を救い出してくれたのだから。
そろりと背中に、伊藤さんの手が回されてくる。
そのまま、がっちり抱きつかれた。
「こ……これが、抱きあうってカタチだよ。ウサミッチ」
「はい」
こうして二人で抱き合っていると不思議なことに、体だけではなく心まで、ほこほこしてくる暖かさを感じる。
――こうやって少しずつ何か新しい行為をするたびに、人は"愛"を、学べるのかもしれない。
一人では絶対に出来ない学習だ。
「ん、じゃあ、今日も明日も明後日も、ずっとずぅっと一緒に寝るけど」
「いいス」
「うん、うん……ありがと、ウサミッチ」
何度も何度も頷いて、名残惜しそうに俺から身を離すと、伊藤さんは俺を見上げて微笑んだ。
「それじゃ、今後とも宜しくね。ウサミッチ」

俺と彼の同居は、いつまで続くか判らない。
それでも俺は、この空間を大切にしたいと思った。
伊藤さんと一緒に暮らす、今という空間を――




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