昼下がりの編集部にて――
「もう毎日が幸せすぎて死にそう!でも、死にたくない!」
テンションが下がる気配のない伊藤を、馬原は疎ましそうに眺めた。
入稿後だから許してやるが、締めきり間際だったら殴っていたかもしれない。
休日明けの今日、朝から伊藤はテンションが高かった。
一緒に暮らし始めた宇佐美が、毎日可愛くて仕方ないのだという。
宇佐美は確か二十三だか、そのぐらいの年齢だったはずだ。
伊藤とは二回りほど年齢が違うから、年齢差によるギャップが珍しいのであろう。
それは判る。
しかし、ことある事に宇佐美のノロケを隣で聞かされるほうは、たまったものではない。
何度となく途中で席を立ち、もう結構アピールを繰り返しても逃れられそうにない。
反対隣の水木は、午前中に逃げ出したまま帰ってこない。
自分も逃げ出せば良かったと馬原が陰気に鬱っていると、「こんちゃ〜っす!みんな、おっさしぶりー」と元気な声が入ってきて、編集部内を見渡してくる。
お騒がせ女子高生にして編集長の姪、源 小町だ。
夏休みは全然遊びに来なかったのに、秋になったら暇になったのか。
「こまっちゃん、おひさー」と霧島が手を振り返し、小町は彼女の隣に陣取る。
「ねぇねぇ、なんか最近の出来事で変わったことあった〜?」
小町の話題ふりに、霧島が答える。
「そうだな〜。伊藤ちゃんが二人暮らしを始めた件なんて、どぉ?」
軽々他人のプライベートを話題に持ち出すあたりが、彼女らしい。
「伊藤っちが?へーっ。誰と同棲?男?女?」
さっそく食いついてきた小町に、霧島はケタケタと笑った。
「やだ、女なんて甲斐性、伊藤ちゃんにあるわけないじゃない。男、男」
「男か〜。恋人?」
同棲相手が男と判って、なんで恋人に直結するのか。
小町の思考回路も、わけがわからない。
馬原が興味深げに彼女達の様子を眺めていると、横から伊藤に突かれた。
「ねぇー聞いてる?ウサミッチの手料理ものっすごく美味しいって話!」
「あーあー、聞いてる聞いてる、ちょっと黙ってろ」
ぞんざいに扱っていたら、小町と霧島が近づいてきた。
「ねぇねぇガチホモがガチホモ同棲始めたってマ?」
「あれ、もう知ってるの?耳が早いな〜、ガチホモじゃないけど」
驚く伊藤に、小町の追撃は容赦ない。
「だって男と同棲したんでしょ。ガチホモじゃん」
「いやいや、きょうび誰だって同性とぐらい同棲するでしょ。あっ、今のはダジャレじゃないからね」
一人ボケツッコミも忘れない伊藤へ、今度は霧島が質問する。
「ウサミッチは、いつも家でお留守番なの?」
「うん。外へ出て遊んでもいいよって言ってあるんだけど、家にいるほうが落ち着くみたいなんだ」
「まー、外で遊ぶにはお金がいるもんね……」と、小町。
にやっと伊藤に笑いかけ「お金、渡してる?」と、余計なお世話な質問をかましてきた。
「渡そうとしているんだけどね、受け取ってくれないんだ」
正直に答える伊藤も伊藤だ。
ともあれ、話題のターゲットが女性二人に移ったのを幸いとし、馬原は席を立ち、遅めの昼食を取りに出かけた。
去っていく馬原の背中を目で追いながら、霧島が尚も質問する。
「ウサミッチって今、収入どれくらい?他に仕事請け負ってんの?」
「ないみたいだね……なにか俺のコネを使って仕事紹介してあげられたら、いいんだけども」
伊藤は編集者歴が長い。
ゆえにゲーム業界のみならず、音楽業界や大手企業とも繋がりを持つ。
そうしたコネクションを使えば、デザイナーの仕事ぐらい見つかりそうではある。
しかし、問題が一つあった。
宇佐美が極端に遠慮してしまう点だ。
昨日の夕飯時に、それとなくコネを使った斡旋を持ちかけたところ、宇佐美は、えらく恐縮して辞退してきたのだ。
伊藤に迷惑をかけたくないから――だと言う。
遠慮深い彼に、気兼ねさせることなく仕事を斡旋する方法はないものか。
霧島と小町に相談すると、霧島は、う〜んと天井を見上げた後に言った。
「コンテストみたいなものに応募させるっての、どぉ?」
「コンテスト?」と首を傾げる二人に向けて、再度言い直す。
「あ、違う。コンペか。ほら、オリンピックマークの選考でやってたじゃない。ああいうやつ。ま、実際はデキレースでもいいんだけどさ、選ばれる方式だったら、ウサミッチの自信にも繋がるんじゃない?」
さらっと、とんでもない一言も混ざったが、コンペティション自体は悪くない。
コネで押しつけられた仕事とは異なり審査員に選ばれたとなれば、実力で堂々勝ち取った仕事ということになる。
「さっすが霧島さん!ナイスアイディア」
手放しで褒め讃える伊藤の横では、小町が実現の難しさを指摘した。
「コンペやるにしてもさ、ノッてくれる企業探さないとダメじゃん?」
「まぁね〜」
霧島も難しい顔で腕を組んだ時、横合いから乱入の声がかかる。
「なら、うちでやっちゃう?何のコンペだか知らないけど」
編集長だ。
話の前後が判らないのに、企画に乗ってくるとは恐ろしい。
「あ、じゃあ〜、キャラデザコンペなんて、どうです?」
全く気にせず提案を持ちかける霧島も、相当なツラの皮の厚さではある。
キャラデザって何のキャラデザ?と首を傾げる皆には、補足説明を付け足した。
「例えばピコ通の読者マスコット、とか?」
「読者マスコット?」
公認マスコットは一応ある。
誰も使っていないけど。
作ってはみたもののグッズ販売が盛大にスベッてからは、お蔵入りした。
「そ、読者マスコット。読者モデルみたいなノリで」
「……よく判らないけど、公認との違いは?」
まだ首を傾げている伊藤へは、適当な回答が飛んできた。
「読者が自由に使えるって点かな〜。同人活動に役立てて下さい的な?」
果たしてゲーム雑誌のマスコットで誰が同人活動するのかは甚だ疑問だが、要するに霧島が言いたいのは、それ自体ではなく、コンペ経由で宇佐美を銀英社に雇わせようという魂胆だ。
彼は元々、ここのデザイナーになりたがっていた。
しかし、面接へ行き着く前の書類選考で落ちてしまった。
自信が粉々に砕かれてしまったかもしれない。
それのせいで、彼が必要以上の謙虚になってしまったとしたら?
銀英社にも責任があると言えるのではないか。
「実力でって処がポイントよ。実力で雇われたってなりゃ〜、ウサミッチも自信が戻ってくると思うワケ!」
鼻息荒く語る霧島を、じっと見つめていた編集長は、やがてパチパチと拍手を送ってきた。
「すごいな霧島さん、どこかのNPOみたい」
「え〜、なんですか編集長?そのビミョーな褒め方ぁ〜」
恥ずかしいのかケラケラ茶化してくる本人へは、賛辞を重ねる。
「いや、ほんと、面接受ける相手の気持ちまで考えてあげるだなんて今年は君に面接やってもらえば良かったかな」
霧島は笑うのをやめて、肩をすくめてみせる。
「私がやっても、わかんないですよ。デザインの善し悪しなんて」
言われてみれば、彼女がデザイナーと揉めている現場など一度も見た記憶がない。
毎回社内デザイナーと揉めていた伊藤にしてみれば、意外な気がした。
あれで満足していられる、という点に。
本当に、総入れ替えしたいぐらい今の社内デザイナーは気が利かない奴ばかりだ。
宇佐美がコンペにより我が社へデザイナー入りしてくれるなら、願ったりかなったりだ。
「やりましょう!編集長、コンペやりましょう!!」
俄然乗り気になってきた伊藤をチラリと見て、編集長は頷いた。
「コンペでやるとすれば、賞金も設定しないといけない。今度の総会で、それとなく話を出してみよう。期待しないで待っててくれ」
そして、ポツリと付け加える。
「……面接にしても、書類選考での落選は次回からナシにしたほうが、いいかもしれないな。君達と話すと、時々考えさせられるよ」
去っていく編集長の背中に哀愁が漂っているのを、三人とも感じ取る。
「……なんか、いい方向に変わるといいね。この会社」
小町の素直な発言に、霧島も伊藤も強く頷いた。
「そうだね。私達、今まで漠然と勤めていたけど、改めて見直してみると、色々とブラックだったかもしれない」
「いや、割と俺が勤め始めた頃からブラックだったよ?この会社」
伊藤の率直なツッコミには霧島も、ぷぅっと頬を膨らます。
「えー。金持ちボンボンにブラックだなんだって言われたくないんですけどぉ〜?」
「い、いや、金持ちボンボンって?俺は普通の上流家庭だってば」
「上流はフツーって言いませんー」
さっそく始まる一方的な口喧嘩をバックに、小町が退出を告げた。
「そんじゃ、そろそろ行くね。お仕事がんばって〜」

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