SEVEN GOD

act5-4 失われてゆくものたち

草壁神太郎が嫌な予感に襲われたのは、ユニウスクラウニの北欧残党を、あらかた片付けた頃だった。

――突っ込んでくるぞ!

誰かが大声で叫ぶ。
幻聴を振り払おうと、神太郎は、二、三度、緩く首を振った。
だが声は余計リアルに、耳の奥まで響いてくる。

――うわぁぁぁ、危ないッ。

絶叫、そして一面が真っ赤に染まる。
燃える屋上、これは連邦軍の北欧支部?

「シンタロー!?ボサッとしてんなよ、危ねぇっ!」
間近で、はっきりとした声が怒鳴りつけてきた。
眉尻をあげたジンに横から抱きつかれ、床を転がった神太郎は、己の置かれた現状を把握する。
どこも燃えてはいない。
いや、一ヶ所だけ、黒く焼けこげた場所があった。
先ほどまで自分が立っていた場所だ。
「まさか自爆するとは……捕虜として残しておいたのが、裏目に出ましたか」
ゆっくりと姿を現した神矢倉が、ポツリと呟く。
ついさっき、神太郎のいた場所を目がけて、誰かが自爆を仕掛けてきたようだ。
誰かとはいうまでもなく、ユニウスクラウニの北欧メンバーである。
主立った者達を片付けた後、逃げる気力も失った者達を一ヶ所に集めておいた。
ゲリラや他の区域に点在するユニウスクラウニ基地の在処を吐かせる為の、捕虜だ。
その捕虜の一人が自爆した。
戦闘が終わり、ほっと一息ついた、一瞬の隙を突かれた行動であった。
ぼうっとしていた神太郎を道連れにしようと、捕虜の一部が自爆を仕掛けてきたのだ。
間一髪、彼はジンに救われたが、捕虜は粉々に吹き飛んで死んでしまった。
「あなた方は、爆発しないで下さいね」
神矢倉が残った捕虜達に微笑みかけると、憎々しげな目や脅えた視線が返ってくる。
目では反抗を示していても、誰も返事をしない。
身じろぎ一つしなかった。
皆の視線が一瞬だけアリスの方へ動いたのを、神矢倉は見た。
彼らは恐れているのだ、アリスの能力を。
主力とおぼしき能力者を全て片付けることができたのは、ひとえに彼女の活躍があってこそだ。
それにしても、先ほど神太郎の見た赤い景色は一体何だったのか。
やはり連邦軍の基地が燃えていたのか?
リュウ=ライガの予言を信じるならば、今頃はユニウスクラウニの巨大戦艦が到着しているはずだ。
爆撃されれば、屋上が炎上してもおかしくない。
しかし、神太郎の能力は予知ではない。
このような幻など見えるはずもないのに見えたというのは、どういうことだろう。
予知ではなく、予感?
或いは虫の知らせというやつだろうか。
首を傾げる神太郎に、ジンが、しかめっ面で話しかけてくる。
「おい、さっきから、どうしちゃったんだよ?ボサッとしちゃって」
幻覚と幻聴に惑わされている間、仲間にはボサッとしているように見えたらしい。
なんでもない。
そう答えようとして、気が変わった神太郎は全てを話した。
真っ赤に燃える風景が見えたこと、そして、それが連邦軍北欧支部の屋上に似ていたことを。
ジンが真っ先に否定する。
「なに?リュウの真似して、お前にも未来が見えちゃったわけ?炎上って、んなのありえないって。北欧支部はタナトスが指揮しているんだぜ。今頃は、ちゃっちゃと対空で落としているだろ」
大尉クラスの上司を呼び捨てにし、ケラケラと笑い飛ばす。
ここに神宮がいれば、ダイゲン大尉と呼べ!と怒っている処だ。
今は、神宮の様子も気にかかる。
もし赤い光景が本物の出来事だとしたら、マッドも神宮も無事では済むまい。
「戻ろう。皆が気がかりだ」
神太郎の言葉に、椅子に腰掛けて休んでいたアリスが顔を上げる。
彼女を気遣ってか、神矢倉が異を唱える。
「しかし神崎さんは疲れていますし、捕虜を運ぶ手間もあります。もう少し休んでからにしませんか?」
神太郎は、彼にしては語気を荒げた。
「捕虜など、後でもいいだろう。救援は一刻を争うのだぞ!」
もし悪い予感が的中したら、捕虜どころの話ではない。
特務七神は、隊員の半分と隊長を失うことになる。
信頼だって失うだろう。
そう言われても、まだジンや神矢倉は半信半疑であったが、ただ一人、彼の話を真面目に捉えた者がいた。
息を整え、アリスが静かに呟く。
「大尉は、シンに説得を任せると言っていたわね」
「そうだ」
頷く神太郎を真っ向から捉え、椅子から立ち上がった。
「なら……対空砲撃を行っていない可能性もある」
足がもつれ、よろめく彼女を支えようと、左右からジンと神矢倉が走り寄る。
「お、おい、無理すんじゃねーぞ?」
「大丈夫ですか?まだ休んでいたほうが」
しかし二人の手を振り切って、アリスは神太郎を促した。
「急ぎましょう。私は平気……大尉を守るためなら、疲労ぐらい我慢できる」
「あんま無理すんなよ?」と心配そうに声をかけるジンを遮って、神矢倉が仕切り始める。
「では、草壁くんと神崎さんは先行して基地へお戻り下さい。僕と元気くんは、ジープで戻ります」
神太郎に手を差し出されたアリスは、彼の手を握り返す。
同時に二人の姿は消えた。
瞬間移動、神太郎の持つ能力である。
二人は先に連邦軍の支部へ戻ったのだ。
「なんでアリスを先に戻すんだ?あいつ、クタクタだってーのに」
不満顔で尋ねるジンへ背を向けると、捕虜の手足を一人ずつ縛りながら神矢倉が答える。
「緊急に援護が必要だというのなら、草壁くんと神崎さんの能力が一番適任と考えたまでです。元気くん。君の能力は便利だけれど、攻撃には向いていない……そうでしょう?敵が何処にいても追いつける草壁くんと一太刀で敵を倒せる神崎さんは、ベストパートナーですよ」
最後の一人を縛り終えると、神矢倉は立ち上がる。
「さて、と……では、ジープを探しましょうか」
「あるかな?」と聞き返してくるジンへ微笑むと、神矢倉の手が捕虜の一人の顎をすくい上げる。
「買い出しに使っていたものぐらいはあるでしょう。どこにあるかは、彼らが教えてくれるはずです」
口調は穏やかだが、目が笑っていない。
ジンは慌てて付け足した。
「あ、あんまり手荒な真似すんなよ?連れ帰った時にも、また拷問するんだしさァ」
使い物にならない捕虜を連れ帰っても、怒られるだけだ。


予知になかった小型機の先制により大きく後れを取った連邦軍であったが、対空砲火で反撃に出られるまでには体勢を立て直していた。
砲撃手の側ではダイゲン大尉が、がなり立てている。
『いいか、狙うのは小型機オンリーだ!クラウニフリードは狙うんじゃないッ』
狙ったところで到底落ちる規模の船ではないから、言われずとも皆、判っている。
右や左に飛び回る小型機を狙って、赤や黄色の光が空に瞬いた。
『くそ、ちょこまかと!』
大きければ大きいで撃墜しにくいが、小さいというのも、これはこれで狙いにくい。
おまけに連邦軍側にとっては嫌なことに、遠方から近づいてくる、もう一機がいるとの報告を受ける。
『南より接近中!小型機が一機、機体ナンバーは連邦軍のものだが、油断はするな!!』
『南だって!?まるっきり反対じゃないか!』
砲撃手の一人が悪態をつく。
そうした彼らのやりとりを通信機越しに聞きながら、マッドも壁の影から空を伺った。
青い空には白い雲が浮かんでいた。
流れてゆく雲を見ながら、南といえば南米区域がある方角だな、と朧気に考える。
不意に高峰アヤ、及び南米支部時代の部下の顔が次々と脳裏に浮かび、すぐさま思考を打ち切った。
交戦中だというのに昔のことを思い出すなんて、走馬燈でもあるまいし縁起でもない。
「突っ込んでくるぞ!」
誰かが叫ぶ。
慌てて再度空を見上げると、確かに飛行機が一つ、ぐんぐんと降下してくるではないか。
マッドの耳元で神宮が怒鳴った。
『新たな小型機に能力者の気配を感じます!』
「何人いる!?」
マッドの問いへ、シーナが答える。
『いち、にぃ……ヤダ、五人も乗ってんジャン!』
「五人だと!?」
これにリーガルも併せると、こちらの戦力は圧倒的に足りない。
もっともリーガルだけが相手なら、登ってきた処で話し合いという手もあるのだが……
こちらへ突っ込んでくる飛行機。
乗っている奴は、話し合うつもりなど毛頭ないらしい。
命すらいらないのか、真っ直ぐ急降下してくる。
「うわぁぁぁぁ!あ、危ない――ッ!!」
兵士の悲鳴も、飛行機と建物が衝突する轟音でかき消される。
粉々になった瓦礫が吹き飛び、ついでに兵士も何人か吹き飛ばされ、屋上全体が煙と炎に包まれた。
「乗っていた奴らは全滅したか!?」
淡い期待を込めてマッドは尋ねたが、神宮もシーナも答えはノー。
『ダメ、残ってるヨ!』
『五人とも無事です!屋上中央、あっ、一人が壁伝いに降りていきます!!』
二人同時に叫んでよこしてきた。
煙に目を凝らして中央を見やれば、人影を幾つか見たような気がした。
それも一瞬のことで、すぐに煙が人影を覆い隠してしまう。
「全員、今の場所を動くな!壁際から応戦しろッ」
通信機に怒鳴った瞬間、怒りに満ちた声がマッドへ怒鳴り返してくる。
『待って下さい!戦わないって、約束したじゃないですか!!』
シンだ。
マッドは内心舌打ちしつつ、彼を宥めにかかった。
「小型機の奴らとの交渉は諦めろ!奴らはハナから話し合うつもりなどないッ。それよりも、リー=リーガルが屋上に上ってきた時が君の出番だ!そっちは頼んだぞ!」
『でもッ、ここで戦ったりしたらリーガルさんだって話を聞いてくれなくなりますよ!お願いです、俺がリーガルさんと話すまで彼らへの攻撃を中止して下さいッ』
必死で抗議するシンを、シーナの荒々しい横やりが中断させる。
『じゃあシンは、あたし達に大人しくやられろっていうの!?見なよ!飛んでるヤツは、まだ撃ってきているんだよ?それに、降りてきたヤツらも!壁を伝って、ダイゲン大尉のトコ行こうとしてるジャンッ。シンは、ダイゲン大尉に死ねって言いたいの!?』
『そ、それは……』
彼が言葉に詰まったのを幸いとし、マッドは極力穏やかに言い返した。
「君の気持ちは判る。だが、先制をかけてきたのは向こうだ。できるだけ、殺さないよう倒す。……それで妥協してくれないか?」
次にシンが答えるまでに、一拍の間が空いた。
数秒おいて沈黙の後、彼が答えた。
いや、叫んだ。
『嘘つきッ!!』
続いて通信が切れる、ブツッという耳障りな音がマッドの耳を劈く。
「シン、シン!?」
慌てて呼びかけても、応答はない。
当然だ、彼は通信を切ってしまったのだから。
すぐに神宮やシーナが慰めてくるが、それらはマッドの耳を右から左へ通り抜けた。
入口へ視線を走らせると、白い頭が建物の奥へ消えてゆくのを目撃する。
髪の毛が白い奴など、シンしかいない。
なんて面倒な奴だ。
動くなと言ったばかりなのに、勝手な行動を取るなんて。
動揺するマッドに、リュウの声が語りかけてくる。
『シンは俺が追いかけよう。大尉は他の者と共に、残る四人の迎撃に当たってくれ』
そうだ。
一人は壁伝いに降りていったが、あとの四人は屋上の中央に降り立ったはずでは――?
「ぎゃあッ!」
煙に紛れて、どこからか連邦軍兵士の悲鳴が聞こえる。
向こうは、もう行動を開始したようだ。
再びマッドは部下へ命じた。
「いいか、場を離れるんじゃないぞ!気配のする方角を狙って、銃で撃つんだッ。神宮は気配で狙えるようなら、狙っていけ!能力を出し惜しみするんじゃないぞ!!」
直ちに二人の了解、という声が返ってくる。
煙は、まだ晴れないが、屋上は戦場と化した。

アッシュ達を乗せた小型機が墜落したのを見て、驚いたのは連邦軍兵士だけではない。
クラウニフリードに残るユニウスクラウニの面々も、開いた口がふさがらないでいた。
「なっ……何を考えて、一体!?」
やっと口のきけるようになったロナルドが、それだけを吐き出した。
「こいつは、クロトやアユラのやり方じゃない。十中八九アッシュの仕業だな」
額に手をやり忌々しげに呟くジャッカルを横目に、ニレンジら子供達が騒ぎ出す。
「行こうよー!アッシュは先に行っちゃったけど、ボク達もリーガルを追いかけないと!」
口々に喚き立て、彼らの世話役でもあるマレイジアの手を引っ張った。
「ど、どうしましょう?私達も行かなくてはいけないのではないでしょうか」
マレイジアはエリスに判断を委ね、エリスはジャッカルに最終決断を迫る。
「全員で降りましょう。連邦軍は幸い、キムの小型機だけを狙っています。それに今なら、アッシュが作った煙幕も味方していますわ」
「全員で?」
オハラが聞きとがめ、眉を潜める。
「船を捨てるのか?」との問いに、エリスは首を振り否定した。
「いいえ」
「だが今、あなたは全員で降りると言ったじゃないか。船を留守にしたら、連邦軍の奴らに乗っ取られてしまうかもしれない」
オハラの懸念を、ジャッカルも否定する。
「大丈夫だ。この船を奴らが動かすことなど不可能だ」
眉間に細かい皺を寄せ、オハラが尋ねた。
「どういう意味です?」
「そう……あなたは、知らなかったのね」
答えたのはマレイジアで、視線は遠く窓の向こうを覗いている。
「この船は、メディカの意志によって動くことができるの。リーガルの想いを彼女が受け取り、クラウニフリードを動かしているのよ」
「メディカ?」
思い出すまでに少々時間がかかったものの、オハラの脳裏に少女の面影が浮かんでくる。
メディカ=ラングルーに会ったのは、たったの一回。
オハラがユニウスクラウニに参入して、まもなくの頃だったように覚えている。
リー=リーガルに連れられて、南米区域へ出向いた時の事だ。
オハラから見た彼女は、小柄で大人しく、何処にでもいるような、ごく普通の少女であった。
空間と空間を繋ぐ、目に見えぬ『道』を開く。
それがメディカの能力だと聞かされた。
「しかしメディカは、この船には乗っていないだろ。それなのに、どうして?」
たった一回しか会っていないので断言できないが、彼女が住んでいたのは南米区域、それもジャングルの奥深くだったはずだ。
対面の後、彼女が乗組員に加わったという話も聞かない。
「居場所など、彼女にとっては大した問題じゃない」と、ジャッカル。
「メディカは彼女にしか見えない『穴』を通じて、何処にでも移動できるんだ」
どこか夢見る目つきで、エリスも頷いた。
「クラウニフリードを発見できたのも、彼女のおかげだった。この船とメディカは、『穴』を通して心が通い合っているのかもしれないわね」
心が通い合うって、人間と機械が?そんな馬鹿な。
だが否定すると同時に、納得しかかっている自分がいるのをオハラは己の内に感じた。
なにしろ、クラウニフリードには操縦席なるものが一切ない。
船を動かすのはリーガルの念動によるものだと、ずっと彼は思っていた。
しかし現在リーガルは不在だが、クラウニフリードは空中停止しておりエンジンも起動している。
船を動かしていたのは、司令官ではなかったのだ。
「じゃあ、船はこのまま空中待機させておくのか?」
オハラの問いにエリスとジャッカルが頷き、焦れてきたのかココルコが大きく腕を振り回す。
「早く、早くぅ!も〜っ、早くしないと、せっかくの煙幕が晴れちゃうよ!」
ココルコだけじゃない。
ニレンジもシャラも、そして普段は臆病なロナルドまでもが、背中に噴射機を取り付け完了していた。
「い、行こう。船は大丈夫だ。ロックさえ、かけておけば、メディカが絶対守ってくれる。誰も中へは入れさせない。だって、ここは彼女にとっても大切な場所だもの」
声は震えていたけれど、ロナルドの瞳には強い光が宿っている。
覚悟を決めた光だ。
黙って頷き返し、オハラも噴射機を背中に取り付けた。

煙も晴れぬうちに、ダイゲン大尉の指示が飛ぶ。
『敵は中央に固まっているんだなッ!ならば遠慮はいらん、撃て撃て、撃ちまくれェ!!』
屋上に残っていた兵士全員が銃を構え、目視できぬ敵目がけて発砲した。
しかし撃たれたなら悲鳴ぐらいあがっても良さそうなものだが、物音一つ聞こえない。
あまりの手応えのなさにマッドは不安を覚え、通信機へ怒鳴る。
「神宮、奴らはまだ中央にいるのか!?」
即座に答えが返ってきた。
『一人、また飛び降りました!壁を伝って降りていきますッ。シーナが後を追いかけて、ウッ……』
声は途中で途切れ、痛々しい呻きに変わる。
マッドの顔をサッと血の気が引いた。
「どうした、神宮!」
返事の代わりに聞こえたのは、『くそォ!そこか!!』という怒鳴り声だけだった。
なおも神宮の安否を確かめようと、マッドは壁際から身を乗り出す。
瞬時に首筋をチリチリとした殺気が走り抜け、続いて耳元で誰かが叫んだ。
「危ない、大尉!」
目もくらむような激痛が、マッドの肩を捉える。
傷を確かめる暇もなく誰かの手で抱きかかえられたかと思うと、次の瞬間には建物内、廊下へ転がり出た。
何が起こったのか判らず、呆然と左右を見渡すマッドへ声がかけられる。
「……危なかった。大尉、応急処置しますので、あちらを向いて頂けますか」
目の前で微笑むのは、なんと草壁神太郎ではないか。
ユニウスクラウニの北欧残党討伐に出したはずの彼が、何故ここにいる?
「神太郎、君がどうして此処に?それに、クッ」
改めて肩の怪我を思い出し、マッドの顔が苦痛に歪む。
酷い傷だ。
ぴったり斜め四十度に切られていて、ぱっくりと肉が割れている。
これでもかとばかりに血が流れ出て、制服を赤く染めていた。
「黒服を着た男が、貴殿を攻撃してきたのです。さぁ、手当しますから傷を見せて下さい」
マッドの問いに答えているような、そうでもない答えを返し、神太郎は懐から包帯を取り出す。
手当と言っても、ろくな道具など持ち合わせていない。
せいぜい包帯を巻いて、仮の血止めをする程度だ。
それでも、何もしないよりはマシだろう。
包帯を巻いてもらったマッドは、激しい脱力感と戦いながら立ち上がる。
「ここは何処だ?」
「三十六階です。十七階に能力者の気配を感じましたので、ひとまず距離を置いた場所へ避難しました」
ということは、もう、そんな処までリー=リーガルが登ってきたということか。
「……二人、壁を伝って降りていった奴がいたはずだが」
「えぇ。外から降りてくる気配も、あります。三つほど」
シーナをいれた三人だ。
それに、と付け足して神太郎が問う。
「階段を駆け下りているのは誰ですか?これも能力者のようですが……」
じくじくと痛む肩をさすり、マッドは応えた。
「リュウ、だろう」
シンを追いかけて、屋上を出て行ったのだ。
階段で移動しているということは、今、この建物全てのエレベーターが停止しているということになる。
無論、リー=リーガルの司令室侵入を食い止める為だ。
階段にて待ち構える一般兵で、どこまで抑えられるかは定かではない。
リーガルが、どの程度の実力かは判らないが、能力者の組織を束ねる男だ。
けして弱くなかろう。
地上配備されていた装甲車と戦車が二台まとめて消滅した、との報告も入っている。
ふと、気づいてマッドは尋ねた。
「君は一人で先に戻ってきたのか?アリス達は、どうしたんだ」
神太郎が答える。
「神崎殿は自分と一緒に戻ってきました。今は屋上で、神宮殿の援護を行っているはずです」
「アリスだけか?神矢倉とジンは、後から戻ってくるのか」
はい、と頷き、神太郎も立ち上がった。
「ライガ殿と合流しましょう。当初の予定通りトウガ殿がリーガルと交渉するにしても、二人だけでは危険です。そして我々も、二人だけで孤立しているのは危ういでしょう」
「判った。リュウが、今どのあたりを降りているのか判るか?」
神太郎の先導で、廊下を走り出す。
屋上へ残してきた神宮の事も気がかりではあったが、アリスが一緒ならば大丈夫だろう。
マッドは、そう考えた。

「――もういい、サム」
クロトに言われ、サムは吸い込むのをやめる。
ぷっぷと吐き出したのは銃弾だ。
兵士達の撃った弾はサムの吸い込む能力に邪魔されて、どれ一つとして当たらなかった。
アッシュとアユラの姿はない。
屋上へ着地して、すぐに壁を伝って降りていったのだ。
このまま飛行機で突撃しよう。
そう言い出したのは、アッシュだった。
彼らが到着した時、まさにキムの駆る小型機が連邦軍の屋上を攻撃している最中であった。
とてもクラウニフリードと通信できる状態ではない。
いや、もしかしたらもう、仲間は突撃してしまった後かもしれない。
調べる時間すら惜しかった。
建物と激突する瞬間に飛び降り、アッシュとアユラは壁伝いに降りて司令室を探す。
残りのメンバーは、屋上に集まった兵士の始末。
そういう作戦に決まった。
うまくいくのかと内心危ぶんでいたクロトであったが、今のところは上手くいっている。
アッシュとアユラを追って気配が一つ降りていったが、一人ぐらいなら、あの二人の敵ではない。
それより煙が完全に晴れるまでの間に、どれだけ残党を狩れるか。
それが当面の問題だ。
「気配は……一つ?」
たった一人で全員を止めるつもりとは、こちらを舐めるにも程がある。
「一人なら全員でかかる必要もないよね。スミス、俺達も降りようぜ」
また一つ、銃弾をペッと吐き出したサムが陽気に言って、一歩踏み出しかけた時、何の前触れもなくスミスの頭がパッと赤い飛沫を上げて吹き飛んだ。
「スミス!」
たちまちガクンと力を失い、スミスの体が横倒しになる。
走り寄ろうとするサムを制し、クロトが気配へ向けて手を伸ばす。
「構うな、サム!お前は下に降りろ、ここは俺が相手をするッ」
ひゅん、と風を切り、クロトの手が有り得ない距離を伸びる。
手の先が煙にまかれて見えなくなった直後、前方で悲鳴が上がった。
当たった。
だがサムに確認できたのは、そこまでで。
「くそォ!そこか!!」
女の声が聞こえてきたのを最後に、敵の姿を見ることなくサムの意識は途絶えて消えた。
「サム……ッ!」
クロトの目の前で鼻から上を丸々吹っ飛ばされ、サムの体が勢いよく倒れる。
断末魔をあげる暇さえ、彼には与えられなかった。
サムは自身の作った血の海に倒れ込み、血がクロトの頬に、ぴちゃんと跳ねてきた。
たかが一人と侮っていたが、なるほど一人で残るだけはある。
距離のある相手の急所を確実に吹き飛ばすとは、とんでもない能力だ。
だが、クロトも遠距離からの攻撃を得意とする能力者である。
両手を鋭利な刃物と化し、しかも範囲は伸縮自在。
その威力たるや、アユラの鞭ですら軽く凌ぐ。
例え相手が全身鎧を着込んでいようと真っ二つに出来る自信が、クロトにはあった。
敵の気配は障害物伝いに、右手へと移動している。
誰か、能力者ではない兵士の誰かと合流するつもりだろう。
そうはさせるか。
「逃がすか!」
先回りして伸ばした両手の先が、何かを捉える。
気配の持ち主ではない。
そいつはまだ、そこまで辿り着いていなかった。
とすると、この肉の感触は連邦軍の雑魚兵だろうか?
危ない――誰かが、そう叫んだような気がした。
同時に気配が二つも増え、クロトは、まともに動揺した。
髪の毛がそそりだつ殺気を覚え、訳もわからず横へ飛んで逃げようとする。
だが足に激痛を感じ、やられた箇所を押さえて転がった。
畜生、一発食らったか!
「外れた……次は、外さない」
また女だ。しかも、先ほどの奴とは声の違う。
クロトは自分の足を見る。
血が出ているのは当然だが、先ほどの奴とは攻撃の質が違うことを確かめた。
スミスやサムの頭を吹っ飛ばした能力とは、全く異なる。
この傷は刀で斬られたものだ。
二対一では劣勢だ。
しかも二人揃って遠距離攻撃ときた。
これでは、いくらクロトが強くても、百に一つの勝利も見えない。
自分の死期が近いと悟り、クロトは覚悟を決める。
ここで死んでも構わない。
せめて一人だけでも道連れにしてやる。
どうせ道連れにするのならば、刀を持った奴よりもサムとスミスを殺した奴がいい。
仇討ちではない。
残る仲間への脅威を考えた結果だ。
一撃だ。
一撃で決める。
両腕に力を込め、最大限まで刃を尖らせる。
日の光を受け、クロトの両手はギラギラと輝いた。
「……うおあぁぁぁあああッッ!!
獣の咆吼が、彼の口から迸る。
いかなる時でも冷静だったクロトが、生まれて初めて出した咆吼であった。
両腕をクロスさせたまま、最初の気配に向かって突進する。
刀を持った奴が横手から迫ってきているのは気づいていたが、クロトの勢いは止まらない。
ああぁぁぁぁぁッッッ!!
刃が、うなりをあげて前方に飛んでゆく。
横手から衝撃波が飛んできて、腕の一本を叩き斬った。
しかし、それよりも早く、クロトの右手は肉の感触を捉えていた。
クロトの右手は易々と神宮の心臓を貫通し、斜め四十度へ肉を切り上げる。
やった。
そう思うのが精一杯で、彼は目を閉じた。
斬られた腕の感覚がなくなり、意識が、目の前が、どんどん暗くなってゆく。
全身から力が抜けていく。
吹き飛んだ頭からはドロリと脳髄が垂れてきて、クロトの体が前のめりに倒れる。
彼が最後に耳にしたのは、刀を持つ女の絶望に満ちた「神宮さん……!」という言葉であった。

神宮がクロトにやられても、アリスには悲しみに浸る時間すらなかった。
煙に紛れて上空より降下してくる、新たな能力者の気配を感じ取ったからである。
ハッとしてクラウニフリードへ意識を向けるが、彼女はすぐに首を振る。
敵空母の中は既に無人だった。
まさか、このタイミングで全員が降下してくるとは。
屋上に残る能力者は、自分一人しかいない。
だがクロトのように簡単に諦めるほど、アリスは諦めの良い人間ではなかった。
第一、大尉や神太郎は、まだやられていないのだ。
ここで自分が死ぬわけにはいかない。
素早く気配を探ると、何人か下へ降りてゆく者達がいる。
壁伝いに降りる気配は三つ。
階段で下りていくのが二つで、逆に登ってくるのが一人。
悩んでいる暇はない。
アリスは踵を返すと、階段目がけて走り出した。

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