SEVEN GOD

act4-5 夢を、見た

シンを乗せたヘリが帰還したと聞いて、いてもたってもいられずにジェイミーは部屋を出る。
本部で待つ――
シンには、そう言ったが、とても待っていることなど出来ず、ジェイミーも北欧支部へ駆けつけていた。
廊下の先で特務七神の姿を見つけ、声をかけようとした。
だが後方を歩くシンを、ひと目見た瞬間、彼女は、それをためらった。
項垂れた彼の唇は青ざめ、震えている。
何があったのかは、すぐに判った。
人殺しの現場を間近で見たのだ。
恐らく、交渉は失敗したに違いない。
能力者を相手に説得など初めから無理だろうと、マダムは思っていた。
連邦軍に保護されてから、酷い映像を何度も見させられている。
連邦軍の兵士、或いは罪なき一般市民が問答無用で能力者達に襲われる映像だ。
彼らに言葉は通じない。
たとえ兵士が武器を捨てて交渉を申し出たとしても、襲われるのは明白である。
そう思っていたが、あえて口には出さなかった。
シンの気持ちを考えると、とても言えたものではない。
彼は能力者に保護されていた。
もし自分が反対の立場だったなら、マダムだって能力者の味方をしていたかもしれない。
人間なのだ。
世話になった相手に情を感じるのは、当然である。
特務七神の面々がジェイミーに気づいた。
先頭のマッド大尉が、声をかけてくる。
「すまないが、彼を病室へ連れて行く。疲れているんだ、精神安定剤を打つ」
「精神安定剤……?」
聞き返すジェイミーの横を、通り抜けざまに神宮が付け足した。
「今、彼は取り乱しているからね。安心させてやらないと」
シンは一言も口を訊かず、黙ってジェイミーの横を通り過ぎる。
ジェイミーもまた、シンにかける言葉が見つからず、黙って彼を見送った。
「一、二時間もすれば平常心に戻るだろう。その時に、改めて見舞いに来てもらえるか?」
大尉に促され、マダムは頷いた。
「判りました」


草木も眠る午前二時――
けたたましく警報が鳴り響き、南米基地は俄に慌ただしくなっていた。
「来ました!数は、ざっと十二人、間違いありません、全て能力者ですッ」
ジャングルの至る所に設置されたモニターが、あらゆる角度から侵入者を捉えている。
映された姿は、どれも民間人。
まっすぐ、こちらへ向かってくる。
いや、手ぶらの軽装で密林を歩く民間人など、この区域にはいない。
ユニウスクラウニ、或いは能力者ゲリラに他ならない。
「十二人だと……?」
先日たった四人を相手に、危うく全滅させられる寸前だった。
指揮官マリヤの額を汗が伝う。
どうする。
今は頼りに出来る能力者も、いないではないか。
しかし悩んでいたのも一瞬で、彼女の決断は早かった。
「包囲網を使え!建物に誘い込むのではなく、森を焼き払う!!」
「森を、ですか!?しかし森を焼いては、この基地が丸裸になります!」
頭の悪い返答に、じろりと兵士を睨みつけてマリヤは吐き捨てる。
「誰が基地の周辺と言った!敵を囲い分断し、遠ざけるのは兵法の基本だ!!」
「りょ、了解です!」
慌ただしく何人かが戸口へ走り、アヤも壁際のロッカーから火炎放射器を取り出す。
防火服を着込み、背中には火炎放射器。
頭には、すっぽりとマスクを被った。
完全に装備の整った者から、順番に表へと飛び出してゆく。
作戦は迅速に行わねばならない。
十二人もの能力者と真っ向勝負で戦えば、生身の人間には死しか残されていない。
幸い能力者に判るのは、同じ能力者の気配だけだという話だ。
非能力者を気取られることはないのだから、ここぞという時の物量作戦が使える。
数で包囲して、基地から遠ざかるように誘導する。
充分な距離を置いたら、森に火を放ち逃げ道を塞ぐ。
無論、犠牲者は出るだろう。
しかし基地に誘い込むのは、得策ではない。
狭い場所では同士討ちの危険がある。
無駄な犠牲を出すぐらいならば、より確実な策を取りたい。
次々と武装して出て行く仲間を見ながら、アヤも火炎放射器を背負った。
「作戦の指揮は、シュルツ軍曹!貴様に一任するッ」
マリヤに命じられ、五分刈りの金髪士官が敬礼する。
「了解であります!」
やがて建物の前で整列する下級兵士へ軍曹が号令をかけ、一同は速やかに作戦を開始した。

南米基地を奪回する――
その話が本部で持ち上がった時、すでにアッシュの謹慎は解けていた。
彼は真っ先に志願し、リーガルの許しを得て奪回メンバーに加わった。
今回送り込まれたメンバーは普段、本拠地で待機している精鋭の能力者である。
ユニウスクラウニも、ついに本腰を入れての奪回作戦というわけだ。
「それにしても、判らないなぁ」
道中そんな呟きを漏らしたのは、同メンバーに選ばれたサム。
まだ十代そこそこの少年だが、幾多もの死線を潜り抜けてきた歴戦の戦士である。
彼の人生は血にまみれていた。
能力者であることが発覚したのは、七歳の頃だったと記憶している。
それからというもの親には襲われたり友人には裏切られたりと、ろくな目に遭っていない。
「判らないって、何が?」
そう聞き返したのは、彼の弟トム。
サムより三つ年下の彼もまた能力発覚後の生活は、振り返りたくもない血まみれの歴史である。
兄と再会し揃ってユニウスクラウニへ参入するまで、彼らには一時たりとも心の安まる時間がなかった。
「リーガル指令が、南米基地にこだわる理由がだよ」
サムの疑問に、すかさずアッシュが突っ込む。
「だって、取られたんだぞ?取られたものは取り返さなくちゃ!」
するとサム、アッシュよりも数歳年下とは思えぬ溜息をつき、冷めた目で見上げてきた。
「取られたら取り返すって、子供じゃあるまいし。どうしても南米区域に拠点が欲しいなら、別の場所に作ればいいだけの話じゃない。なんで、あの基地にこだわる必要が、あるの?」
「それは……何でだろ?」
言葉に詰まり、アッシュはクロトに救いの目を向ける。
視線に気づいたクロトが頷き、サムへ言った。
「今回の目的は基地の奪回そのものではない。目標は、基地内にいる連邦軍兵士の殲滅だ」
「そうなの?」と聞き返したのはサムとトムばかりではなく、アッシュやアユラもだ。
アユラが肩をすくめて呟いた。
「リーガルは、そんな風には言ってなかったけど」
「本拠地を殆ど開ける形になるもの。表向きは奪回ってことにしておいたほうが、ゲリラや他地区に散らばってる仲間達への体面を守る事にもなるんじゃなくて?」
判ったような物知り顔でミユが語るのを横目に、クロトもアユラを見据える。
「今、あの基地にいる連中は毒ガスを使うような卑劣漢だ。これ以上、生かしておくわけにはいかない。障害となるものは早急に片付けるべきだ」
真っ向から睨み返し、アユラは尋ねた。
「それは、あんたの意見?それともリーガルが、そう言ってたワケ?」
クロトは無言で頷くと、前方へ目をやる。
生い茂った樹木の向こうに目的の場所はあった。
ガルシアも彼と同じ方向へ眼を向けて、呟く。
「基地に能力者の反応を感じないな。奴ら、今は留守にしているのか?」
「或いは」
傍らに立ち、暗い瞳でクィッキーが応じる。
「本来は、ここの担当じゃないのかもな。だが、俺達が乗り込めば話は別さ。基地の奴らも焦って、そいつらを呼び出すだろうぜ。……奴らを必ず引きずり出してやる」
その彼が早足で先に立って歩き出したので、ミィは声をかけた。
「クィッキー」
クィッキーが振り返る。
「なんだよ?」
「あなたの気持ちは判るけど、くれぐれも無茶だけはしないで」
「俺の、気持ち?」
彼は鼻でせせら笑った。
「俺の気持ちが、なんでミィなんかに判るんだよ。馬鹿言ってないで、さっさと行こうぜ。向こうが俺達に気づく前にな」
クィッキーは誤魔化したけれど、他の皆も、とっくに彼の本音には気づいていた。
ニーナは彼の妹だ。
たった一人の肉親でもあった。
彼女は南米基地で殺された。
顔面を鋭い刃物で一刀両断、即死だったと推測される。
能力者の彼女を真っ正面から斬れるものなど、同じ能力者以外に考えられない。
連邦軍に与する例の裏切り者たちに、やられたのだ。
クィッキーは、妹の仇討ちがしたくて参加を志願した。
仇を討つためならば彼は、どんな無茶でも、やってのけるつもりに違いない。
「アッシュ、あんたもよ?」
アユラが振り向き、アッシュを軽く睨む。
「ゾナとアイアンの仇討ちなんて考えは、捨てておきなよね」
人を一刀両断する力の持ち主には、アッシュが出会っている。
分断する現場を見たわけではないが、その人物にはアタリをつけていた。
ニーナの行方を追って基地に侵入した時に出会った、あの二人組。
二人とも能力者だった。
一人は他人の能力を、そっくりそのまま反射する、という不思議な能力を持っていた。
そいつとは別に、シンを誘拐しアイアンをアッシュの目の前で殺した少女。
少女は刀を持っていた。
あの子がニーナと、そしてゾナをも殺した張本人だ。
アッシュは、そう直感した。
「その通りだ。仇討ちなど、馬鹿馬鹿しい感情は捨てろ」
クロトの言い方が、かんに障ったのか、クィッキーが荒々しく振り返る。
「馬鹿馬鹿しいだって!?もう一度、言ってみろ!仇討ちが、何だって!?」
「何度でも言ってやる。仇討ちなど、馬鹿馬鹿しい感情は捨てろ」
「この……ッ!!」
高ぶった感情を抑えきれず、クィッキーがクロトの襟首に掴みかかる。
ミユが悲鳴をあげた。
「やめて、クィッキー!」
反対にアッシュは彼を、けしかける。
「やっちゃえ、クィッキー!」
「やっちゃえって、あんたねぇッ」
途端にアユラに怒られたが、アッシュは彼女にも食いかかってきた。
「仇討ちの為に戦って、何が悪いんだよ!?ニーナもゾナも連邦軍に殺されたんだぞ!一方的に斬り殺されて!!アユラは、あいつらの無念を晴らしてやりたくないのか!?」
襟首を掴まれたまま、クロトが冷静に答える。
「大儀の前に個人の感情など無用。それに仇を討ったところで、何になる?仇討ちなど、残った人間が勝手に感じる最大の自己満足だ」
下から、ぐいっと襟を引っ張られる。
クィッキーが、血走った眼でクロトを見上げていた。
「クロトは、いつもそうだ!大儀、大儀って、そんなに大儀が大切かよ!大儀の前に、俺達が何のために戦ってるのか考えた方がいいんじゃねーのか!?」
「無論、考えて戦っているさ」
クィッキーの手を乱暴に払いのけ、クロトが言い返す。
「能力者全てが幸せに暮らせるため、だ」
「そんな建前を聞いてるんじゃないッ!!」
カッとなったクィッキーの熱を冷ましたのは、ヴィオラの鋭い叱咤だ。
「――静かにして。周辺に生命体の鼓動を感じる」
「生命体!?」
思わず声をあげたアッシュも、横からアユラに口を塞がれる。
「この鼓動……一つじゃない。小動物とも違う……人間ね、それも大勢の」
油断なく、ガルシアが周辺を見渡した。
四方を囲むのは鬱蒼と茂る緑ばかりで、人影は見あたらない。
「囲まれたのか……いつの間に?」
それ以前に向こうは、こちらの気配がわかるというのか。
能力者ならば能力者のいる場所を掴むことぐらいは、できよう。
しかしガルシアの見立てでは、あの基地に能力者は一人もいないはずであった。
能力者でもない普通の人間が、どうやって我々の襲撃を悟ったというのだ。
不意にスミスが上空を指さして叫んだ。
「あれ!あそこに、何か光った!!」
すかさずアユラが腕を伸ばし、光った何かを打ち落とす。
キラキラとした破片をまき散らしながら落ちてきたものに目をやり、誰もが舌打ちした。
監視カメラだ。
注意深く木の上を見やれば、あちこちに取り付けられている。
ご丁寧にも枝や葉で隠れるように設置してあった。
これでは、気づけなくても当然だ。
スミスが気づけたのは偶然、日の光が反射するなどして見つけたのだろう。
「向こうさんも、ただボンヤリ基地に閉じこもっていたわけじゃないってことか」
当然森の中にトラップが仕掛けられている事も、予想して然るべきだ。
「スミス、この一帯に金属反応は!?」
アッシュに問われ、スミスは神経を研ぎ澄ます。
「あるよ!俺の後ろ――」
言い切る前に彼の背後で炎が爆発し、スミスは悲鳴をあげる。
「炎だって!?馬鹿な、森の中で炎を使うなど!」
ありえない奇襲に、冷静だったクロトも思わず叫んだ。
アユラが、浮き足立つ仲間を牽制する。
「皆、固まって!散らばったらやられる、スミスは金属反応のする場所を皆に教えて!!」
だが――
「見つけたァァァッッ!!」
アユラの牽制も耳に入らなかったか、クィッキーが獣の形相を浮かべて茂みに突っ込んでゆく。
「待って、クィッキー!先走らないで!!」
彼を追いかけて、ミィも茂みへ飛び込んだ。
「ば、バカッ!何やってんのよ、二人とも!戻って、戻れ、馬鹿ァッ!!」
慌ててアユラが呼び戻そうとするも、今度は別方向が赤く燃え上がり、再び彼らはパニックに陥った。
「完全に囲まれてやがるッ。スミス、方向を指示しろ!俺とクロトで応戦する!!」
ガルシアの指示に、スミスは頷き、あちこちへ思考を飛ばす。
「俺も、俺も!」
掌に炎を浮かべたアッシュは、間髪入れずアンナに後頭部をガツンと殴られた。
「痛ッ!」
「馬鹿だね、あんたまで森を燃やしてどうするの!」
ニ方向からあがった火の手は囂々と燃え上がり、彼らの行く手を阻んでいる。
このままでは火に包まれて、全滅するのも時間の問題だろう。
一カ所に固まっていては駄目だ。
分散して、敵を一人ずつ倒していかないと。
「いたよ、ここいらへんを、ぐるっと囲んでる!数は……十、いや、二十人以上!?」
「正確に何人だ!調べろッ」
ガルシアの問いへ、ヴィオラが即座に答えた。
「大きな鼓動は、全部で四十七名よ。あの基地を守っていた兵士達ね、きっと」
「俺達を倒すために火刑まで考えたか。ご苦労なことだ」
クロトが呟き、トムとサムを見下ろす。
「いけるか?」
「勿論だよ」
サムもトムも頷き、クロトが無言で応じると、三人は一斉に茂みへ飛び込んだ。
止めようとするアユラには、アンナが提案する。
「アユラ、ここは固まって応戦するよりも、攻撃を仕掛けた方が得策だよ!」
アユラは金切り声で言い返した。
「バカッ、それが向こうの作戦よ!向こうは、もう気づいてるわよッ。誰が攻撃役で、誰がレーダーの役目をしてるかぐらい。優秀な監視カメラのおかげでね!」
アンナを守る位置で立ち止まったアッシュが、ミユとアユラへ声をかける。
「だから俺達は、ここに残って皆のフォローをしよう。誰かが囮になって敵を引きつけないと」

アッシュ達がバラバラに行動するのを見て、マリヤは内心舌打ちする。
奇襲は成功した。
森の中では、アッシュの炎も使えない。
奴らの中には、必ずレーダー役が混ざっている。
だから分散だけは絶対しないと予想していたのに、甘かったか。
『能力者、分散しました!』との報告を受けるまでもなく、監視カメラが、それぞれの動きを司令室へ伝えている。
アッシュと共に奇襲を受けた場所に留まっているのは、五名。
黒髪の女、茶髪の少女、頼りない風貌の青年が一人、あとは紫の髪の少女と、中年女性。
女子供ばかりだ。
こいつらがレーダー役と見ていいだろう。
他は全て茂みに散った。
ナンバー2と名付けられたカメラが映しているのは、黒服の青年と痩せっぽちの少年。
ナンバー3には、屈強な筋肉男と小太りの少年。
ナンバー4は、桃色の髪の少年と黒髪の少女を映し出している。
マリヤは部下に指示を送った。
「囲いを解くな。目標は、あくまでも主力人物の抹殺だ、忘れるなよ。各方面を担当している者は、ただちに能力者の対応に当たれ。接近するな、銃と炎で牽制しろ!」
主力人物とは言うまでもなくアッシュを指している。
連邦軍のブラックリストに名を連ねる、彼はユニウスクラウニの中でも重要人物と予想されていた。
アッシュの強さはマリヤも目撃している。
バケモノ、そう呼んでも、差し支えない。
体から炎を出して、あらゆる敵を燃やし尽くす。
炎は彼の体を守る盾にも変化した。
バケモノ相手に正攻法もクソもない。
どんな手を使ってでも、彼をここで倒しておく必要があった。
アッシュ=ロードを倒せば、マリヤの地位が高まろう。
二階級特進も夢ではない。
部下を大量死させたという失態をも取り消せる。
彼女には野心があった。
もっと偉くなり、現場で指揮するのではなく本部で指揮する立場になりたかった。
いつまでも、こんな蒸し暑い区域の基地を監視しているだけの地位に収まっていたくない。
上層部は、いつも彼女に無茶難題を押しつける。
たまには、上の連中も現場で戦ってみればいい。
現場で戦うのは、もうコリゴリだ。
早く偉くなりたい。
その為にも、アッシュには出世の踏み台となってもらう予定だった。

茂みに身を潜ませた兵士が、アヤの耳元で囁く。
「アッシュ=ロードは動かないな……どうする?俺達で奇襲をかけてみるか」
うるさそうに首を小さく振り、彼女は答えた。
「あれは彼の誘いよ。茂みを出たら一瞬にして消し炭になるわね、私たち」
森で火は使えない。
その常識を、こちらが先に破った今、アッシュが炎を使わないとは限らない。
使ってくると見るのが当然だ。
アッシュと向かい合う形で潜む部隊は、動くに動けなくなった。
「奴以外の能力が判らないのは、痛いな。ブラックリストに載ってる奴は他にいないのか」
後方で呟く低い声へ、振り向かずにアヤが応える。
「アッシュの側にいる茶髪の女の子……あれ、アユラ=マディッシュじゃない?」
「アユラ……いたかな、そんな奴」
背後にしゃがむ大男、エリクソンが首を捻る。
アヤの側で片膝をついた男、こちらは名をダースというのだが彼は頷いた。
「聞き覚えがあるな、その名前。確か、体をゴムのように変化させるって能力だ」
正しくは水、液体に変化する。
アユラには銃もナイフも効果がない。
「どうする?」
会話は再び振り出しに戻り、アヤが、もう一度首を真横に振った。
「焦って飛び出す必要はないわ。彼らは、それを待って分散したんだから」
背後の仲間が身じろぎする。
茂みが小さく音を立て、アヤもダースも後ろを睨みつけた。
エリクソンは、さして気にした様子もなく、ぼそぼそと囁いてくる。
「九時、三時、十二時の方角は、敵の対応でテンテコマイだ。俺達が仕掛けるしかない」
仕掛けたくて仕方がないのだ。
他の方向に散らばった仲間は皆、敵と戦っている。
自分達だけ茂みの中で座りっぱなしというのは、どうも落ち着かないらしい。
はやる男二人を、アヤが叱咤する。
「命令を忘れたの?包囲網を解くなって言われたでしょう」
「しかし――」
背後の仲間が何かを言い返した時、アヤは隣でダースの驚愕を耳にした。
「しまった!一人足りないッ」
同時に、風の唸る音。
茂みが大きく抉りとられ、アヤとエリクソンは咄嗟に伏せる。
寸前まで隠れていた場所の枝が、宙に舞う。
枝だけじゃない、大きな影も宙に舞った。
アヤの足に生暖かいものが降り注ぎ、彼女は危うく大声で悲鳴をあげるところだった。
「こっちだ!」
大男に手を引っ張られ、右手に転がり込む。
直後ダースの頭が彼女の居た場所へ落下してきて、二、三回ほどバウンドする。
襲ってきた何者かも既に、その場を離れている。
ざざざ、と茂みを割る音が追いかけてきた。
「畜生!殺されて、たまるかよ!!」
エリクソンが火炎放射器を、見えぬ敵の方角へ向けた。
引き金を引くと炎が飛び出し、直線上を焼き払う。
あれでは駄目だ。
牽制ぐらいにはなろうが、敵が正面から来るとは限らない。
アヤは構わず後方へ飛び退くと、火炎放射器を遠くへ投げ捨てた。
内ポケットから、サバイバルナイフを取り出す。
至近距離で火炎放射器を使うのは、自分が火だるまにもなりかねない。
何より、放射器自体をアヤが使いこなせていない。
銃よりはナイフのほうが、得意であった。
くぐもった悲鳴が、エリクソンのいた方角から聞こえる。
必死の火炎放射も虚しく、追いかけてきた何者かにやられてしまったのか。
それを確かめる暇もないまま、アヤは十二時方面にいる仲間と合流すべく走り出した。

「一人逃げたわ、ガルシア達のほうへ向かっている」
ヴィオラの報告を受け、アッシュがガルシア達の向かった方角へ目をやった。
あちこちから、焦げ臭い匂いと煙が立ち上っている。
薄暗かったはずの森は、炎で赤々と輝いていた。
「森の中で火を使うなんて、ありえないわね。どうする?アッシュ」
アユラが呆れ顔で尋ねてくる。
間髪入れずにアッシュは頷いた。
「もちろん、追っかける!」
「囮役は、もうお役御免かい?」
アンナのツッコミにも振り向いて、彼は答える。
「ホントは、もうちょっと引きつけてから攻撃するつもりだったんだけど……ミユが心配だ、追いかけよう」
正面に潜む敵へ仕掛けたのは、黒髪の少女ミユだった。
ヴィオラの熱察知、それからスミスの金属感知を頼りに、敵の居場所を大まかに突き止めた。
だがアッシュの策により、残った面々は敵が近づいてくるのを待っていた。
ミユは、なかなか近づいてこない敵に焦れて、つい先走ってしまったのだ。
双子の妹ミィが別行動を取っているというのも、彼女を焦らせた原因の一つだろう。
ミィはクィッキーを追いかけて、左手の茂みに飛び込んでいった。
クィッキーもミィも、まだ戻ってこない。
火炎放射器で武装した連邦軍の兵士相手に手間取っているのか。
敵が火炎放射器を投下してくるとは、確かにアッシュとしても誤算であった。
しかし相手は既に毒ガスなどという御法度な作戦を、使用しているのである。
今さら常識の通用する相手ではない。
なりふり構わぬ作戦を連発する相手の司令官に、アッシュは俄然興味を持った。
待っていろよ。
絶対に森を抜けて、お前の元に辿り着いてやる――!
まずは手始めに、ミユが取り逃がした正面の部隊を全滅させてやろう。

アヤ達から見て九時の方角、つまりはクロト達の入っていった方角であるが。
クロトとサムの立つ、半径一メートル以内にある草木が、ごっそりと消滅している。
燃えたのではない。
なのに枝も葉も綺麗さっぱり無くなっていた。
まるで、ここ一帯の草木だけが台風でも直撃したかのように。
「サム、もういい。吸い込むのを止めろ」
クロトの命令に応じてサムが屈み込み、口から吐きだしたもの。
それは涎にまみれた火炎放射器であった。
「オーケイ。しかし武器を取られた連邦軍兵士って、驚くほど弱いね?」
クロトの足下に転がるのは、兵士の死体だ。
どれも一撃で心臓を貫かれている上、何も身につけていない。
下着すら剥ぎ取られて、全裸で転がっている。
まだ、息のある者もいた。
女性兵士が二人ほど座り込んでいる。
やはり全裸でガタガタと震えながら、恐怖に脅えた瞳で、こちらを見ていた。
逃げ出さないのではない、逃げ出せないのだ。
腰でも抜けてしまったのだろう。
「この二人は、どうするの?リーガルの言ってたアレでもやる?」
またも口から、ぷっと薄汚れた靴を吐き出して、サムがクロトに尋ねる。
クロトは血に濡れた両手をハンカチで拭っていたが、やがて短く答えた。
「いや……ここでやるのは、まずい。今はまだ、戦闘中だ」
「え〜〜」
サムが口を尖らせる。
「なんだ、やんないの?俺、せっかくナマでクロトのエッチが見れると思ってワクワクしちゃったのに!」
「子供が生意気を言うんじゃない」
ぴしゃりと言い返したクロトの目が、女性兵士二名を見やる。
どちらも貧弱な痩せっぽちだ。
ダイエットか何かは知らないが、こいつらに丈夫な能力者が産めるとは思えない。
「いいじゃん。クロトだってスキなんでしょ?女の人とエッチするの〜。二人相手はきついかもだけど、俺、向こう向いてるから、さっさとしちゃいなよ」
至って気楽なサムへ向き直ると、クロトは忌々しそうに繰り返した。
「何度言わせるつもりだ?今は戦闘中、ズボンを降ろしている暇などない」
「じゃあ、何で二人だけ殺さなかったのさ?やるつもりじゃないんなら、一緒に殺しちゃえば良かったのに」
サムの言うとおりだ。
彼が連邦軍兵士達の持ち物を吸い込んだ時、マスクもついでに飲み込んで、全員の性別が判明した。
咄嗟にクロトの脳裏に浮かんだのは、リーガルの唱える全人類能力者計画だった。
女性だけは、何があっても殺すんじゃない。
常々ユニウスクラウニのメンバーは、そう言い渡されている。
特に成人男性は、全人類能力者計画に参加する義務があった。
クロトも、れっきとした成人男性だ。
従って彼はひとまず、女性以外を皆殺しにした。
武器も防具も取り上げられて裸で逃げ回る兵士を一人で片付けるなど、彼にとっては朝飯前であった。
困ったことに、残した後で気がついた。
今はリーガルの計画など、実行している場合ではないことに。
拘束しておいて、後で……というのも考えたが、無理だ、仲間の安否が気にかかる。
たかが女二人のために、サムとクロト双方まで足止めされるわけには、いかない。
ここで襲うにしても、女どもを犯している間は無防備状態となる。
見張りにサムを立てても万が一彼がやられたら、クロトを守る盾が、いなくなってしまう。
「殺そう」
クロトの決断に、サムも仕方がないねという風に肩をすくめた。
自分が吐きだした火炎放射器を拾い上げ、女性兵士の顔へ発射口を近づける。
一人がサムの意図に気づき、慌てて背中を向けた。
「バイバイ」
構わず、サムは引き金を引く。
途端に真っ赤な炎が噴き出して、女性二人を包み込んだ。

炎のまわりが、異常な速さを見せている。
風に乗って微かな油の匂いを感じた。
誘き出されたのだと知った時には、背後を追いかけてくるミィが膝をつき、苦しげに咽せた。
「大丈夫か?ミィッ」
クィッキーは彼女の元に駈け寄ると、手を貸して支えてやる。
炎に煽られ、煙に巻かれた二人は、敵の姿を見失っていた。
そればかりか、味方の姿すらも見失っている。
味方は気配で判るから、まだヨシとしても、敵を見失ってしまったのは痛い。
完全に、自分のミスだ。
それでも自分だけが自分のミスで死ぬのは、仕方ない。
ミィを巻き込んでしまったのが、悔やまれた。
「お前、なんで俺なんか追いかけてきたんだよ」
ごめん、と謝ろうとして、そんな言葉が口をついて出た。
肩を支えられたままミィは俯き、消え入りそうなほど小さな声で答える。
「ほっとけなかったの。わたしには、あなたの気持ちが判るから」
またか。
同情に酔いたくて追ってきたのならば、むしろ放っておいてくれた方が有り難い。
「……もし死んだのが、ニーナやゾナじゃなくてミユだったら。わたしも、今のあなたみたいになっていた」
「今の俺って、そんなに捨て鉢に見えるのか?」
ムッとしたクィッキーが問えば、ミィは即座に頷き、彼を見上げた。
「見えるわ」
煙が二人のほうへ吹いてきて、ミィが激しく咳き込む。
彼女を庇うように抱きかかえ、クィッキーは炎のないほうへ慎重に歩いてゆく。
煙が目に染みる。
涙が出てきた。
茂みが音を立てやしないかと耳を澄ましても、聞こえてくるのは木々のはぜる音ばかり。
敵はクィッキーの二十倍は慎重に、行動していると思われる。
もしかしたら、この近くには、もう誰もいないのかもしれなかった。
とっくに撤退して、遠目にクィッキーとミィが苦しむのを眺めているのかもしれない。
不意に、悔しさがこみ上げてきた。
卑怯者め。
いくら俺達とまともに戦っても勝てないからって、これはない。
持って生まれた力を使うことなく、敵の姿も見ぬまま死んでしまうのだ。
毒ガスで死んだ仲間達も、今のクィッキーと同じ無念を抱いて死んでいった事だろう。
「クィッキー……諦めないで」
胸の中で、苦しげにミィが囁く。
「だってよ」
反抗的に言い返すクィッキーの頬を涙が伝う。
悔しいのも、ある。
煙で目が燻されたというのも、ある。
彼の心は半ば折れかけていた。
頬を流れるのは、心細さを意味する涙でもあった。
「……夢を、見たの」
「え……?」
ミィは顔をあげる元気もないのか、俯いたまま続けた。
「わたしと、あなたが、無事に戻る夢。戦いに勝ち残って、幸せに暮らす夢……」
「ミィ……お前、もしかして、俺のことが」
クィッキーがミィを見おろす。その目が、驚いたように見開かれた。
二、三歩、よろよろと後ろによろめき、彼は自分の胸元へ片手を当てる。
その手が、血で真っ赤に染まった。
胸に穴が空いている。
穴は、確実にクィッキーの心臓を貫通していた。
パチパチと木々のはぜる音に混ざって、ミィは微かな銃声を聞いたような気がした。
ハッとなって顔をあげるよりも先に、クィッキーが彼女の上へ覆い被さり、口から生暖かい血を吐く。
「い……いやあああああああああああぁぁぁぁぁッッッッ!!
悲鳴をあげて彼の下から這い出たミィは、続く銃声に混乱を極める。
助けを求めて、彼女はクィッキーを振り返る。
だが血まみれで転がる彼を目に入れた瞬間、ますます動揺したミィは、叫びと共に炎の中へと身を躍らせた。

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