SEVEN GOD

act4-4 朱に染まる

無数の小石がシンを目掛けて飛来する。
それらは一つとして当たらずに、空中で叩き落とされた。
「何!!」と驚く暇も与えられず、ディノは茂みから茂みへと転がり抜ける。
直後、彼のいた場所に雷が落ちて、焦げ臭い匂いを漂わせた。
「交渉は失敗した!やるぞッ!!」
右斜めからは、そんな声も聞こえてきて、シンは慌てて振り向くも、今度は全くの逆方向、背中越しに「ぎゃばッ!!」という悲鳴が聞こえてきて、背筋を震わせた。
鼻をつくのは真新しい血の臭い。
ディノも見た。
仲間の頭が一発で吹き飛ばされ、茂みの中で横たわる様を。
「マイラ!ちくしょう、よくもマイラをッ」
やられたのは、頭を吹き飛ばされた奴だけではない。
ディノの隠れている場所より右後方を鋭い疾風が襲う。
再び悲鳴、血しぶきもあがった。
「ま、待ってくれ!殺さないでくれ!!」
叫ぶシンは後ろから抱きかかえられ、茂みに引きずり込まれる。
耳元でマッドが囁いた。
「先に仕掛けてきたのは向こうだ。ぼさっと突っ立っていては、君も殺されてしまう」
「で、でも!」
じたばた藻掻いても、マッドの腕からは逃れられそうにもない。
シンは、この年頃の青年にしては体格の良い方だが、マッドは彼の、さらに上をいく筋肉質だ。
「穏便にいきたいという君の気持ちは判る。だが、あの小石は確実に殺気を伴って君を狙ってきた。リュウが雷で叩き落としていなかったら、君は血塗れで転がっていたかもしれないんだぞ?」
先ほどの落雷、あれがリュウの能力であったか。
雷は今も能力者の隠れている場所と思わしき茂みを、軒並み切り裂いている。
焦げ付いた匂いが辺りに立ちこめた。
さりとて向こうの能力者も、やられっぱなしというわけではない。
早くも立ち直った何人かが、七神メンバーのいる場所目掛けて念を飛ばす。
「ひゃあ!」という悲鳴が近くであがった。
この声は、シーナだ!
シンとマッドの脳裏には、血にまみれた彼女のヴィジョンが浮かび上がる。
すぐさま嫌な妄想を打ち消し、マッドは通信機へ怒鳴り散らした。
「どうした、シーナ!何をされた、応答しろッ」
すると通信機からは一拍おいて、悩ましげな返答が聞こえてくる。
『ん……ッ、はァ……だ、ダメ……マッドォ』
「は!?マッド?マッドって、俺のことか!?」
思わぬ返事にマッドは動揺する。
「フライヤー大尉、落ち着いて下さいっ。ミカドさんが、まだ何か言ってます!」
シンは傍らで、シーナの言葉に耳を傾ける。
ひとまず彼女が生きている事に、ホッとした。
だが怪我を負っているようでもなし、一体シーナは何に驚いて悲鳴をあげたのか?
訝しみながらも聞いていると、通信機からは彼の頬を赤く染めるような言葉が次から次へと流れ出た。
『ふッ……あ、あぁッ……だ、だめぇ、マッド、クリちゃん、そんな強く摘んじゃイヤァッ』
草の上でガサゴソと身悶えする物音も、シーナの声に混ざって聞こえてくる。
誰かに襲われているのか。
だとしても、彼女がマッドの名前を呼ぶのは何故だ?
『シーナさんは、幻覚を見せられている可能性があります』
不意に割り込んできたのは神矢倉だ。
気配を消して移動しているせいか、彼の声は落ち着いている。
この遣り取りの間にも攻防戦は激しく続いており、マッドとシンも茂みづたいに移動していた。
「そういう能力があるというのか?」
声を潜めてマッドが問えば、間髪入れずに神矢倉は答えた。
『としか、考えられません。何故シーナさんを一番に狙ったのかは判りませんが……』
判らないと彼は言うが、たまたまではないかとシンは思いを巡らせる。
たまたま狙った先の能力者が、シーナであっただけだ。
彼女にとっては不運だが。
再びマッドが問う。
「シーナのいる場所を特定できるか?それと、相手の場所もだ」
一拍の間があく。
『誰がシーナさんに精神攻撃を仕掛けているのかは、ちょっと……判りかねます』
神矢倉が戸惑うのも、もっともだ。
誰がどの能力を所持しているのかが判らなくては、個人特定もあったものではない。
質問を一つ取り消し、マッドはシーナの居場所だけを尋ね直す。
今度はすぐに返事があった。
『シーナさんのいる場所は、大尉から見て九時の方角です。ただ、向かうなら急いで下さい。彼女に近づいていく気配が一つあります』
シーナは身動きが取れない。
向こうが連携を取り、トドメを差しに行くのは判っていた。
「判った」
短く答え、通信を終えたマッドがシンを促す。
「急ごう」

敵の数は全部で六つ。
アリスの握る両手は早くも、じっとりと汗ばんだ。
手だけじゃない、額にも大粒の汗が光っている。
肩が大きく上下していた。
「……大丈夫か?」
傍らに潜むジンに心配され、アリスは短く答えた。
「大丈夫。あと一人ぐらいなら斬れる」
「おっかないね〜」
茶化すように肩をすくめたが、ジンの顔はすぐ真面目に戻る。
敵が移動を始めた。
ノリコの先制で一人。
アリスの攻撃で、もう一人倒している。
残る四人の能力者は、いかなる能力の持ち主なのか?
内一人は判明している。
小石を飛ばしてきた、あいつだ。
残り三人は三人とも茂みを移動しているだけで、なかなか仕掛けてくる気配がない。
「やられる前に、やっちまおうぜ」
ジンも物騒な事を呟き、じりじりと場所を変える。
「えぇ」
後方に回る微かな気配を感じ取り、アリスは刀を下げる。
下げた刀の上に手を置いた。
目を閉じ、全神経を後ろの気配へ集中させる。
「前に一人。後ろに一人。後ろの敵から斬ります」
「……前の敵は?」
ジンの問いに、目を閉じたままのアリスが答えた。
「あなたに任せるわ」
「無茶言うなよ、俺は」
跳ね返すしか脳がない。
だが彼の反論には聞く耳も持たないといった調子で、アリスは淡々と続けた。
「私が仕掛ければ、前の敵も動く。敵の攻撃が物理的なものなら、あなたは勝てる」
どちらにせよ、彼女の限界も近いのだ。
先ほどアリス自身が言ったではないか、あと一人までなら倒せると。
二人同時に仕掛けてくるというのなら、もう一人はジンが担当するしかない。
「……変な攻撃は勘弁してよね」
両手を握りしめ、ジンは茂みに深く屈み込んだ。
アリスの荒い呼吸が止まる。
静寂――を破って、先に仕掛けてきたのは向こうであった。
前の気配が彼女目掛けて襲いかかる!
それには構わず、アリスは後方の気配へ一閃する。
「危ねぇッ!」
アリスを庇おうと、飛び出したジンの視界が黒い影に覆われる。
鋭い爪がジンの両目を引き裂こうと振りかざされ、次の瞬間には大きく跳ねとばされた。
跳ねとばされたのはジンではない。
彼に襲いかかった能力者だ。
一方のアリスも刀越しに堅い感触を受けて、後ろに飛びずさる。
敵と自分とを隔てる壁が、そこには出現していた。
大きな鏡。
そう言ってもいい。
その鏡に守られるようにして、少女が立っている。
ジンとは少々異なるが、彼女の能力も敵の能力を弾く、或いは防御する力なのであろう。
少女が、ぽつりと呟く。
「……驚いたわ。テドの爪を弾く人がいるなんて」
テドと呼ばれた男が立ち上がる。
――恐らくは、男だったもの、と呼んだ方がよい。
地上に届くほどの長い爪が、両手に生えている。
それよりも特徴的なのが顔だ。
犬のように鼻が迫り上がり、牙の見え隠れする大きな口からは、たえず涎が滴っている。
全身を濃い体毛で覆われていた。
「に……人間なのか!?」
ジンの喚きに、獣じみた男が反応した。
「人間だ」
くぐもった声で答える。
「生まれ持った力のせいで、人間扱いされたことは一度もないが……な」
「テドの獣人能力と、私の鏡。二人は対。攻撃と防御」
鏡に包まれた少女が話しかけてきた。
「どうやら、あなた達は私達と同じ戦い方をする人達のようね」
ふわり、と鏡が宙に浮き上がる。
「逃げる気か?」
ジンの問いに応えるでもなく、少女が連れに指示を飛ばす。
「南に一人。ディノを襲った奴を倒しましょう」
「心得た」
獣の男が頷き、踵を返す。
「待て!」
追おうとジンは一歩踏み出すが、いきなりアリスが崩れ落ちたので、慌てて振り返る。
「あ、アリス!?アリス、大丈夫かっ」
抱きかかえ、背中に手を回したジンはハッとなる。
背中も額も、体中全てが汗でびっしょりじゃないか。
ぜぇぜぇと大きく息をつくアリスの額へ手を当てると、かなりの熱を感じた。
「畜生……お前、もっと体を鍛えろよな!」
アリスに構っている間に、獣の男と鏡の少女は跡形もなくなっていた。
今は奴らに構っている場合ではない。
一刻も早く、ここから移動しなければ。
別の奴に襲われたら、ひとたまりもないだろう。
アリスを肩で担ぎあげ、ジンは、ずるずると彼女を引きずっていった。

何度目かの悪態を、心の中でつく。
神太郎は戦闘に参加したくともできない、己の能力を呪っていた。
彼はリュウと同行して、小石を飛ばす能力者と戦っている。
戦っているのはリュウの役目で、神太郎はといえば草むらでしゃがんでいるだけだ。
戦いに向いていないといえばシーナや神矢倉もだが、神矢倉に関して言えば心配は無用だろう。
彼は気配を消せる。
能力者同士の戦いにおいて、完全に安全地帯へ逃げ込めるのだ。
神太郎も瞬時に移動できる能力を持っているのだから、その点に関しては安全だといえる。
だが彼は表立って真っ向から、敵と戦ってみたかった。
「動いたぞ。先回りしろ」
頭ごなしにリュウから命令され、一瞬不服そうな目を向けるも、神太郎は大人しく従った。
悔しいが、この男は戦闘で役に立つ。
リュウの操る雷は、攻撃にも防御にも適していた。
敵が何かを飛ばしてくれば、雷で叩き落とす。
相手の攻撃が止んだ隙を狙って、雷を飛ばす。
おまけに疲れというものを知らないのか、何度連発しようと、まったく息を乱していない。
余興の一つでしかない、とでも言いたげなほどの余裕を感じる。
神太郎は戦慄に身震いした。
大尉はシンを期待のホープだと皆に紹介した。
とんでもない。
真のホープは、こいつではないか。
シンの知人だというリュウ=ライガ。
リュウをかかえて空間を越える。
小石少年が動くと予測した位置を狙いやすい場所へ、移動した。
たちまち雷が茂みを切り裂き、能力者が慌てて転がり出る。
茂みから姿を現したのは、まだ年若い、アリスやジンと大差ない年頃の少年だった。
少年は肩で大きく息をしている。
能力を連続で発動させていたのだから、当然だ。
立ち上がることさえ出来ないのか、地に這い蹲ったままだ。
闘志だけは緩いでおらず、力強い眼差しがリュウと神太郎を睨みつけた。
一歩、二歩。
ゆっくり歩み、リュウはとうとう少年の側まで近づいた。
「言い残すことは、あるか?」
少年を見下ろし、リュウが尋ねる。
荒い息の中で、彼が答えた。
「シン=トウガに伝えておけ。アッシュ=ロードは裏切り者を必ず殺しに来るってな」
茂みにしゃがみこんだまま、神太郎は脳裏に赤毛の男を思い浮かべた。
「アッシュ……ロード」
連邦軍のブラックリストに名を連ねている、ユニウスクラウニの中心人物だ。
南米にある基地を管理していたのも確か、この男ではなかったか。
直に戦ったことはない。
リストによると炎を操る男であるらしい。
氷を操るシンでは分が悪いかもしれない。
「お前の、名前は?」
もう一度リュウに尋ねられ、少年が答えた。
「ディノ。ディノ=クラッカス。……もう、いいだろ。トドメでも何でも刺せよ」
捨て鉢な言葉にリュウは数秒ほど思案していたようであったが、不意に神太郎へ叫んだ。
「逃げろ、草壁ッ!!」
間髪入れず神太郎も背後に気配を感じ取り、慌てて空間へ転がり込む。
間一髪。
獣の鋭い爪が神太郎を引き裂くよりも早く、彼の体は大気へ溶け込むように掻き消えた。
「……逃したか」
くぐもった声が呟き、さらに後方、大きな鏡らしきものが上空より降りてくる。
鏡の中には、少女が一人、入っていた。
「ディノ、諦めちゃ駄目。これで三対一になったわ。数の上でも、能力を見ても、こちらが有利」
少女に首を振り、リュウが否定する。
「一対二が三対一になったところで、変わらんよ」
「大した自信だな」
獣の男が、目をぎらりと光らせる。
リュウも言い返した。
「自信ではない」
「……では、何だと言うのだ?」
「俺には、お前らの運命が視えている」
リュウは、悠然と言い放った。
「何……?」
ディノ、少女、そしてテドの動きが止まる。
訝しげに、リュウの顔へ目をやった。
いきなり何を言い出すのかと、困惑気味に。
「鏡は割られる。刀ではなく、鉄砲によって」
リュウの目が、大きな鏡へ向けられる。
「鉄砲?普通の銃は、私に効かな――」
少女は言い終えることが、できなかった。
ガシャン、と激しくガラスの割れる音が響き、少女の体が大きく投げ出されたのだ。
「アル!!」
獣男とディノが同時に声をあげる。
地面に叩きつけられて苦痛にうめく少女からリュウは視線を外し、今度は小石少年を見た。
「気をつけろ、狙われているぞ?」
「な、何ッ!?」
慌てて左右を見渡すディノ。
割と近い位置で軽い銃声が響き渡り、少年は鋭い痛みに顔をしかめる。
胸が、焼けるように熱い。
自らの体を見下ろすと、胸に小さな染みが滲んでいた。
小さいと思った赤い染みは、じわじわと広がってゆき、瞬く間にシャツを血の色で染め上げる。
「ディノ!?くそ、どこから撃ってきた!!」
少女を抱きかかえあげたまま獣男も付近の気配を探るが、それらしき人物を見つけられない。
見つかるわけがない。
撃ったのは神矢倉だ。
気配を消したまま慎重に近づいて、射程範囲ギリギリで狙いを定めた。
万が一見つかっても、獣の男に反撃されぬよう。
がくり、と力なく膝をつき、少年がゆっくりと体を横たえる。
血の気を失い、すっかり青ざめた顔でリュウを見上げた。
「こ、これが……運命、だって、いうのか?お、俺の」
「そうだ」
リュウの答えを最後に、ディノの意識は闇へと沈む。
二度と、彼が目を開くことはないだろう。
「あっという間に一人だな。どうする?」
少女を抱えた獣の男に尋ねる。
男は一瞬たじろぎ、憎悪に満ちた目でリュウを睨みつける。
しかし睨むことができたのも、ほんの一瞬で、テドが何かを言う前に、彼の頭蓋骨が何の前触れもなく吹き飛んだ。
断末魔をあげる暇もなく、テドの体が横倒しとなる。
かつて顔がついていた場所からは、とめどなく大量の血があふれ出し、血の池を作った。
「失礼。運命を伝える前に決着がついてしまったようだ」
茂みから、そんな声がリュウに届く。
獣男が崩れ落ちると同時に神矢倉、そして神宮が姿を現した。
神太郎もリュウの元へ近づいてゆき、四人で地に横たわる少女、アルを見下ろす。
少女は気絶しているだけだ。
死んではいない。
テドが頭を吹き飛ばされるのを間近で見た、そのショックで意識を失ったのだろう。
「この子はどうする。殺すのか?」
淡々とリュウが尋ね、神宮が首を振った。
「いや、貴重な人質だ。連れて帰り、ユニウスクラウニの情報を引き出そう」
無論、素直に吐くようなタマではあるまい。
自白剤を使ってでも、吐き出させてやるつもりだ。

草の上に、シーナが横たわっている。
「んッ、んんッ……マ、マッドォ、あたし、あたしィッ」
彼女は迷彩服を着ていなかった。
全裸に剥かれ、四つんばいになっていた。
盛んに尻を振っている。
見知らぬ男が、彼女のバックに突っ込んでいるせいだ。
男は七神メンバーの誰でもない。
ディノと共に仕掛けてきた能力者の一人だ。
シーナに精神攻撃を仕掛けたのも、この男であった。
名を加藤という。
彼は初め、シーナにトドメをさすために近づいた。
相手の望む相手が幻惑となって動きを拘束する。
それが、加藤の持つ能力だ。
一度かかれば跳ね返すことも逃げ出すこともままならず、加藤が解くまで幻覚の虜となる。
近くに寄ってみて罠に落ちたのが女性だと知った時、彼は考えを改めた。
殺すには、殺す。
ただし、存分に楽しんでからだ。
思えば最後に女を抱いたのは、いつだっただろう。
ディノの下につかされて以来、連邦軍の女性士官を襲った記憶がない。
ディノは、徹底的にリーガルの唱える『全人類能力者計画』に反対していた。
理由など、知るよしもない。
恐らくは、まだガキなのだ。
子供故に子供なりの判断で、性行為など不潔だ、そう思いこんでいるに違いない。
草の上に寝転がって、誰かの名を呼ぶ女。
こいつは能力者だ。
能力者を犯したところで、リーガルの意に沿う事はできない。
能力者の女は、能力者の子供を産まないからだ。
だが当面、加藤の欲求を晴らすぐらいには使えるだろう。
女を四つんばいに這わせ、尻を突き上げさせると、背後から跨った。
女は自分から腰を振ってきた。
初めてでは、ないらしい。
しきりにマッドという名を連呼した。
想いを寄せている相手の名前か。
いい女であった。
まだ二十代の初めか、そこらへんに見えるのにスタイルが良い。
腰は細くくびれていたし、尻には張りがあり、胸もでかい。
女が腰を振るたびに、タプンタプンと揺れている。
いつしか加藤はシーナを抱くのに夢中となり、迂闊にも周囲の気配確認を怠っていた。
それが、彼の命運を分ける結果となった。

摺り足で忍び寄る二つの人影。
シンとマッドは、目標であるシーナを発見した。
「見つけたぞ」と手招きでマッドが前方を示し、シンも目を凝らす。
彼女は一人ではない。
こちらに背を向けて、誰かが彼女に覆い被さっている。
二人が何をやっているのか遠目に察した途端、シンの頬に赤みが差す。
マッドも同様で、彼の喉が大きく唾を飲み込む音が耳元で聞こえた。
「い……いつ、突入しましょう?」
シンの声が上擦る。
「今なら、隙だらけですよ……多分、ですけど」
背中しか見えないので、二人が、どういう状況になっているのかが、いまいち把握できない。
大人しく犯されているということは、喉元に刃物をつきつけられている可能性だってある。
迂闊に行動して、シーナが殺される事態だけは避けねばなるまい。
「敵は随分と油断しているな。こんなところで、おっぱじめるとは」
マッドの声は震えていた。
怒りによるものか、それとも興奮しているのか。
シンは、そっと大尉の顔色を伺ったが、色黒い肌からは、どちらとも判別つきかねた。
男の動きに併せて、シーナの声も風に乗って届いてくる。
鼻にかかる甘えた喘ぎ声。
時折、激しく叫び、その都度マッドの名前を何度も呼んだ。
こんなものを、ずっと聞かされていたのでは、こちらまでおかしくなりそうだ。
カチリと小さな音に目を留めれば、マッドが拳銃を取り出し構えている。
「一発で仕留める。シーナへの危害を抑えるため、頭を狙うぞ。いいな?」
シンを気遣ってか、大尉は一応の確認をしてきた。
仕方がない。
シンは、そろそろと頷く。
目の前で人を殺されるのは、たとえ敵対する相手といえど嫌であった。
しかし今は、仲間の生命がかかっている。
自分の意志を尊重したせいでシーナが殺されるというのも、シンの望む結果ではない。
「奴がクライマックスに達した時に撃つ。君は大人しくしていろ、物音を立てないようにな」
「は……はい」
誰にも死んで欲しくないし、殺して欲しくもなかった。
だが、こうなってしまった今となっては、何を言っても虚しく感じられた。
大人しく身を伏せ、引き金が引かれる瞬間をシンは待つ。
やがて軽い銃声が響くと同時に大きな物の倒れる音も聞こえて、彼は目を閉じた。

草の上に最後の遺体を放り投げ、マッドは部下の生存を確認した。
「全員無事か?」
目の前に整列するのは、ジン、神矢倉、神太郎、神宮。
それから、シンとリュウ。
シーナとアリスは、草むらに横たわっていた。
無論、死んではいない。
アリスは精神消耗が激しく、立ち上がる気力もないほどに疲労しているだけである。
ジンに引きずられてきたせいか、迷彩服のあちこちが擦れて破れていた。
シーナは全身を汗で濡らしたまま、ぐったりした様子で横たわっている。
マッドの上着を羽織っているが、下は全裸だ。
下着すらも、つけていない。
下着も上着も、あの男に破かれたものか使い物にならなくなっていた。
草の上に寝転がる者は、もう一人いた。
リュウの足下には少女が一人、縄で後ろ手に縛られて転がされている。
先の戦闘で生き残った、ユニウスクラウニのメンバーだ。
意識は回復しているが、もはや暴れる気力もないのか大人しく横になっている。
「ねーねー大尉、シーナなんで裸なの?なんで、あんたの上着を着てるのさ」
ジンのうるさい追求を無視し、マッドは全員の顔を見渡す。
人によって疲労のほどは様々だが、全員無事だ。
酷い怪我を負った者など一人もいない。
メンバー総勢による初陣としては、上出来の結果だろう。
「皆、ご苦労だった。これより一路、支部へ帰還する」
七神のメンバーが個々に了解と答える中、リュウがマッドへ尋ねた。
「残りは片づけなくてよいのか?」
「残り?」
尋ね返す大尉へ同じ事を問う。
「彼らが預かっている支部にいる、残りのメンバーだ。ユニウスクラウニの支部を崩壊させねば、北欧全域を開放したとは言えまい」
「リュウさん!」
シンが血相を変えて叫ぶ。
「これ以上の殺戮は――」
彼の言葉を遮るように、マッドの声が重なった。
「そうしたいのは山々だが、こちらの消耗が激しい。アリスは戦闘不可能、シーナも気絶している。一度戻って、対策を練る必要があろう。もっとも――君一人で全滅させられる、とでもいうなら話は別だが?」
全く動じず、無表情にリュウがやり返す。
「そうしろと大尉が望むのであれば、そうしてみせてもいい」
支部に何人残っているか判らないというのに、返事の一端からは自信も伺える。
確かに、リュウだけは疲労の色が見えない。
だからといって、たった一人で向かうなど、自殺行為ではないか。
自分を過信しすぎだ。
「正気か?」
諫めるマッドへ、リュウは頷いた。
「正気だ」
「リュウさんッ!!」
シンが怒りにまかせてリュウの胸ぐらに掴みかかったので、この問答はお開きとなった。
「いっ、いい加減にしてください!俺達は殺人をするために、ここへ来たんじゃないッ!」
顔を真っ赤にして怒るシンに、リュウもマッドも気圧される。
「シン……」
「交渉を任せるって言ってくれたじゃないですか!どうして!どうして、殺しあいなんかッ!!」
シンの勢いを殺させたのは、神太郎の冷静な一言だ。
「結果として我々と奴らは戦闘になった。しかも仕掛けてきたのは、向こうが先だった」
神宮も口添えする。
「そのことは君が身をもって知ったはずじゃないか、トウガ君。ライガ君が守ってくれなければ、君は死んでいたんだぞ」
諦めの悪い子供を諭す物言いに、再びシンの頭には血が上る。
彼はグッと唇を噛みしめ、視線を逸らした。
そんなの、結果論です。
そう言い返すことも出来たが黙っていた。
沈黙したシンを満足げに見やり、神宮が大尉を促す。
「では大尉、帰還しましょう」
「あぁ」
停めてあるヘリの場所まで戻ろうと皆が歩き出す中、小刻みに震えながら立ちつくすシンの肩を軽く叩いて慰めてから、マッドはシーナを抱きかかえ上げた。

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