SEVEN GOD

act3-4 接触

自室として割り当てられた部屋でシンがベッドに寝ころんでいると、扉がノックされる。
招き入れてみれば、訪れたのはゾナと名乗った青年であった。
シンがアッシュ以外のメンバーと対一で話した事がある相手は、せいぜい医務室のアンナぐらいだ。
なのでシンは戸惑ったのだが、ゾナは構わず用件を切り出す。
「ニーナの帰りが遅すぎる。アッシュは彼女を捜しに行くと言っていた。君は、どうする?」
彼女の帰りが遅いのはシンも気になっていた。
やっぱり、たった一人で連邦軍の兵士とやらを相手にするのは、無理だったのではなかろうか?
リーガルが神経質に通信機へ怒鳴り散らすのを見ながら、迎えに行く提案をしようとさえ思ったぐらいだ。
「俺も行っていいのか?」
シンが尋ねると、ゾナは嬉しそうにシンを見て、すぐさま頷く。
「そう言ってくれるのを期待していたんだ。行こう」
廊下を歩きざま彼が話してくれたところによると、ニーナ救出に向かうのは少人数。
アッシュ、ゾナ、アイアン、そこにシンを加えての四名となる。
アッシュの能力は一段秀でているが、他二人の能力は戦うには少々心許ない。
君が来てくれれば百人力だと喜ぶゾナを見ているうちに、だんだん不安になってきた。
――もし、シンの能力が、うまく発動しなかったら。
彼らまで命の危険に巻き込んでしまうのではないかと、心配した。
だが、やっぱりやめるなどと言う暇もなく噴射機を手渡され、他の二人と合流する。
いくらニーナが心配でも、クラウニフリードで直接近づくのは危険すぎる。
連邦軍に本拠地を知られるわけには、いかなかった。
空を飛び、森に入り、地上へ降りてから基地へ向かう。
ニーナと同じ潜入方法を取るアッシュに、シンはここでも不安を覚えたのだが、言うに切り出せず、彼らに従った。


特務七神に下った新たな任務は、南米区域、アジア区域、北欧区域に渡る全ての能力者殲滅。
神崎アリスと元気神は引き続き南米基地に残り、アジアへは神矢倉一朗と神宮紀子を派遣。
北欧へは、草壁神太郎を向かわせることが決まっている。
神太郎一人だけでは苦しかろうという理由で、マッドも現場へ向かうつもりでいたのだが――
「危険だよ!能力者でもない大尉を行かせるぐらいなら、あたしが行くって!」
緊急退院を余儀なくされた、シーナが派遣されることとなった。
リハビリも済んでいない彼女を行かせることに、初めマッドは反対した。
しかし悲しいかな、軍隊とは、いつの時代でも絶対服従の縦社会である。
上層部の命令には逆らえず、マッドは渋々彼女に北欧行きを命じたのであった。
シーナの両眼は完治していない。
完治するはずがない。
眼球に直接、ガラスの破片が刺さったのだ。
シーナは完全に失明していたが、全く物が見えないというわけでもない。
目の上を覆い隠す形で填められたゴーグルが、視力を補う為に脳へ埋め込まれた『アイリンク』と連動する。
それにより、ぼんやりと輪郭が見える程度には周囲の景色を認識できるという。
とても戦闘できるとは思えない。
病室から会議室へ来るまでだって、彼女は車椅子に乗ってやってきたのだ。
心配するマッドに、シーナは明るく笑いかける。
「大丈夫だって、大尉は心配性だなァ〜。奴ら、女を襲うんでしょ?なら、あたしの能力は、うってつけだと思うよ」
「私も同行しておりますし、北欧の地域殲滅には陸と空の二部隊が投入されます」
神太郎の口添えもあって、ようやくマッドも納得した。
「だが、くれぐれも無茶するんじゃない。君は、まだ万全ではないんだ」
まるで母親の如き念の押しように、シーナ、そして傍らの神太郎も苦笑を浮かべる。
「判ってますってェ。あたしも、まだ死にたくないしさ」
「――では、空輸機の手配を」
言いかけるマッドを制したのは、神太郎だ。
「機体の手配は無用です。今すぐ向こうの支部へ参ります」
神太郎の能力、瞬間移動を使うつもりだ。
時間がかからないという点では、確かに便利な能力である。
「では」
「行ってくるねぇ〜」
神太郎は敬礼のポーズを取り、その横でシーナが投げキッス。
マッドが別れの言葉をかける前に、二人の姿は瞬時にかき消えた。
北欧殲滅は、爆撃と白兵戦を同時に仕掛ける予定となっている。
言ってしまえば質より量、二部隊投入による力押し作戦で、一気に攻め込むつもりなのだ。
これまでの連邦軍はゲリラやユニウスクラウニの支部を、一個小隊で攻める方法を取っていた。
個別に動いていた部隊が協力して、同じ場所を攻めるというのは初の試みである。
何故、今までそうしなかったのか?

能力者とて、人間である――

それが皆の倫理に触れていたのではないかと、マッドは考える。
同じ人間を相手に、武力で全滅させる行為に抵抗があったのではないか。
だが毒ガス作戦を境に、連邦軍の方針も変わりつつある。
今回の作戦において、下級兵士は能力者と遭遇したら発砲してもよいという許可を与えられている。
これまでは姿を見たら、まず説得、捕虜という段階の後に処刑という手順を踏んでいたのが変わった。
変わらざるを得なくなってきた理由の一つに、ユニウスクラウニの存在があろう。
武力を突きつければ大人しくなると思っていた相手が、あろうことか武力で反抗してきた。
その武は、こちらの戦力を大きく上回るものであった。
今のままでは共存できない。
能力者が、こちらの管理を拒む限りは。
この悪しき環境を打破する方法が一つだけあった。
それが、能力者の全殲滅。
つまり能力者を、この地上から消してしまおうという作戦だった。
大きく歪んだ力を感じる。
一度動き出してしまった大きな流れは、マッド一人の力では、どうにも出来ない。
いいのか。
この流れに身を任せたままで、本当にいいのか?
異議ありと叫んで、逃げ出すのは簡単だ。
しかし、今のマッドは一人ではない。
部下を率いる立場になっていた。
彼らを捨てて、自分だけが逃げていいのだろうか。
否、いいわけがない。
それにしても、非能力者のマッドが違和感を覚えているというのに、能力者である六人の部下が、この作戦に全く意義を唱えなかったのも意外だった。
神宮などは目を輝かせて、こう言ってのけた。
「世界が定めた規律に背く者は処罰を与えなければいけません。見せしめとして」
見せしめ、か。
確かに秩序を乱す者には何らかの罰が必要だ。
だからといって全ての者を殲滅する必要は、あるのだろうか……?
迷っている暇はない。
もう、作戦は動き始めている。


木々に紛れて、双眼鏡を覗いていたゾナが呟く。
「……おかしいな」
南米基地より五百キロ離れたジャングルに、四人は降り立った。
「おかしいって、なにが?」
アッシュの問いに、ゾナは帽子を深く被りなおしながら応える。
「能力者の気配を感じる」
ゾナの答えに、シンとアイアンは眉を潜める。
アッシュだけが喜んで叫んだ。
「なんだ!じゃあニーナは生きていたんだね!基地奪還に成功したんだ」
その喜びを打ち消す形で、ゾナの声が被さる。
「……いや、そうじゃない。能力者の気配は、二つある」
「二つ?ってことはぁ、二人いるのかしら?」
野太いトーンながらも女言葉でアイアンが話すのを聞いて、シンは内心ぎょっとする。
しかしながら動じているのは新参者のシンだけで、ゾナは平然と頷いた。
「そうだ。しかも同じ場所に固まっていて、動く気配がない」
「誰かが加勢に向かって、返り討ちにあって捕まった……とか?」とはアッシュの弁だが、ゾナは首を振る。
「そんな話は聞かされていない。リーガルさんも、何も言っていなかっただろう?」
「じゃあ、誰と誰なんだよぅ」
早くも考えるのを放棄して、アッシュがくちを尖らせる。
シンも真面目に考えてみた。
「この近くに住んでいる能力者が……騒ぎを聞きつけて、見に来た……とか?」
「なるほど。それなら、あり得なくもないな」
ゾナの同意を横目に、アイアンとアッシュが焦れたように立ち上がる。
「ここで、ああだこうだと相談していても始まらなくてよ。もう少し近寄ってみましょ」
即座にゾナが反対した。
「しかし、相手は能力者だぞ?これ以上近づいたら、向こうも気がつく」
「気づかれたっていいじゃん。実際に会って話を聞いてみればいいんだよ。そうすりゃ、ニーナのことも何か判るかもしれないしさ」
アッシュの気楽な一言に、シンも強く頷いた。
「そうだな。どっちにしろ能力者なら、連邦軍兵士ってことはないよな?」
とんちんかんな質問に、三人はきょとんとした後。
「シン、それは冗談でもありえないって!」
「連邦軍に協力する能力者なんて、生まれてこのかた一度も見たことがないよ」
四人は顔を見合わせて、笑った。

「近づいてくる気配があるわ」
神崎アリスがポツリと呟いたのは、南米基地に転がる死体を、あらかた焼却し終えた時だった。
手数が圧倒的に足りない。
ここに配置されていた一般兵の半分以上が、たった一人の能力者によって殺された。
援軍が到着するまでに最低でも、あと七時間かかる。
到着する前に、向こうの援軍が先に来たらアウトだ。
「近づいてくるのは、何者だ?」
投下部隊の隊長マリヤ=アスベルが、苛々した調子でアリスへ怒鳴る。
彼女は、ここ南米基地の制圧を任されている。
ユニウスクラウニの能力者が奇襲してくるまでは、何もかもが順調だった。
今、手元に残るのは、司令室にいる数名のオペレーターと派遣されてきた二名の能力者だけ。
接近してくる相手が上級クラスの能力者だとしたら、その数が二人以上なら恐らくは勝てないだろうと、マリヤは予想した。
たった一人を相手にしただけでも、ここまで壊滅寸前に追い込まれたのだ。
二人以上攻め込まれたら、対等に戦える戦力が二人だけでは、とても持ちこたえられまい。
神崎アリスが乗り込んできた能力者を一刀両断したのは、マリヤも知っている。
監視カメラが捉えていた。
しかし彼女はどうしても、この二人の能力者を信頼できなかった。
いや、正確には、アリスの上司が信用できない。
アリスの上司は、マッドだと聞く。
マリヤの前任として、投下部隊を率いていた男だ。
任務の途中で、異動させられるぐらいだ。
相当無能な男なのであろう。
その男の部下ということは、いざとなったら任務を放棄して逃げ出すのではあるまいか。
元気神の態度を見ていると、その不安がどんどん増してゆく。
何しろ、この少年ときたら無礼・無駄口・無駄な明るさで、マリヤの神経を散々逆立ててくれたのだ。
「能力者よ。……気配は、三つ」
アリスの答えにマリヤは息をのむ。
オペレーター達にも動揺が走った。
「三つだと!本当なのか、神崎特尉ッ」
無言で頷くアリス。
同じ気配をジンも感じたようで、彼も口添えする。
「あぁ、俺も感じてるぜ。三人って事は、さっきの奴の援軍かな?にしちゃあ少ない援軍だけど」
最初に送った一人の帰りが遅いから、迎えに行かせたのかもしれない。
となれば当然用心して、実力のある者を行かせるに決まっている。
たかが三人、だが侮れない。
こちらに有利なのは、向こうがまだ連邦軍に与する能力者の存在を知らない点だけだ。
「能力者は互いに存在を感知できるのだったな?」
マリヤの問いにも、アリスは頷く。
ならば、罠を仕掛けることができそうだ。
「よし……では神崎特尉、貴様は部屋に待機していろ。元気特尉は敵を迎え撃て!」
「俺一人で?」と、ジンは口を尖らせる。
生意気にも作戦に口出ししてきた。
「それよりも入ってきたところを奇襲したほうが、良くない?」
やや機嫌を損ねながら、マリヤは少年特尉に己の策を披露する。
「兵士に囚われている捕虜を演じるのだ。神崎特尉が先ほどの侵入者のフリをし、元気特尉は、それを守るため仕方なく戦っている――という事にすればよい」
「……なるほどねぇ」
ジンが肩をすくめた。
「人情に訴えるわけだ。で、動揺しているうちにバッサリいっちゃおう、と」
「その通り。能力者の仲間意識は我々よりも結束が堅い。そこを利用する」
能力者は絶対数が少ない。
少なければ少ないほど、仲間意識は強くなる。
最初の奇襲者を探すために来た三人。
三人だけで充分なのではなく、もしかしたら三人しか送れないのかもしれない。
ユニウスクラウニの総人員は判明していない。
しかし神矢倉から聞いた話では、奴らは飛行船を本拠地にしているという。
飛行船に乗れる人数など、たかがしれている。
各地に散らばる分を併せても、彼らは総数五百にも満たない小規模組織なのではなかろうか。
最初、奇襲が一人で来たと聞いた時、俺達をナメすぎなんじゃねぇの?とジンは思った。
それも、つかの間で、次々とモニターからは悲鳴や爆音が聞こえてきたので驚いた。
たった一人で来るだけの事はある。
奇襲者は、その辺の雑魚能力者とは段違いに強かった。
最終的にはアリスが仕留めたが、彼女でさえも念動斬を使わねば勝てなかったのだ。
彼女の刀は何も念を込めなくても、普通に斬ることができる鋭利な刃物である。
アリス自身は剣道の有段者だというし、あの刀で人を斬ったこともあるらしい。
その彼女が能力で相手を仕留めた。
それだけ、あの少女が強かったという事になる。
これから来る三人も、あの少女と同等ぐらいの実力があると見ていい。
これらと正面切って戦うには、アリスはともかくジンには不安があった。
マリヤの卑劣な罠が役に立つかもしれない。

気配が二手に分かれた。
そのまま残ったのが一つ、もう一つは入り口まで歩いていき、立ち止まる。
「どっちがニーナだと思う?俺の予想では、二人とも連邦軍の捕虜になっている可能性が高いんだが」
側面の壁に張り付き、ゾナが仲間へ尋ねた。
監視カメラの死角である。
「捕虜になってるとすれば、残ったほうがニーナさんじゃないかな。でも……」
皆が信用するほど彼女が強いとすれば、部屋の中に残しておいたりするものだろうか。
自分が連邦軍の幹部なら、彼女を使って援軍を追い払う。
シンが、そう伝えると、ゾナ達は互いに顔色を伺った。
「ニーナが連邦軍に使われる?それは、ありえないよ。シン」
即座に否定したのはアッシュだ。
水を得た魚のように、ゾナも頷く。
「そうだな。連邦軍の命令を聞くぐらいなら、ニーナは自殺するだろう」
そこまで連邦軍が嫌いか。
「でもォ……もう一人の、存在が気になるわねェ。もし、もしも、よ?その人を人質に取られていたら、ニーナも言うことを聞かなくちゃいけないんじゃない?」
アイアンにチラ見をくれて、ゾナが呆れたように肩をすくめる。
「だが、リーガルさんは俺達の他に援軍を送っていない」
「地元の人、という可能性は?」
シンはアッシュに尋ねた。
アッシュは「う〜ん……」と、しばらく悩んでいたが、やはり首を横に振る。
「それは、ないよ。ゲリラも原住民も、ここに基地を作った時に逃げてっちゃったもん」
「じゃあ、二人いるのは何で?何でなのよォ。一人はニーナでしょ?でも、もう一人は誰?」
間髪入れたアイアンの突っ込みに、アッシュもゾナも答えられない。
答えられないからこそ実際に確かめようと思って、ここまで近づいたぐらいだ。
「……考えている余裕はないって、ことか」
ゾナがアッシュを見て、アッシュもゾナへ視線を返す。
先に決めたのはアッシュであった。
「じゃあ、俺達も二手に分かれよう。ゾナとアイアンで部屋に向かい、俺とシンは入り口に向かう」
死角づたいに部屋へ向かう方がリスクは少ない。
入り口へ向かうのは自殺行為だ。
敵には確実に見つかるし、気配の主が連邦軍の兵士と同行している可能性だってあるのだ。
こちらから乗り込んできた手前、いきなり撃たれたとしても文句は言えない。
明らかにホッとした顔で「あぁ」とゾナが頷き、傍らのアイアンは逆に残念そうな表情を浮かべた。
「了解よォん。じゃあ、アッシュ?シンちゃんを、ちゃんとエスコートしてあげるのよォ」
どうやらシンに気があるらしく、別れ際、アイアンはチュバッとシンへ向けて投げキッス。
壁際をつたって這っていく二つの背中を見送ってから、アッシュがシンを振り返る。
「アイアンってねぇ、ちょっと変な奴だけど、嫌わないでね?」
「う……うん」
投げキッスに硬直していたシンは、引きつった笑顔で頷いた。
「じゃあ、行こうか」
アッシュに促され、シンも行動を開始した。
アッシュの後に続いて入り口へ向かう。

三つのうち、二つの気配は固まって移動。
一つが入り口へ真っ直ぐ向かってくるのを感じながら、ジンは緊張に身構える。
この戦いが初陣だ。
軍に入るまで、ジンは普通の民間人だった。
いや、彼を『普通の民間人』というには少々語弊がある。
能力者狩りに襲われたことがなければ、武器を取って誰かと戦った記憶もない。
金持ちという名の強力な温室で育った正真正銘の、お坊ちゃまであった。
待ち受けるというのは度胸がいるのだと、彼は今日、初めて知った。
意識していないと、すぐに足がガクガク震えてくる。
緊張ではない、恐怖だ。
敵と向かい合っても能力を発動できるノリコやアリスの度胸が、羨ましい。
俺も場数を踏めば度胸がつくのかな。
などと考えているうちに、俄に周囲が騒がしくなり、ジンはハッと物思いを断ち切った。
兵士が駆け寄ってきて、ジンへ耳打ちする。
「監視カメラに二名、こちらへ接近する人物を確認しました」
「……二名?」
ぼんやりと聞き返すジンへ、兵士が頷く。
「はい。二名です。一人は赤い髪、手配書にあるアッシュ=ロードと確認」
「アッシュ=ロードだってぇ!?」
今度こそ、ハッキリと我に返ってジンは喚いた。
アッシュの名前なら知っている。
連邦軍内部で配られる能力者のブラックリスト、その一番トップに載っている最重要人物ではないか。
炎を操り、人を消し炭にする。
自由自在に温度を変えられる上、本人に炎の害はないという話だ。
ジンが反射で跳ね返しても、炎でアッシュをやっつけることは出来ない。
跳ね返せるだけマシとはいえ、厄介な相手が、こちらへ来てしまったものだ。
残る二人もアッシュクラスの能力者だとすれば、アリスも心配だ。
だが、それよりも気になることがある。
ジンは先ほどの兵士へ尋ねた。
「アッシュと一緒にいるのは誰だ?そいつもブラックリスト入りしている奴なのか?」
「いえ……」
兵士は言葉を濁し、視線を下向けた。
「能力者かどうかは判りません。見たところ、武器も所持しておりませんし民間人のようです。真っ白な髪ですが、しかし老人ではありません。若い男です」
真っ白な髪。
民間人……
何だ?何かが、脳裏に引っかかっている。
誰かに聞かされた話の中で、そのような容姿の人物がいたような。
それも、ごく最近聞いた話だ。
しかし、ジンは思い出せなかった。
「どうしますか?」
兵士に尋ね返され、ジンは即答した。
「アッシュに捕まったマヌケな民間人かもな。とりあえず、そいつは無視してアッシュだけでも仕留めようぜ」
銃で仕留められるとは到底思えなかったのだが、そこまでは、さすがのジンも口に出して言わなかった。

入り口へ到着するまでに、いくつもの四角い箱を壁に見た。
アッシュ曰く、あれは監視カメラで、こちらの動きを見張っている物らしい。
果たして入り口でシンとアッシュを待ちかまえていたのは、ニーナではなく見覚えのない少年が一人と、大勢の軍人。
オレンジの制服に身をまとった、連邦軍の兵士であった。
すぐさま赤や黄色の火花が襲ってくるんじゃないかとシンは身構えたのだが、兵士達が銃を撃ってくる気配はない。
その静寂も一瞬で、すぐに少年が哀れめいた調子で騒ぎ始めた。
「ごめんよ、アッシュのお兄ちゃん!俺が戦わないと、あの子が、殺されちゃうんだぁッ」
あの子って誰だ。
まさか、ニーナのことか?
慌ててシンがアッシュを振り返ってみれば、何故か彼は慌てるでもなく、じっと少年を見つめている。
「俺、俺、偶然ここを通りかかったんだけど……連邦軍の奴らに捕まっちゃって!」
少年は、べそをかいている。
とても演技とは思えない。
もし彼が本当に捕まってしまったのだとしたら、ニーナ共々助けてあげなくては――!
シンはアッシュに相談しようと、彼を振り仰ぐ。
だが、それよりも先に泣きべそを遮ったのは、よく通るアッシュの声だった。
アッシュの顔には、何の表情も浮かんでいない。
無表情のまま少年へ話しかける。
「キミは地元の子?なら、俺達の規律は知らなくても当然かな」
規律?
ユニウスクラウニに、規律なんてあったのか。
聞いていない規律の出現に驚いていると、少年の顔が僅かに歪んだような気がした。
アッシュが続ける。
「捕まったら、死を選べ。助けに行くな、様子を見に行け。たとえキミがニーナの為に戦っているんだとしても、俺はキミに手加減なんてしてあげられないよ」
思いがけぬ非情な一言に、シンの声も裏返る。
「アッシュ!この子は捕まって、ニーナを人質にとられているんだぞ!?」
「んーと、だからぁ」
眉下がりに、アッシュがシンを見る。
「もし捕まったとしても、ニーナが人質にとられているはずないんだってば」
「どうして!」
食い下がるシンを見て、心底気の毒なものを見る目でアッシュは答えた。
「自分で命を絶っちゃうから。ニーナの気性なら、絶対そうするはずなんだ。組織として結成した時、そういうルールを決めたんだ、リーガルが。人質になって、皆の足を引っ張るわけにはいかないからね。あ、でも安心して?もしシンが捕まったら、俺は助けに行くからね」
シンは助けるのに、ニーナと少年は見殺しにするなんて納得いかない。
尚もシンは食い下がろうとしたのだが、その前に毒々しい声が二人の会話を遮った。
「あーあ、やっぱ駄目かぁ。俺の大根演技じゃ指名手配様を騙すことは無理でしたっと」
さっきまで泣いていた少年が、ふてぶてしい笑みを浮かべて、こちらを睨んでいる。
「え……?あ、あれ……?」
変わり身の早さについていけぬシンとは違い、アッシュは一瞬で事態を把握したようだ。
「やっぱり、キミも連邦軍兵士だったんだね。おかしいと思った」
「ヘェ?」
少年が憎々しげに口の端を歪める。
「どこが、どうおかしかったんだ?」
アッシュは肩をすくめ、小さく微笑んだ。
「最初から最後まで。俺の名前を知っているのに、どうしてニーナの名前は知らないのかなぁ、とか。見知らぬ地元の人間だとしたら、どうしてニーナを人質にとられた程度で戦うのか、とかね」
かと思えば、真面目な顔に戻って少年を見つめる。
「仲間意識を持つのは同じ組織に与する人間だけだ。民間の能力者には、俺達を嫌っている人も多い。キミは、そんなことも知らないで俺達と戦っていたのか?」
素人作戦だと看破され、少年は顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。
「うッ、うるさい!そんなのは、この作戦の責任者に言えってんだ!全員、撃てぇ――ッ!!」
今度こそ赤や黄色の火花が、一斉に二人へ襲いかかる。
思わずシンは「ギャー!!」と身も蓋もない絶叫をあげたのだが、銃弾は彼に当たる直前で、ジュッと音を立てて消え去った。

目の前で、炎が揺らめいている。
壁だ。炎の壁が、シンを守ってくれている。

シンの前に立ちふさがっているのは、全身を炎に包んだアッシュだ。
「大丈夫?シン。怖かったら、俺の後ろに隠れていてね」
背中越しに、アッシュが小さく笑う。
なんとなく恥ずかしくなり、赤面しながらシンは頷いた。
「う、うん。ごめん」
こういう時こそ例の能力、氷の刃が発動すれば、さぞ格好いいだろうに。
氷の刃は残念ながら、シンの掌には生まれていない。
そんなものを思い浮かべる余裕すら、なかった。
銃を向けられた瞬間、シンの脳裏からは全ての思考が吹き飛んでしまった。
こうして話している間も、ひっきりなしに連邦軍は撃ってきている。
だが飛んでくる銃弾はアッシュが意識せずとも炎の壁を突き破れず、片っ端から溶け落ちた。
このまま黙って立っているだけで、向こうの戦力を奪えそうな気もした。
しかし消極的なシンとは違い、アッシュは一歩、前に出る。
「シンを撃とうとした罪、絶対に許さないぞ。お前ら全員、燃やしてやる!!」
言うが早いか、火だるまの格好で突っ込んでゆく。
アッシュが炎を使って敵を倒す場面を、シンは、この日、初めて目撃することとなった。
炎に包まれた手が、兵士の銃を薙ぎ払う。
銃は飴のようにグニャリと溶けて、兵士の手を包み込む。
溶けた鉄の熱さで絶叫する兵士を、さらに炎が襲い、一瞬で彼の体は崩れ落ちた。
倒れたのではない。
文字通り、さらさらとした灰と化して崩れてしまったのだ。
通路に積っていた謎の灰。
以前、連邦軍の飛行船で見た光景がシンの脳裏に浮かび上がる。
あの灰は、人間が炭化した成れの果てだったのか!
銃撃をものともせず、アッシュはまるで宙を舞うように、次から次へと兵士へ襲いかかる。
彼の炎が触れるたびに鉄は溶け、体は灰へと変化を遂げた。
悪夢の光景に呆然としながら、シンは呟いた。
「や……やめ……て……」
目の中が痛むのは、焼けつく空気のせいだけではないはずだ。
こんなにも、あっさり人が死んでいくなんて。
こんなにも、あっさり、アッシュが人を殺すなんて。
断末魔一つも残さずに、また一人、兵士が灰の山を作る。
灰の山は、入り口のあちこちに積もりまくっている。
もう、いいじゃないか。
後は逃がしてやればいい。
何故、そこまで徹底的に殺す必要がある?
ほら、あの兵士。
脅えて、銃を落としているじゃないか。
彼はもう、戦えないだろう。
逃げたい奴は、逃がしてやればいい。
しかし背中を見せて逃げ出す兵士を、アッシュは見逃さなかった。
追いかけ追い越し目の前に回った彼が腕を薙ぎ払っただけで、兵士だったものは灰と消えた。
あらかた兵士は、いなくなった。
残るは、あの少年だけだ。
アッシュの腕が少年に迫る。
「やめ……ろ……」
シンは叫ぼうとしたが、喉がカラカラに渇いていて大声にならなかった。
炎が少年を襲う。
もう駄目だ――シンは、目を閉じた。
「――何ッ!?」
だがアッシュの驚愕が聞こえて、目を開ける。
続けて少年を見た。
良かった、無事だ。
五体無事で、アッシュを睨みつけたまま身構えている。
いや、待て。
炎は確かに少年を襲ったはずである。
何故、彼は無事なのだ?
アッシュを見ると、彼は驚愕に引きつって青ざめていた。
シンが目を瞑った直後に、予期せぬ事態でも起きたようである。

あの時。
シンが絶望に目を覆った瞬間。

炎に包まれたアッシュの拳は、確かに少年を捉えていた。
同時に熱気が自分に跳ね返ってきて、慌ててアッシュは後ろへ飛びずさる。
殴ったはずの手応えもない。
代わりにあるのは、目に見えぬ何かに止められたような感覚であった。
少年は皮肉めいた笑みを口元に浮かべている。
「どう?俺の能力、すごいだろ。こういうの、お前らは初めて見るんじゃない?」
能力だって?
能力、確かに今、そう言った。
じゃあ、この子は、やはり能力者なのか……?
シンは勿論のこと、アッシュも動揺する。
いや、アッシュのほうがシンよりも遙かに動揺していた。
「シ、シンッ!ど、どうして?どうして、この子、連邦軍に味方してるの?」
慌てふためいて聞かれても、シンにだって答えようがない。
この世界の常識に詳しいアッシュでさえ判らない事が、どうしてシンに説明できようか。
咄嗟にシンは叫び返していた。
「逃げよう!アッシュ、ゾナ達と合流するんだッ、一旦退こう!!」
カラカラだった喉で無理矢理叫んだせいか、声に血が絡んだ。
「逃がすかよ!」
少年が一歩前に出る。
反射的にアッシュは振り向くも、シンに腕をとられて逃げる決意を固める。
「わ、わかった。一旦退こう、シン、ついてきて!!」
背中を襲う銃撃には炎の壁で防御しつつ、シンとアッシュは一路、森へ退路をとった。

二人の背中が森の向こうへ消えていくのを見送ってから、大きな溜息と共にジンは、その場に力なく座り込んだ。
怖かった。
本当に、怖かった!
あちこちに高く積った灰を見渡すと、改めて背筋がゾッとなる。
もし反射の能力がなかったら自分も、こうなっていたのだ。
実験では、炎も水も煙でさえも跳ね返せていた。
本番でも大丈夫だと思ってはいたが、アッシュの快進撃を目の当たりにした時は足が震えた。
さすがは、連邦軍のブラックリストNo1に名前を連ねる人物である。
三十人の兵士が一斉に発砲しようと奴は全く、お構いなしだった。
幾度となく逃げ出したい衝動にかられながらも、ジンは耐えた。
ここで逃げ出したら、笑われるのはジンじゃない。マッドだ。
そう思うと、なんとか我慢できた。
アッシュの炎を跳ね返せたおかげで、ジンは己の能力に自信を持った。
鉄を溶かし、人体を灰にする炎でさえ、ジンには効かなかったのだ。
これでアリスが側にいれば、アッシュを倒すことさえ出来たかもしれない。
不意にアリスの様子が気になって、ジンは踵を返す。
あちらには二人向かっている。
彼女が油断をするとは思えないが、万が一ってこともあろう。

一方、森まで猛ダッシュで逃げてきて。
「あ……あれっ?」
振り向いたアッシュは、またしても慌てに慌てた。
一緒に走ってきたはずのシンが、どこを見渡しても、いないではないか。
確か途中までは、手に手を取って走っていたはずなのだが……
どこで手を放してしまったんだろう。
最悪の事態にアッシュは一人、オロオロする。
もしシンが連邦軍の奴らに撃たれでもしたらと考えると、涙が溢れて止まらない。
「シ、シン〜、どこ行っちゃったんだよぉ……」
しかし途方に暮れてメソメソしたのも一瞬で、すぐに彼は立ち直る。
泣いていても仕方ない。
ここはゾナ達と合流するのが先だと、割り切ったのであった。

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