SEVEN GOD

act1-4 花嫁、脱走

マッド=フライヤーは本日の午後付で『セブンゴッド』の司令となった。
作戦中に異動を命じられるなど、軍人になって初めての経験である。
密林支部攻略に手こずったのが原因だとしても、今もなお戦っている部下達は、どうなるのか。
高峰アヤが見つかったという報告も、まだ受けていない。
しかしマッドの不安など一切関与されず、上からの命令は一方的に下された。
『セブンゴッド』という特殊任務部隊についても、彼は詳しく聞かされていなかった。
総勢七名、新設の部隊である、としか。
会えば判る。上司の回答は、それだけであった。
余計な先入観を抱かせないつもりだろう。
前部隊にいた部下の顔を次々と思い浮かべ、最後に新兵の彼女を思い出し、マッドは溜息をついた。
やがて気持ちを切り替えるように、二、三度、頭を振ると、目の前の扉を開ける。
扉に貼り付けられたプレートには『特務七神』と書かれていた。
「あ、やっと来た」
誰かの声が出迎える。部屋にいるのは、四人。
どれも黒髪のアジア系人種で、年齢はバラバラと思われた。
「本日付で君達の上官となるマッド=フライヤーだ、宜しく」
折り目正しく挨拶するマッドに、背の高い女が値踏みするかのように近づいてくる。
黒髪にはチリチリにパーマをあてている。瞳が大きい。
「ふーん。黒人?いいねぇ、男前じゃない。黒人って肌が黒いけど、アソコも真っ黒ってホント?」
初対面でタメグチ且つセクハラとは、どう考えても部下の態度ではない。
馴れ馴れしくズボンの上から触られて、マッドは慌てて飛び退いた。
「べ、別に真っ黒と言うほど黒くはないッ。それに今は、そのような雑談をしている場合では」
「へへ、でも太くて堅いんでショ?よく小説にも出てくるし、女が黒人にアヘアヘさせられるって」
どんな小説を読んでいるのか知らないが、言うことが、いちいち下品な女だ。
ナメられているのだろうか。
だとしたら、礼儀を教えてやる必要がある。
彼女の手にバシッと一撃加えてやり、マッドはしかめ面で説教した。
「仕事場にいる以上は、真面目にやりたまえ。我々は全人類の運命を背負って戦っているんだぞ」
「へぇ、ご大層なことで」
言ったのは女じゃない。
ニヤニヤと薄笑いを浮かべて眺めていた少年だ。
ボサボサの黒髪。
軍服のボタンも閉めていないし、身だしなみには気を遣わないタイプか。
年の頃は十五か、その辺だろう。
このような場所には不似合いなほど、若い顔をしている。
生意気そうでもあった。
少年の傍らでは、ポニーテールの少女が黙々と刀を手入れしている。
こちらも、少年と似たような年頃に見える。
端正な顔つきだが、なんの感情も浮かべていない。
まるでロボットの如く無表情であった。
後方の席に座っている長髪の青年も、我関せずといった涼しい顔で本を読んでいた。
その青年が、顔もあげずに会話へ混ざってくる。
「青臭い正義を振り回すのは貴殿の自由であり、軍人としても当然だろう。しかし当面の任務として、我々は貴殿と雑談するよう命じられている」
伏せられた眼鏡の奥が、きらりと光ったような気がした。
瞳の威圧でマッドが言葉を失っている間にも、パーマの女がズボンのチャックを降ろしてくる。
股間に触れられて、初めてマッドは我に返った。
「お、おい!やめないか!!」
「やぁだ、ホントに大きい!すっごい!さすが黒人って感じ?舐めていい?」
典型的に人の話を聞かない女だ。
先端を撫でくりまわされ、腰から力が抜けそうになる。
「や、やめろ、やめてくれ。あまりオイタが過ぎるようなら軍法会議にかけるぞ、おい」
なおもマッドは抵抗した。
女の手を掴み、自分の股間から遠ざけようとした。
すっかり女に抱きかかえられている。
彼だって、けして小柄ではない。大柄なほうだ。
しかし女の体格は、マッドと張るものがあった。腕も太股も、太さが彼と対等である。
「なぁに?二言目にはやめてくれって、あんたゲイなの?女が自分から咥えてやろうって言ってんだから、大人しくしなさいよ」
マッドはゲイではない。
断じて、男よりは女が好きだ。
しかし、TPOというものがある。
それに初対面の部下の前で、愛撫に晒される露出趣味もない。
「その辺でやめておけ、神女」
眼鏡の青年が、やはり本からは目を放さずに横やりを入れる。
ニヤニヤ笑っていた少年も「あんまりしつこくすると、本気で嫌われるぜ?」と肩を竦めた。
物欲しそうな目で、じっとマッドのモノを見つめた後。
神女と呼ばれたパーマ女は、さも残念といった風に溜息をつくとマッドを開放した。
「そうねぇ〜。やる機会は、これからいくらでもあるんだし。へへ、寝込み襲っちゃおっと」
チャックを引き上げ、己のブツをしまい込むと、マッドは激しく咳払いする。
なんとか場の空気を元に戻したかった。
失った自分の威厳も取り戻したい。
「あー、俺は名乗ったぞ。諸君らの名前も教えてもらえると有り難い」
へへ、と小馬鹿にする笑いを浮かべて、真っ先に名乗りをあげたのは生意気そうな少年。
「俺は元気神、呼ぶ時はジンって呼び捨てで結構だぜ」
続いて無表情な少女も刀を机に置いて、ポツリと名乗る。
「神崎アリス」
名前だけ言うと、これで終わりとばかりに、また刀を持ち上げ手入れを再開した。
後方でパタンと音がする。
青年が本を閉じ、立ち上がったのだ。
他の二人とは違い、きちんとマッドへ向けて敬礼のポーズを取った。
「草壁神太郎と申します。マッド=フライヤー殿に全身全霊で尽くすよう命じられております。司令としての手腕、期待しております。どうか我々を無駄なく使いこなして頂きたい」
「シンタローは真面目だねぇ」
横から茶化すのは、パーマ女だ。
今は机の上に腰かけ、足をブラブラさせている。
「あたしは御門神女しいな。呼ぶ時は、そうねぇ〜シィちゃん、或いは愛人っぽくシィでいいよ?」
ここまでの自己紹介で、気づいたことがある。
彼らは全員、名前の何処かに『神』の文字が入る。
それで七名の神、『セブンゴッド』なのか。
しかし、ここにいるのは四人だけだ。
あとの三人はどうしたのかとマッドが元気神に尋ねると、ジンは軽い調子で答えた。
「あんたの前の部下、行方不明になった奴の尻ぬぐいをするため、各地で待機してるよ。あんたが命令すりゃ〜、あいつらはいつでも動く。なんつったっけ?行方不明の女の名前」
「あ、あぁ。高峰アヤだが……」
「そう、そのアヤちゃんを、助けたいんだろ?あんただって」
高峰アヤは降下中に消息を絶っている。
恐らくは能力者に襲われ――犯され、どこかに放置されているはずだ。
「高峰殿は、密林で消息を絶ちました。しかし密林の何処にも彼女の発信は発見されておりません。移動させられた可能性が高いかと」
「ってことは、拉致?」
神女の問いに神太郎が頷く。
まさか。
あの用心深いユニウスクラウニが、女を誘拐だと?
「最後に発信を確認したのは神矢倉殿でありますが、彼曰く、発信は空に確認とのこと」
その情報は初耳だ。
マッドの部下ですら突き止められなかった発信を、カミヤグラという者は捉えたというのか。
ヒューゥ、と場違いな口笛がなる。
吹いたのは、ジンだ。
「やるじゃねぇか、イチロー」
「空か……」
窘めるのも忘れ、マッドは呟いた。
空にいる、ということは誰かに拉致されたのを意味する。
歩兵は自力では飛べないからだ。
しかし飛行機で連れ去られたとは、厄介な展開になってきた。
「単身追跡したのですが、途中で発信が途切れたとも神矢倉殿は報告しております」
「追跡がバレたんじゃねぇの?」と、ジン。
「いや、神矢倉殿の追跡術は完璧だ。考えられるとすれば、高峰殿のほうに異変があったのだろう」
神太郎の答えに、今度は神女が突っ込む。
「殺されたとか?」
それにも神太郎は首を振った。
「殺されただけでは、発信は途絶えぬだろう。発信器を潰されたのだ、恐らくはな」
人体に内蔵された発信器を潰すには、手術で摘出するしかない。
いや、相手は能力者かもしれないのだ。
マッドの知らない手段で取り出したとも考えられる。
皆が話すのを聞きながら、アヤの身に起きた不幸を考え、マッドは身震いした。
いずれにせよ、発信器を潰されてしまったのならば、これ以上の追跡は不可能である。
アヤの救出は、諦めざるを得ない。
「あと……」
神太郎の報告には、続きがあった。
「神矢倉殿の報告によると、発信源の近くには複数の能力者反応があったとのこと」
「複数!?」
神女、ジン、そしてマッドも声をハモらせる。
「じゃあ、やっぱり拉致したのはユニウスクラウニ?」
慌てる神女の横で、マッドも尋ねた。
「ちょっと待ってくれ!カミヤグラには、どうしてそれが判るんだ!?」
「それ?」
神女がポカンとした顔でマッドを振り返る。
ジンも首を捻り、神太郎だけが、あぁ、と呟いた。
「何故、相手が能力者だと判ったのかが、疑問なのですね?しかし不思議がる事は何もありません。我々も能力者ですから」
今度はマッドがポカンとなる番で、彼は三人の顔を呆気にとられて見つめた。


クラウニフリードは、バミューダ海域に向かっている。
そこに何が?と、尋ねるアヤへ、アッシュは答えた。
「アヤは聞いたことないかな?閉ざされた空間のこと」
閉ざされた空間?聞き覚えのない言葉に、アヤは首を傾げる。
連邦軍でも下位の下位、下っ端雑魚兵の彼女には、全く馴染みのない言葉であった。
アヤの反応にアッシュは苦笑し、窓の外へ目をやった。
飛行船の真下に広がるのは、海だ。
夕日で真っ赤に染まっていた。
「んー、俺もよく判らないんだけどね。そこは俺達が今いる場所とは、空間が違うんだって」
もしかして、異次元だとでも言いたいのだろうか。
だとしたら、馬鹿げている。
小説や漫画じゃあるまいし、異次元なんかが本当に存在すると思っているのか?
年号が代わり新しい時代になった今だって科学的に証明できていないのだ、別次元の存在は。
訝しがるアヤを見て、アッシュが肩を竦める。
「疑ってるだろ?まぁ、俺もなんだけどね。でもリーガルは嘘をつかないから」
「随分、信頼してるんだね。あの人のこと」
「うん」と頷き、アッシュはアヤに向き直った。
「正直言ってさ……ホントの両親より、リーガルのほうが信用できるんだ」
そういえばロード夫妻は、何処にいるのであろうか。
能力者のアッシュが無事だったのだから、彼らも生きていると思いたいのだが……
しかし彼に連れられて艦内を一周した限りでは、一度もそれらしい人物を見かけなかった。
ここにいるのが全員ではないとの話だし、どこかへ出ている最中なのかもしれない。
どうしても気になったので、アヤは尋ねてみた。
「おじさんやおばさんも、この船に?」
「ん?んーん、とっくにいないよ。死んだ」
あまりにあっさりと言われたので、一瞬絶句したものの。
「え……あ、ご、ごめん……」
お決まりのお悔やみを述べるアヤへ、アッシュが微笑む。
「謝る必要ないよ。あの人達は、俺を庇おうともしなかったんだから」
「え?」
聞き返したが、もう、この話は終わりとばかりにアッシュは歩き出す。
「それより俺達シンコンだしー、こんなトコで話してないで、俺の部屋に行こうよ」
新婚って、まだ結婚式もあげた覚えがないのに、勝手に嫁さん扱いになっている。
突っ込もうと追いかけると、アッシュは急に足を止めた。
心なしか、頬が紅潮している。
振り返りもせずに、彼は尋ねた。
「で、あ、あのね。アヤは、その……初めて?」
廊下で答えられるような話題ではない。
時と場所を弁えない彼の腕を引っ張ると、アヤは部屋へと急いだ。
「いいから、まずは部屋に行こっ。後で教えてあげる!」

部屋に入って直後。
念入りに鍵をかけ、ついでにカーテンも閉めるアッシュを見て、ベッドに腰かけたアヤは思わず苦笑する。
「カーテンを閉める必要は、ないんじゃない?」
飛行船は、遥か上空を飛んでいるのだ。誰が覗き見するというのであろう。
「え、いや、でもほら、もうすぐ夜だし」
訳のわからない言い訳をして、アッシュが戻ってくる。
アヤの隣へ腰かけた。
「で、でさぁ」
さっきの質問に、アヤは応えた。
「……ごめんなさいっ」
「えっ?」
「初めてじゃないの。だから、ごめん」
繰り返し言うが、アヤは処女ではない。
初恋はアッシュなのだが、彼と別れて暮らすようになってから、何人かの男とつきあった。
全て向こうからの告白だ。
告白されて、なんとなく、気まぐれでつきあってみた。
どの男も、けして悪い人ではなかったと思う。
アヤを大切にしてくれたし、言えば何でも買ってくれた。
ただし肉体関係を結んだのは、二人ぐらい。
全員と寝たわけではない。
初めての相手は明るくて脳天気で、優しくてアッシュの面影を感じさせる人であった。
処女喪失は痛くなかった。
恐らくは相手が、気を遣ってくれたおかげだろう。
「あ、いいよ。謝んなくて。俺だって初めてじゃないし」
頭を下げるアヤへ、アッシュが笑う。
処女ではないと判っても、彼がダメージを受けた様子はなかった。
そうと知って、アヤは憤慨する。
「あれ〜、意外な反応。もしかして、そういう目で見られてたの?私」
誰とでも寝る売女だと思われていたんだとしたら、それはそれでショックだ。
そこまで軽い女ではない。
少し意地悪に言い返すと、アッシュは慌てて言い訳してきた。
「い、いや!そうじゃなくて、だってアヤちゃん、もう子供じゃないんだし。それに、美人だから、そういうこともあるかなって思っただけで!」
「ありがと。一応褒め言葉として受け取っておくね」
それよりも、アッシュも初めてじゃないとは驚きだ。
人受けの良さそうな顔をしているし、彼の脳天気さに惚れる女性がいたとしても、おかしくない。
「アッシュの初めては、誰?」
興味が沸いて尋ねたのだが、彼は「うーん」と唸って首を振る。
「名前、知らないんだ。テキトーに選んで、やっちゃったから」
「何、それ」
またアヤは憤慨する。
乱交パーティーにでも参加したのだとしたら、アッシュを見損なう。
が、すぐにピンと閃くものがあった。
「あ、もしかして全人類能力者計画っていうのに参加したの?」
それならば、相手の名前を知らないのにも納得する。
淫らに代わりはないが、命令では仕方ない。
アッシュは組織の一員だ。上からの命令には従わなくてはいけない立場にある。
彼は素直に「うん」と頷き、恥じらった様子でアヤを見た。
「……軽蔑、した?」
「うぅん、べつに。つきあってしたんじゃないってのは、ちょっと抵抗あるけど……でも、しょうがないよね。自分の意志でしたかったわけじゃないんだから」
「うん、うん!そうだよねっ、ねっ」
目を輝かせて何度も頷いている。
よほどアヤに軽蔑されるのが怖かったと見える。
「あの、それで、つっこんだことを聞くけど、いいかな?」
「何?中に出させたかってこと?」
先回りして聞き返すと、アッシュは額に浮かんだ汗を腕で拭う。
すでに耳まで赤くなっていた。
「う、うん。アヤって俺のこと、なんでも判るんだね……」
「……まぁ、判りやすいし」
とくに能力者計画の全貌を知った今だと、それを尋ねたがるアッシュの気持ちは、よく判る。
せっかく種を仕込んでも、前の男の種が先に根付いていたら全く意味がない。
別の男の血が流れる子供など、アッシュだって育てたくはないだろう。
いくらアヤが好きといっても元々彼は子供が、あまり好きではないのだし。
「大丈夫だよ、させてない。出す時は外でって、お願いしてたから」
避妊対策は常に完全だった。
ゴムをつけないセックスなど、アヤは絶対に許さなかった。
子供が欲しいという歳ではなかったし、結婚は今でも考えていない。
子供が嫌いなわけではない。
子供を養えるほど、充分な稼ぎがないというだけだ。
養えもしないくせに子供を産むなど、無計画極まりない。
ただでさえ不安定な世の中である。
これ以上、不幸な子供を増やしたくなかった。
「じゃ、じゃあ」
喜びで声が上擦るアッシュへ頷くと、アヤは微笑んだ。
「アッシュの子供、産めるかもね。あ、でも」
「ん?」
「能力者じゃない子が生まれても、ちゃんと育ててよ?」
軽くアッシュを睨みつける。
ずっと懸念していた事でもあった。あの計画を聞いた時から。
能力者を産ませたいから彼は、しつこく俺の子と言い続けていたわけで、もし生まれたのが能力者ではなかったら、どうするつもりなのか、今ここで、はっきり聞いておきたい。
捨てるなどと言い出したら、ビンタを一発くれて船を下りる気でいた。
「アヤの子供は全部育てるよ。能力があってもなくても。だってアヤの血が流れてるんだし」
まったく悩みもせず、アッシュが即答する。
しかも満面の笑顔だ。
「どうして?どうして私の血が流れてると、全員育てるって理由になるの」
「だって俺、アヤが好きだもん。だからアヤの血が流れてる子供も、側に置いておきたいんだ」
へへっと屈託なく笑うアッシュを見ているうちに、別の方向で心配事が一つ増えた。
もし非能力者の女の子が生まれた時は、父親から隔離した方がいいかもしれない。
だが、まぁ、恐れていた最悪の返事だけは返ってこなくて、アヤはホッとする。
良かった。
ユニウスクラウニなんて殺戮組織に身を置いているから、アッシュも非能力者には非道になってしまったのかと思った。
しかし、彼は疎開で別れる前と同じ彼のままだった。
非能力者に対する嫌悪が、彼にはない。
目の前で、いそいそとアッシュが服を脱いでいる。
ぱっぱとシャツを脱ぎ、パンツまで脱いで全裸になった。
脱ぎっぷりの良さに、アヤの目は丸くなる。
「何してるの?」
「何って、お互いのわだかまりも解消したんだし、さっそく初夜を……」
アッシュの期待も、コンコンとノックされる扉の音に崩れ落ちた。
「んもー、誰だよっ!これからって時にぃっ」
裸の彼をベッドに放置して、アヤが代わりに出る。
「誰?」
「よかった、ちょうど、あんたに用があって来たんだ。ねぇ、今から出られる?」
腰より下の位置から声がした。
見下ろすと、栗毛の小さな少女がアヤを見上げている。
司令室でリーガルと一緒にいた子だ。
「今から?え……っと、ちょっと待っててね」
アッシュにお伺いを立てようと振り返る。
そのアヤの腕を引っ張り、ファニーが小声で囁いてきた。
「あ、アッシュに言わなくてもいいよ、すぐ済むから」
「えっ、そう?わかった、それじゃ行こっか」
アッシュに言うまでもない短い用事なのだろうと判断して、アヤは少女に頷く。
「ねー、アヤー。まだ?誰だったの?」
背後からアッシュの大声が飛んできたが「ちょっと待ってて!」とだけ言い残して部屋を出た。

ファニーに手を引っ張られて連れてこられたのは、飛行船の出入り口であった。
そこは全くの無人で、今さらながら少女と二人だけで来てしまったことにアヤは不安を覚える。
考えてみれば、この小さな子供。
小さくても立派な能力者だ。
アッシュが友好的だから、うっかりしていたけれど、他の能力者がアヤをどう思っているかは判らない。
少女がアヤを嫌っていないとは、限らないのだ。
できるだけ怒らせないよう慎重に言葉を選びながら、アヤは彼女へ話しかけた。
「ね、ねぇ……用って、何?私にも出来る?」
「できるよ。さ、これをつけて!」
ぽん、と手渡されたのは小さな噴射機。アッシュも背中につけていたやつだ。
となると、外に出なきゃ用事を足せないことになる。
勝手に外へ出ていいものだろうか。
だが下手にアレコレ尋ねて相手を怒らせるのは、軽率な行動といえる。
アヤは黙って噴射機を身につけた。
少女も同じ物を背負い、出入り口の扉を開く。
「外に出るよ。先に降りて」
「う、うん」
困った。用事は長引くかもしれない。
しかし、今さらアッシュの元へも戻れない。
少女の眦は、一瞬たりともアヤを離れない。
全ての行動を監視されている。
意を決し、アヤは先に飛び降りた。
続いてファニーも飛び降り、扉は自動で閉まる。

降りたのは、海の上でなかった。
陸地、何処とも知れぬ孤島に、二人は舞い降りる。
「ねぇ……こんなところに、何の用」
言いかけるアヤの、髪の毛が何本か宙に舞う。
間一髪、飛んできた何かを、身を捻って彼女は避けた。
避けられたのは、奇跡に近い野性の勘であった。
「な、何するの!?危ないじゃないっ」
アヤの抗議に、少女はチッと舌打ちして大きく後ろに飛ぶ。
少女は素手だ。
では今、アヤを掠めて飛んできたのは、何だ?
それが何であるかは、すぐに判った。
アヤの見ている前で、少女の右手が、ぐにょぐにょと形を変えてゆく。
ゴムのような、ゼルのような、何かに変わった腕を見て、アヤはヒッと喉の奥で悲鳴をあげた。
あれが少女の持つ能力か。
あれが鞭のようにしなって、飛んできたに違いない。
「よけるなんて、やるじゃない。ただの三下雑魚兵ってわけじゃなさそうだね!」
ファニーの口元が大きく歪む。
「でも、ここで終わり!あんたは、ここで、あたしが殺してあげる!!」
やっぱり。
アッシュ以外の能力者は、アヤを嫌っていた。
当然だ、奴らは非能力者を殺す組織である。
嫌われていないわけがない。
女だから殺されまいと油断していた己の浅はかさに、アヤは歯がみする。
悔しがる脳裏に、血を吐く叫びが届いてきた。
「大人しい女のフリして、あたしのアッシュに近づかないでくれる!?」
「……え?」
「え、じゃないよ、このバイタ!」
風を切り、伸縮性を増した腕が唸りをあげて飛んでくる。
咄嗟に頭を庇うが今度の一撃は顔を狙ったものではなく、左足に鈍い衝撃を受けてアヤは転がった。
「くぅぅ……ッ」
重たい痛みに、足が痺れて動けない。
「アッシュと結婚するのは、このあたし、ファニー様だけなんだから!あんたは近づくな!!」
間髪入れず鞭と化した腕が襲ってくる。
避けることもできず、アヤは殴打を身に浴びた。
「ぐッ!」
柔らかそうに見えて、鞭の一撃は鈍器で殴られる衝撃に似ている。
背中を殴られ、息が止まった。
少女の近づいてくる足音が聞こえるが、逃げられそうもない。
激しく横っ面を蹴りつけられ、口の端からは血が垂れた。
口の中に血の味が広がる。
「あんたみたいなゴミが!何の能力も持たない、虫けらが!あたしのアッシュに近づくなんて、五万年早いんだ!!」
唾を飛ばし、なおもアヤを蹴っ飛ばす。腹を踏みつける。
長い黒髪を引っ掴み、無理矢理立たせた。
「あ……ぅ……」
苦痛に呻くアヤの顔にペッとツバを吐きかけると、胴に一撃手刀を加え、再び大地へ乱暴に転がした。
「可愛けりゃ、皆にチヤホヤされるとでも、思ってた!? 女なら、殺されないとでも思った!?あはははは!残念でした!!アッシュに手を出した時点で、あんたの死は決まってたんだ!!」
要は、この少女、アッシュのことを好きらしい。
それで嫉妬しているのだ、アヤに。
勝手に連れてこられて勝手に嫁扱いされた、こちらの言い分も聞いて欲しいものだ。
「言い訳なんて聞かないよ!お前は、ここで死ぬんだからさァッ。元々、能力のない奴は全員殺す予定だったんだ!女だから殺さないなんて、おかしいよねぇ?あははは、あっははははは、あはははははははははははは!いいザマ!ざまァみろ、このブスッ!!」
やたら遠くで高笑が聞こえる。
ふと、アヤは能力者狩りのことを思い出した。
連邦軍に追い詰められて死んだゲリラ達も、最後の瞬間には無念の気持ちを抱いたのだろうか。
死にたくない、自分は、まだ生きていたいと願ったのだろうか……

パァン、と軽い音が野山に木霊した。

「……えっ?」
少女ファニーの動きが止まる。
何が起きたのか、まるで判っていないといった顔をしていた。
「あ……れ……?な、なんで……」
ちくりと痛む胸に目をやると、なんと背中から胸にかけて大きな穴が空いているではないか。
穴からは次第にドクドクと血が噴きこぼれ、少女は膝を折る。
彼女の顔が痛みに歪む。
急激に少女が青ざめていくのを、朦朧とする意識でアヤは見た。
少女の胸に空いた穴、あれは銃の仕業じゃない。
少女の体を貫通した穴は、綺麗にくり取られたように円の形をしていた。
銃の痕跡ならクリアな円にはならないし、そもそも銃撃にしてはサイズが大きすぎる。
穴は拳大ほどの大きさだ。
それでいて、穴以外の場所は吹き飛んでいないというのだから不自然すぎる。
あれでまだ、生きている少女の生命力にも驚きだ。
先ほど響いた謎の音、あれも銃撃の音ではなかった。
もっと軽い、紙鉄砲でも鳴らしたような音だった。
草をかき分けて、近づいてくる足音がある。
少女が尻をつき、逃げようと後ろへ這いずさるのが見えた。
先ほどまでの勝ち誇った彼女からは到底考えられないほど、無様な姿だ。
「い、いや……だ、な、なんだよ、お前ら……ち、近づくなァ」
涙声で彼女が言うのを、どこか遠くでアヤは聞いた。
再びパァンと軽い音が響き、ファニーの頭が四散する。
脳髄が飛び散り、肉の破片が、真っ赤な血がアヤの顔にかかった。
頭を失い、少女の体がこてんと倒れるのを最後に、アヤの目の前も暗くなった。
完全に気絶したアヤを見下ろし、誰かが小さく溜息をつく。
「……この人が高峰アヤ、でしょうか?」
男であった。年の頃にして、二十歳そこそこだろうか。
こざっぱりした黒髪に、やや垂れ目ではあるが誠実そうな瞳をしている。
「恐らくね」と答えたのは、女だ。
二人組であったらしい。
女もまた黒髪のアジア系人種で、こちらも短めに髪を切っている。
男よりは年上に思われた。
きつめの眦がアヤを見下ろし、続いて頭のない死体を見る。
「ユニウスクラウニもピンキリか。嫉妬に眩んで殺し合いをやる馬鹿がいるようではね」
「とにかく、あなたが来てくれたおかげで彼女は助かりました。ありがとうございます」
会釈する男を冷たく一瞥し、もう一度、女はアヤを見た。
側へしゃがみこみ、懐から探査機を取り出してアヤの体へ当ててみるが、すぐに立ち上がった。
「内部の発信器が取り出されている。でも手術の跡はないようだ」
「手術なしで取り出せる能力の持ち主がいる、ということですか」
「神矢倉君。この二人は、二人とも空から降りてきたんだったよな?」と、女。
神矢倉は頷き、空を見上げた。
「はい。となると、奴らはステルス能力の高い空中移動手段を持っているということになりますね」
「あぁ」
女も空を見上げ、神矢倉の側に立つ。
「一度本部へ戻ろう。新しい司令も来たという話だし、報告すると同時に飛行部隊の出撃要請をしなければ」
「そうですね。あ、高峰さんは、どうしましょう?」
女は、素っ気なく答える。
「君が担げ。君は男の子だろ?」
「……判りました、神宮さん」
渋々アヤを抱え上げると、先に歩き出した女を追いかけて神矢倉も歩き出した。
側に止めてある偵察機の元まで。

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