簡単にいえば衛士は衛士と結びつけられ、茶焙師は茶焙師と結びつく。
そのほうが優秀な次世代を生み出せるし、健全だからだ。
だが、俺達は度々道を踏み外す。
愛する対象が同じ役割ではなかった時に。
健全とは誰が決めたのか。
自分がいなくなった後の次世代など、どうなったっていいじゃないか。
大切なのは今なのか、それとも未来なのか。
俺達は何のために生きている?
それとも、誰かのために生かされているのか?
誰か、どうか、教えて欲しい。
俺が持つシェンフェンへの愛は間違いだったのか、それとも許されるものだったのかを――
意識を取り戻すと同時に、柔らかい感触を唇で受け止める。
ぼんやり見える淡黄色へ次第に焦点が定まり、シェンフェンなのだと判る。
嗚呼。
俺は今、彼と唇を重ねているのだ。
全身が黒い塊に包まれた瞬間、彼に飛びかかったまでは朧気に覚えている。
口の中に広がる美味を堪能する間もなく、意識を一旦手放した。
再び意識を取り戻した時、俺は彼の小さな身体を、しっかり抱きしめていた。
己の体躯が縮んで、元へ戻っているのも確認した。
尤も――
元に戻れたからといって、衛士の役割を外されないとは限るまい。
俺は禁を犯した。今も、こうやって犯し続けている。
シェンフェンの唾液を啜り、身体を擦り寄せる。
離したくない。
離れたくない。
ずっと、このままで居たい。
しかし本能の囁きに逆らい、俺は唇を離す。
欲望に身を委ねて吸いつくしてしまったら、薬師が無に還ってしまう。
「……ユェン、シゥン」と、小さくシェンフェンが呟く。
「もとに、戻れたんだ……良かった……」
ぽろりと彼の頬を涙が伝う。
舐め取りたい衝撃に耐えながら、俺は指で涙を拭ってやった。
「泣くなよ」
「だ、だって、きみが元に戻ったんだ。こんな嬉しいことがあるもんか。嬉しくたって涙は出るんだっ」
嬉しいと言いながら、ちっとも嬉しそうに見えない情けない顔で泣きじゃくる。
そんなところも愛おしい。
シェンフェンに見惚れていると、肩を軽く叩かれた。
「ユェンシゥン、罰則を受ける覚悟はあるか?」
しかめっ面でリィンラァンが尋ねてくる。
「罰則?」と尋ね返したのは俺じゃない、シェンフェンだ。
「そうだ。禁を犯した衛士に罰を与える」と他の衛士が答えるや否や、勢いよく叫んだ。
「せっかく助けたのに、どうして!?」
「世の理だ。禁を犯した者を罰さなければ、他に示しがつかん」
しかめっ面を崩さないリィンラァンにも、シェンフェンは威勢よく噛みついた。
「理、理って!理を守るためなら、僕らがどうなってもいいっていうんだな!?」
ひょいっと俺の腕から逃れると、背後の扉へ手をかける。
「どうしてもユェンシゥンを罰するっていうんだったら、僕にも考えがあるぞ!この扉の向こうへ行ってやる!!」
いつも、ぽや〜んとしている彼からは想像もつかない激しさだ。
それに薬師が世の理に反旗を翻すのは、初めての事態じゃないか?
過去に扉を開いた薬師は一人いたが、彼女は世の理に反抗を抱いて開けたんじゃない。
ただ、愛する者と会いたかっただけだ。
初事態に俺は勿論、他の衛士も、どうしていいのか判らなくなる。
「ま、待て、薬師!早まるな」
オロオロするばかりで誰も動けない。
俺も必死で呼びかけた。
「シェンフェン、扉の向こうには何があるか判らないんだぞ!危険だ、やめろ!!」
罰されるのは俺なんだ。シェンフェンが巻き添えを食う道理はない。
「きみが無に還される以上の恐怖なんて一つもないよ!きみがいなくなるんだったら、扉の向こうへ行っちゃったほうがマシだ!」と返ってきて、俺でも彼の行動を止められそうにない。
「これ以上、薬師を失ったら俺達も無に還されるぞ!」
泡食う同僚ウァイシァイを、リィンラァンが叱咤する。
「たわけ!動揺するな、薬師を囲むぞ!!」
彼らの位置から囲むのは難しい。
囲む前にシェンフェンは扉を開けて、向こうへ行ってしまうだろう。
今一度、俺は叫ぶ。
渾身の想いで、精一杯の悲壮感を漂わせて。
行くな、行っちゃ駄目だ、シェンフェン。
無に還った挙げ句、一人で残される俺の身にもなってくれ。
「お前は、それで気が済むのかもしれないが、俺はどうなる!?俺を一人残していくつもりなのか!」
叫んだ直後、腕をぐいっと力強く引っ張られて、たたらを踏んだ。
誰かと思ったら、シェンフェンじゃないか。
薬師の小さな身体の何処に、こんな力強さを秘めていたんだ。
「だったら、きみも連れていく!二人で行けば怖くない、そうだろ!?」
扉を半分開いて向こう側へ身を乗り出し、それでいて片手は俺の腕を掴んで放さない。
単にキレた勢いなのかもしれないが、ここまで思い切った行動に出られる少年だとは知らなかった。
だが、待て。
俺が扉の向こうへ封印されるのは仕方ないとしても、お前が行く必要は、あるのか?
引っ張られる力強さに抗い、俺はその場で踏み留まる。
「薬師は、この世界に必要な存在だ……扉の向こうへ行くのは俺だけでいい。お前は残れ、シェンフェンッ」
くるっと振り向いた拍子に、シェンフェンの両目からは涙が零れ落ちた。
「きみだって必要だよ!僕にとっちゃ一番必要な存在だ!この世の理なんかよりも、ずっとずっと大切なんだ。きみが無に還る時は、僕も一緒だ。きみだけを無力にさせるもんか!!」
「あー、諸君。諸君らに一言申し上げていいかね?」
混乱の現場へ誰かが割って入ってきて、誰だ、今は猛烈取り込み中だというのに!
「こ、これは、冠士様!何故このような場所まで!?」
上司リィンラァンに言われて、ようやく俺も乱入者の正体に気づいた。
ぼってり膨らんだ腹を包み込むのは、緋色の布だ。
緋色の衣冠は冠士しか着るのを許されていない。
が、しかし、彼らが発掘所へ入るのも禁じられているのではなかったか?
シェンフェンにしたって、そうだ。薬師が何故、発掘所へ入ってきた?
それを咎めるでもなく一緒にいた衛士にも罪が生じる、はずだ。
まさか俺が禁を犯したのを引き金に、全部の理が狂っちまったんじゃなかろうな……
冠士と呼ばれた肥満の男は俺を上から下まで念入りに眺めて、にやけた笑顔を浮かべる。
「ほぅほぅ、これが月シリーズ最新作か。実に美麗。無に還すのは惜しいというものよ」
「し、しかしっ、冠士様!こやつは禁を犯したのでございます、見せしめは必要かと思いますが」
騒ぐ衛士を「この世界には衛士も必要不可欠だ、今後は薬師と同じ扱いに改めよ」と黙らせると、冠士はシェンフェンではなく俺の顔を見つめて話しかけてくる。
「そこの衛士。禁を犯した罰で無に還る代わりに、新たな役割を与えよう」
「新たな……」「役割?」
ポカンとする同僚たちと同様、俺も咄嗟に言葉が出てこない。
役割は一人一つ、生涯変更されないのが世の理だ。
冠士ともあろうものが、これを知らないはずがない。
なにしろ冠士こそが、生きとし生ける全住民の役割を振り分ける役割なんだ。
下卑た笑みを浮かべて、冠士が俺の耳元で囁く。
「……何、簡単だ。お前は衛士でありながら私の直属になればよい。ただし、尽くす相手は私のみに留めよ。他の者へ尽くすのは許さぬ。私の家で永遠に暮らすのだ。無に還る代償が、それだけならば安いものだろう?」
尽くせというのは、愛するのと同意語だ。
こいつは俺を衛士のまま生かして、一生飼い殺しにしたいらしい。
冠士は衛士の上また上、最上位の尊い存在であり、そうした者へ囲われるのを望む奴もいるのかもしれないが、俺は嫌だ。
権力に下るなど、虫酸が走る。
そんな真似を受け入れるなら、無に還ったほうがマシだ。
しかし俺が無に還れば、きっとシェンフェンは躊躇いもなく扉の向こうへ行ってしまう。
どうする。
瞼を閉じると、シェンフェンの面影がちらつく。
彼と会えなくなるのを代償に衛士として生き続けるべきなのか、潔く無に還るべきか。
「この条件を飲むのであれば、契約の証として私に唇を重ねよ。一生、大切に扱ってやる」
冠士の一言で、場に動揺が走る。
動揺したのは俺もだ。
よりによって、シェンフェンの前で契約しろというのか。
「いけません、例え貴方様が冠士だとしても世の理を破ってはなりません!」
果敢にも止めに入ったリィンラァンを睨みつけ、冠士が嗤う。
「衛士如きが私に命令するでない。こやつの代わりに貴様を無に還してもよいのだぞ?安心せよ、理を破るつもりはない。ユェンシゥンは衛士のまま、私のものになるのだ」
「衛士の仕事を取り上げるのも理破りに触れるのではありませんか、チィンダィン様ッ!お考え直しを!!」
衛士の立場で言うならば、リィンラァンの取った行動が一番正しいのだろう。
理を破ろうとする者を説得する、という行動が。
だが――
俺は下衆な豚野郎の唇に己の唇を重ねる。
二度と会えなくなろうと、この世界からシェンフェンが失われるのだけは回避したい。
薬師が一人いなくなるのは、衛士が衛士じゃなくなるよりも大事なのだから……
🌖
ちょ、えっ!?せっかく助けたのに衛士はユェンシゥンを無に還すとか言い出すし、約束違わない!?それと、いきなり出てきたあの人なんなの?僕のユェンシゥンに馴れ馴れしく近づいた挙げ句、耳元でボソボソ喋っていたかと思ったらキスしろだとかさぁ!言っとくけど、ユェンシゥンは渡さないよ!?だって彼は僕の大事な人なんだからねって、うわぁぁぁ!ユェンシゥン何してんの、何するつもりなの?まさか、そいつとキスするつもり!?ダメダメダメー!!僕以外の誰かとキスしちゃヤダァァァァッッッ!
「――アァァァッ!!」
がばっと跳ね起きた僕を見て、ベッドの側に腰掛けた人物が微笑む。
「あ、シェンフェン。やっと起きたね、よかった」
ニィカフェカと、それにもう一人は見知らぬ顔の少女だ。
「君が倒れたと訊いて、ハェンラェンと一緒に駆けつけたんだ」とはニィカフェカの弁。
傍らの少女は僕の額をタオルで拭いて、にっこり微笑んだ。
「うんうん、だいぶ顔色が良くなったみたい。ウチの薬が効いたんだね」
薬を作れるってことは、ハェンラェンは僕と同じ薬師か。
同業の人を自分の家で見るのは初めてだなぁ。
二人の話によると、気を失った僕は衛士に背負われて帰宅した。
看病を要する招集がかかり、ハェンラェンは友人の茶焙師と共に駆けつけた。
……ということらしい。
全然記憶にないや。
そもそも、なんで気を失ったんだっけ?僕。
「ヨーヨーセンも誘ったんだけど、あの子ったら、つれないね。君より衛士が心配ときたもんだ」
ぼやくニィカフェカを「駄目だよ!その話は」とハェンラェンが厳しく叱咤して、え?何の話?
ヨーヨーセンが見舞いに来なかったのを責めているんだとしたら、お門違いだよ。
彼女と僕は親しい友達じゃない、互いに商売相手ってだけだ。
「あっ……と。ごめんごめん。シェンフェン、君は何も気にせず安静にするといい。また美味しい薬を作って貰うためにもね」
謝るニィカフェカへ僕は尋ねた。
「ヨーヨーセンが気にする衛士って、やっぱユェンシゥン?お得意様だって自慢していたもんね」
ほんの軽い冗談だったのに、ニィカフェカは思いっきり身を引いて「ゲェッ!?どうして、それが」と予想以上のリアクションを見せてくる。
そしてユェンシゥンの名を口にした瞬間、僕の記憶が蘇った。
そ、そうだ、ユェンシゥン。
いきなり現れたチィンダィンって人に無理やりキスさせられたばかりか、何処かへ連れ去られちゃったんだ!
ヨーヨーセンは、きっと彼を助けに行ったんだ。
だったら、僕もベッドで安静にしている場合じゃない。
彼女と協力して、なんとしてでもユェンシゥンを助け出さないと!