ある薬師の物語

その5 坏人の正体


あの後、僕は衛士の詰め所に連れて行かれて真相を知った。
この世界の理ってやつを。
本当は限られた一部の役割しか知っちゃ駄目な情報なんだけど、今回だけは特別だと言われた。
あの怪物を目撃してしまったからだろう。
でも、何をどう説明されても、僕の耳は右から左へ聞き流した。
だって、あの怪物はユェンシゥンだと言われたって、どう受け止めればいいんだ?
僕の知る彼は、あんなんじゃない。あんな醜い化け物じゃ……
「我々は全て薬師に生かされた存在だ。だが、同時に薬の過剰摂取は生態異常を発生させる。配分が重要なのだ」
リィンラァンと名乗った衛士は小難しい表情を浮かべて、僕に言う。
茶葉と薬を混ぜるようになったのは、薬師の誰かのアイディアじゃなかった。
そうしろと指示した人がいたんだ。
原液を飲むのは、他の役割を滅ぼしてしまうからなんだって。
でも、薬師の薬が皆に活力を与えているんだよね?
僕の役割が判った時、僕を迎えに来た役人が言っていたんだけど。
だったら原液で飲んだほうが、より効き目が強くなるんじゃないのかな。
僕のそうした質問にも、リィンラァンは無下にはねのけたりせず教えてくれた。
「言っただろう、配分が重要なのだと。原液は効き目が強すぎる。過去に何人もの住民が生態異常を起こし、変化した者は全て発掘所の奥へ連行された。封じたのだ、あの扉の向こうへ」
発掘所の奥には扉がある。
けれど、それを開いてはいけない。
そんな噂なら、僕も聞いた覚えがある。
誰だったかな、お客の誰かが言っていたんだっけ。
「過剰摂取した者は坏人を生み出す元凶にもなる。否、それ自体が坏人と言ってもよかろう。ああなってしまっては、扉の向こう側へ封印するしか手立てがない」
「え……?」
ぼんやりした目を、僕は衛士へ向ける。
どういうことだ。
治せない病気が、この街に存在していたなんて。
僕たち薬師の薬は、あらゆる病気に万能なんじゃなかったのか?
役人が迎えに来た日の出来事が、ありありと僕の脳裏で蘇る。
彼は言っていた。
薬師の薬は全ての住民の病を治す。
どんな病でも、たちどころに。
薬師は家から原則出られないけれど、街で最高の地位を持つ。
薬師の薬が、全ての住民を支えているのだ。
くれぐれも体液の無駄使いをせず、自身の体調管理も怠りなく。
――といったような注意事項を。
だから僕は、ユェンシゥンが体調を崩さないよう毎日薬をあげていたんだけども……
もしかして、それが過剰摂取につながったんだとしたら、取り返しのつかない失態を犯してしまったことになる。
だって、そうだろう?薬が欲しい人は自分で買いに来るんだ。
ユェンシゥンは僕の薬を買いに来たことがない。
甘口がどうのといった問題ではなく、単に今は病気になっていなくて、薬を必要としていなかっただけだ。
うるっと潤んだ僕の瞳を見て、リィンラァンが慌てて慰めてくる。
「待て、泣くな、今のは一般論であって、全く救う手立てがないわけじゃない」
昔は扉の奥へ封印するしか手段がなかったんだけど、今は解決方法があるんだそうだ。
なら、最初にそれを教えて欲しかったよね。
「坏人化した住民を捕縛して徹底的に研究した結果、彼らには理性が残っていると判明した。こちらの話も通じる。成りたての時期に限られるが」
街のあちこちに出没する坏人の正体は、薬を過剰摂取してしまった人々だったんだ。
ユェンシゥンは原液を口にしたパターンだと言われて、僕は首を傾げる。
原液、つまり唾のまんまで彼にプレゼントしたことなんて、一度もないんだけどなぁ?
必ず茶葉と混ぜていたよ。そのほうが美味しいしね。
彼は、どこで原液を口にしたんだろう。僕以外の薬師から?
だとしたら、ちょっとモヤモヤするなぁ……
いや、だって、どういう状況になれば原液を直接口にするっていうんだ。
まさか口移しに……なんて、駄目だ駄目だ、そんなの涙が出ちゃうから想像禁止!
「殆どの者は節度を弁えていよう。しかし、中には薬師と必要以上に仲良くなってしまう衛士もいる。グァイユェンも、そうだ。ラェイシェンへ余計な情報を与えたばかりに、彼女まで巻き添えにしてしまった」
思わぬ名前が出てきて僕はキョトンとなったけど、すぐに理解した。
ラェイシェンは僕のお母さんだ。
ならグァイユェンが住んでいたのは、きっとお隣で、ユェンシゥンより前の住民に違いない。
お隣さん同士なら、仲良くなるのも簡単だ。毎日見回りついでに立ち寄ればいいんだから。
ユェンシゥンも僕と仲良くしたくて、毎日見回りのついでに立ち寄ってくれたんだと思いたい。
僕の気持ちを知ってか知らずか、衛士は訥々と語り続ける。
「グァイユェンはラェイシェンの原液を毎日大量摂取した。故に坏人化して扉の奥へ封印された。だが、奴は封印される前に扉の存在をラェイシェンへ話していた。ラェイシェンが発掘所へ入り込んだのは、グァイユェンのせいだ。だから我々は忠告する。シェンフェン、もしユェンシゥンが手遅れとなっても禁を犯す真似はするな。我々はもう、薬師を一人も失いたくない」
僕たちを失いたくないんだったら、生態異常で坏人化した住民を手遅れにしなきゃいいじゃないか。
友達が、むざむざ殺されそうになっているってのに、安全地帯で引っ込んでいろと言われて従えるはずがない。
薬師は失いたくないのに衛士なら処分するってのも、おかしいだろ。
衛士だって、この街に必要な役割だ。
そんな簡単に処分しまくったら、そのうち街の安全を守ってくれる人がいなくなってしまう。
僕は尋ねた。
「ユェンシゥンを治すには、どうすればいいんですか」
「全ての毒を洗い流すんだ」と、リィンラァンは答えた。
「毒は黒い液体となって体内に蓄積されているから、そいつを全て洗い流しちまえばいい。薬師、お前の協力も必要だ。我々に手を貸してくれ」
僕は迷わず頷いた。

洗い出す方法は簡単だ。
原液を、これでもかってくらい体内へ流し込めばいいんだ。
原液の過剰摂取が害になるんじゃないのか?と僕が尋ねたところ、衛士の答えは、こうだった。
「毒には毒をもって毒を制す。安心しろ、理性が残っているうちは攻撃を仕掛けてこない」
奇しくも僕が外に出ていたおかげで、ユェンシゥンに理性が残っていると判ったらしい。
理性がぶっ飛んじゃった坏人は、言葉を喋れないし理解することもできなくなるんだって。
今、僕らが向かっているのは発掘所。追跡した衛士が報告してきたんだ。
ユェンシゥンは発掘所で何をする気なんだろう。
他の坏人にしても、何が目的で発掘所を襲うんだろう?
ユェンシゥンは発掘所で取れるモノが目当てじゃないかと予想していたけど、違うんじゃないかなぁ。
どうして、そう思うのかは、うまく言えないんだけど。
ただ、グァイユェンとラェイシェンの話を聞いた時に思ったんだ。
ラェイシェンは、扉の向こうへ閉じ込められたグァイユェンを助けたかったんじゃないかって。
他の坏人も閉じ込められた誰かに未練があって、だから扉を目指しているんじゃないか?
僕の勝手な想像に過ぎないけどさ。
あれ?でも、じゃあ、だったらユェンシゥンが会いたいのって誰なんだ?
僕以外の誰かに心を許して……なんて、あぁ、やだやだ、そんなの想像したくないってば!
うん、さっきの想像は撤回。
ユェンシゥンが言っていたように、坏人が発掘所を襲うのは発掘されるモノが目当てだ。そうに決まった。
どれがそうなのかは坏人に訊かなきゃ判らないけど、向こうも僕らの言葉が判らないしな……
いや、成りたてなら言葉は通じるんだったっけ?
なんてモヤモヤ考えているうちに、僕らは発掘所へ到着した。

初めて入った発掘所は、不思議な場所だった。
下へ下へと穴が掘り進められていて、細い道を僕らは一列に進んでいく。
壁際では掘師が轍を振るって、壁を掘っている。
僕たちが真横を通っても、しらんぷりだ。黙々と掘り続けている。
彼らの傍らに置かれる荷台には鉱石や宝石の他に、どちらとも言いかねる塊があった。
ツルツルした光沢を放っている反面、上辺は柔らかそうな表面だ。
何だろう。あれは何に使うんだろう?
一定間隔で一○八だのニ○五だのと書かれた看板が下がっているのは、何の目印なんだろうか。
けど、それらを訊き出す権利は僕に与えられず、衛士に前後を挟まれながら奥へ突き進むしかない。
遭遇したのは、つい先ほどの出来事のようにも感じるのに、随分奥まで入り込んでいったもんだ。
だいぶ歩いたってのに、黒い背中すら見えてこない。
そう考えていたら、僕の前を歩く衛士がポツリと呟いた。
「近いぞ……薬師、お前の分担は判っているな?あいつの口の中に原液を流し込むんだ」
衛士がユェンシゥンを包囲している間に、僕は彼の背中をよじ登って原液を流し込む。
それも一口、二口じゃ駄目だ。毒という毒を全部吐き出す勢いの量だ。
一度毒素を全て出してしまえば、また原液を口にしたとしても、二度と坏人化しない。
薬への耐性と免疫がつくんだと衛士は言っていたけど、免疫なんて言われちゃうと、まるで病気みたいな扱いだ。
害なのか易なのかが判らなくなってくるよね、僕の薬。
で、肝心の流し込む方法なんだけど、僕の体液なら何でもいいと言われた。
小便を放ってもいいと言われたけど、皆の前で裸になるのは僕が恥ずかしい。
やっぱり無難なところで、唾かな。今のうちに唾を口の中へいっぱい溜め込んでおこう。
ある地点まで歩いてきた時だった。
ざぁっと僕の肌が一斉に粟立ち、吐きそうになるほど気持ちの悪い闇が迫ってきたのは。
「出たぞ!」と前後で叫ばれて、僕は思わずゴクンと唾を飲み込んでしまう。
いた。
見つけた。
黒くて大きく禍々しいものが、扉の前で座り込んでいるのを。

『シェンフェン、シェンフェン……シェンフェンシェンフェンシェンフェンシェンフェンシェンフェンシェンフェンノミタイノミタイノミタイノミタイアアアアアアアアーッ!シェンフェンッ!!』

怪物が放った坑道全体を揺るがす大声量は衛士のフォーメーションを崩させて、ぽっかり大きな穴を作る。
その一点を突いて怪物が飛躍した。
僕に覆いかぶさる黒いものは僕の口をぶちゅっと塞いで、僕の体液を勢いよく啜り始める。
く、苦しい、息が、できない。
そんな必死に吸わなくても、僕に任せてくれれば腹一杯飲ませてあげるってば、ぐぇぇっ。
「くそ、しまった!やむをえん、攻撃開始!」と叫ぶ誰かの声が聞こえた。
待って待って、攻撃待って、この位置じゃ僕まで巻き添えくらっちゃうだろ!
いや、そうじゃない、攻撃は手順になかったはずだ。あくまでも僕が毒を洗い流す手順だったはず――

僕の意識は、そこでプッツリ途切れた。

🌕

意識が途切れる最後の瞬間まで俺の脳裏にいたのは、シェンフェンの姿だった。
俺に向かって優しく微笑む、栗色の柔らかな髪の毛と赤く透き通った瞳の綺麗な少年。
いつも、こちらの体調を気遣ってか無料で薬を渡してくれた。
いつからだろう。
嬉しいと思う感情が、愛おしいに変わったのは。
一日に一回は、必ず彼の顔を見ないと落ち着かなくなった。
見回りのついでと称して、彼の家へ必ず立ち寄るようにした。
本当は見回りなんかほったらかして一日中、彼の側にいたいんだが、役割を放棄するのは他の衛士が許すまい。
そのうち、俺は考えるようになった。
シェンフェンが優しいのは薬師だからなのか、それとも俺に少しでも好意を抱いてくれているのかを。
確かめてみたい。
もし原液を直接啜ったら、彼はどんな顔を見せるだろう。
どんな反応を見せるだろう。
無論、原液を直接口にするのは禁忌だと知っている。
グァイユェンが消失した原因も、ラェイシェンの原液を大量摂取したせいだ。
彼女と愛し合った。
口づけを交わして体の隅々まで深く混じり合って原液にまみれた結果、彼は毒素を溜め込みすぎて我を失い、己の役割を失った。
ラェイシェンが禁を犯したのは、グァイユェンを助けるべく発掘所へ忍び込んで、この扉へ触れて全てを知ったせいだ。
向こう側に彼がいると知って、だから開けてしまったんだ。
全ては彼と再び愛しあいたいが為に。
俺もだ。
知ってしまった。
二人に何が起きて、どういった顛末を迎えたのかを。
扉の向こうから俺へ話しかける声も聞いた。
封印された誰かの残留思念だったのかもしれない。

坏人になりさがったとしても、絶望するべからず。
毒素を抜けば元に戻れるんだ。
薬師の手を借りろ。
原液を腹一杯飲めば、体内の毒素を全て洗い流せる。
毒を食らわば皿まで、と言うだろう?

そんなふうに言っていた。
薬師と言われて、俺が真っ先に思い浮かべるのはシェンフェンだ。
原液摂取が原因で体内に毒素が溜まったのに、洗い流すにも原液を使えとは矛盾している。
この巨体が腹一杯になるほど原液を飲んじまったら、薬師はどうなる?消失しちまうんじゃないか。
嫌だ。
シェンフェンが消失するぐらいだったら、俺が消えてしまったほうがいい。
好奇心で禁忌を犯す愚かな奴など、この世に必要あるまい。
そう思って誰にも迷惑のかからない場所で衛士を待つつもりだったのに、あいつは来てしまった。
あいつの姿を見た途端、俺に残された最後の理性が弾け飛んでしまった。
あぁ、シェンフェン。
どうして、お前は此処へ来てしまったんだ?
俺なんか放っておいて、よかったのに――


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