御堂順の探偵事務所

みどうじゅんの たんていじむしょ

第六話 夜に会いましょう

そして、日は落ちる。
御堂探偵事務所の二人+αは、夜を待っての行動を開始した。


「いいか、出かける前にコイツを渡しておく」
御堂所長に言われて光一と竜二が渡されたのは、小型のイヤホンがついた通信機。
こんなもの、いつの間に買ったんだ?
見覚えのない道具の登場に、秘書兼事務員の光一は頭を悩ませる。
ま、大方、秋葉原の裏通りにあるインチキ臭いショップで買ってきたんだろう。
ポケットサイズの通信機を、それぞれ内ポケットや尻ポケットにしまい込む。
「作戦中は、こいつで連絡を取り合うぞ」
「連絡を取り合うって、バラバラに行動するんスか?」
当然のことを光一が尋ね、当然のように御堂からは小突かれる。
「当ッたりめーだろーが。三人一緒に行動して、何のメリットがあるっつーんだよ?バラバラに忍び込んで最上階にある財布を盗んだら、とっとと、ずらかるぞ」
奪回といえば聞こえはよいが、要は泥棒である。
ヤクザはおろか、警察官にも見つかりたくない。
「いいか、誰かがピンチに陥っても絶対、助けようなんて思うんじゃねーぞ?何があろうと財布が最優先、他の事は考えるんじゃねぇ」
思わぬ言葉に反論しようとした竜二は、ビシッと所長に指を突きつけられる。
「特に竜二!おめーはどうも、ヤクザのくせに親切すぎらァ。俺や光一の事は心配すんな」
そうは言われても、光一の運動音痴は昼間に確認済み。
それに今頃はネガぶん捕りに失敗した子供達も報告しただろうから、御堂所長の件も耳に入っているはずだ。
となれば当然二人ともマークされているわけで、短いつきあいだが光一も御堂も世話になった相手だ。
二人の危機は見過ごせない。
おまけに運動音痴が何を血迷ったか、光一は壁を伝って五階へ行くと言い出した。
「判りやした。しかし光一サンを一人で行動させるのは危険だ。俺と一緒に」
途中で竜二を遮ったのは、当の光一だった。
「竜二は壁を登っていける?いけないだろ」
行けるわけがない。
常人がビルの壁を伝って五階まで登れてしまったら、どんなセキュリティーも無意味になってしまう。
「そういう光一サンだって、登れるんですかィ?」
思わずムッとした調子で竜二が言い返したら、光一には笑顔で頷かれた。
「登れるよ」
あっけらかんとした答えで竜二がポカンとしている間に、御堂所長の準備も整ったようだ。
皮の黒手袋にマスク、ハンチング帽にサングラスと、すっかり怪しい風貌になった所長が場を取り仕切る。
「よし。ンじゃあ、俺は裏口へ回るとすっか。竜二、おめーは何処から入る?」
少し考え、竜二は答えた。
「……非常階段から回りやす」
いざとなったら自分が陽動、或いは囮として時間稼ぎぐらいは、できるかもしれない。
それまでに無謀な光一が壁を滑り落ちて、誰かに見つかったりしませんように。

さて、ビルの近くまでは徒歩で来た三人。
「ここから先には警備員が、いやがるみてーだな?」
御堂はウェストポーチから取り出して、双眼鏡を目に当てる。
暗がりに目を凝らしながら、竜二も前方を睨みつけた。
「恐らくは、例のネガ奪還失敗が伝わったせいでしょうねェ」
時計を見ると、夜の十時をまわっている。
普段なら、とっくに皆、寝入っている時間だ。
だというのに三階と四階の事務室には、煌々と明りが灯っている。
五階もだ。カーテンは閉まっているが、ほんのりと明るく輝いていた。
それに普段、大西建設に警備員は配置されていない。
それが今日に限ってというのは、やはり何かを警戒しての厳重警備に他ならない。
「大河さんは、何処に隠したんだろうね?ネガ……」
もぞもぞと何をやっているのかと思えば、光一は屈伸運動を始めていたようだ。
「さーな。駅のロッカーが妥当なセンじゃねーか?」
所長もサングラスを外し、帽子を目深に、かぶりなおす。
光一が空を見上げた。
「天気は上々、空にはお月様……っと」
言われて竜二も空を見上げると、うっすらと雲がかった中に、ぼんやりと黄色い光が浮かんでいる。
不意にポンと肩を叩かれて振り向くと、真面目な顔の所長と目があう。
「これから起きる出来事は、他言無用で頼む」
「えっ?」
虚を突かれた竜二が何かを尋ねるよりも早く、光一のいた場所から、低く、長い、犬か狼のような遠吠えが聞こえてきた。


ウオォォォォ・・・・・ン


余韻を残して、遠吠えが闇に消えてゆく。
完全に消え去る前までには、光一の体にも変化が起きていた。
服を脱ぎ捨てた彼の上半身を、びっしりと埋め尽くしていくのは茶色の毛。
狼の毛だ。
続いて、ぐぐっと鼻先が前へ迫り上がり、大きく割れた口の中には牙が生え揃う。
腕にも変化が起きていた。
手の甲が、通常の何倍にも膨れあがる。
十本の指に光るのは、鋭利な爪だ。
目の前で起きる異様な光景を凝視したまま、竜二は呆然と佇んだ。
やがて完璧に狼男と化した光一が、大きな溜息を吐く。
「……フゥッ。久しぶりの変身は、疲れるぜェ」
ごそごそとズボンから尻尾を取り出す光一に、すかさず御堂がツッコミを入れる。
「大丈夫か?ブランクありすぎて、壁登りの途中で墜落すんじゃねーぞ」
「馬鹿にするんじゃねェよ」
光一は話し方まで変わっている。
所長が相手だというのに、やけにフランクだ。
「な……っ、何なんだ!」
我に返った竜二が、突然騒ぎ出す。
「何なんだ、あんたは!いや、光一さん、あんたは、そのっ」
「人間じゃねぇのか、ってか?」
言葉尻を御堂が受け継ぎ、ニヤリと微笑んだ。
「人間だよ。れっきとした」
牙を剥きだし光一も笑う。その顔で笑われるのは壮絶だ。
狼男の横で、所長が肩をすくめる。
「なんでか判んねーけど生まれた時から、こうなんだ。俺達は」
「こう……って?」
言われる意味が判らず、オウム返しに尋ねる竜二へ、御堂は重ねて説明した。
「俺達は二人とも、生まれた時から妙な力を持っていてな。けど、普段は他の奴と変わらねぇ」
夜に、なれば。
夜なら負けない。
しつこいぐらい光一が夜に拘っていた理由、今なら判る気がする。
「光一は月が出ている夜なら、狼男に変身できる。そして、俺は……」
「……あの、変な風……ですか?」
つっかえつっかえ尋ねる竜二へ、御堂は頷いた。
「ま、そんなトコだ」
曖昧な答えだ。
まだ他にも何か隠している、と竜二は直感で思ったものの聞くのは躊躇った。
いや、聞く前に光一が割り込んできて、作戦の開始を告げた。
「俺達の素性を詮索すんのは後にしろ。今は財布奪還、それを最優先するんだろうが」
「わ……判りやした。では、お二人とも、お気をつけて」
そろそろと闇の中へ竜二が姿を消す。
「あァ、おめーもな」
竜二を見送った所長と光一も顔を見合わせて頷いた後、それぞれに姿を消した。


非常階段から竜二、裏口からは御堂、そして壁を伝って狼男が登ってくる間――
ビル内でタムロしている社員には、そろそろ油断が生まれようとしていた。
「ホントに来るんかのぉ?」
煙草を揉み消して太い眉毛の男が問えば、戸口付近に立っていた若い奴が応える。
「そりゃあ、来ますでしょうよ。なんでか知らねーが、連中やっきになっていましたから」
彼らが何を待っているのか?
言うまでもなく、御堂所長とゆかいな仲間ご一行を待ち伏せているのである。
写真のネガを取りに行かせた子供達が、夕方頃、這々の体で戻ってきた。
報告によると御堂探偵事務所の所長は、おかしな技を使って彼らを窓から叩きだした。
未成年が相手なら向こうも甘く見てくれると思っていたが、どうやら誤算だったようだ。
二階の窓から子供を放り出すとは、ヤクザばりに容赦のない相手だ。
ならば、こちらも手加減してやる必要など、あるまい。
「あんな写真をねぇ。どうせネガは、向こうが押さえているんだろ?」と、別の男が言う。
戸口の若い衆は首を振って、それにも答えた。
「そりゃあ、依頼だからでしょうよ。終わらせないと金が入らねぇってんでさ」
「貧乏探偵風情が、俺達に牙を剥こうってのか」
目つきの鋭い男がポツリと呟く。
先ほどからカチャカチャと手元で鳴らしているのは、拳銃だ。
まさかビル内でぶっ放すつもりではあるまいが、テーブルには薬莢も転がっている。
「ま、そう簡単には忍び込めませんよ。忍び込んだとしても、俺達でフクロにすればいいんだし」
扉に背をもたれて、若い男は満足そうに頷いた。

――そんな会話を壁越しに聞きながら、光一は、わっせわっせと壁を登っていく。
フン、油断しやがって。今に見ていろよ?
華麗に財布を奪って逃走した時の、奴らの悔しそうな顔を思い浮かべ、光一は悦に入る。
だから、だろうか。油断があったのかもしれない。
不意に真下から眩しいライトで照らされて、ビックリした光一は思わず「うわっ!」と悲鳴をあげた。
あげてから煌々と照らされている自分に気づき、続いて窓から顔を出したヤクザの一人と目があった。
「な…………っ!?」
自分の目で捉えた物体が信じられないのか、男は目をまん丸くして光一を凝視している。
ごしごしと瞼を二、三度こすり、もう一度食い入るように狼男を眺めて、ようやく引きつった大声をあげた。
「お、おいっ!窓の外、変な生き物が、うがぁッ!」
言いかける途中で、男は蹴り飛ばされた勢いで部屋の中へ戻り、背中からひっくり返る。
続けて男を蹴り飛ばした光一が悠々と窓から入り込んでくるもんだから、部屋中が騒然とした。
「な、なんだッ、テメェは!妙なカブリモンしやがって!!」
手前の男は目つきこそ鋭いものの、拳銃を握った手がブルブル震えている。
戸口でウトウト居眠りを始めていた若い男も、パッチリ目が覚めてしまった。
「かっ、かぶり物……なんすかねぇ?ありゃあっ」
「知るかボケェ、そんなことより侵入者だ、侵入者!」
年配の男は、さすが年の功。落ち着いている。
落ち着いて懐からドスを取り出すと、水平に構えた。
動揺していた連中も彼の一言で我に返ったか、狼男を包囲する。
ぐるり一周ガラの悪い男達に取り囲まれた光一は、牙の並んだ口元を歪めてニヤリと笑った。
「俺が作り物かどうかは、その身体で、たっぷりと確かめるんだな」
「うっ、撃てェッ!!」
誰かの号令で、拳銃を構えた何人かが一斉に発砲する。
しかし一つとして弾は当たらず、壁に無惨な穴を空けただけだ。
ひらりと天井に舞った狼男は音もなく包囲網の背後へ回ると、たまたま側にいた男へ爪を振り降ろす。
「ぎゃあッ!!」
飛び散る血、男の悲鳴。
そいつをきっかけに、誰も彼もが狼男へ突進する。
事務室三階は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄図と化した。

図らずも、三階のヤクザを光一が一手に引き受けてくれたおかげだろうか。
裏口から侵入した御堂は誰に見つかる事もなく、四階への階段へ足をかけた。
ここまで誰にも見つからずに来られたのはラッキーだった。
だが幸運ってのは長続きしないもので、四階へ到着する前に所長は足止めをくらう。
階段の踊り場で、待ち構えている人影があったのだ。
「御堂ってのは、アンタかい?」
男に問われ、所長が鼻で笑う。
「そうかと聞かれて、誰が素直に答えるかよ。俺は御堂じゃねぇ、妻賀光一だ」
この期に及んで光一の名を騙るとは、ふてぇ所長である。
男もフッと鼻で笑い、手にした木刀を構え直す。
「違うだろ。妻賀光一ってのは、竜二さんと一緒にいたボンクラだ」
「なぁーんだよォ。判ってんなら、わざわざ聞くない」
減らず口を叩き、御堂も身構える。
こちらに武器はない、素手だ。
「竜二さんは、どうした?一緒に来なかったのか」
油断なく身構えた男が尋ねてくる。
御堂も用心深く構えながら憎まれ口を返した。
「竜二さん竜二さんって、ずいぶん馴れ馴れしい呼び方じゃねーか。あいつはアレだろ、ボスのコレなんだろ?」
コレと小指を立てる御堂をジロリと睨み、男が口調を乱す。
「そんなんじゃねェや。竜二さんは、うちの懐刀だ。ま、ワケあって部屋に閉じこめていたんだけどよ」
「フーン。懐刀を部屋に囲っておく理由ってな、なんだ?」
御堂の問いには答えず、男が摺り足で階段を、ゆっくり降りてくる。
「あんたに教える筋合いは、ねぇよ。一緒じゃねぇんなら、居場所を吐かせるまでだ」
さすが一人で待ち構えていただけあって、男には一分の隙もない。
突風で吹き飛ばすにしても、相手のほうが高い位置にいる。
……やりにくい。
階段で登ってきた事を、今さらながらに所長は後悔した。
男が一気に間合いを詰めてきた時がチャンスなのだが、一気に詰めるつもりもないらしい。
ジリジリと気の長くなるようなスピードの摺り足で、階段をゆっくり降りてくる。
恐らくは、木刀の届く範囲になってから襲いかかるつもりだろう。
範囲ギリギリで吹き飛ばす事ができれば、こっちの勝ちだ。
「どうして、竜二を捜しているんだ?……いや、どうして今になって探し始めたんだ?」
それと判らぬよう腕に力を溜めながら、尚も御堂は尋ねる。
まだ、奴を吹き飛ばせるほどのパワーが溜まっていない。時間を稼ぎたい。
「ずっと探していたんだよ。ただ、見つけられなかった。それだけの話さ」
今度は男も素直に答え、一旦、足を止めた。
用心しているのか?
すぐに飛びかからないとは、その辺のチンピラと違って、相当な腕前と思った方がいいようだ。
「ガキ共から話は聞いている。あんた、妙な力を使うそうだな?」
男の問いに「まーな」と頷き、御堂が尋ね返す。
「あんた、名前は?」
「俺の名前を聞いてどうするつもりだ」
凄みを浮かべ、質問に質問で返す男へ、御堂は微笑んだ。
「なぁに、ちったぁデキるみたいなんでね。参考までに聞いておこうと思っただけだ」
「ちったぁ、か……」
男が苦笑し、さらに一段下へ、にじり寄る。
「……素人が、ナメるなァッ!」

――来た!

男の木刀が伸びて、御堂の喉を突く――
突いた本人が勝利を確信した瞬間、風下から突風が吹き荒れる。
一転、二転、三、四回以上は、床と天井に叩きつけられただろうか。
御堂の居る場所より下、つまりは二階まで転がり落ちた男が、下の踊り場でキュウッと気絶するのを見下ろして。
「だから、先に名乗っておきゃ〜良かったんだ。そうすりゃ、俺の心の中で伝説になったかもしんねぇのにナ」
御堂所長は小さく溜息をつき、四階へと登っていった。