御堂順の探偵事務所

みどうじゅんの たんていじむしょ

第五話 探偵らしく、いこう!

西新宿方面へ広がるビル街の一角に、大西建設の構える事務所はあった。
――というのは、どうあっても口を割らぬ竜二に代わって光一が携帯電話の地図ナビで調べた結果だ。
いくら御堂所長といえど真っ向からヤクザの事務所に乗り込むほど愚かではない。
「まずは下調べと行くかァ。あァ、成実、お前は竜二と一緒に此処へ残れよ?」
「当たり前よ。頼まれたって一緒に行くもんですか」と、この時ばかりは成実も聞き分けがよい。
「取り返すのは財布だけでいいんですかね?」とは、光一。
御堂は、ちらと竜二を一瞥してから答える。
「どうせ向こうだって、ネガがあるのは判ってんだろ。なら写真の一枚や二枚、取り戻したところで意味がねェ」
「御堂さん」と竜二が何か言いかけるのも遮って、殊更大きな声で所長は言った。
「情報収集は朝、偵察は昼。乗り込むのは夜を待ってからだ。いいな?光一」
「オッケェ〜」
全く緊張感のない返事をして、光一がバシッと両拳を併せる。
「へへ、夜なら負けないもんね!」
「夜に?夜になると、何かあるわけ?」
キョトンとしているのは成実だけではない。竜二もだ。
光一の弱さは、この間の一戦で、いやというほど目撃している。
彼も留守番させた方が無難ではないのか?
だが、そうなると突撃するのは御堂所長一人になってしまう。
やはり自分もつれていくべきだと竜二が再度主張しようと腰を浮かしかけた時、事務所のチャイムが派手に何度も連打された。
「――なんだァ?うっせーな、どこのガキだ一体。おい成実、出てくれや」
「はーい、はいはい」
チャイムの数だけ返事して、面倒くさそうに扉を開けた途端、「キャッ!」と叫んだ成実は突き飛ばされて、涙が出るほどお尻を打ってしまった。
ぞろぞろと入ってきたのは高校生ぐらいだろうか?
成実と大差ない年頃の男の子達が、ぞろぞろ入ってきたかと思うと、入口を塞ぐ形で整列した。
「なんだ?てめーらは」
御堂の問いに、一番目立つ風貌の少年が答える。
髪の毛に赤や緑のメッシュを入れた少年だ。
「オジサンさァー、ネガ預かってるよね?」
挨拶も抜きに開口一番、用件のみのご来訪か。
誰の差し金か一目瞭然、判りやすい事この上ない。
「ネガァ?知らねーな」
そう言ってやると、メッシュの少年はニヤニヤ笑いで黙り込み、別の少年が吠えた。
「ふッざッけンなよ!あのオヤジが、そー言ってたんだよ!!テメェにネガを預けたってよォ!」
「あのオヤジって?」
ひそひそ声で尋ねる成実へは、光一がやはりヒソヒソと答えた。
「多分、大河さんじゃない?」
依頼主の大河次郎さんは、先ほど家に帰らせたばかりだ。
十分と経たずにヤクザの手先に襲撃され、おまけに写真のネガについても白状させられるとは侮れない。
ちなみに写真のネガなど、御堂は受け取っていない。
何処に隠したか、どうやら大河宅を襲撃した三下には見つけられなかったようである。
「オジサンさァー」
メッシュの少年が口を開く。
耳に触る独特のイントネーションで御堂を呼ぶと、成実を一瞥してニヤリと口の端を曲げた。
「あんま意地張ってっと、後悔するかもよ?」
「なんだ?事務所に放火でもしようってのか」
所長は落ち着いており、微塵も狼狽えた様子は伺えない。
代わりに狼狽えたのは光一で、成実を庇う位置に飛び出してくると、シュッシュと拳を突き出して威嚇した。
「や、やろうってのか?やるなら相手になるぞ、夜になってからだけど!」
「夜まで待つつもりはねェよ」
今度はドアを背にした別の少年が吐き捨てて、一歩前に出る。
「オラ、さっさとネガよこせ。それさえ出せば、何もしねーよ」
差し出された手を、勢いよくベシッと叩いて御堂は答えた。
「お帰りはアチラ」
窓を指さしながら。
「……てンめェェーッ!」
カッとなったか、メッシュ少年の隣に立っていた吊り目の少年が殴りかかってくる。
だが振り下ろした拳が所長を吹っ飛ばすと思いきや、思いっきり吹っ飛んだのは少年のほう。
ごうっと突風に吹き付けられた瞬間、後は天井に一回、床に一回。
計二回叩きつけられて、かわいそうに吊り目少年はキュウッと伸びてしまった。
成実と竜二は勿論のこと、少年達にも何が起こったのか把握できない。
光一と御堂以外の全員がポカーンと佇んでしまう。
彼らに判ったのは、御堂所長が両手を振り回した直後、事務所の中に春一番が吹き荒れて、中の物が散乱したという状況だけであった。
「ちょ、ちょっと所長!部屋の中で使うのは厳禁っつったでしょぉが!」
喚いているのは光一だ。
与り知らぬといった涼しい顔で御堂が答えた。
「時と場合によらァな。俺の非常事態じゃ仕方ねーだろ」
「て、てめェッ、何しやがったァ!?」
我に返って吠える少年達を横目に、呆然としたままの成実と竜二へ御堂は呼びかける。
「オイ竜二、ここもヤバくなってきたみてーだな。全員で調査に繰り出すぞ、出かける用意をしろ」
「は……ハイッ」
まず竜二が我に返り、続いて成実が尋ねた。
「いいの?トバッち外に出しちゃって」
「ココを燃やされたり、俺の知らねーうちに拉致られるぐれぇだったら、一緒に連れてったほうがマシだろが」
顎髭をさする御堂の背後から、少年達が襲いかかる。
「死ねェェッッ!!」
だが所長と来たらマイペースそのもので、ニヤリと笑うと振り向いて窓を指さした。
「お帰りはアチラだと、言っただろ?」
再び春一番が事務所の中を駆け抜けて、今度こそ少年達は窓から風で追い出された。
次々に物の落下する音をBGMに、御堂所長が号令をかける。
「……さ、出かけんぞ。夜通しの強硬捜査になっから、一応厚着していけよ」
さっさと出ていく所長の背中を見送って、光一が一人、ブツブツとぼやいた。
「いいけど……これ、後で片付けるの、絶対俺の役目だよな……あ〜ぁ」
部屋中に散乱した書類。
吹っ飛んだ拍子で、床にぶちまけられたインクの海。
本棚も、本来収まっていたはずの本が一冊残らず床に落ちている。
どう考えても、掃除するだけで一日以上の時間を取られるだろう。
御堂所長の秘書も楽ではない。


朝に聞き込み、などと悠長な事も言っていられなくなった一行は、さっそく外に出た足で調査を開始する。
と言っても、調査することは殆どない。
場所は地図ナビで検索済みだし、ビルの内部構造については竜二が詳しく話してくれた。
五階建てのビルは丸ごと暴力団貸し切りとなっており、一階に受付、二階から四階が事務室。
五階が社長室ということになっている。
「ヤクザのくせに事務室かよ。事務ったって、何やってるんだ?」
御堂の問いに、竜二が答えた。
「くせにってな、酷ェですね。今日日ヤクザだって事務ワークぐらい、やりますよ」
表向きは建設会社だが、裏に回ればヤクザ家業の大西建設の主な仕事は、情報収集だという。
パソコンや携帯電話で調べた情報を元に、別の会社へ若手組員を送り込み、内情を偵察する。
そして弱味を掴んだら一転して、交渉を持ちかけるのだ。
恐喝と言い換えてもいい。
こうしたヤクザを、一般には経済ヤクザと呼んでいる。
急激に近代化した今の時代、ヤクザも切った張ったでは生き抜けなくなってしまったのかもしれない。
とにかく自称事務室の中には手下が常時ゴロゴロ居座っていて、見つかったら最後だと竜二は言う。
しかも一階から五階へ直接通じるエレベーターがない。
五階へ行くには必ず四階へ一旦下りて、そこから五階へ繋がるエレベーターに乗り換えなくてはいけない。
「なんだ、親分っつっても案外臆病なんだな?」
御堂のぼやきに、些かムッとした竜二が言い返す。
「臆病なんじゃない、用心深いってんです」
竜二が監禁、というか隔離されていた部屋も五階にある。
普通の会社で言うところの秘書室に値する部屋で、社長室の隣にあった。
竜二の話によれば、秘書室にはベッドもあって、よく大西が泊まりに来ていたらしい。
それを聞いた途端ニマニマ笑いの止まらなくなった所長の事など、ひとまず置いといて、町中での井戸端会議は目立ってしょうがないので、一旦スタバに落ち着いた。

奥の喫煙席に陣取った竜二と光一、それから成実は額を付き合わせて相談する。
「やっぱ一番の問題は、どうやってビルの中に入るか……よね」
「俺が戻ったって言やぁ、直通で五階まで通れるんですがねェ」
「竜二だけ、だろ?俺達も一緒に行かなきゃ、財布を取り戻せないぜ」
「俺も一応、財布のガラは覚えておりやすが」
竜二の提案に、成実と光一は揃って「だめだめ」と駄目出しする。
「そりゃあさ、竜二の頼みなら社長も聞いてくれるだろうけど……」
「その代わり一度戻ったら、二度と外に出して貰えなくなるんじゃない?」
「むぅ」と呻って竜二は黙り込み、代わりに所長が割り込んできた。
「竜二が使えねぇとなれば、やっぱ予定通り、夜に忍び込むっきゃねーな」
「忍び込むって、それこそ、どうやって?」
声を張り上げたのは成実だけで、光一と竜二は、それぞれに頷く。
「壁を伝っていくんですね!任せてよ」
キラキラした目で光一が叫び、隣では竜二が「夜なら警備も手薄ですぜ」と小さく応えた。
いや、応えてから、呆れかえった顔で光一へ振り向き「壁を伝う?正気ですかィ」と尋ねてよこした。
だが光一は正気も正気、大真面目で頷き返す。
「そうだけど。あれ?じゃあ、竜二は真正面から入るつもりだったの」
御堂所長は光一に突っ込むでもなく、さっさと纏めに入る。
「ま、真正面だろうと壁伝いだろうと、要は五階へ無事に到着できりゃーいいんだ」
「ね、ねぇ、あたしは?あたしも一緒に忍び込むの?」
成実の問いに所長は「う〜ん」と顎髭を弄っていたが、すぐに答えが出たのか光一を振り仰いだ。
「いや、成実はヤベェだろ。何かあったら、家族への説明も困るしよ」
「だね。成実、お前は家に帰るんだ」
恋人の笑顔に、成実も満面の笑顔で頷いた。
「良かったぁ〜。一緒に来いって言われたら、どうしようかと思っちゃった!」
心底、行きたくなかったものらしい。
そう言われると、つい意地悪になってしまいたくなるが、御堂はグッと良識で堪えた。
なんといっても成実は、まだ高校生。
未成年にヤクザの相手は、きつすぎる。
それに元々、財布は御堂と光一の二人で取り戻すつもりだったのだ。
竜二というオマケがついてしまったのはアクシデントだが、今さら四の五の言っても仕方がない。
「よし、じゃあ、その辺のホテルにでもシケこんで、夜を待つぞ!」
グダグダな作戦会議を、とっと打ち切って立ち上がる所長を呼び止めたのは竜二だ。
「夜を待つのは構いやせんが、作戦会議はコレで終わりですかィ?もっと念入りに決めた方がいいんじゃあ……」
そこへ光一が笑顔で割って入る。
「あ、いいの、いいの」
「いや、いいのって」
困惑の竜二を「いいんじゃないの?」と成実も突き放し、ボソッと一言付け加えた。
「どうせ念入りに決めても、作戦通りに進んだ事なんて、一度もないんだから……」


何はともあれ。
ビル街付近のラブホテル、もとい、安ホテルに身を隠した男三人は、夜を待って堂々の潜入を開始する。
一体、どの辺が『探偵らしく』なのか?
そういうことを突っ込まないのが、優しい大人というものである。