第四話 とんだトラブル、スキャンダル
「じゃあ、さっそくだけど、おおに――げべぶっ!」空いている席に腰掛け、しゃべり始めた光一の後頭部を鞄で殴りつけて。
「おぅ、成実。テキトーに好きなモンを見繕ってこい」
財布から三千円取り出した御堂は、光一の真正面に腰掛けると竜二も座れと促した。
「とにかく、どこで誰が聞いているか判んねーからな?やべぇキーワードは全部伏せてしゃべるようにしろよ」
「判りやした」
竜二も神妙に頷き、所長の隣へ腰を下ろす。
「……で?その、建設会社への道だがよ。ココに簡単な地図を描いてくれや」
差し出された手帳、及び鉛筆を丁重に断ると、竜二が真っ向から所長を見据える。
「いや、地図を描かずとも、俺が直接案内をすればいいだけの話でしょう」
手帳と鉛筆を突っ返されて、御堂は渋い顔になる。
なんて頑固な奴だ。
地図さえ教えてくれれば、後は御堂と光一の二人だけで何とかなろうものを。
竜二がヤクザなのは物腰や外見から、それとなく予想がついていた。
この辺で派手にやっている組の名も、探偵という職業で培った情報から大体察しがつく。
しかし怪我が治った後も、竜二は一向に出ていく気配がなかった。
きっと、戻りたくない事情があるのだろう。
そう考え、気を利かせてやっているというのに。
「だァから、そいつは結構だっつってんだよ。おめーだってヤバイんだろ?あいつらと会うのは」
「やばいってんじゃないんですよ……ただ、待っているんです」
「待ってる?って、誰を?」
殴られた頭をさすりながら、光一が顔を上げる。
視線を窓へ逃がして、竜二は答えた。
「一番上の……トップでさァ」
「なるほど、トップね」
頷いてみせたものの、よく判っていなかったのか、こっそり光一は御堂へ尋ねる。
「って、誰のこと?」
そこへトレイを持った成実が現われ、次々と皆の前に珈琲やらハンバーガーを置きながら話に加わった。
「バカね光一、トップって言ったら会社の社長に決まってるじゃない。そうでしょ?トバッち」
成実へ頷く竜二を横目に、御堂が、これ見よがしな溜息をつく。
「ハン、つまり竜二様としては、下っ端社員が迎えに来るんじゃなくトップ自らが迎えに来なきゃ戻りたくねぇってわけだ?」
皮肉を叩きながら、しかしとも御堂は考える。
親分直々が迎えに来いたぁ、この立場竜二という男。
改めて考えるに、何者だ?
ただのチンピラ三下風情と侮っていたが、実は大物だったのかもしれない。
御堂の皮肉に苦笑して、竜二も言い返す。
「そうは言ってません。ただ、あの人にとって俺は、どれだけの存在だったのか……そいつを知りたいだけでさァ」
「どれだけの?」
光一と成実がハモり、「えぇ」と視線を戻して珈琲を一口すすり、竜二は頷いた。
「俺は、あの人にとって何なのか……」
「部下、だろ?」
当たり前の事を御堂が言い、成実には窘められる。
「そうじゃないでしょ、ショチョー。判ってないんだなぁ、トバッちの微妙な男心を!」
判ったような物知り顔で女子高生に見下されては、御堂だって気分のいい物ではない。
眉間に露骨な縦皺を寄せると、一気に吐き捨てた。
「オトコゴコロだぁ〜?なんだそりゃ、キッショイ言い方しやがって。乙女心の男版か?」
「似たようなもんよ」と成実は頷き、竜二へ視線を定めた。
「要するにィ、トバッちは知りたいんでしょ?おやぶ……社長が、どれだけ自分のことを大切に思ってくれてんのか!」
「ま、似たようなモンです」
成実の口真似で返すと、残りの珈琲を一気に煽り、竜二が肩をすくめる。
「おめー、社長の何なんだ?片腕ってやつか」
尋ねる所長からは目線を逸らし、竜二は手の中のカップへ視線を落とした。
「片腕と言っていいのか……俺ァ、囲われモンってやつでしてね」
「かこわれ……」「モン?」
成実と光一が同時に互いを見合わせ、所長はというと、しばしポカーンと大口を開けていたが、やがて「なんてこった!」と、いきなり大声をあげたかと思えば、勢いよく自分の膝を叩いた。
「おめぇ、社長の愛人だったのかよ!?」
御堂の派手なリアクション&大声には、光一達のほうがビビッてしまい。
「ちょ、所長!声デカイって!誰かに聞かれたら、どうすんの!?」
「やばい会話は伏せろっつったの、誰よ?」
キョロキョロと光一が辺りを見渡す間に、成実は所長の口の中へバーガーを押し込んだ。
「んごッ!」とバーガーを喉に詰まらせる所長を横目に、再び竜二が苦笑する。
「愛人じゃァ、ありやせんよ」
全く、何を言い出すかと思えば、とんでもない方向に飛んだものだ。
竜二は手にしたカップを、くしゃりと握りつぶし、ゴミ箱へ放り投げる。
カップは狙い違わずゴミ箱にストライク。
その結末など見もせずに、彼は話を続けた。
「ただ、部屋からは一歩も出して貰えなかった。そんだけの話です」
「え?それって……」
キョロキョロしていた光一が身を屈め、ついでに声も小ボリュームで聞き返す。
「監禁ってやつ?」
即座に「違います」と竜二は否定し、しばし考える素振りを見せていたのだが、やがて「どういやァ、いいんですかねェ……」と小さく呟くと、天井を仰いだ。
「監禁っていうよりは、そうですね、愛玩……とでもいったほうが伝わりやすいでしょうか?」
「愛玩だとォ!」
真っ先に反応したのは所長で、口の中にバーガーを詰めたまま大声で喚き出す。
「やっぱ、おめぇ社長の愛人だったんじゃ、アッチャッチャッ!!」
直後、成実に珈琲を口の中へ注がれて悲鳴をあげるハメに。
代わりに光一が尋ね返した。
「可愛がられていたってこと?」
「そうです」
嬉しそうに竜二は頷き、どこか遠い目で店の入口を見つめた。
「とても可愛がってくれた。出先から帰ってくると、いつも真っ先に俺へ会いに来てくれて、その日にあったことを全て話してくれた……だが」
心なしか声のトーンが落ちたような気がして、光一、そして水をがぶ飲みしていた所長も彼に注目する。
「俺は、一緒に行きたかった。あの人の役に立ちたかったんだ。なにより、一日中部屋にいたんじゃ、何の為に移ったんだか判りゃしない」
最後のほうは独り言だったのか三人には全く意味が判らなかったけれど、初めて聞く竜二の本音に成実が潤んだ瞳で応えた。
「そう……だから、社長さんに直接迎えに来て欲しいのね?愛情が本物かどうか、確かめる為にも」
「はい」
鬱憤を吐き出して、すっきりしたのか先ほどよりは晴れた顔の竜二が頷き席を立つ。
「……そろそろ、戻っても大丈夫でしょう」
壁に掛かった時計を一瞥し、光一も立ち上がる。
「そうだね」
戸口に向かいかけた三人を呼び止めたのは、所長の一言だ。
「いや、戻る前に、もう一丁やっとくことがある」
成実が振り向き、怪訝に尋ねる。
「やっとくことって、何?」
「依頼人の再調査だ」とだけ言い残し、所長が、とっとと戸口へ向かうもんだから。
他の三人は首を傾げつつも、大人しく後に従ったのであった。
数分後の御堂探偵事務所には、依頼人である大河次郎が呼び出されていた。
「探偵さん、私の財布は――」
やってくるなり急かしてくる相手をマァマァと宥めてソファーに座らせると、御堂は真向かいに腰掛けて彼の顔を覗き込んだ。
「ちょいと、おかしなことになりましてねェ……」
「お、おかしなこと?」
オカシイといえば、この依頼人の態度も先ほどから、ずっとおかしいことに光一は気がついた。
落ち着きがないのだ。
大河は忙しなく左右に視線を走らせ、手に持つカップも小刻みに震えている。
いくらヤクザに財布を取られたと言っても、所詮は財布。
八万円が全財産というわけでもなかろう、そこまで落ち着きをなくす理由が判らない。
恐らく、財布には現金やカード以外の大切な何か――
それも他人に見られて困るものが入っていた、と考えるのが妥当だ。
「もう一度お聞きしますがね、あんたの財布の中身。ありゃあ、一体何が入ってたんです?」
「ですから!八万とカードの類だと言ったじゃないですかッ」
依頼人の激しい剣幕を軽くスルーし、不意に所長が声のトーンをあげる。
「そういやぁね、追跡した先で妙な話を聞きましたよ。あぁ、財布を取った犯人が言ってたんです」
「追跡できたんですか、犯人を!?」
思わず腰を浮かしかけた大河を、なおも落ち着けと宥めて腰掛けさせて、話を続けた。
「あんたから取った財布の中にね、面白いものが入ってたって」
一旦言葉を切ってジロリと御堂が睨み付けると、大河は体を震わせ視線を逸らす。
「……何なんです?財布の中には、一体何が入っていたっていうんです」
返事がない。
だが追及しようと所長が息を吸い込んだ瞬間、視線を逸らしたまま、依頼人は怒鳴った。
「あなたには関係ないモノです!それより、犯人を見つけたのなら、何で財布を取り戻してくれなかったんですか!?」
頑なに視線を合わせようとしない依頼人に溜息をつき、御堂が話を締めくくる。
「奴は、財布ごと親分に渡したと言っていましたよ。相当面白いモンが入っていたようですね。ヤクザにとって面白いもの……さて、俺にゃあ、とんと見当もつかないが……」
すると大河は見る見るうちに青ざめて、自分の頭を抱え込む。
「あっ……あぁっ!そんな、あれが大西の手に渡ったなんて……」
かと思えば顔をあげ、御堂に掴みかかってきた。
「たっ、助けて下さい!あれが、あれを奴に見られたんじゃ、俺は殺される!」
「まァまァ」
再三彼を落ち着かせようと、御堂が宥める。
「あれってなァ、何ですかィ?最初っから筋道立てて説明してもらわにゃあ、俺達にだって何とも出来ませんぜ」
「じ、実は……」
成実に支えられながら涙目で大河が言うことにゃ、財布の中に入っていたのは現金とカードの他に、もう一つあった。
いや、一枚――とでも言うべきか。
一枚の写真である。
それも、隠し撮りだ。写っていたのは男女の一組。
ラブホテルの裏口から出ていくところを、激写されている。
男は大西敬司。
大西建設の代表取締役……とは表向きの顔で、裏の顔は大西組の組長だ。
お相手は、キム・ヤンス。
今をときめく韓国の大物スター、本格派女優とマスコミに持ち上げられている。
大河は週刊誌に売るつもりで撮ったのだという。
彼らと遭遇したのは、ほんの偶然だった。
偶然を生かそうと思いついたのは、手持ちの金が少々寂しくなっていたから。
それだけの理由だ。
大西組に因縁や恨みがあったとか、そういう訳ではない。
「大西さんが、女優と……?」
小首を傾げる竜二は放ったらかしに、御堂は光一と頷いてみせる。
「それで、ヤクザも気が変わって親分に財布を届けたってェわけですな」
「や、奴らは何と言っていましたか、他に?」
脅える大河に「いや」と首を振り、御堂は顎髭へ手をやった。
他にも何も実際に話を聞いたのは竜二だから、彼に判るのは、そこまでだ。
ともあれ危険な写真を持っていた大河には、何らかのコンタクトがあると見て間違いない。
大河を囮に使う、それも考えた。
しかし彼は依頼主である。何かがあっては困る。
やはり、ここは自分達が取り戻しに出向くしかなさそうだ。
「やれやれ、肉体労働は趣味じゃねぇんだがなぁ」
耳を疑う所長の呟きを何を言わんやとばかりに見つめる光一へ、成実が囁いた。
「所長は本気で、ヤクザの事務所に乗り込むつもりなのかしら?」
「……かもね」
成実に答えながら、光一の目線は所長を飛び越え、竜二へ向かう。
気になる言葉を聞いたので、率直に尋ねた。
「ねぇ、竜二。竜二は、どう思う?『韓国女優、裏で黒い繋がり――!』」
指で四角を作ってポーズを取る光一をポカンとした様子で眺めた後、ようやく竜二が尋ね返す。
「何の話ですかィ?」
「や、さっきの写真だけど。竜二的に見て、週刊誌のネタとして売れると思う?」
「さァ……どうですかねェ……」
煮え切らない竜二の答えに、今度は大河がくってかかる。
「どうしてですか?今をときめく大女優に、黒いヤクザが関係しているんですよ?普通は裏金やら何やらを予想するじゃ、ありませんか!」
「大西さんは黒くありやせん」
キッパリ言い返すと、竜二は大河を睨みつけた。
「あの人は、最後の任侠ヤクザなんだ。何も知らねェあんたに悪く言われる筋合いはねェぜ」
なんて目つきも悪く凄まれた日にゃあ、ごく普通の一般人である大河を震え上がらせるなど訳もない。
「ま、ま、まぁ、竜二、怒らないで」
慌てて止めに入る光一は、後ろからムンズとシャツを掴まれる。
振り向けば脅えた大河と目があい、震え声で尋ねられた。
「こ、この人、一体、何なんですか?どうしてヤクザの肩を持つんです」
「あー、そりゃあ」と答えたのは、光一ではなく御堂所長で。
「そいつ、大西建設の社員なんです。親分に可愛がられているってんで、親分の肩を持ってるんです。すいませんねェ、後でよぅく言って聞かせときますよ」
あっさり言うもんだから、大河を余計震え上がらせたのは言うまでもない。