御堂順の探偵事務所

みどうじゅんの たんていじむしょ

第三話 宝の中身

あれだけ威勢の良い啖呵を切れば、普通は腕に覚えがあるものと考える。
だから実際に喧嘩が始まった時、あまりにも弱い光一には、その場にいた全員が驚かされたのだった。

「ヘヤァッ!」
かけ声と共に風を切って接近する木刀を光一は格好良くかわそうとして、モロに顔面で受け止める。
「ぎゃふっ!」
これには殴った相手のほうが驚いてしまい、一瞬、追い打ちの手が遅れた。
合間を狙って割り込んできた竜二に殴られ、男は後退する。
「大丈夫ですかィ、光一さん!?」
振り返りもせずに竜二が尋ねる。
もし振り返っていたら鼻血を濁流させた光一を見るハメになっていたわけだが、見なかったのは幸いか。
流れる鼻血もそのままに、光一は首を傾げている。
「あっれ〜?おかしいなぁ、サッとかわすはずが……」
何かブツブツ言っている光一の背後から、今度は二人の男が襲いかかる。
二人とも、手に持っているのは鉄パイプだ。
あんなもので後頭部をガツンとやられたら、病院行きは免れない。
言っている側からも、ひゅっと鉄パイプが二本、振り下ろされてくる。
「てやんで〜、こんなもんはパシッとぉ!」
振り向いた光一、何をするのかと思いきや、鉄パイプに向かって腕を差し出す。
そんな真似をすれば当然、ボキッと嫌な音がして、次の瞬間には光一の腕がプランと垂れ下がった。
「……あれっ?」
だが、痛くないのかニブチンなのか。
腕が折れた当の本人は、ぽけっと首を傾げている。
プランプランした腕を振り回す彼を見て、殴りかかった方がブチキレた。
「あれっじゃねぇよ、このヤロウ!」
「げふっ!」
胴体、足、背中と次々に叩かれ、さすがのニブチン光一も、体をくの字に折り曲げる。
「やめねェかッ」と竜二が止めに入る頃には、散々な体たらくで。
光一は、ぐったりした様子で道路に転がっていた。
顔面は大出血。手足も恐らく一本か二本、折れていても、おかしくない。
流れる血は、ほとんどが鼻血だろうが、それにしたって酷いものだ。
イケメンが台無しである。
「……どうして、ド素人相手に此処までやる必要があった?」
竜二がギロリと睨みつけると、光一を殴っていた一人が鉄パイプを放り投げて言い訳する。
「素人が俺らに喧嘩を売ってきたりするから、いけねェんですよ」
「お前らのおつかいは、俺を見つけ出して連れ戻す事だろ?この人は関係なかったはずだ」
尚も言いつのる竜二に肩をすくめ、彼らは言った。
「あんたが素直に戻ってくれりゃ〜、こんな奴を痛めつけずに済んだんです」
忌々しげにヤクザどもを睨んだ後、横目で光一を見守りながら竜二は更に尋ねる。
「財布がどうのと光一さんが言っていたようだが……何の話だ?」
「あァ、それですかい。――おい、次郎!」と呼ばれて、ひょこひょこ前に出てきたのは、革ジャンにアロハシャツという出で立ちの下っ端だった。
「次郎、お前……」
すぐに竜二は気がついた。
そういや、こいつはオッさんから財布を取り上げていたじゃないか。
それを光一が探しに来たとしたら?
きっと、あの時の被害者は、御堂探偵事務所に泣きついたのだ。
財布を取り返してくれ、と。
なんてこった。
あの時、竜二が彼を助けておけば、光一がボロ雑巾にされることもなかっただろう。
「へへ……」
情けなく笑った次郎が言うには、財布は既に組長の元へ届けられてしまったらしい。
「あんたを探す費用の足しにしようと思ったら、意外なものが入っていやしてね」
「意外なもの?」
もっと詳しく聞きたかったのだが、別の男が会話を遮ってきた。
「戻ってきてくれますよね?」
念を押されて竜二は、もう一回、光一を見やる。
彼はピクリとも動かない。
腫れた顔と、折れた腕が痛々しい。
「いいだろう。だが、彼には二度と手を出さないと誓ってもらおうか」
「あんたさえ戻ってくれりゃ〜、俺達はカタギの者に手を出しませんよ」
男は大袈裟に肩をすくめ、だが、こうも付け足した。
「……ただし向こうから喧嘩を売られない限りは、ですがね」
ポンと気安く肩に置かれた手を乱暴に振り払い、竜二が歩き出す。
少し遅れて、他のヤクザ達も歩き始めた時――
「あ、あっちです!あっちでヤクザが大喧嘩を!!」
甲高い女の子の叫び声と一緒に、こちらへ向かって走ってくる人影が見えるではないか。
背中は袋小路。
通路の入口を塞がれてしまっては、逃げ出す暇もなくなってしまう。
「いけねェ!このままじゃ大事になって、サツを呼ばれちまう」
「竜二サン、急いで此処を離れやしょう!」などと口々に騒ぎたてながら我先にと逃げていく彼らを目だけで追いかけて、一緒に逃げるでもなく竜二はポツンと一人、光一の元に残った。
叫んだ声には聞き覚えがあった。あの声は間違いない。
ややあって、コート姿の男性と一緒に駆け込んできた女学生へ竜二は微笑みかける。
「助かりやした、成実の姐さん。でも、どうして、ここが判ったんでさァ?」
乱れた呼吸をゼェゼェと肩で息して整えながら、彼女が答えた。
「近くの人に聞いたのよ。ヤクザが大勢、あんたと追っかけっこしてたって目撃情報を」

――そもそも光一と、はぐれた後。
御堂所長と成実が何をしていたのかというと、少し時間を戻してみることにしよう。
「あのヤロウ、どこまで走っていったか判るか?成実」
なんて聞かれても、判るわけない。
むしろ、成実のほうこそ聞き返したい。
「そんなの、判るわけないでしょ。それよか、地道に聞き込みした方が早いって」
今時かつあげをする奴は滅多にいないのだから、必ず目撃者がいるはずだ。
時間を絞って近所の人に徹底聞き込みをしたら、どうよという提案を受け、所長も渋々承諾する。
「足を棒にして聞き込み調査なんざァ、俺の主義じゃねーんだがなァ」
ぼやく所長をチラリと見やり、成実が溜息をつく。
「とても探偵の台詞とは思えないわね。安楽椅子探偵でも気取ってんの?」
「なんだ、安楽椅子って。電気椅子の親戚か?」
素っ頓狂な御堂に「違うわよ」と、再び成実は溜息。
「捜査しないで頭で解決する探偵のコトをアームチェア・ディテクティブ、安楽椅子探偵って呼ぶの」
「なんだ、横着モンだな、その探偵は!」
ガハハと笑い飛ばし、かと思えば急に真面目になって、御堂は自分を指し示す。
「俺は違うぜ?俺は直感で勝負する探偵だ」
「じゃあ」
成実は思案を巡らせて、ポツリと呟いた。
「さしずめ、第六感探偵ってトコかしら」
勘で勝負する者を探偵と呼んでいいものかは、甚だ怪しいところだが。
とにかく今は御堂ご自慢の第六感も針が動かないとあっては成実の提案に身を任せるしかなく、二人は地味〜に聞き込みを続け、意外と早くに竜二がヤクザに追われていたという情報を掴んだのだった。

「ったく。だらしねぇ〜なぁ〜、光一!何やってんだよ、おめーはよォ」
見るからにズダボロな光一へ、容赦のない一言が降りかかる。
言ったのは、御堂所長だ。
成実と一緒に袋小路へ駆け込んできた一人である。
「オラ、さっさと起きろ光一ッ」
足でゲシゲシ光一を蹴りつける御堂へ、竜二が申告する。
「親分さん……光一の兄さんは怪我をしておりやす。早く救急車を呼んでやって下せェ」
ところが成実も御堂も、ちらと光一を一瞥しただけで、一向に119番コールする様子もない。
彼の容態を心配しているのは、竜二だけだ。
そのことに気づいた竜二が何か文句を言うよりも早く、成実がヒラヒラと手を振った。
「あぁ、いいのよ、光一は……ほっときゃ、そのうち治るから」
「そのうちって、光一さんは手足が折れているんですぜ!?早く繋いでやらねェと、一生使いモンに」
言いかける側から光一がむくりと起き上がったので、竜二は慌てて駆け寄った。
「す、すいやせん、光一さん……俺の、俺の巻き添えで、酷い目に」
「いってて……」
光一は肩をコキコキやっている。
ぶんぶんと二回ほど腕を振り回して、一人コクリと頷いた。
「よし、大丈夫」
あれ?確か、そっちは鉄パイプを受け止めた腕では?
竜二が首を傾げる間にも光一は屈伸運動をして、ぐいっと顔の鼻血を拭き取った。
「やってくれるよ、あいつら。民間人相手でも全っ然、手加減してくんねーのな!」
「するわけねェだろ」とは、御堂談。
「奴らはヤクザなんだからよ」
「そうだったっけ」
光一はそらっとぼけ、成実にも溜息をつかれてしまう。
「あんたね、どうして一人で突っ走っていくのよ!一緒に捜査してんの、忘れんじゃないわ」
「ゴメン、ゴメン」
謝る光一には誠意が一欠片も見えない。
御堂と成実は溜息をつき、竜二が叫んだ。
「こ、光一さん!」
「ん?何」と振り返る光一の腕を取り、竜二が顔を覗き込んでくる。
「腕は……いや、腕だけじゃねェ。体は、何ともねェんで?」
なにげなく竜二と目を併せた光一はドキッとする。
これは心底、自分を心配している目だ。
自分の巻き添えで――彼は、さっき、そう言っていた。
光一がボコボコにされたのも、自分のせいだと思いこんでいるようだ。
だが、彼が気に病む必要などない。
安心させようと、光一は明るく微笑んだ。
「ごめんな、心配させちゃって。でもさ俺は、人より頑丈なのが取り柄でね」
ブンブンと両手を振り回し、その場で二、三回ほど軽く飛んでみせる。
「な?もう何ともないんだ」
いくら何でも回復が早すぎる。
特に手足は鉄パイプで殴打されたのだから、確実に骨が折れていたはずだ。
無理をしているのではと竜二は勘ぐってみたが、のほほんと微笑む光一からは無理が伺えない。
「それよっか財布の件だけど」
成実の声で、ハッと現実に引き戻された竜二は所長を振り返る。
「それなんですが、もしかしたら、大西建設の代表が持っているかもしれやせん」
「ハァ?」「えっ?」「何ィ!?」
三種の声が重なって、竜二は改めて三人に詳しい説明をするハメになった。


「……ヘェ、暴力団の親分がねぇ」
話を聞き終えた御堂は髭を弄りながら考え始め、光一はバシッと両手を打ち付けた。
「チェッ。そんなことなら、あいつらを、もっと引き留めておきゃ〜よかったな」
「フルボッコにされたくせに、強がり言うんじゃないわよ」
すかさず成実に突っ込まれ、光一がプゥッと頬を膨らませる。
「昼間だったからだよ!夜なら、あんなチンピラどもに負ける俺じゃないっ」
「ハイハイ、言い訳おつ〜」
成実には、あっさり受け流されて、ますます頬を膨らませる結果に終わった。
むくれる光一を横目に、御堂が竜二へ尋ねる。
「で?大西建設ってなァ、どこにある会社なんでェ」
大西建設は新宿のビル街に位置する中小企業の一つだ。
表向きは建設会社となっているが、実際には暴力団の事務所である。
「案内しやしょうか?」
竜二の申し出に御堂は首を振り、断ってきた。
「あぁ、いやいや、いい。おめぇは場所を教えるだけで、いいんだ。あとは俺達が何とかする」
怪しい。
所長は、竜二が何処の組に所属するヤクザなのかを知っているようである。
ついつい好奇心が先走り、気づけば光一は口を出していた。
「竜二って、もしかして大西建設の社員だったの?あ、じゃあ、さっきの奴らも大西建設の奴らだったりする?」
途端にバシィッと御堂に口を塞がれて、光一は何も言えなくなってしまった。
「ここは場所が悪ィ。一旦、事務所に戻る――いや、駄目だ。ロッテリアに退散すんぜ」
壁に耳あり障子に目あり。
どこで誰が聞いているかも判らない場所で、ヤクザの話は危険すぎる。
所長の言葉に成実も竜二も頷いて、四人は、そそくさと、この場を後にしたのだった。