act7 限界突破

一行の顔を見渡して、ハリィが訥々と話し始める。
「皆も判っていると思うが――次の戦いが最後となる」
「最後って、俺達のってことか?」
間髪入れず噛みついてきたキーファへ苦笑すると、銃のスロットへ弾丸を差し込んだ。
「敵の狙いは、この装置で間違いなかろう。だが奴らは動かさずに王都へ向かった。たぶん動かす為の何かが足りなかったせいだと、俺は見ている」
ハリィの言葉に、シャウニィが首を傾げる。
「エネルギーか?けど、あいつらなら魔力、沢山持っていそうだったけどな」
「或いは生贄を調達しに行ったのかも」などと物騒な一言をもらしたのは、王宮魔術師のレン。
白騎士団長グレイグと共に山道を駆け下りていったはずの彼女は、買い出しの連中と共に戻ってきた。
無論、隊長のグレイグや部下の騎士達も一緒だ。
彼ら曰く、城下町は黒騎士と残る魔術師に任せてきたそうだ。
なによりグレイグが言うには「君の手助けがしたい」とのことで。
両手を熱く握りしめられて力説されては、さしものハリィでも断る術が見つからず。
じゃあ協力をお願いしよう、という流れになったのであった。
「生贄?」
怪訝に眉を潜めるハリィへ、レンは得意げに説明した。
「水晶の中に入っている人がいるでしょ?あれが、そうよ」
「あれが生贄だっていうのか?なら、新たに動力を探す必要なんか……あっ!そうか」
自己解決したのか、ボブがポンと手を打つ。
「あの女を取り出そうとしてやがるのか?あいつらは」
「その通りよ」
やっと判ったのかとでも言いたげにフンと鼻を鳴らすと、レンはグレイグを振り返る。
「奴らが城下町を襲ったのは、代用品を探す為よ。そして、それはもう揃ったと考えるべきね」
「民の……命、か?」
「えぇ。正確には、魂に宿るとされている魔力だけれど」
グレイ、そしてレンも視線が山の下へ向かう。山の下に広がるレイザースの城下町だ。
あちこちから煙が上がっているものの、テフェルゼンの報告によると鎮圧完了も時間の問題らしい。
ただ、死者は出た。
その多くが黒騎士と、城で待機していた魔術師連中と聞いている。
銀の聖女と悪魔達の戦いにも終止符がついたのか、上空に浮かぶ影はドラゴンしか見あたらない。
奴らが、ここへ戻ってくるのも時間の問題だろう。
「装置を中央に置いて、一番内側にはルリエルとシャウニィと賢者様、それと魔術師の皆さん。続いて俺達傭兵、キーファ、ティル。ソロンとグレイグ、斬は外側で攻撃に打って出て欲しい」
ハリィ考案の布陣へ、ソロンが頷く。
「あァ、いいぜ。けどよ、攻撃のチャンスッたッて」
結界が、と続ける前にハリィが遮った。
「ルリエルが攻撃した一瞬だけ、奴らの結界が消える瞬間がある。そこをシャウニィと俺達で畳みかければいい。向こうの防御の要はクローカーで間違いないだろう。まずは、奴らを二断する」
「二断?どうやって」と、これはキーファ。
ルクが応えた。
「クローカーを徹底的にマークするんだろ。フォローに回れないよう弾幕を張るんだ」
「その通りだ。攻撃が効く効かないは二の次にして、奴が援護も攻撃も出来ないよう動きを止める班。それと白髪の奴を仕留める班の二つに分けよう」
ハリィは頷き、グレイグを見上げた。
「騎士団諸君は、ソロンと共に白髪退治に当たって欲しい」
「では、弾幕を張るのは我々の役目ですね」
傍らでモリスが言うのを聞き流し、グレイグは真摯な瞳でハリィを見下ろし、頷いた。
「君の頼みとあらば、何でも引き受けよう」
「君だけじゃない」
ハリィは緩く首を振り、ちらりとグレイの背後を伺う。憮然とした騎士達の顔が見える。
「君達騎士団、全員の協力をお願いしている」
グレイグも素早く背後を一瞥し、もう一度強く頷いた。
「何度でも言おう。俺は君の力になりたい。その為ならば、何でもするつもりだ。君はレイザースの為に死力を尽くしてくれた。いち早く、この危機に気づき情報を得ようと世界各地を走り回ってくれた。その努力を無駄にさせたくない。今度は騎士団が手を貸す番だ。レイザースの民である、君達に」
くるりと振り向き、部下達へ言い放つ。
「白騎士団は傭兵のフォローに回る。全力で悪魔打倒の援護をするんだ。俺の命令が聞けない者は、今すぐ山を下りろ。ここは、もうすぐ戦場となる」
白騎士達は顔を見合わせ「判りました」と最初に折れたのは、腹心ヨシュアだった。
「我等の命は民を守る為にあります。この戦いがレイザースの未来を守る為だとおっしゃるのならば、我々は隊長殿に従いましょう」
見れば、ヨシュアだけではない。皆が皆、決意を秘めた表情でグレイグを見つめている。
目元がじわっと熱くなるのを感じながら、グレイグは頷いた。
「すまない、皆……」
「謝る必要など――」
ありませんよ。白騎士の一人が、そう続けようとした時だった。

不意に、ざわりとした空気が場を包み込む。
ルリエル、そして斬が身構えた。
「来たぞ!」

ハッとなって全員が空を見上げると、そこに浮かんでいたのは異形の姿が二体。
背中に羽根の生えた悪魔こと、キエラとクローカーの二人である。
「おやおや」
嘲る調子で、キエラが肩をすくめる真似をする。
「逃げてくれたかと思いきや、ご丁寧に待ち構えていたってわけだ」
構わず「賢者様、結界を!」と叫ぶハリィを眼下に、クローカーも呟いた。
「我々の目的が何であるかをご存じのようですね。布陣を、そこに構えるとは……」
中央に水晶。その周りを全員がぐるりと囲む形で、身構えている。
どう考えても、装置を守る布陣にしか見えない。
キエラが耳打ちしてきた。
「亜人の姿が見えないな。逃がしたのか?」
言われてクローカーも気づいた。確かに彼の言うとおり褐色の小娘、亜人の姿が何処にもない。
唯一の戦力を手放すとは思えないが、洞窟へ突っ込む際に負傷でもしていたということも考えられなくはない。
それほど凄い激突っぷりだった。あのドラゴンが洞窟へ突っ込んできた時の衝撃は。
亜人ばかりではない。以前戦った時よりも人数が減っているように思えた。
「何人か逃げたようですね」
逃げた奴の顔を思い出そうとして、クローカーは早々に諦めた。
人間の顔など、どれも同じに見えるし、雑魚が二、三人減ったから、どうだというのだ。
「一気に片をつけましょう」
そう言って、ぱちんと指を鳴らす。
地面が盛り上がり、例の怪物達が次々と姿を現わした。
「怪物共は我々に任せろ!ハリィッ、弾幕を」
「判っている!」
鬨の声をあげ、白い軍団が怪物共へ向かってゆく。
魔術師らは早くも呪文体勢に入り、傭兵達が一斉に銃を発射した。
「ハ!何度も何度も懲りない奴らだぜ」
銃弾は当たる直前で結界に防がれたが、構わずハリィ達は撃ち続ける。
瞬く間に硝煙で視界が白く覆われて何も見えなくなる中、通信機に向けてハリィは怒鳴った。
「モリスはモグラを騎士団のフォローに!カズスンとジョージは灯カガリを打ち上げろ!」
『了解です!』
煙の向こうでチカッチカッと何かが光ったかと思うと、そいつが勢いよく空に向かって飛んでゆく。
「おっと」と寸前で身を翻したクローカーは、立て続けに飛んできた二発目を結界で弾いた。
直後。
それはボン!と大きな音を立てて四散する。クローカーの頭上で白い花が開いた。
「網?」
花と思えたものは、大きな投網であった。
かわす間もなく頭から網に包まれても、クローカーに動揺した様子は伺えない。
「この程度の網で、私の動きを拘束したつもりですか。ナメられたものです」
三発、四発と飛んでくる恐らくは同様のものを、最小限の動きでかわす。
或いは結界で弾きながら、ほんの少し力を込めてやると、網はあっさり引きちぎれた。
「ふん」
――そこに、油断があったのかもしれない。
「ルク、バージ、今だ!撃てッ」
ハリィの命令により、ルクとバージの二人が空へライフルを構える。同時に発砲した。
「銃など」
言いかけたクローカーの瞳が、驚愕で見開かれる。
「馬鹿なッ!?」
本来なら直線で飛んでくるはずの弾が、結界に当たろうかという直前で大きく迂回したのだ!
後頭部へ回り込んだ一発目を防げず、クローカーは激痛を予想した。
だが脳天へ突き刺さる激痛の代わりに彼を襲ったのは、身を焦がすほどの熱であった。
弾がクローカーの体に触れたと思った瞬間、彼の全身を炎が包み込む。
これには、たまらず「ぐぅっ!」とクローカーが呻くのへ、キエラの集中力も奪われる。
「クローカーッ!!」
彼のフォローに回ろうと意識が一瞬そちらへ行きかけた瞬間を狙って、ルリエルが呪文を放った。
「ぐぅぁッ!」
おかげで自身の結界が間に合わず、キエラは自分が痛手を負う。
馬鹿な、直撃を食らうとは。
いくら異世界出身とはいえ、滅ぼされた世界の住民などに。
激痛だ。ドラゴンのブレスとは比較にもならない。
恐る恐る傷を見て、キエラは意識が飛びかける。なんだ、これは。
炎を食らった部分が、ものの見事に炭化しているじゃないか。先ほどまでの魔法とは、まるで威力が違う。
一体、あの小娘に何があった?先ほどと全く変わったようには見えない。
大きく呼吸を乱し、疲労しているようには見えたが……
ルリエルを睨みつけたキエラは、クローカーに向いていた銃口の一部が、こちらを狙っていることに気づく。
大柄な黒人が怒鳴っている。
「撃て撃て、奴の翼を狙い打ちにしろ!」
奴の声に乗せられるようにして、次々と銃口が火を吹いた。
「……なッろぉ!」
気力を振り絞り、結界で弾こうとするキエラだが。
「突き刺され!アイスアローッ」
ルリエルの後方から放たれた白い刃が、結界ごと彼の腕を貫いた。
飛んできたのが氷の刃だと気づいた時には、もう遅く。
ウッと小さく呻いたのを最後に、キエラの視界が見る見るうちに暗く染まっていく。
「……あ……」
瞼に見えたのは、姉さんの姿。
フェザーは悲しげに微笑み、何かを小さく呟いたように、見えた。
急降下するキエラ、だがクローカーは、やっと炎を消し去ったばかりで彼を助けに行く暇もない。
否。暇など、与えなかった。ハリィ達傭兵は間髪入れず銃を乱射したし、魔術師勢も一部が加勢している。
それらを結界で防ぐのが精一杯、彼の前でキエラは地面に墜落した。
「キエラ!!」
真っ先に結界を飛び出し、斬りかかったのはソロンだ。
目にも止まらぬ一閃が、キエラの脳天をかち割った――
と、誰もが確信したのだが。
残念ながらソロンの一撃が、かち割ったのは異形の怪物で。
直前で飛び出してきた怪物に一撃を阻まれた。
「くそッ!」
怪物どもめ、操られているだけかと思っていたが、なかなかどうして主人想いでもあるようだ。
もう一度振りかぶったソロンは、直前で、ぞわっと殺気を感じて飛び退いた。
直前まで彼のいた場所を光弾が飛んでいき、キエラがむくりと身を起こす。
「……チッ。油断したぜ」
もちろん、油断していたつもりなどない。だが、過小評価していた事は認めよう。
この世界の住民と、滅びの世界から来た、あの少女を。そして――
少女の隣で偉そうに腕組みで仁王立ちする黒い男を、キエラは憎々しげに睨みつけた。
こいつは、これまで全く攻撃をしてこなかった。
気絶したドラゴン娘の側で、ずっと戦いを傍観していたはずだった。
そんな奴が今になって攻撃を、それも、とんでもない威力の魔法を放ってくるとは。とんだ伏兵がいたもんだ。
亜人なのか異世界人なのかは判らないが、尖った耳が人間とは違う種であると主張している。
「俺を地べたに叩き落としたテメェらの勇気に敬意を表して、ここからは結界無しで戦ってやるよ」
キエラを包む殺気が、先ほどよりも強くなる。
鎧を着ているというのに、この寒気は何だ。白騎士の面々は身震いした。
身の丈グレイグの顎ほどもない小柄な悪魔が、今は山よりも巨大に感じられる。
恐るべき威圧感に、足が震えた。
震えを誤魔化そうと「ひ、怯むな!」と大声を荒げた騎士は、喉の奥を鳴らす。
「遅ェよ」
目の前に、悪魔が現われたからであった。
あっと思う間もなく爪が目の前を一閃し、横っ面をはり倒される衝撃に転がった。
大地に激突した痛みよりも、頭を襲う激痛のほうが辛い。いや、それよりも、もっと痛いのは首だ。
俺の首は、どうなった?前を向いているはずなのに、地面が見える――?
「レイグナッド!」
隊長の叫びを最後に、白騎士の意識は途絶えた。
彼が再び目覚める事は、永久にないだろう。
「く、くそッ!」
目にも止まらぬ悪魔の動きに白騎士達は翻弄されている。
しかし彼らばかりを責めるのは、酷というものだ。グレイグやソロンでも見切れていないのだから。
結界が余興だった、などとは思いたくない。
しかし現実として、結界で防いでいた頃よりもキエラの実力は遥かに増している。
いや、そうではない。増したのではなく、これが彼本来の実力なのだ。
もしクローカーも同様の力を持っているとしたら、この戦い――勝てない?
「ぼぉっとしてんなよッ、そらそらそらぁッ!」
奴の姿が消えた、と思った瞬間には誰かの悲鳴が響き渡り、騎士の一人が横倒しになる。
周り一帯を騎士団や剣士に囲まれながらも、状況は極めてキエラに有利だった。
否、相手の動きを見きれないのでは、騎士に勝ち目があるわけもない。
「怯むな!結界で防がれない限り、我等にも勝ち目は」
「ねぇよ」
叫ぶグレイグの前に、キエラが姿を現わす。
といっても消えていたんじゃない、目視でも追い切れないスピードで一気に突っ込んできたのだ。
咄嗟の事で身構える暇もないグレイグに、キエラの爪が襲いかかる。
刹那、ギンッと嫌な金属音が響いたかと思うと、悪魔が大きく後退した。
「チィッ!キサマ、また俺の邪魔をするのか!!」
寸前でグレイグを守ったのは、全身黒づくめの怪しい男。斬だ。
「貴様の狙いは我々の命ではあるまい。無用な戦いは命を縮めるぞ」
グレイグを守る位置に立ち、低く腰を屈める。
騎士団長を救った彼の動きに、助けられたグレイグは勿論のこと、ソロンでさえも呆気に取られる。
今の攻防、けして、まぐれではなかった。斬にはキエラの動きが見えているようだ。
「ハッ、命は多ければ多いほどいいんだよ。魔力がどんどん溜まっていくからなァ!」
また残像を残してキエラの姿が掻き消える。だが、その動きに併せて斬の姿も掻き消えた。
再び斬音。響く金属音と共に二人も姿を現わし、互いに間合いを大きく開ける。
「チッ!」
振り切れない。
斬を振り切れない事に対し、キエラは次第に焦りを覚えていた。
奴の言うとおり、本当は、こんなことをして遊んでいる場合ではない。
一刻も早く姉さんを水晶から出してやらなければ、彼女が死んでしまう。
そして息をもつかせぬ二人の戦いを見守る余裕など、騎士団にもなく。
ご主人様の墜落で攻撃を止めていた異形の者達が、キエラの復活と同時に再び襲いかかってくる。

クローカーもまた、内心に焦りを貯めていた。
このままではキエラの救出はおろか、奴らへの反撃もままならない。
かといって、自分まで地上に降りて戦うのは危険だ。
キエラやフェザーの入った装置まで、巻き込む恐れがある。
装置を守る布陣に構えようと考えた奴が、つくづく憎らしい。
魔術師はガンガン魔法を放ってくるし、傭兵達の銃も止むことを知らない。
要注意なのは異世界の住民二人と賢者ぐらいだが、いつまでも膠着状態というのは良くない。
何が良くないって、フェザーの容態が、だ。水晶は今も彼女の生命力を吸い上げている。
いざとなったら、奴らの前で装置を起動させるしかない。彼女やキエラを失うよりはマシだろう。
装置を動かせば、反動で魔界への扉が開くかもしれない。
魔界の扉が開くとなると、異世界住民を向こうへ呼び寄せるきっかけも生まれてしまう。
しかし、その危険を犯してでも、フェザーは救わなければいけない命だった。彼と、キエラにとって。
別に特別な魔族というわけじゃない。
キエラにとっては姉さんであり、クローカーにとっては恋人という、それだけの存在だ。
それだけの存在。
「キエラッ、離れていろ!!」


――それだけの存在を守ろうとして、何が悪い?――


天上からビリビリ響き渡るほどの大声に、誰もが動きを止められる。
ただ一人、動けたのはキエラだけだった。
いち早くクローカーが何をしようとしているのかを悟り、地を蹴って空へ舞い上がった。
範囲外と思わしき空域まで、猛スピードで飛んでいく。
クローカーの体が光に包まれると認識できた時には、彼の両手から放たれた大きな光弾が地上を襲った。
こんな大きな攻撃、避けられない!
やっと硬直が解け、ティルへ向かって走り出そうとしたソロンは、誰かの大声を聞いたような気がして振り返る。
声は確かに叫んでいた。
「ソローーーン、これを、受け取ってェーーーー!!」と。
ソロンに向かって急降下してくる大きなドラゴンは、間違いなくアルじゃないか。
背中に乗ったスージが何かを投げつけてきたので、ソロンはがっちり受け止める。
「思いっきり振り回してご覧なさい!」
それが何であるかも判らないまま、エルニーの半ば悲鳴めいた声に併せて一閃した!


クローカーの放った光弾は、実は攻撃用の光弾ではなく。
彼は己が体内に宿した魔力を放ったのであった。全ては、装置を起動させてフェザーを助ける為に。
それを、どう勘違いしたのか地上の人間は剣で跳ね返す。
ソロンの振るった剣こそが、伝説の魔具と呼ばれる『アルテルマ』である。
一閃すると同時に信じられない大きさに変化して、真下にいたソロンを押しつぶし、飛んできた魔力を打ち返したのである。
「何ッ……!?」
まさか、弾き返されるなどとは予想していなかったのだろう。
いや、普通は思わないだろう。自分の放った魔力が、剣によって物理的に跳ね返されるとは。
まともに魔力が直撃し、クローカーは地面に墜落する。
そこへ走り寄ってきたのは、今までずっと様子見に徹していたエリックだ。
この瞬間を待っていた。そう言い換えてもいい。
「悪魔よ……滅びるがいい!」
振りかざした右手が、どくん、と嫌な脈を打つ。
あれは遠い昔、自分が遊び半分に人間へ植え付けた能力じゃないか。
立ち上がる余裕はない。立ち上がって、結界を張る余裕が。
クローカーは目を閉じた。
さようなら、フェザー……
クローカーの頭上に、拳が振り下ろされる。
しかし拳が彼の頭を粉砕する事はなく、間一髪。何者かが横っ飛びにクローカーをかっ攫う。
「諦めてどうするのッ。諦めるなんて、貴方らしくもありません!」
聞き覚えのある、だが懐かしい声。そっと目を開けると、目の前にはフェザーの顔があった。
「おいっ、ハリィ!やばいぜ、魔界の門が開いちまった!!」
そんな風に叫ぶ人間の声も聞こえる。
クローカーがそちらを見やると、確かに装置は起動していて、装置の頭上には黒いモヤモヤが発生していた。
「ち……違う、あれは」
苦しげに絞り出されるキエラの呟きへ振り向くと、クローカーを抱えたフェザーも反応する。
「魔界……ではない……?」
皆が思い思いにざわめく中、何処か場違いなほど澄み渡る歓声が一部で上がる。
「やったぁ!」と騒いでいるのは黒エルフのシャウニィ。
剣に押しつぶされていたソロンが、よろよろと立ち上がって突っ込んだ。
「何をやッたンだよ?」
ちなみに彼を押しつぶしていたアルテルマだが、今はすっかり元の大きさに戻っている。
つくづく不条理な武器だが、だからこそ魔具と呼ぶに相応しいのかもしれない。
シャウニィはソロンのほうを振り向きもせず、頭上に開いた門を指さし瞳を輝かせた。
「何がじゃねーよ!ありゃあ、俺達の世界だぜ?ファーストエンドだ、ファーストエンドへのゲートが開いたんだ!」
「えぇっ!?ファーストエンド?ホントなの?」
意外な言葉にティルは仰天、キーファもナイフを取り落としてポカンと空を見上げる。
「マジ?じゃあ、さっさと開くのが正解だったってワケか。……なぁ〜んだよ、それぇ……」
長いようで短かったワールドプリズの調査も、これでやっと終われるのかと思うと。
彼がぼやきたくなるのも、当然というもので。
「あとは……」
皆の視線が、おのずと異形の者達へ向けられる。
エリックが尋ねた。
「まだ、戦うつもりですか?」
フェザーの手から解放され、地に降り立ったクローカーが、ゆっくり首を真横に振った。
「いいえ」
「では、魔界へお帰り頂けるのですね?」
二度目の質問には頷いて、クローカーは口元に微笑を浮かべる。
「私達は初めから、あなた方と争うつもりなどありませんでしたよ。私とキエラは失われた家族、フェザーを取り戻す為に、この世界へやってきたのです」
最後まで、どこか人を小馬鹿にした嘲笑だった。
ふわり、と浮き上がる魔族三人へ向かって騎士団の一人が叫んだ。
「待て!逃がすと思って――」
だが、その目前を遮ったのは斬。
「追うのは無駄だ」
「何故?」と尋ねるグレイグを一瞥し、彼は答えた。
「奴の言ったとおりだ。我々と彼らは元々争う相手ではなかった」
「しかし!」
騎士団は、なかなか諦めが悪い。
死者を出しているのだから、諦めがつかない気持ちは判らないでもない。
だが、それ以上の押し問答を断ち切らせたのは、他ならぬグレイグ隊長その人で。
「奴らを倒したいのは俺も同じだ。しかし、これ以上の戦いも無意味。死者を弔うのは仇討ちだけが全てではない。生きて戻って、彼らに祈りを捧げるのも弔いだ」
対してヨシュアやレンは言葉を探すが、うまい切り返しが見つからない。
そうこうしているうちに、宙へ浮かんだキエラが叫んだ。
「おい、そこのお前!そこの、髪の毛を逆立てた奴だ」
俺か?と見上げるソロンへ頷くと、白髪の悪魔はニヤリと笑みを浮かべる。
「とんでもねぇ切り札を最後に見せてくれやがったな。テメェの顔は覚えておいてやる。次に会う時があれば、その時は俺が勝たせてもらうぜ!」
最後の最後で爽やかな発言に「……ハァ?」と、ソロンが首を傾げている間に。
三人は、お互いに目配せしあって頷くと、一気に、いずこへと飛び去って行ってしまった。

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