act6 反逆者と魔族

平坦なる世界・ワールドプリズ。
この世界には、平穏を乱す不浄なものを正す為の力が二つある。
一つは、亜人の島のドラゴン。
もう一つは、神々が作りたもうし武器。アルテルマと呼ばれる魔具であった――


「なんで、そんな大層なモンが、クレイダムクレイゾンなんてド田舎の金持ちの家にありやがんだァ?」
散々斬の「知らぬ」で躱された疑問を、またしてもボブがくちにする。
「さぁな、金持ちのすることなんぞ判らんよ。どうせ金で買い取ったんだろ」
気のない返事をハリィが返し、それよりも、と装置の側へ腰を下ろす。
「第二ラウンド開始まで、休んでおこう」
「……だな。どうせやることもねぇんだ、少し寝とくか」
大きくあくびをかまし、ボブもハリィの横へ座り込んだ。
ルクやレピアの姿は見えない。補充用の弾、及びトラップを買いに近辺の町まで行かせたのだ。
レイザースの城下町は、恐らく戦場になっていると予想される。店も閉まっているだろう。
「もう……緊迫感が、まるでないんだから。こんな時に、よく眠れるわね」
たちまち鼾をかいて眠りだしたボブをジト目で一瞥し、ティルも地面に腰を下ろした。
どれだけ長い間、洞窟の中で戦っていたのか。
とっくに昼を過ぎ、そろそろ夕暮れにならんとしていた。
「見ろ」
ソロンの呟きに、えっ?となって彼の指し示す方向へ目をやると。
レイザース城下町の上空に、黒い影が三つ浮かんでいる。
「あれって……もしかして」
彼女の言葉を拾って、シャウニィが続けた。
「あぁ、カタッポは魔族だ」
人間にはゴマ粒にしか見えぬ影も、ダークエルフの視力には、はっきりと見えているらしい。
「片方?じゃあ、三つめは誰なの」
ティルの問いにはシャウニィも首を傾げ、答えを現地人に求める。
「俺が知るわけねぇじゃん。お前ら、知ってっか?」
その問いに答えたのは、斬でもハリィでもなく。
「ドラゴンじゃ!」
素っ頓狂な声をはりあげたのは、他ならぬ賢者ドンゴロだった。
皆の視線が彼に集中する。
「ドラゴン?」
「亜人の島の?」
口々に騒ぐ皆へドンゴロはコックリ頷き、嬉々として遠方を見やる。
「そうじゃ、あれはシェリルじゃ。シェリルが応援に来てくれたのじゃろう」
「シェリル?」
聞き覚えのない名前の出現に誰もが顔を見合わせる中、斬がボソリと呟いた。
「……銀の聖女か」
「銀の聖女だって!?」
そちらには聞き覚えがあるのか真っ先にハリィが反応し、つられてボブも飛び起きる。
「銀の聖女っていやぁ、俺らの英雄ドラゴンじゃねぇか!そいつが来たってのか?レイザースに!!」
必死に目を凝らすが、ここからでは黒い影にしか見えない。
「あの子ならば、悪魔が相手でもひけは取るまい」
ドンゴロは一人、満足そうに髭を撫でる。
「でも、二人もいるのよ?この世界のドラゴンって、そこまで強い生き物なの?」と、ティルが問えば。
「……ま、五分五分といったところかのぅ」
賢者は目を細め、不安を増すような事を言う。
「けど、今ひけはとらないって」
さっそくキーファが騒ぐのへは、シャウニィが暢気に答える。
「ひけは取らないけど、勝てるかどうかは判らねぇってこったろ?この爺様が言ってんのは」
わざわざ説明されなくても、それぐらいはキーファにだって判っている。
銀の聖女に関しては、レイザースの民ならば誰でも記憶に新しいだろう。
ここ最近レイザースを襲った怪獣襲撃事件で、首謀者の呪術師もろとも怪獣軍団を倒したドラゴンだ。
そのドラゴンとも、悪魔は互角だというのか。
「ったく、ドラゴンでも勝てるかどうか判らねぇ相手と戦ってたってのかよ、俺達は」
これ見よがしに大きく溜息をついて、ボブが装置に寄りかかる。
これまでに勝ち目のない戦いを経験したのは、一度きりだ。例の、怪獣事件だけである。
銃もトラップも効かず、あの時は苦い思いを味わった。
まさか、そう月日も経たないうちに同じ経験をする日が来ようとは。
「……すまないな。こんな戦いに巻き込んじまって」
ボブの沈黙をどう受け取ったのか、ハリィが急に謝ってきた。
慌ててボブは身を起こし、友を慰める。
「な、何言ってやがんでぇ!俺達ァチームじゃねぇか、気を回す必要がドコにある?」
「しかし……」と俯く親友の肩を激しく叩き、なおも優しく声をかけた。
「しかしもカカシもねぇ!俺ァ、お前が一声かけてくれりゃ〜地獄の底にだってついてってやるつもりなんだからよ。だから、ナ?ハリィ。水くせェコトを言うのは、やめにしようぜ」
バージも口添えした。
「そうですよ、俺達はチームなんだ。大佐だけを危険な戦いに行かせられませんって」
それを聞いたキーファが、ブチブチとぶうたれる。
無論ハリィ達には聞こえぬ程度の小声で、だが。
「俺達はハリィのチームじゃないよな。結局、巻き込まれたけど」
「仕方ないわよ。今さら文句を言ったって、逃げられるわけじゃないんだし」
キーファと比べると、思いのほかティルはサバサバしている。
まぁ、彼女の事だし、単に何も考えていないだけなのかもしれないが。
どこか吹っ切れた笑顔で、ティルは傍らに立つソロンを見上げた。
「一度始めた以上、最後まで戦って勝たなきゃ。ねっ、ソロン?」
「……ン?あァ、そうだな」
応えるソロンは、どこか浮かぬ顔だ。
どうしたんだとキーファが尋ねると、彼は険しい表情でレイザースの上空を指し示した。
「旗色が悪くなッてきやがッた。見ろよ、銀色のやつが押されているぜ」

銀色ドラゴンのシェリルは、何も悪魔と戦う為にレイザースへ戻って来たのではなかった。
彼女は単に愛しい恋人――キリー=クゥを探す為、やってきたに過ぎない。
亜人の島から拉致された仲間達を追いかけて、はるばるレイザースまで辿り着いた時。
偶然出会った黒騎士が、アレンとキリーの二人であった。
怪獣事件を通して黒騎士団の面々とも知りあい、そして黒幕の呪術師を討ち滅ぼした後。
正体を晒した彼女は、一路故郷へ凱旋する。
だがキリーへの想いは、そう簡単に断ち切れるものではなく。再び戻ってきてしまったというわけだ。
そうしたらレイザース城の上空には、見知らぬ生き物が二匹留まっていた。
ドラゴンであるシェリルの勘が彼らは只者ではないと告げ、彼女は勇猛果敢にも戦いを挑む。
二匹が相手でも、勝てる自信はあった。
その愚かな自信を彼女は今、ひどく後悔していた……
「どうした?ドラゴンって言っても、この程度か!」
挑発してくるのは、白髪のキエラ。
こいつの結界は大したことがないのだが、何しろ動きがすばしこい。
空を飛ぶ相手は厄介だ。地を這う生き物と違って、爪も牙も当たりにくい。
後方に浮かぶ黒服、クローカーと呼ばれていたようだが、こいつも並の魔力ではない。
少なくともシェリルが知る中では、世界最強にランクインさせても構わないと思う。
レイザース一の魔導師と謳われているレン=フェイダ=アッソラージだって、こいつの前では赤子同然であろう。
否、世界一の術者ドンゴロだって、こいつには勝てるかどうか。
何しろ、ドラゴンのブレスを完璧に防ぐ結界を張るのだ。
平坦なる世界のドラゴンは、追撃を許さないほど絶対の力を持っている。
巨象でも、いつかは蟻の攻撃に足を掬われることもある。
しかし一対一において、ドラゴンの強さは並み居る生物の群を抜いていた。
神に次ぐ実力と謳われるほどだ。一個人の作り出す結界如きに塞がれる程度のブレスではない。

――異世界の住民――

そんなワードが、シェリルの脳裏を掠めてよぎった。
「あなた達、どこから来たの?」
クローカーが答えた。
「魔界……といって、判りますかね?ドラゴンのお嬢さん」
マカイという名には聞き覚えがある。
ワールドプリズとは別の次元に存在していて、羽の生えた魔族という種族が住まう世界だと。
島の仲間が言っていたのだ、そんな話を。
御伽噺だと思っていたが、どうやら本当に実在する世界だったらしい。
「魔界の住民が、どうしてコッチに来たの?この世界を滅ぼそうって言うなら、あたしが許さない!」
「まさか」と、クローカーが肩をすくめる。
どこか小馬鹿にした嘲笑を目元に浮かべ、シェリルを見た。
「この世界を滅ぼして、我々に何のメリットがあるというのです?」
ペッと唾を吐き、キエラも言い添える。
「俺達は、奪われたモノを取り戻しに来ただけだ」
「奪われた、モノ?」
そうだと頷き、剣呑な目つきでキエラは言い放った。
「そいつを取り戻す為なら、邪魔する奴らは許さねぇ!全員、皆殺しだッ!!」
何を探しているのかは知らないが、皆殺しとは穏やかではない。
眼下を見れば城下町のほうでも戦いが起きているようで、あちこちから火の手が上がっている。
こいつら、或いはこいつらの仲間が街を襲ったというのは、シェリルにも見当がついた。
「なら、さっさと奪われたモノを取り戻して、魔界へ帰ればいいじゃない」
シェリルが言うと、クローカーの表情にも、ほんの僅かだが変化が起きる。
目元から嘲笑が消え、かと思えば物憂げな光を宿して呟く。
「それが、そうも簡単にはいきませんのでね……厄介な事に」
何故か勢いをなくしたクローカーに代わり、威勢良くキエラが吼えた。
「替わりの贄が必要なんだよ!だから今、調達させてんのさ」
「調達?」
「そうさ、下を見てみろ!」
言われて、もう一度シェリルは地上に目を凝らす。そしてハッとなった。
「あれは……!」
戦っているのは黒い鎧の軍団と、羽根の生えた奇妙な生き物達。
黒鎧はレイザースの黒騎士団で間違いないが、軍団とは離れた場所、怪物に囲まれた中にも鎧の者がいる。
風になびく長い金髪、何より邪悪な薄笑いを浮かべる顔には見覚えがあった。
反逆者・ジェスター=ホーク=ジェイト。確か、そのような名前ではなかったか?
怪獣で失敗したから、今度は魔族の手を使って再びレイザースを滅ぼしにやってきたというつもりか。
「知りあいか?顔色が変わったぜ」
嘲るキエラへ振り向くと、シェリルは思いっきり息を吸い込んだ。
「卑怯な真似をッ!」
怒りと共に吐き出されたブレスを「ひゅぅッ」と間一髪で避け、間髪入れずに白髪魔族もやり返す。
飛んできた魔力弾を、くるりと回って尾で掻き消すと。その反動で、鋭い爪をクローカーに振り下ろした。
だが向こうも読んでいたのか、爪は当たる直前で弾き返され、シェリルは一旦間合いを外す。
両者は再び睨み合う形となりながらも、互いに攻撃の手を休めない。
「何が卑怯なんだ!? 人間同士を戦わせて、何が悪いッ」
光弾が何個かドラゴンの体に被爆したが、痛みに顔を歪ませている場合ではない。
敵は二人、クローカーも攻撃に加わっている。
飛び交う魔力弾を避けながら、シェリルも叫び返した。
「ジェスターは、あなた達の目的とは無関係じゃない!利用するなんて、かわいそうだわ!!」
あの黒騎士がレイザースに恨みを持っているのは、知っている。アレックスが教えてくれたのだ。
しかし、それでも話し合えば和解できるのではないかという望みが、シェリルにはあった。
同じ種族同士で啀み合うなんて、不毛極まりない。
言葉の通じない怪獣とは戦うしかなかった。でも、ジェスターには言葉が通じるじゃないか!
「――くッ!」
一瞬だが、反応が遅れた。
ジェスターに憂いを馳せていたシェリルの耳元に、クローカーの魔力弾が被弾する。
爆発で目は霞み、頭にはグワングワンと反響もきたが、咄嗟の勘でドラゴンは身を翻した。
ちょうど真上でキエラの蹴りが空を切り。
「ちィッ!」
舌打ちと共に放たれた肘打ちをも、間一髪で避ける。
危ない、危ない。反逆者は気になるが、今は魔族二匹の退治を優先しなければ。
ジェスターの事はアレックスに任せておけばよい。
元は同じ国民、同じ黒騎士同士だ。必ず何とかしてくれるはず……


――同刻、クレイダムクレイゾン。
仕事を終えて、いきつけのカフェで一息ついた後。
アリシア=クレイマーは一人、ウィンドウショッピングを楽しんでいた。
家に帰れば、ぐうたらな亭主への飯作りがまっているだけだ。あの無精髭、顔を見るだけでも苛々してくる。
けして望んだ結婚ではなかったし、ジロも望んで産んだ子供じゃなかった。
だから働かない亭主の代わりに外勤めに出た彼女の帰りが、日に日に遅くなるのは自然の摂理というもので。
ジロが家を出てからは、仕事帰りにカフェと買い物へ立ち寄るのがアリシアの日課となっていた。
ダンを置いて実家に帰る。何度か考えたこともある。
が、しかし自分は家を追い出されたのだ。世間体の名の下に。
どの面を下げて帰れよう。生まれ故郷に住みながら、いつもアリシアは孤独な時間を過ごしていた。
「あっ!アリシアおばさ〜んッ!」
名を呼ばれた気がして、彼女が振り返ると。息せき切って走ってきたのは、ポニーテールの男の子。
少し遅れて、縦巻きロールが仰々しい女の子も現われ、ぜぇぜぇと息を切らせながら面を上げた。
「あら……あなた達は」
「お久しぶりです、おばさま!」
少女はエルニー、少年の方はスージだ。近所に住んでいた子供達で、ジロの幼なじみでもある。
十歳かそこらになった頃、ある日突然ジロは家を出て行った。
無論、仲良しだったエルニーやスージを引き連れて。
アリシアに何の相談もなく行かせたことで、彼女は当然激怒した。
よってダンを締め上げて判ったのは、彼の弟から届いた手紙が原因だった。
ジロを一人前のハンターに育てたい。要約すると手紙には、そのような事が書いてあった。
あの子がハンターになれるわけがない。
ダンとよく似てグータラで、家事の手伝いすらやってくれない子供だもの。
アリシアは咄嗟に、そう思ったのだが、今さら呼び返す気にもならず、今日まで放っておいたのだった。
その不肖の息子の友達が何故突然、連絡もなしに帰郷したのか。それも、自分を大声で呼び止めて。
「お、お、おばさん、あのですね、ジロと会いませんでしたか?」
スージが尋ねてくるので、アリシアは首を真横に振る。
「いいえ。ジロも帰ってきているの?」
「は、はい。あの、おばさまを捜しに実家のほうへ行ったはずなんですけれど……」
あらあら、とアリシアは苦笑した。
彼女が実家を苦手としているなんて事、あの子は当然知っていると思っていたのに。
それにしても、彼らの帰郷理由が気になる。
ここ数日を振り返っても、スージ達が戻ってくるなんて話は誰からも聞かされた覚えがない。
否、ジロは我が子なのだ。なのに連絡の一つもないなんて、尋常ではない。
まさかハンターの素質がなくて、お払い箱にされたとか?
いやいや。ギルドマスターが、あの人である以上、そんな無責任は有り得ない。
アリシアは素直に聞いてみた。
「ねぇ、どうしてジロは急に戻ってきたのかしら。二人も、お母さんか誰かに呼び戻されたの?」
「違いますわ、マスターが!」
「マスターが、ネイトレット家の秘宝を借りてこいって言うから!」
簡潔に、且つ具体的に納得のできる説明をしろ。
そう斬に言われたことなど、既に二人の頭からは消し飛んでいる。
ここへ来るまで、そしてアリシアを見つけるまで、かなりの時間を労してしまった。
焦りが彼らから、冷静な判断を失わせていた。
いや、元々冷静でもない二人のことだから、本気で言いつけを忘れてしまったのかもしれないが……
ともかく泡を食った説明に、アリシアまでもが落ち着かない気分にさせられる。
「斬が?あの人が、本当にそう言ったのね?」
「こんなの、嘘ついてどうするんですかぁー」
「早く!時間がありませんのよ、おばさま!」
「ど、どうすればいいのかしら」
慌てるアリシアの背中をエルニーがグイッと押して、こう叫んだ。
「早く!急いで、急いで実家からアルテルマを持ってくるのですわ!!これは世界の命運がかかっておりますのよ、もちろんマスターの命もですけれど!」
いきなり話のスケールがでかくなった。
だが、もっと聞き捨てならない一言が聞こえたではないか。
斬の命がかかっている?
何が何だか判らないが、急いで実家に戻り、家宝を取ってこなければいけないようだ。
ヒモな旦那の命なら、むしろ消えて欲しいところだが、斬の命となると話は異なってくる。
ジロの先生というだけではない。アリシアにとっても、斬は特別な人物であった。
助けなければ。我が身に変えても。
実家が怖いだのと泣き言を漏らしている場合ではない。
アリシアはギンッ!と瞳に闘志をみなぎらせると、ポツリと呟いた。
「行って参りますわッ」
言うが早いかエルニーが支えを失ってよろけるほど、猛ダッシュで大通りを駆け抜ける。
その脚力たるや、とてもロングスカートのオバサンとは思えぬスピードだ。
道沿いの店の果物が飛び散り、風圧でよろける婆さんを置き去りに、アリシアの背中は見る見るうちに遠ざかる。
我に返ったエルニーが「ま、待って下さいませ、おばさま!」と声をかける頃には。
アリシアの背中は、地平線に隠れて見えなくなっていた。
「はっ……速ぁい……」
呆然とした様子で、スージがぺたんと地面に座り込む。
「で、でも、あの勢いならば、お任せしても宜しいんじゃなくて?」
同じく呆然とエルニーが呟くのへは、ハッとなってスージは言い返す。
「でも、おばさん、あれを何処に持っていったらいいのか判らないんじゃ?やっぱりボク達が取ってきてあげなきゃ駄目なんだ」
ヨロヨロと立ち上がり、エルニーを促すと。アリシアよりも、だいぶ遅いスピードで走り始めた。


レイザースの城下町では、ひっきりなしに現われる怪物と騎士団の戦いが続いていた。
怪物達を呼び寄せているのは、ジェスターではない。
上空にいる魔族二人、クローカーとキエラが召喚しているのだ。
彼らと出会ったのは、ほんの数時間前。
彼らは突然、交渉を持ちかけてきたのだ。見も知らぬジェスターに。
悪い話ではなかった。
化け物を貸すから、片っ端からレイザースの民を殺せと言う。
殺した魂は上空で集めるとも言われたが、意味が判らないので聞き返さずにおいた。
化け物の言い分など、理解する必要はない。己の復讐さえ果たせれば、それでいい。
魔界から召喚される化け物は、亜人の島の怪獣よりは弱かった。
けれど、数は怪獣の比ではない。無尽蔵、そう称しても良いだろう。
これだけの数を呼び出せる魔族には恐れを抱かないでもなかった。
しかし復讐さえ果たせるなら、あとは死んでしまっても構わない。
ジェスターはそう考え、魔族への協力を承諾した。
目の前では、アレックスが狂ったように剣を振るっている。
だが、奴の剣は届かない。上で結界を張ってくれる魔族がいる限り。
向こうの攻撃は当たらない、しかし此方の攻撃は結界を緩めた瞬間だけ当てることができる。
「クッククク……ハァッハハハハ!」
思わず口元は歪み、哄笑がジェスターの口を飛び出して。
弟のアレンが悔しそうに顔をしかめるのが後方に見えた。
そうだ、悔しがるがいい。無力を嘆くがいい。レイザース王国よ、今度こそ俺の手で滅びるがいい!

ドラゴンとやり合いながら、時折キエラは胸元に手を当てていたが、やがて小さく呟いた。
「そろそろ……かな?」
ちらりと彼を一瞥して、クローカーも僅かに笑みを浮かべる。
「溜まりましたか」
ジェスターをけしかけ、レイザースの街を破壊させながら。二人は、上空で魂を集めていた。
正確には人の魂に宿る魔力を、だ。
水晶からフェザーを解き放つ為に必要な動力、それが人の持つ魔力であった。
生きた人間を一人捉える。それも最初に考えたのだが、人間の反抗を考えると、あまり上手くない作戦だ。
もっと簡単に魔力を集める方法を突き詰めた結果が、死んだ人間の魂を集めるという方法だった。
ドラゴンに襲われたのは予定外だが、この程度の生き物、二人がかりならば造作もない。
別に、倒す必要などないのだ。適当にかわして、且つ目的を悟られないよう時折攻撃しておけばいい。
キエラが襲われている時は、クローカーが。クローカーが襲われている時は、キエラが。
交互に役割を分担して、ジェスターが送ってくる魂を拾い集めた。
「あいつも潮時か」
せせら笑うキエラを横目に、クローカーが頷く。
「彼は存分に役立ってくれました。復讐も、それなりに果たせたでしょう」
キエラも「それなりに、か」と微笑み、ちらっとドラゴンの方を見やる。
銀色に輝く、この生き物。二人を敵視しているようだが、目的には気づいていないと思われる。
馬鹿な奴だ。レイザースでも何でも、勝手に守っているといい。
「よし、じゃあ、行くか」
「そうですね。できるだけ、負け犬っぽく去るとしましょう」
実に楽しそうにクローカーが言うのへキエラも併せ、人懐っこい笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺がブレスに当たるから、結界の威力を弱めといてくれ。で、やられた俺をお前が助け起こして、二人揃ってトンズラだ」
「半減して、大丈夫ですか?本気で墜落しても、助けてあげませんよ」
「大丈夫だって」
じゃあ行くぞ、と目で合図して。
バッと無防備な体勢で飛び込んできたキエラに、シェリルのブレスが直撃する。
あまりの予想外な動きに「えっ!?」と攻撃した本人も驚く中、クローカーが落下するキエラを受け止めた。
「大丈夫ですか!?」
わざとらしいほど真剣に呼びかけてくる彼へ、キエラが、そっと片目を瞑ってみせる。
さすがに、今のは痛かった。しかし死ぬほどのダメージではない。
半減したとはいえ、クローカーの結界は強力だ。キエラの背中に火傷を作る程度で収まっている。
「くそぅ、油断した……ぜ……」
ハァハァと息を乱して呟くキエラに、クローカーは内心の笑いが止まらない。
自分は今、変な顔をしていないだろうか?口元が、おかしな具合に引きつっていないと良いのだが。
一方のシェリルは、本気で戸惑っているようだ。
さもあらん。今まで軽快に避けていた相手が、不自然なほど突然にペースを狂わせたのだから。
「ここは一旦、退かせてもらいます……!」
憎々しげにドラゴンを睨みつけ、クローカーがくるりと背を向ける。ドラゴンが吠えた。
「待ちなさい!逃げるつもりなの!?」
「逃げる者を追いかける……そのような非道な手段、あなたは使わないと信じておりますよ」
振り向かずに、そう言い捨てると。キエラを抱えたまま、クローカーは戦場を離脱した。
だいぶ離れ、ドラゴンが見えなくなった辺りでキエラが声をかけてくる。
「もういいよ。離しても大丈夫」
パッと彼を離したクローカーが、ようやく笑顔を見せた。
「……ふぅ。大根演技すぎますよ、キエラ。もう少し自然に出来ませんでしたか?」
「悪いね、演技は苦手なんだ。ホラ、俺って正直者だからさ」
キエラも歯を見せて笑ってみせるが、すぐに真面目な顔に戻るとクローカーを促した。
「それより、急ごうぜ。こうしている間も姉さんは衰弱していくんだ。早く出してやらないと」
「そうですね」とクローカーも頷き、二つの影は吸い込まれるようにして、山間へと消え去った。

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